ソウル・オブ・ゼファー   作:部屋ノ 隅

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強化合宿編 7

 

 

「スッスッ、ハッハッ、スッスッ、ハッハッ」

 

胸や首周り、肩、お腹や脇腹の筋肉をゆっくり伸ばしながら、二回吸って二回吐く深呼吸を繰り返す。吸う時は鼻呼吸で、吐く時は口呼吸だ。呼吸と足の運び──所謂‘ランニングフォーム,を同じリズムにする事を意識しながら、ゼファーは高低差が激しい坂路を一定のペースで走っていた。

 

 

「……ふーっ」

 

一旦大きく息を吐いて、遠く坂の上の方を見やる。急勾配こそないものの、トレセン学園に人工的に造られた‘坂路’のそれと違ってトレーニングを前提として造られていないその道は、やはり普段のそれと比べて走りにくい。芝でも砂でもないアスファルト製の地面がガチガチに固く、踏み込みとフォームを違えれば瞬く間に体力を消耗してしまうというのも大きいだろう。

 

 

(……ひざ下が地面と垂直になるように着地する。路面に強く足をたたきつけるんじゃなくて、足裏全体でまっすぐ踏みこむようなイメージ──)

 

自分で学んだこと、授業で学んだこと、人から教えて貰ったこと。……本質的にマイラーの自分には不要である筈の、長距離を走り抜くコツ。それらを脳裏に思いだしながら、ゼファーは一歩、また一歩とゴールへの道を歩んでゆく。

 

 

「スッ、スッ、ハッ、ハアッ……」

 

……しかして、そろそろ限界も近い。これがいつものトレーニングならば『もっともっと!』と意気込んで走り続けるかもしれないが、今回のこれは競争(レース)だ。一度過労で倒れてしまえばそこから立て直すのにどれだけ時間が掛かるのかを、ゼファーはよーーーーく知っている。肝心の‘競争相手’がどこで何をしているか全く分からない故に当然不安はあるが──。

 

 

(……だからこそ、やらなくちゃいけないことは一つだよね)

 

‘ベストを尽くせるように頑張る’──結局のところ、このレースで自分が出来そうなことと言えばこれだけだ。改めてそう認識したゼファーは「スーッ……フーッ……」とランニングフォームと呼吸をそれぞれゆっくりとした物に変化させ、余裕を持って歩き始める。

 

 

 

 

「……残りはこれだけか」

 

少なくとも自己ベストは出せそうだと安堵したのか、アキツテイオーは一度大きく息を吐いた。ゼファーとは逆に、丁度坂を下っている真っ最中だ。自分の知識と記憶が正しいなら、あと一度坂路をクリアしてしまえばゴールまでもうすぐ(ウマ娘基準)である。

 

ウマウォッチに表示されたルートマップには、現在の時刻やゴールまでの距離などという便利な物は表示されない。仮に表示されてしまえば、それを基準にして効率的かつ効果的なペース配分がしやすくなってしまうからだ。

 

故に、これはアキツテイオーの経験と事前調査に基づいた物。ウイナーに次いでこの孤独なレースの経験者であるアキツテイオーは、この辺り周辺の地形と地図を頭の中に叩き込んであった。ナビがあるから道に迷うような事こそ無いが、現在位置とゴールがどの辺りなのかを把握出来ているのといないのでは雲泥の差が付くというものだろう。

 

 

「……ふぅ」

 

一気に煽るようなことはせず、クイッ、クイッ──とまるで酌に注がれた日本酒を飲むように一口ずつペットボトルに入った水を飲む。水分を補給するというより、身体に水分を染みこませるようなイメージだ。無論、そうしながらも歩く事は決して止めない。長距離のウォーキングやジョギングにも言える事だが、一度でも立ち止まってしまうと、再び動き出すのには肉体的にも精神的にも時間が掛かる。ただでさえ長距離は走り慣れていないのだから、常に一定以上の余裕をこそ持って望むべきだとアキツテイオーは考えている。

 

 

「──よし」

 

腰に括り付けられたホルダーにペットボトルを戻すと、アキツテイオーは水を飲んだ時と同じようにゆっくりと走るペースを早め始めた。

 

 

 

 

「──涼しい風が優しく吹き荒ぶ林道。小鳥達の美しいさえずり。荘厳な南アルプスの山々達。そしてなにより、世界中の誰よりも優雅で華麗なウマ娘であるこの私」

 

誰に聞かれても、誰に問われてもいないのに、ダイイチルビーは一人ペラペラと喋りだした。ゼファーやアキツとは違い、道端にあった自販機横のベンチに腰掛けながらだ。飲み物も支給されたただの水ではなく、自販機にあった味付きの天然水を自腹で購入している。

 

 

「今の私と周囲の景色を絵にすれば、きっとそれだけで数千万の価値が付くものになるでしょうね」

 

サラリと信じられないような事をいうルビー。今ここにタマモクロスなどがいれば痛烈なツッコミが炸裂すること請け合いだが、彼女は何も伊達や酔狂で今のような事を言った訳ではない。事実、彼女の曾祖母──華麗なる一族の‘起こり’であるウマ娘「マイリー」を描いた肖像画は、オークションでトンでもない値段が付けられたことがあるのだ。

 

『お金を出してでも欲しいという酔狂なファンもいるでしょう』と世界的に有名な画家に書いて貰った一枚を試しに出品してみただけの超レア物とあって、一流の富豪でもなければ購入する事が出来ない値段にまで釣り上がったその事件。マイリー自身は『迂闊でした』と己の浅慮を恥じていたが、世間的には『華麗なる一族』の名と立ち位置を世界に知らしめたトンでもオークションとして知られている。

 

ダイイチルビーが己を‘世界一華麗なウマ娘’と自称し続けるのも『‘華麗なる一族であ(己の立場)る事,を片時も忘れないため』というのが大きい。

 

 

「……それほどの光景を誰一人として視認することが出来ないというのは、やはり寂しい物ですわ」

 

思わずそう呟く。──寂しい。普段の彼女ならば決して言わないような台詞。ウイナー城内部かつチームステラの面々の前であれば似たような事は言うかもしれないが、それは例外なので考慮しない物とする。これは‘華麗なる一族たるもの~’とかそういう小難しい話しではなくただ単純に──

 

 

(万が一あのバカの耳に入ってしまった日には、一日通り越して二日三日と粘着されかねませんからね……)

 

‘それによって引き起こされるであろう未来を防止したいから’という物だった。

 

 

 

 

「‘試練’だよカレン……。去年同様、今回も可愛くなる為の‘試練’だと受け取るの……」

 

最近とある漫画にハマったどこぞの‘テイオー,が口にしているフレーズが今の状況にマッチしていたため、そのまま口に出してみる。結果としてどうなったという訳ではないが、とりあえず自分が口にすると例えどんな台詞だろうが可愛らしくなってしまうという事が分った。

 

 

「世の中はこんなにも沢山の‘可愛い,で溢れてるのに、素通りを余儀なくされるなんて──!」

 

なにを持って‘可愛い’とするかは人それぞれだろうが、先ほど通りすがった年期のある万屋にあった実にレトロチックな看板や、キャッキャキャッキャと川で遊んでいた(当然大人同伴)子供達。今ではなく山登りをしていた時だが、途中で出会った実に仲の良さそうな老夫婦など、少なくともカレンチャンのセンサーにビビッ! と来る物はそこら中にあった。

 

最初から‘可愛い’を目指して人の手で作られた物でなくとも、例え後付けされたそれであろうとも、カレンチャンには関係無い。皆等しく‘可愛い’である。

 

故に、それを半ば無視しなくてはならないこのレースは、カレンチャンというウマ娘にとって鬼門だ。スマホの写真機能を使えないのもそうだが、可愛い物を発見する度に一々足を止め続けていれば間違いなく最下位一直線だろう。懸命にベストを尽くしたと心から断言する事が出来るのであれば例え最下位でも、可愛くなくとも納得出来るが、もし可愛い物に目移りしてしまった事が原因でそうなったのであれば、カレンチャンは自分を許せなくなる。それはきっと、自分を含め様々な人達に対する裏切り行為だろうから。

 

 

「──うん。こんな時こそ、デジタルさんに教えて貰った‘アレ’を使うべき時だよね」

 

話し掛けに行くことも、写真を撮ることも、立ち止まる事さえ許されないというのならば、出来る事はたった一つ──即ち。

 

 

「脳内HDDに保存……脳内HDDに保存……」

 

それらの可愛さを、キチンとした媒体に記録出来るまで忘れないようシッカリと脳内に焼き付けることである。

 

 

 

 

「ボノボーノ! 応援ありがとー!!」

 

満面の笑みを浮かべながら、ヒシアケボノはこちらに対して手を振ってくれた小学生の集団に手を振り返した。学校行事の遠足か何かで、百何人という単位で歩いている子供たち全員にだ。仮にもレース中なため立ち止まったりするような事は出来ないが、ちょっとした休憩を兼ねてペースを大幅に緩める事は出来る。

 

 

「中央のウマ娘さんだって!」

 

「凄い、大きい……!」

 

「手! 今私に手振り返してくれたよ!!」

 

アケボノが着ているジャージから「中央のウマ娘」だと発覚した後はちょっとした騒ぎだった。一流のスポーツ選手に町中で偶然遭遇したかのような感じ……と言えば分かりやすいだろうか。視線も熱く、羨望や尊敬のそれが殆どを締めている。アケボノと同じウマ娘の子達からの反応は特に凄まじかった。正しくスーパースターの一人であるかのように見えているのだろう。まだ本格化がやって来ておらず、トゥインクルシリーズのレースを走った事がないヒシアケボノとしては少々不安な気持ちにならないでもない。

 

 

「お姉ちゃーん! 頑張ってねー!!」

 

「──もっちろん!」

 

──それでも、彼女は子供達が見えなくなるまで自信に溢れた満面の笑みで手を振り続けた。彼女達の期待を、重責に変えないように。目映い憧れを、心配にさせないように。そしてなにより、いつかトゥインクルシリーズを走り抜ける未来の自分の為に。

 

 

「……よーし!」

 

子供達に貰った応援という名の食材を正しく調理するべく、ヒシアケボノは再び身体に力を込めて加速を再開する。

 

 

 

 

「──はい! これでもう大丈夫ですよ」

 

ニシノフラワーはジャージのあちこちを草まみれにしながら笑顔でそう言った。腕の中でようやく大人しくなってくれた野生の子ウサギに対してだ。怪我をして動けなくなっていた所を何匹かのカラスに狙われていたのだが、心優しいフラワーがそれを看過することが出来る筈もなかった。例えそれがレース中にあるまじき行いであり、自然の摂理というやつに反するような行動であったとしても。

 

早々にカラス達を追い払い、怯える子ウサギの怪我の具合を診る。どうやら大した怪我ではなさそうだったので、自分の持ちうる知識の限りを尽くして応急処置を行なった。野草、薬草についての知識があって本当に良かったと心から思う。あとは親と上手いこと鉢合わせられれば良いのだが、流石にそこまでは面倒を見ていられない。というより、親がどこにいるか皆目見当が付かない。まさか今から森の中を散策するわけにもいかないし、万が一発見する事ができたとしても、こちらの接近にいち早く気付いて逃げ去ってしまうだろう。

 

 

「……ごめんなさい。本当はお母さんを見つけてあげたいんですけど……」

 

ションボリとしながら、フラワーは子ウサギをゆっくりと地面へ降ろした。そのまま一目散に森の中へ走り去って行くかと思いきや、子ウサギは途中で後ろ髪を引かれるかのようにフラワーの方を振り返る。それを見て何かを悟ったのか「……気にしないで下さい。どうかお元気で!」とフラワーが笑顔で別れの挨拶をすると、子ウサギは今度こそ森の奥へ走り去っていった。

 

 

(……さてと、大急ぎで遅れを取り戻さなくちゃ)

 

決意を新たに、フラワーはその場で軽くストレッチを始める。……彼女は勝利を諦めていない。大幅なタイムロスになってしまったのは間違いないが、ちょっとした休憩を取ったのだと考えればそこまで時間的なロスは無いはずだ。──「なぜそこまで真摯になれるのか」と聞かれれば彼女は言葉に迷うだろうが、最終的に三つの答えを出すだろう。

 

 

「勝ちたいから」「期待に応えたいから」「言い訳にしたくないから」

 

ウマ娘レース出走者としてレースであれば基本的に何であろうが勝ちたいし、トレーナーを含め応援してくれている人達の期待に応えたい。そして、自分が正しいと思ってやった行動のせいで負けたと思いたくないし、思われたくない。……後悔したくないのだ。自分の事を‘優しい’‘正しい’と褒めてくれる人達の為にも。

 

 

「……頑張らないと」

 

小さく、されど力強くそう宣言すると、フラワーは全身に力を込めてウマウォッチに表示されたルートに沿ってもう一度走り始める。

 

 

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