最終章から始まる物語   作:山田甲八

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最終章 定期人事異動

 そしてまた七月、定期人事異動の季節がやって来た。

 国税職員の定期人事異動は七月十日と決められている。

 国家公務員の、あるいは地方も含めて公務員の、あるいはさらに民間も含めてサラリーマンの、定期人事異動の時期が七月というのは珍しいだろう。異動の季節として最初に連想されるのは春、桜の季節、それも四月一日だというのが一般的だと思う。

 なぜ四月一日が異動の時期としてふさわしいのかというと、新学期のスタートであり、会計年度のスタートでもあるからである。今日から新年度がスタートということで街もマスコミも賑わしくなる。

 学生たちは三月の終わりに卒業し、新生活をスタートさせる。そうなると必然的に新入社員は四月に入社してくるのであり、新入社員が入社してくれば組織のマンパワーも当然、変更することになる。定年退職日も決められた誕生日を過ぎた最初の三月三十一日と定めている就業規則が多いのではないだろうか。

 だから、定期人事異動の時期も四月がふさわしいということになる。それがために、毎年、三月から四月にかけては引っ越し屋さんが大繁盛であり、トラックの手配もドライバーの手配も厳しくなるのが年中行事だ。今では国土交通省もこの問題に介入してきて、引っ越し難民の整理にあたっていると聞いている。

 国税の組織はこうはいかない。なぜなら四月は毎年、二月十六日から三月十五日の間に開催される「確定申告」が終了して間がなく、税務署は事務がごった返していて、人事異動をしている余裕がないからである。

 僕は税務職員なので三月十五日が過ぎると「一段落つきましたね」と声をかけられることがあるが、とんでもない話である。

 確かに面接のために来署する納税者や電話の数は減るかもしれない。窓口での書類の提出も減るだろう。しかし、圧倒的に多くの申告書は郵送されてくるのであり、郵便で送られてくる確定申告書の開封作業は三月十五日を過ぎてからが正念場だ。

 郵送でも提出可能な確定申告書の提出は当日消印有効であり、三月十五日までの消印が押されていれば期限内申告となる。今は郵便局のサービスも充実していて、夜遅くまで窓口が開いていたりするので、ギリギリセーフの申告書は以前よりも多くなっているはずである。

 この他にも申告書の形式審査、申告内容の入力、実質審査、還付金の振り込みなど休んでいる暇はないのである。

 都市部のオフィス街にある税務署ならば夜間人口が少なく、所得税の確定申告書が提出される件数も少ないのかもしれないが、僕が勤務しているQ税務署は住宅街のど真ん中にあるので、三月十五日が過ぎると職員総出で郵便物の開封作業をやるのが毎年恒例になっている。

 国税が大組織だということも人事異動の足枷となる。

 国税の組織は霞ヶ関の国税庁を頂点に傘下の国税局、さらにその傘下の税務署というようにピラミッド型の構造を持つ、職員数五万人を誇る一般職の国家公務員としては最大の組織であり、さらに職員は納税者との癒着を防止するため、大体二、三年おきには転勤するから定期異動は職員の大移動となる。だからそれなりの配慮が必要となり、人事異動は事務の閑散期に静かに行われなければならない。

 確定申告は確かに「お祭り」と呼ばれるほどの一大ビッグイベントだが、それもゴールデンウィークを過ぎる頃には口座振替や督促状の送付も一段落し、事務も落ち着いてくる。

 一方、毎年一月に召集される通常国会も六月の中頃には会期末を迎える。通常国会が閉幕すると、霞ヶ関の公務員も落ち着くので人事異動がスタートし、財務省の人事も上から順々に、事務次官から国税庁長官、財務官とポストが決まっていき、七月十日に末端の税務職員の異動が発表されることになる。

 だから税務署を末端とする国税の組織は暦年でもなく、会計年度でもない「事務年度」と呼ばれる独自の年次管理を行っている。毎年七月一日に始まり六月三十日に終了する一年間を国税の組織では「事務年度」と呼んでいて、人事の管理や業績の評価もこの一年間をベースにして行われる。

 個人の所得税は毎年三月十五日が申告期限だ。申告期限が過ぎてから税務署は申告書のシステムへの入力を完成させ、収納や還付を行い、未納の納税者には督促状を送付し、書類を整理する。そして整理がついたところで新しい事務年度が始まる。職員の構成も新しくなり、職員の構成が新しくなったところで、税務署のメインの仕事である税務調査が開始される。

 法人の場合も理屈は大体似ている。会社は三月決算法人が圧倒的に多い。三月決算法人は原則として二ヶ月後の五月三十一日までに法人税や場合によっては消費税の申告をしなければならない。これも税務署におけるシステムへの入力や収納、還付の手続き、書類の整理を経たところで新しい事務年度がスタートし、新体制で税務調査が開始されることになる。

 このように税務署を末端とする国税の組織では七月に事務がスタートし、六月に終了するという一年間がとても便利で都合が良いのだ。

 ただ人事評価や会計の計算は会計年度で行われているので少しややこしい。ただ、そんなものは税務署にとってメインの事務である「税務調査」と比較すればちっぽけなものである。

 新人も四月には入ってこない。入っては来るが、現場には配属されない。

 大学卒の新人にはキャリアの総合職採用者とノンキャリアの国税専門官の二系統がいるがいずれも入って三ヶ月くらいは研修にいそしんでいて、現場に配属されるのは六月の終わり頃である。

 高校卒の新人はまるまる一年間を研修所で過ごした後、三月の終わり頃、税務署に一度配属される。しかし、最初の三ヶ月はやはり研修生扱いで、多忙を極める確定申告事務の応援要員として利用されているようである。七月十日までは雑用が中心で、本格的に税務職員としての仕事を始めるのはやはり七月十日が過ぎて、新しい体制がスタートしてからである。

 

 定期人事異動の発令日は七月十日であるが、いきなり発令ということはなく、そのちょうど一週間前に内示が行われる。次の異動がどういうものか予告が行われるのだ。以前はもっと間隔が短かったのだが、労働組合が一生懸命頑張ったこともあり、あるいは電子計算機が進化し、人事事務を一変させたことにより、今では一週間前ということで全国津々浦々統一されている。

 転居を伴う遠隔地への異動であっても内示の期間が早まることはない。遠隔地への異動の場合には、当然、引っ越しということになるのであるが、着任のタイミングを後ろにずらせるだけだ。

 内示は一週間前なので、土日が絡むと前の方にずれることになるが、通常のカレンダーであれば七月三日ということになる。しかし、その数日前に全管署長会議という会議が開催され、国税局が傘下の税務署長を国税局に呼びつけ、部下職員の異動の内容を事前に署長に伝達している。

 税務署長に伝達したのならそのままさっさと職員にも予告してしまえば良いと思うのだが、そうはなっていない。さらに数日寝かされて、七月三日の内示日を迎えるのである。

これは、最終的に本当にその異動内容で良いのかどうかを税務署でチェックし、国税局の人事課でも気付けなかった個別の事情がある場合にはギリギリのところで異動内容を変更するためだと何かの折に聞いたことがある。

 例えば管轄の税務署内に親戚の税理士がいるとか、離婚した職員同士が同じ職場になってしまうとか、そういうことは人事上好ましくないので、そういうことがないよう、最後に税務署でチェックするそうである。

 そういう事情があるため、全管署長会議の終了から内示の開始時刻である七月三日午前十一時までの間、わずかな時間ではあるけれども国税職員はピリピリする。異動の内容が分かっていながら教えてもらえない状況だからだ。

 総務課の職員など、一部の職員は既に知っているのでそれを聞きだそうとスパイまがいのことをする輩もいる。以前は酒の席でうっかり漏らしてしまう幹部もいたが、情報管理が厳しい昨今ではそういうことは滅多にない。

 今年、僕はその滅多にない出来事を経験することになった。

 幸か不幸か、恐らくとても残念なことに違いないのだが、僕はその全管署長会議終了から七月三日午前十一時までの間に自分が今回の定期異動でQ税務署法人課税第一部門に残留し、引き続き法人の審理を担当するということを知ってしまったのだ。知ってしまったというのは大袈裟だから分かってしまったという方が正確かもしれない。

 分かってしまった事情は単純だった。

 法人の審理を担当している僕は、税務調査の担当者が作成する「決議書」と呼ばれる調査報告書の内容をチェックする仕事をしている。

 税法の適用は正しいか、証拠資料は十分収集されているか、そういったことをチェックするわけであるが、内容に問題がなければ、審理済みの印を押し、決裁に回すことになる。「決議書」は内容にもよるが、署長や副署長が最終決裁者となるものもある。売り上げが多い大規模法人であるとか、重加算税を賦課決定するような複雑な処分を下すような事案がそれにあたる。

 その日、僕は署長に決裁印をもらうため、署長室を訪れていた。署長は決裁印を押捺したが、そこに至るまでのプロセスに不満があったようで、僕の仕事のやり方についてあれこれと難癖をつけ、最後に一言こう言った。

 

「来年はちゃんとやるんだぞ」

 

 ここで言う「来年」が暦年である翌年を意味するものでないことは状況を判断すれば明らかである。ここで言う「来年」は明らかに「来事務年度」のことだ。そして全管署長会議に出席した署長は当然のことながら定期人事異動における僕の処遇を知っている。

 僕はすかさず言った。

「来年、…じゃあ僕は残留なんですね?」

 しばらく間があって署長はバツが悪そうに言った。

「……そんなこと分からないよ。分かっていたとしても、分かっているけど、それは口が裂けても言えないよ。今、言ったのは、もしここに残るならばの話だよ」

 署長は言ったが、それが単なる言い訳であることは何よりもしどろもどろな署長自身が強く感じていただろう。署長本人もあっけらかんとしていて、ばれちゃったかという表情だった。

 情報の持ち手が無意識のうちにその情報について語っているということがあり、その現象はシグナリング効果と呼ばれている。例えば、昨日までコーヒーをがぶがぶ飲んでいた妙齢の女性がコーヒーをパタリと止めてしまったら、本人はそんなことを一言も言っていないのに、「妊娠したのかもしれないな」という情報が手に入る。署長の一言はまさにシグナリング効果が炸裂した瞬間だった。

 結局、僕はその日から仕事に身が入らなくなり、本来ならばやるはずの引き継ぎの準備もすることはなかった。残留が決まっている以上、引き継ぎをする必要もないし、何より、自分の残留が分かっても、周囲の動向がまったく見えないので落ち着かない。今と同じ体制が七月以降も続くとは思えないが、人事も何を考え出すか分からない。結局、僕は恐怖の数日間を過ごすこととなり、気を紛らわせるために職場ではとにかくせわしなく動き回った。

 

 そうこうするうちに七月三日、内示の日がやってきた。

 税務署は、事務年度が終了したばかりで、すべての仕事が一段落ついており、平和そのものだ。そもそもこの日は全職員が内示に全神経を集中できるよう細心の注意を払って段取りが組まれているのだ。

 僕は、毎年、この日を迎えると物思いに沈む。そして、採用されてからこれまでの自分の国税職員としての人生を振り返っていた。

 

 僕が税務職員を職業として選んだのには特に理由があるわけではない。それでも二十年以上勤務していると「どうして税務職員になろうと思ったんですか?」という質問を何回となく受けることになる。

 この質問に対する本当の答えは「税務職員になろうと思ったことはなく、今でも税務職員になろうとは思っていない」が正解なのだが、そんな答えでは納得してはもらえないので、そういう質問を受けた時には「無職じゃみっともないから」と答えるようにしている。

 僕が就職した頃は世の中が平成になったばかりで、就職戦線は空前にして絶後の売り手市場だった。僕はあの年が絶後の売り手市場だったと言い切れるし、あんな状況は未来永劫現れないだろうと思っている。

 大学四年生だった僕のところには上場企業、特に金融機関を中心とする上場企業からひっきりなしに電話がかかってきていた。「うちに来ませんか?」というのだ。今ではあり得ない光景だろう。切っても切っても、真夜中でも、電話が鳴りやむことはなかった。

 でも僕は就職ということに対しては積極的にはなれなかった。大学に残って勉強を続けたいと考えていたのだ。必然的に就職活動には出遅れ、そもそも就職活動に対して真剣になることもできず、だからどうしても就職して生活の糧を稼がなければならないということを認めなければならなくなった時には周囲の就職活動はあらかた終わっていて、民間企業へ就職するための出遅れ感を取り戻すことは不可能な状況に陥っていた。

 そんな時に国税局から一通の手紙が送られてきた。あなたは前年度の国税専門官採用試験に合格し、採用を留保していますがどうしますか?もし、採用を希望されるなら身体検査を受けに来てくださいという内容のものだった。

 実際のところ、僕はその前年、国税局から採用内定の通知をもらっていたことをすっかり忘れていた。国税専門官採用試験を受けに行き、合格したことも覚えてはいたが、それは資格試験の一つくらいにしか考えていなかったのだ。

 国家公務員の採用試験には学歴は関係ない。試験内容は一応、「大学卒業程度」とか名を打たれてはいるが大学の卒業証明書とか卒業見込み証明書の提出が求められているわけではない。

 国籍とかもあるが、事実上、受験制限は年齢のみであり、それさえクリアできれば大学三年生でも受験することはできる。そういう意味では純粋に実力主義ということもできる。大学の名前でふるいをかけられることはない。

 そして僕は前の年にノンキャリアの採用試験である国税専門官採用試験に合格し、国税局への採用内定をもらい、さらに大学三年生だということで一年間、採用を待ってもらっていたのだ。

 他に選択肢はなく、結局、僕は国税局に勤務することになった。深くは考えなかった。それこそ「無職じゃみっともないから」、「次の就職先が見つかるまで」、そんな気持ちだった。あるいは、ちょうど夜間大学院が流行り始めてきた時期だったので、仕事をしながら大学院に通い、研究職に付くこともできるのではないかという根拠のない楽観主義にも陥っていた。国税の仕事は腰掛け程度に考えていたのだ。

 壁にはすぐにぶつかった。なんの研究もせずに、ふとしたことから就職したのだからそれは仕方のない部分もある。

 ノンキャリアの生活に限界を感じてキャリアへの転身を図ったこともある。それに失敗してからというものの歯車は狂ったままで、元に戻すタイミングを失ったまま二十数年が過ぎて行き、ふと気が付くと人生わずか五十年という言葉が身に染みる年齢になっていた。

 普通に結婚し、子宝にも恵まれた。親の介護を抱えてはいるが、プライベートがそんなに過酷だということもない。おとなしくしていればこのまま公務員人生は平和なうちに終わっていくのだろう。

 大学四年生の時、あんなにも熱心に僕を誘った企業群のうち、今も当時のままの形で生き残っている会社はない。消滅したところもあるし、合併して当時の企業名ではなくなったところもある。そういう意味においては、僕のあの時の、バブルに踊らされることのなかった冷静な判断は正解だったのかもしれない。

 でも、何か満たされない気分、誰かに踏み台にされている思い、そんな思いを抱き続けての二十数年間であった。

 ここ数年も自分の思い通りに事が進んだためしはなく、ヒラ上席から脱する見込みもない。結局、この一年間も嫌なことをやり過ごしての一年だった。

 元々僕は、学生時代から組織の中では生きてはいかれない男という烙印を押されており、サラリーマン自体、向いていないのかもしれない。それは自分でも自覚していたことだった。

 じゃあ、本当は何がやりたかったのだろう?幼い頃の僕の夢は例えば国鉄の夜行列車の専務車掌になることだった。小学校二年生の文集にそう書いたこともある。

 本当に幼い頃、僕はフランキー堺演じる、人情味あふれる専務車掌が主人公の映画「車掌シリーズ」が好きだった。テレビでオンエアされていて、何度か見たことがある。ほとんどの男の子がそうであるように鉄道が好きだったということもあり、専務車掌に憧れたのだ。

 しかし、憧れはしたものの、それが僕の職業になることはなかった。赤字続きの国鉄は、僕が職業を選択する随分前に職員の新規採用ができなくなってしまい、それから分割民営化され、この世からいなくなった。

 その後もしばらく夜行の長距離列車は走っていたが、新幹線が延伸し、飛行機も増発され、高速交通化の波に流されて姿を消してしまった。

 結果、僕が幼い頃の夢を実現できず、税務職員を職業として選んだことは間違いではなかったのだけれど、ただ幼い頃の夢の「人情味あふれる」の部分だけは実現できたと思っている。

 僕は納税者からの相談を受ける役回りを演じている。納税者が申告書の作成相談に来る。決算書を僕の目の前に出す。決算書に目を通す。

 僕くらいになるとどういう業種、業態、事業規模の会社にどの程度の売り上げがあって、どの程度の利益を出すのかということが分かっている。だから、目の前の決算書を見て、利益が出過ぎていると感じた場合には、黙って申告書の作成に移行することはない。必ず相談者に確認するのだ。

「利益が出過ぎてますけど、何か付け忘れている費用とかはありませんか?」

 こんなことをやっているから僕は出世できないのだ。

 

 午前十時半、臨時の幹部会を開催するということで統括官が大会議室に集められた。そこで各統括官は署長から部下の異動の内示の伝達を受け、しばらくそこに待機し、十一時の直前に自分の席に戻り、十一時の時報を待って、十一時きっかりに部下職員を一人ずつ呼び、異動を予告する。

 統括官連中が戻ってきてからしばらくすると時計が十一時を回り、異動の予告が始まった。

 僕の在籍する法人課税第一部門では、まず部門筆頭格の総括上席が呼ばれ、何らかの異動事項を告げられ、次に部門の中では席次が二番目の僕が呼ばれた。

 異動の有無に関わらず、とにかく職員は呼ばれるので僕に特別なドキドキ感はなかった。僕が異動しないことは既に分かっていたからだ。事実、「来年もよろしくお願いします」と伝えられただけだった。

 伝達した統括官の表情は僕の気持ちを知ってか知らずか、無表情というよりはむしろ苦笑いだった。むしろ済まないという気持ちだったのかもしれない。

 そのうち対面の彼も呼ばれ、直接的にはどこに異動するのか分からなかったが、どこかに異動するということだけはその表情でなんとなく分かった。どこかに異動するということが分かれば、それだけで情報としては十分だったので、僕はそれ以上の詮索も情報収集もしなかった。

 その後、なんとなく対面の彼が国税局に栄転するということが聞こえてきた。国税局は税務署の上部機関であり、監督機関であるから、税務署から国税局への異動は栄転に違いない。いわば僕を踏み台にして栄転してみせたのだからそれはそれであっぱれと思うよりほかなかった。

 異動の結果がどうであれ、異動の内示というビックイベントは例年と同じようにあっけなく終了し、閉塞感漂う税務署の中にも新しい風が吹き始めた。

 フロアのあちこちで職員の集まりができ、異動の情報を交換する姿が見られたが、僕は無関心を装い、ルーチンワークをこなした。

 今現在の体制はあと一週間で終わり、七月十日からはまたまったく新しい生活が始まる。長い一年が終わり、また長い一年が始まる。

 この一年も僕にとっては厳しい一年だったが、結局、何もできないまま時間だけが過ぎていった。思えば、社会人となってからの二十数年がこういうことの繰り返しでいたずらに齢だけを重ねている。

 

 七月十日までは引っ越しや新事務年度の準備のため、異動の有無に関わらず、忙しい職員は忙しく、そうでない職員は電話や窓口での納税者への対応など、ルーチンワークに従事することになる。

 国税の職場にも労働組合があり、組合が作成する異動速報が回覧に供され、それに強い興味を示す職員も多いが、僕は他人の異動にはまったく興味はなく、僕の注意が速報に注がれることはなかった。

 残留の決まった僕には、新体制が始まるまでは特に仕事らしい仕事はない。たまにかかってくる電話や来客には通常ではありえないようなバカ丁寧な対応をして異動の当日を待った。

 そんな生活がしばらく続いた数日後のある日、隣の島の源泉所得税担当部門の女性統括官が手招きをしている姿が見えた。アイコンタクトもあったし、手招きの先には僕しかいなかったので、きっと僕のことを呼んでいるのだろうと判断し、源泉統括の近くまで来ると、彼女はさらに力強く手招きをした。それを「もっと近くに寄れ」の意味と解釈した僕はさらに接近した。

 統括官の席の脇には脇机が設置されていて、そこには部下を座らせるための椅子も用意されている。部下から復命を受けたり、部下に指示を出したりするための椅子だ。源泉統括は身振り手振りでその席に座るよう僕に指示した。黙ってその椅子に座ると、源泉統括は僕に顔を近付けた。

「聞きました?新しく来る人のこと」

 源泉統括が座ったまま、どことなくいたずらっぽい、茶化すような口調でそう言ったが、僕は最初、何のことを言っているのかよく分からず、反応するのに少し時間がかかった。

「…新しくって、僕の対面に座る人のことですか?」

「そう。今度ペアを組む人」

 源泉統括は僕より年長で、おばさんという年代の人なのだが、歳の割に小奇麗にしていて、性格もさばさばしている。長年男社会で過ごしてきて、男社会に順応してしまったのだろう。

 この統括官とはここQ税務署で同勤する以前にも別の二ヶ所の税務署で同勤していたことがあり、一緒に税務調査にも行ったことがあるほか、僕の妻と同じ税務署で勤務していたこともあるので気心は知れている。

「別に聞いてませんけど」

 僕は感情を込めずに素っ気なく言った。

「そうか。興味ないんだ」

 源泉統括がいたずらっぽい口調で続ける。

「興味深くはありますよ。一緒に仕事をする人のことなんですから。でも、積極的に情報を採りに行くほどの興味はないということです」

「じゃあ、あちこち電話して情報収集とかもしてないのね?」

「ええ。なんか、先入観を持ってしまうと楽しめないかなあとか思って。僕はドラマの次回予告とかも見ないんです。次回予告だけでなく、サブタイトルも見ないかな。その方が先入観なく見られるから面白いじゃないですか」

「へ~、じゃあ言わない方がいいのかな?」

「なんのことです?」

「新しく来る人の情報。実はP税務署に知り合いがいて、その知り合いから聞いた話なんだけどね」

「P税務署?」

 僕は怪訝そうに聞いた。

「今度の人はP税務署から来るの。そんなことも知らないんだ。サブとか一統とかに教えてもらってないの?」

 サブとは副署長の俗称だ。

「ええ。今、初めて聞きました」

「女子なんだって」

「……はっ?」

 源泉統括が早口だったので捉えるのに時間がかかった。あるいは齢を重ねた僕は耳が遠くなっているだけなのかもしれない。

「女子なんだって。分かる?今度来る人。女性なんだって」

「…ああ、そうなんですか。珍しいですね、ってもうそうでもないのかな。今の時代。女性の審理担当者も」

 ピンときた僕はようやくまともな反応ができた。

 国税の職場は言わずと知れた男尊女卑の職場だ。何といっても、昭和の後半になるまで、公務員でありながら、募集対象が男性に限定されていて、女性の正規採用ルートがなかったくらいなのだ。

 野党の女性代議士が大きな声を上げて、それで女性の正規採用が始まったという話を聞いたこともある。しかし、そういう事情で今なお女性職員は少数派である。もっとも女性に門戸開放したからといっても、税務職員は地味な仕事であり、女性が憧れるような職場ではないことも事実である。だから、源泉統括に女子と言われてもピンと来るまでに少し時間がかかったのだ。

 また、僕が担当している法人の審理担当という仕事は法令の審査や納税者からの相談のほか、納税協力団体との連絡調整という仕事も抱えている。この仕事が夜になったりするので子育て中の女性が担うのは難しいと言われている。

 それで、女性の審理担当者は数が少なかったのだが、女性の積極的登用が叫ばれている昨今、そんなことも言ってはいられないのだろう。むしろフランスの裁判官とかと一緒で、税務職員の仕事の中でも頭脳中心の審理という仕事はむしろ女性向きの仕事と言えるのかもしれない。

「鼻の下は延ばさないのかな?」

 源泉統括がさらにいたずらっぽく言った。

「別に僕にはそういう趣味はありませんよ。それはご存知でしょ?僕とは長い付き合いなんだし」

「さあ、知らないなあ。で、絶世の美女かどうかは分からないけど、お目めパッチリのなかなかのシロモノらしいよ。まあ、私も聞いた話で実物はもちろん、写真も見たわけじゃないけどね。なんなら写真、取り寄せましょうか?」

 源泉統括は僕のためというよりも、単純に自分がこの状況を楽しみたいようだった。

「いいですよ、別に。どうせあと数日で分かる話なんですから」

 僕は普通に遠慮した。

「それと背が高くて、スラっとしてて、モデル体型って情報もあるよ」

 源泉統括も残留が決まっていて、引継ぎもなく、七月十日まで急ぎの仕事はないのかもしれない。なんとかして僕を煽ろうとしているようだったが、僕は興味を示さなかった。

「それもあまり興味ありませんね。たとえそうだったとしても僕は背の高い女性はあまり好みじゃないんです。生理的に駄目というか」

 そう言ったが、源泉統括には照れ隠しのように聞こえたかもしれない。相変わらずニヤニヤしている。

「そう。でも、まあ、良かったじゃない。今まで嫌な思いもさせられてきただろうけど、ここで少しは癒してもらえるんじゃないの?」

「…癒されますかね?」

 僕はうなるように言った。

「少なくとも男子よりはいいと思うけど。男性は所詮、ガサツでしょ?馬が合わなければなおさら。でも女子は男子に比べて細かい配慮ができるじゃない?雑用をさせるにしてもね」

 源泉統括の言うことは分らないでもない。むしろそうなのかもしれないと思ったくらいで、頭の中に色々な空想が湧き上がった。

 確かに今までも女性の審理担当官を見たことはある。あまり至近距離で接したことはなかったが、男性よりも細かい配慮ができると言われれば確かにその通りだ。男と比べて癒してもらえるということも期待して良いかもしれない。でも僕はそんな期待を源泉統括に悟られるのが何か恥ずかしいような気がしてわざと真面目に振る舞い、笑顔すら見せなかった。

「配慮よりもまずは仕事ですよ。その人、仕事はできるんですかね?」

 僕はわざと冷たい口調になって聞いた。

「さあ。それは聞いてないけど、でも審理に貼り付けられるんだからそれなりの実力者じゃないの。頭良くないと務まらないだろうし。それと、どこそかの大学院を出てるっていう話は聞いたなあ。かなりいいとこのね。まあ、いずれにせよ男子よりも女子の方が優秀だからね。うちの職場では」

 男子よりも女子の方がペーパー試験の成績が優秀なことは僕も否定しない。それは国税だけでなく、あらゆる職場で見られる現象だろう。しかし、仕事の出来不出来よりも、学歴よりも、能力よりもまずはやる気のあるなしだろうと、僕はそう言ってやりたかったがその言葉は飲み込んだ。

「まあ、働いてくれさえすれば僕としては誰でもいいですよ」

「そうかなあ。でも案外、人生変わっちゃうかもよ。絶世の美女を目の前にしてこれまでの人生がひっくり返っちゃったりして」

 源泉統括がまたいたずらっぽく言うのを聞いて僕は一呼吸おいた。なんかいじられて、遊ばれているようだった。

 しかし、これまでの単調な人生を考えると、ここらで人生がひっくり返るようなことが起きても罰は当たらないだろうとは思った。少しくらい夢を見ているようなうっとりするような経験をしても。ただ、それも目の前の源泉統括に悟られるのが恥ずかしくて、僕は引き続き冷たい口調を変えなかった。

「……そんな小さなことで人生は変わりませんよ。犯罪を犯すくらいのことをしないとね。人生を変えるにはね」

「まあ、犯罪を犯しちゃえば確実に人生は変わっちゃうけどね」

 源泉統括は僕が真面目に受け答えするのが不満なのか、脇机に頬杖をつき、つまらなさそうに言った。

 

 そして約束の七月十日がやってきた。異動のない僕は、明日からは新体制のスタートで極端に忙しくなるが、今日のところは特にやることもなく、電話番や窓口対応など、残留組に課された仕事を淡々とこなした。

 異動の辞令交付は午前九時過ぎから署長室で始まり、転任の辞令を受け取った職員は順繰り、残留者に転任のあいさつをするため署内を回った。

 それから十一時にこの日限りで引退する署長の離任のあいさつがあって、辞令を受け取った職員は五月雨式に新天地へと向かって行った。

 午後になると今度は新天地にやって来た職員の受け入れが始まる。異動してきた職員は法人課税部門の職員であれば法人課税第一部門にまずは顔を出し、自分の配席を確認して自分が貼り付けられた部門の席に座る。それから辞令を持って署内をまわり、着任のあいさつをするのが慣例だ。僕は自分の席で転任者があいさつに来るたびに立ち上がり、お辞儀をした。

 転任者は着任のあいさつの際に辞令を相手の目の前に差し出すのが習わしであるが、辞令は一枚の紙切れでペラペラしているので、A四サイズの紙が入る硬質ビニールのケースに入れて持ち歩くのが国税の職場の風習である。

 午後二時頃、法人課税部門の執務室がにわかに華やいだ雰囲気になった。顔を上げると見慣れない女性が僕の座っている方向に向かって歩いて来るのが見えた。

 言われていたとおり背は高く、髪は黒ではない色に染め上げられている。目は大きく、お目めパッチリという形容もあながち間違いではなかったが、背が高いというよりも、全体的にガッチリした体格であることの方が強い印象だった。

 モデルというより柔道の選手なのではないか?それが僕の素直な第一印象だった。スーツの上下をパリッと着こなしていたが、黒帯の柔道着の方が似合うように思えた。手には辞令を持っているようだ。

 特に説明を受けていたわけではなかったが、その年頃の見慣れない女性ということで、僕は直感的にその女性が僕の対面に座る後任者であると理解した。

 女性は肩にかけていた鞄を無造作に僕の対面の机の上に置くと僕の方には振り向くことなく、異動のなかった統括官の席の前に進み、硬質ビニールに挟まれた辞令を統括官に向けてあいさつし、一呼吸おいて今度はその隣の席の転任してきたばかりの総括上席に辞令を向けて同じようにあいさつした。

 それから回れ右をして身体を百八十度回転させ、僕の方を向いた。僕は椅子から立ち上がった

 僕の目の前には硬質ビニールのケースに挟まれたA四サイズの紙が向けられていた。

 紙には「人事異動通知書」という記載があり、以下、次のように書かれていた。

 

(氏名)  X

(現官職)財務事務官 P税務署 法人課税第二部門 国税調査官

(異動内容) Q税務署 法人課税部門 国税調査官に配置換する

            平成二十七年七月十日

             任命権者 〇〇国税局長 ○○ ○○

 

「P税務署から来ましたXです。法人の審理は初めてなので何も分かりませんがどうぞよろしくお願いします」

 Xは僕と視線を合わせることもなく、一礼することもなく無表情にそう言った。

 

                      (第九章に続く、以下第一章まで遡及)

 


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