「…………うわぁ」
驚愕とも呆れとも感激ともつかないような感じの声がゼファーの口から漏れる。彼女の隣に立つニシノフラワーも「えっと……」と言葉に困ったような声が出ていた。先ほどまで明らかに精神的に不安定だったシンコウラブリイでさえも「お、おお…………」と只管に驚いている。
「……まぁ、そういう反応になるか」
もう何度も同じようなリアクションを見てきたのか、三人に次いでバスから降りたアキツテイオーがはやなんでもない事のように言った。彼女達の目の前にあるのは、文字通りの大豪邸だ。
トレセン学園にあるウイナー城のそれを遙かにしのぐ大きさもさることながら、広大で雄大な南アルプスの山々を背景としてそびえ立つその情景といい、隅々まで手入れが行き届いた外装や庭園といい、周囲のあちらこちらからセレブリティな感じが漂っている。そして極めつけが、豪邸を囲むように設置されている
「すっごいですよねぇ、陛下とその家族さん達って。この辺り一帯の土地を土地の管理及び地域への各種支援を条件に日本ジオパーク協議会から買い取って、山岳地帯を利用したトレーニングをする時に使う為の別荘をポンッと建てちゃったんですから」
「レース場を模した
トレセン学園のグラウンドにもある広大な芝のターフ。青々と生い茂る芝のコースに、まさかこの南アルプスの山岳地帯付近の地域でお目にかかるとは。
「我らの目的はあくまで‘走行能力の強化,なのだから、ただゆっくりと登山をするだけでは意味がない。走ってこそだ」
酸素濃度が低く、様々な能力が求められる山という場所で集中的にトレーニングを行なうのは良いが、別に登山家になるつもりもない。ウマ娘レース出走者としての各種能力の向上は、やはり走ってこそ効果が見込める。しかして当然ながら、登山道を全力で走る訳にはいかない。普通に他の登山客に対する迷惑行為だし、幾ら人よりも身体が丈夫なウマ娘とはいえ、険しい山道で行なうそれは大怪我に直結する。
「だから標高がある程度高い場所に、
「やれやれ」とばかりに柴中は首を横に振った。初見でこの豪邸を見ても特に驚かなかったのは、柴中の知る中ではメジロ家の面々とダイイチルビーぐらいである。
「確かに一財閥としては少しばかり大きな規模の計画だったのでしょうが、そこまで派手なそれでもないかと。URAやトレセン学園にもトレーニング施設として貸し出すことを条件に助力を願ったそうですし、あくまで陛下とニホンピロ財閥はトレーニング施設を建設する計画を立案、主導した立場に過ぎないのでは?」
「そういう発言が冷静に出来るのは、お前の一族がウイナーもといニホンピロ財閥を凌ぐ権力と金を持ってるからだって事に気づいてくれリアル城持ち」
「あら、
なんだか横で更にトンでもない会話が行なわれているような気がするが、意図的に聞かなかったことにする。最悪、自分の中にある物の価値観が大きく変わってしまいそうだった。
「さて、まずは手早く荷物を部屋に運んじゃってくれ。それぞれに用意された部屋があるからそこに──」
柴中の指示でテキパキと動き出していくチームステラのウマ娘達。一体どんな強化合宿になるのか全く想像が付かなくなってしまったゼファーは、取りあえずやれることを頑張ろうと決めてバスの荷台から率先して荷物を取り出し、他のメンバー達へ配り始める。
「よいしょっ……と」
最後に万が一のことを考えて持ってきた、救急箱や緊急時用の物品が入ったバックを部屋に置いて、ヤマニンゼファーはようやく一息を入れた。続いて荷物の整理をする前に、改めて用意された部屋を見渡してみる。
──広い。寮の部屋と比べて三倍以上はある。ベットもいつも使っている物より大きく、触り心地もふかふかで最高だった。ステンドグラスやカーテン、置いてある小物なども不快にならない程度に洒落ていて、所謂高級ホテルの一室を思わせる。小さな冷蔵庫入っていた高そうなドリンクは、どれでも飲み放題(しかも言えば補充してくれる)らしい。下手をせずとも、このまま観光ホテルとしてやっていけそうである。
「わぁ……!」
そしてなにより、ベランダからの眺めが最高だった。ゼファーに割り当てられた部屋が三階というのもあってか、雄大な南アルプスの山々をベランダから一望することが出来たのだ。風も最高に心地よかった。山に漂う色濃くて壮大な神秘の力が、そのまま風に乗って
(こんなに良い所を合宿に使えるなんて、なんだかちょっと気が引けちゃうかも)
何かに若干の申し訳なさを感じてしまうゼファー。しかもこの施設、中央トレセン学園のレースチームなら予約をすれば誰でも格安で利用可能ではあるのだが、ニホンピロ財閥が所有物を有している為か、チームステラの面々は優先的に利用させて貰えているらしい。……まぁとはいえ‘毎年一番最初に施設を利用することが出来る,というだけらしいが。
「あ、ゼファーさん!」
そんな事を考えていると不意に横から声を掛けられて、少し驚きつつも真横を向くゼファー。声の主は、二つ隣の部屋のベランダから声を掛けてきたニシノフラワーである。
「フラワーさん」
「そっちはどうです? もう荷解き終わりました?」
「いいえ、まだまだこれからですよ。今ようやく荷物を全部運び終わった所なので」
毎日の着替えやいつもの運動用ジャージ。トレーニング用と登山用のシューズ二足と蹄鉄。更に‘歯ブラシや櫛などといった日用品は、合宿場の方で全て用意してくれている,と理解していつつ‘一応,と持ってきたゼファーだが、結果として予想以上に荷物が多くなってしまった。
「あの、もし良かったらお手伝いしましょうか? アキツさんと相部屋なんですけど、私達の荷物が少なかったのもあって、もう荷解きは殆ど終わっちゃって」
「んー……。折角ですけど、こちらは良いですかね。あ、でもお願い出来るならラブリイさんの様子を見てきてあげてくれませんか? トレーナーさんがリラクゼーションルームに連れていった筈なんですが……。やっぱり心配なので……」
バスの中で終始不安そうにオドオドしていたラブリイの様子を思い出す。いつも戦士のように堂々としている彼女が、何の準備も無く(あくまで彼女基準)山に入るというだけでここまで狼狽えるとは流石に思っていなかった。彼女の主義主張、言いたいことはよーく理解出来るのだが、流石に
(最悪、内緒であれを渡して落ち着かせるしかないかなぁ……?)
「あ、確かに心配ですね……。分かりました、すぐに様子を見てきます」
「私も荷解きが終わり次第向かいますね。ラブリイさんの分の荷解きまで私が勝手にする訳にはいきませんし、お昼ご飯には間に合うようにしないといけませんから」
トレーナーが付いている以上、大事には至っていない──そう思いつつも部屋の中に戻ったゼファーはいつもより手早く、中の荷物を次々とバックから取り出していく。
「ふぅ……」
最後にお茶を一口飲んで、シンコウラブリイはようやく納得がいったように頷いた。リラクゼーションルームの端……四人用の机と椅子、本棚と観葉植物だけが設置されている小さなエリアだ。リラクゼーションルームという名の通り、使用者が心を落ち着かせて十分にリラックスする事が出来るよう、心理学や風水学に基づいた建築設定になっていて、内装や室内に掛けられている音楽もそれに殉じている。
「──で、どうだ? まだ不安か?」
だが何より、トレーナーである柴中が様々な面から懇々と言葉を尽くして彼女を説得したというのが大きいだろう。
「いや、もう大丈夫ダ。……不甲斐ない姿を見せてしまっタ」
「どうってことないさ」
実際、理屈や状況を詳しく説明するだけでこうして落ち着いてくれたのだから、大した苦労はしていない。むしろ無駄に強がって不調を隠された方が面倒だ。アキツテイオーやカレンチャン、それからニシノフラワーなどはその傾向があるから、特に注意しなければならない。逆に大丈夫そうだと見ているのが、ヤマニンゼファーとヒシアケボノである。ダイイチルビーとニホンピロウイナーは、それぞれ別の意味で‘例外,枠だ。
「……特定の周波数を出して獣を遠ざけるホイッスルに金属鈴、空気銃、そしてハバネロを用いた撃退スプレー……。対獣用の武具がこういう形に進化していたとはナ……」
「知らなかったか?」
「そういう物があると知ってはいたガ、一般に普及しているような物ではないと思っていタ。あとはやはり具体的な使い方が分からなかっタ」
ラブリイは机の上に並べられた対野生動物用のグッズの数々を見渡す。数も種類も豊富で、効果や用途も色々ある。対獣用の武具だけではない。氷点下-30度まで快適に過ごせる万能寝袋や、標高がどんなに高く、いかなる天候下でも使用できるコンパクトな衛星情報管理型のVRMAP機器。果ては緊急時用の高性能電波発信器まで。大自然や獣の恐ろしさという物を身に染みてよく分かっているラブリイだからこそ、それの有用性は嫌というほど理解出来た。確かにこんな物がごく一般的に普及しているのならば、登山という物のハードルは誰でも気軽に行える程度のそれになってしまうだろう。
「日本は少しでも‘役に立ちそう,と思った物は何でも開発、販売するヤバイ国だと聞いてはいたガ……。誰でも大自然の驚異に抗えるような道具まで取りそろえられるとハ」
多少大袈裟な言い方だが、ラブリイは半ば本気で感心している。『自然と共に生きる』……聞こえは良いが、それを安全に成し遂げるのがどれほど難しい事なのかを、彼女は本当によく分かっているのだ。
「つっても、まだまだ万全には程遠い。台風や地震みたいな大災害クラスは未だ危機感を持って備えるぐらいしか出来てないし、百人単位で人が死ぬこともある。山や海みたいな自然の驚異が原因で命を落としたって事故も毎年ゴロゴロある。運が悪かったケースも勿論あるけど、自然を舐め腐った行為や行動が原因ってケースも決して少なくないんだ」
慢心と油断が引き起こす危険な行為。気の緩みによる一瞬の隙。そういう物が原因で素人は勿論、その道うん十年というプロの沢師やライフセイバーが意図も容易く命を失う。幾ら道具や知識を備えて予防していようが、自然という大いなるそれにとっては人間もウマ娘も至極矮小な存在にすぎない。
「だからこそ、ここぞって時は自然の恐ろしさをよーく知っているお前がみんなをフォローしてやってほしい。油断や慢心をするような面子じゃないとは思ってるけど、それでも何があるか分からないからな」
「……………………」
「頼りにしてるぞ、ラブリイ」
故に、柴中は最後にそう言って締めくくった。トレーナーである彼は、当然の様に見抜いている。『こんなに便利で素晴らしい物があるのなら、一体自分は何の為に技術や知識を命がけで磨いてきたのだろう』というラブリイのほの暗い感情を。
「……了解しタ。任せておくが良い、トレーナー」
信のおける人物からの願いとあれば、もはや怯えている場合ではないと、戦士としての側面を取り戻したラブリイは精神に蔓延った恐れを打ち払って気合を入れ直す。