時は、ニシノフラワーが合宿場にゴールする三十分ほど前に遡る。
「──ふっ、ふっ、ふっ!」
故郷であるアイルランドから留学して来たそのウマ娘──シンコウラブリイは、極めて順調にゴールまでの道のりを走っていた。本番のレースさながら──とは流石にいかないがとても力強い走り方で、余力も十分に感じさせる。別にそこまで山道や坂路が得意という訳では無いのだが、自然豊かな山々に囲まれながら走るというのはとても気分が良い。道も、風景も、感じられる‘気’も、どれも故郷のそれとは似ても似つかないが、この清廉かつ力強い──なんと言えば良いのかこう、島国である日本独特の山特有の感覚。それらが決して嫌いではなかった。
(……対戦相手の現状の一切分からないというのなラ、それはそれで良イ)
まだ余力がある今の内にトップスピードに乗ってしまおうと、一度大きく息を吐いて、ググッ──! と脚に力を込める。
(全身全霊を尽くして走ル……。ただそれだけを考えれば良いのだかラ!)
人間のそれとは比べ物にならないその脚で舗装された地面強く踏み抜き、ゴウッ──! っと、次の瞬間には更に勢いよく加速しようとしたラブリイだが
(…………?)
なにか妙な声を聞いたような気がして、加速するのを躊躇った。「なんだ?」とスピードを落としながら、キョロキョロと周囲を見渡してみる。
右側は岩版がそびえ立つ崖の様になっていて、上の方は大小様々な木々が立ち並んでいるだけだ。真正面には緩やかなカーブを描いている下り坂が只管に続いていて、特に変わった様子は見られない。後ろを振り向いても同様である。異変や異常は見られない……ならば左側はどうだ。
左には走っているラブリイから見て崖になっていて、下の方には大きな川があった。中々に綺麗な川で、とても視力が良いラブリイの眼にはかなりの数の魚が泳いでいるのが遠く離れたここからでも分かる。幾つかのテントが川辺に張られている事から察するに、恐らくキャンプ場として機能しているのだろう。人間の大学生らしきグループと、仲の良さそうな親子連れが二組。それから地元の子供らしき集団が釣りを楽しんでいた。やはり異変や異常は無い。
川辺にあるキャンプ場では特に珍しくもなさそうな光景だ。気のせいか? そう思ったラブリイは再び走る事に集中しようとして──
「──Buíochas le Dia(なんてこった)!!」
一瞬で真っ青になり、猛スピードで来た道を逆走し始める。