最終章から始まる物語   作:山田甲八

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第二章 悪夢

 僕は目を覚ました。

 怖い夢を見た。悪夢だった。最近はよく悪夢を見る。

 心臓がまだバクバクしている。僕は枕元のスマホを手繰り寄せ、時間を確認した。

 携帯電話を持つようになってから、僕は枕元に時計というものを置かなくなった。時計の代わりに携帯電話が置かれるようになった。

 いつの間にか、朝起きて一番にすることは携帯電話をチェックすることが習慣となり、携帯電話をチェックすれば同時に時刻も分かってしまうからだ。

 午前四時二十分。辺りはまだ暗い。日が昇るまではまだ時間があるようだ。

 もう一度眠ろうか少しだけ悩んだが僕は起きることにした。まだ早い時間ではあるが、もう一度眠ってしまったら今度は寝坊して出勤に間に合わないかもしれない。

 起き上がる寸前に寝汗をぐっしょりとかいていることに気が付き、慌ててパジャマを脱ぎ、下着から何からすべて取り換えた。

 それから家人を起こさないように、静かに階下に降り、洗濯機の中を覗くと脱水が終了した洗濯物が耳垢のようにごっそりと詰まっていた。それを洗濯かごに移動させ、それを持ったまま今度は階段を昇る。

 洗濯物を干すことは僕の日常生活の当たり前の一部だ。僕には妻もいるが専業主婦ではない。妻が専業主婦であれば、専業主婦でなくてもパート従業員か何かで稼ぎが僕よりも圧倒的に少なければ、家事や育児、あるいは介護の多くを妻に押し付け、僕は出勤時間ギリギリまで眠っていられるのかもしれないがそうはいかない。

 妻も同業者なので稼ぎは僕とほとんど変わらない。一見、僕の方が稼いでいるようにも見えるがそれは数字のマジックに過ぎない。

 基本給は僕の方がわずかに妻を上回っている。そのため、子どもの扶養手当が僕の方に付くので、見た目の収入は僕の方が多い。

 でも、実質は変わらないので家の中での家事の分担は平等だ。むしろ、仕事は僕よりも妻の方が忙しいので家事の負担割合は僕の方が大きいかもしれない。

 ベランダに出ると、早朝のさわやかな風が頬を撫でた。僕は洗濯物を干しながら、今朝見た夢の内容をもう一度思い出してみた。

 国税局の庁舎の中に有毒ガスを撒き散らし、多数の人命を奪う、そんな内容だった。

 夢なのだからその記憶は断片的なものであるはずだ。しかし、今朝の記憶は妙にリアルで、あたかも実際にそれを経験してきたかのような疲労感が僕を襲っていた。

 そして、夢であるはずなのに僕を取り調べた背の高い女性検事の顔を鮮明に思い出すことができるのは、それが今までに見たことがないほどの美形だったからなのだろうかと回想した。

 最近はなぜかこんな夢ばかり見ている。何かを破壊したり、人を傷つけたり。上司であるはずのQ税務署長を銃で撃ったこともある。このところ、そんな夢が続いている。そして、夢から覚めた後には必ずといって良いほど、疲労感と爽快感の入り混じる、不思議な感覚にとらわれるのだ。

 僕は昔、もう三十年以上前になるだろうか、高校生の頃、フロイトに興味を持ったことがある。『精神分析入門』という本も読んだ。なぜ人は夢を見るのかということに疑問を持ったこと、そして、もし、見たい夢が自在に見られるのであればとても素晴らしいと思ったことがきっかけだった。例えば夢の中でも勉強できるのであれば、受験勉強ももっと効率よくできるのではないか?そんなことを考えたのだ。

 枕元にノートを置き、目が覚めたらその晩見た夢を記録するといったこともやったりした。結論としては、見たい夢は見られないというものだった。夢は現実の、このリアルな世界のストレスの調整役であるというのが結論だった。

 現実の世界で、人は色々なストレスを経験する。そのストレスが強烈な場合、人はそのストレスに耐えられないから、そんなときにはうっとりするような夢を見てストレスを解消させる。

 そのうっとりする夢の最たるものは故人との再会である。

 囚人が死んだ母親の夢を見て泣くということがある。死んだはずの人と夢の中で再会することはその人のストレスを最も劇的に解消させる。実際に僕も死んだ父親の夢を何度か見たことがある。

 だから、人が生死の挟間をさまようときに、三途の川の向こうに死んだはずの家族や友人が手を振っているということが臨死体験で語られることがあるけれども、これはその人が見た死後の世界ではなくて、生死をさまようという強烈なストレスが与えられた際に、人は死んだはずの人の夢を見ることによってその強烈なストレスを解消しているのだと僕は解釈している。

 反対にストレスがない、堕落した生活も人が生活する上では精神衛生上、良くないからそんなときには怖い夢を見せて、適度なストレスを与えるようになっている。

 しかし、僕の場合にはこのストレスコントロールという夢の機能が、僕が期待するようには機能していないようだった。

 僕はリアルな世界でストレスマックスの生活を送っていた。だから、せめて眠っている時くらいはストレスから解消されるような、そんな夢を見たいと思っていた。眠りから覚めてもしばらくはうっとりしているような。

 しかし、人を傷つける夢ばかり見ていたのは、僕が、心の奥底では人を傷つけたいと思っていて、人を傷つけることによってストレスが解消されると期待していたからに違いない。

 元来、僕は気が弱いから人を傷つけたりはしたくないし、血を見たくもない。

 しかし、心の底では、僕のもう一つの人格がまったく別のことを考えていて、だから、そこは残忍に、例えば大量の有毒ガスを発生させることによって多くの人々を苦しめることができたなら、今まで、さんざん、僕を苦しめてきた組織の連中に一矢報いることができるのではないか。そんなことを夢想したのだ。

 

 ストレスの原因は分かっている。

 僕の職場であるQ税務署で、僕の目の前の席に座っている、Xという得体の知れない生命体がすべてだ。

 Xも人間なのだろうか?

 似ているが違うのだろうか?

 あるいはそもそも生命体ではなく、人がどれだけストレスに耐えられるのかを実験するために開発されたアンドロイドなのだろうか?

 もし、単なる社会実験ならもう十分だろう。人間がそんなにも強烈なストレスには耐えられないことは分かったはずだ。

 しかし、税務職員として職名があり、職員名簿にも記載されている以上、人であり、日本人として戸籍にも搭載され、Xが居住する市区町村の住民票にもその名が記載されているのだろう。

 そのXとペアで仕事をさせられるようになってからどのくらいの月日が経つのだろうか?時々、分からなくなることがある。

 僕はQ税務署の法人課税部門で審理という仕事を担当している。僕とペアを組んでいることになっているXも、実際に審理という仕事に取り組んでいるかどうか、あるいは審理担当官として役に立っているかどうかはともかくとして、僕と同じ審理という仕事を担当していることになっている。これがそもそもの悲劇の始まりである。

 審理という仕事は税法の専門家のような役回りだ。税法は複雑で専門的で難しい。そして、税務職員のすべてが、すべての税法に精通しているわけでもない。昨日まで学生だった人が、税務職員になった瞬間に税法の精通者になれるはずはない。

 これは何年たっても同じことで、調査や滞納処分に日々取り組んでいる職員が、それらのルーチンワークと掛け持ちで税法の条文にも詳しくなることは難しい。もちろん、その辺を歩いている人に比べれば詳しくはなるが、精通者と呼ばれるレベルに達するのは難しい。それほど税法は複雑であり、種類も多く、何より圧倒的に量が多いのである。

 結果として、税法の解釈は税法の解釈でそれ専門の職員を育成することになる。調査や滞納処分で日々忙しい職員が税法の解釈に迷ったときには、その審理担当官に聞けばたちどころに分かるという仕組みだ。あるいは納税者や税理士がとても難しい質問を投げかけてきたとき、その審理担当官に任せさえすれば解決してもらえる、そういう仕組みだと言っても良い。

 僕は元々法人課税事務の担当職員だったが、色々な事情が重なって法人課税事務そのものからは十数年離れ、久し振りに法人課税事務に復帰して、突然、その審理担当の役回りを割り当てられた。今まで僕は審理担当という役回りを演じたことはなく、僕にとってそれが初めての経験となった。

 別に僕が取り立てて法人税法に明るいわけではない。ただ、僕は他の多くの国税職員とは異なり、税理士試験の合格証書を持っているのできっと役に立つと人事当局は考えたのだろうと理解している。

 国税職員出身の税理士は多く、在職中に資格を取得し、定年退職後に、あるいは定年退職を待たずに税理士事務所を開業するOBはたくさんいる。

 しかし、それでも税理士試験の合格証書を持っている人は少数派だ。採用形態や研修の受講など、職員により若干の違いはあるものの、どの職員も税理士法で定められた何十年かの国税職員としてのキャリアを積めば、ほぼオートマチックに税理士資格は与えられてしまうので、国家試験の中でも難関の部類にジャンル分けされ、合格まで何年かかるか分からない、ひょっとしたら専門学校に通うためのお金も必要になる税理士試験にわざわざチャレンジする国税職員はほとんどいない。

 逆に合格証書を持っているということは、大学院を経て何らかの免除を受けていたとしても、少なくとも簿記論か財務諸表論のどちらかには合格しているということであり、それ自体が数字に明るい、頭の良い国税職員の証明にはなる。実際に、会社の決算書が読めなければ審理担当官としては仕事にならない。審理担当官には決算書を見て会社の利益率や資産・負債割合など、細かい数字を分析し、会社の決算状況を読み取れる力が求められる。そして調査担当者に、決算書のどこに問題があり、どこが調査の際の突っ込みどころかをアドバイスするのだ。

 僕は税理士試験、簿記論と財務諸表論、両方の科目試験に合格していた。

 審理担当官の実際の仕事は、決議書と呼ばれる、国税調査官が作成する税務調査の報告書のチェックがメインだ。事実の認定に矛盾はないか、法律の適用に誤りはないか、証拠資料は十分に収集されているか、様々な角度から調査担当者の調査内容を逐一チェックする。この他に納税者からの相談を受け付けたり、納税者向けの各種説明会や職員向けの部内研修で講師を務めたりもしているが、いずれにせよ頭脳労働が中心である。

 僕がこの審理担当という役回りを引き受けてからしばらくしてXがQ税務署に転勤してきて僕の対面の席に座るようになった。Xもこの審理という仕事が初めてだった。Q税務署には審理担当官は二人配置されていたので、僕とXはペアを組んで同じ仕事に取り組むこととなった。そして、僕は国税の職場の先輩として、Xが一人前の審理担当官になるように育てなければならいと考えていた。最初のうちは。

 僕はXよりも十五年ほど年長だ。だから、本来の、サラリーマンの常識やらルールやらが通用する世界であれば、僕はXに何かを命じればそれですべてが解決するはずだった。僕は常識人だし、税務職員として二十年以上勤務してきた経験値もあるから、どの程度の仕事がXに期待されていて、どの程度の仕事を処理することができ、Xが処理できない仕事はこの道の先輩として僕が担わなければならないということも理解できる。

 しかし、Xにはその常識やらルールが、ルールは暗黙のものはもちろん明示のものであっても、一切通用しなかった。

 Xは自分のやりたい仕事しかしなかった。

 何はさておき、Xは電話に出ることがなかった。自分しかその電話を取ることができないような、どうしようもない状況に追い込まれれば仕方なく、面倒臭そうに受話器を取るが、そうでなければ他の誰かが取ってくれるまで、何コールでも待ち続ける。

 鳴った電話は三コール以内に取ることは社会人の最も基本的な常識のはずである。

 それはほんの序の口で、決議書と呼ばれる調査報告書のチェックも、納税者からの相談も、説明会の講師も、自分がやりたくないと思った仕事は嘘をついてでもやらなかった。そして、その尻拭いはもう一人の審理担当官である僕の役回りだった。

 Xはやりたくない仕事が与えられたとき、必ずその仕事をやらなければならない理由を求めた。上司や先輩から仕事が割り当てられたとき、部下や後輩はそれがどんなに不本意なものであったとしても「はいっ」と元気よく返事をして引き受けるのがサラリーマン社会の基本的なルールだ。

 

「え~っ」

「まじですか?」

「なんでですか?」

 

 この三つがなければXとの会話は成立しなかった。「なぜ?」は、文法上は疑問形だが、コミュニケーションの世界では否定形になる。Xのやる気がないことは誰の目から見ても明らかだった。

 その反対に、これがやりたいと思う仕事には異常なまでの執着をみせた。Xのやりたい仕事、それは経験の浅い、若い職員をいじれる仕事だった。Xは若い職員が作成した決議書を、重箱の隅を爪楊枝でほじくるようにチェックし、いじりまくった。それはさながらX自信のストレス発散のようだった。

 誰もがXに仕事をさせたくはなかった。だから勢い、Xと同じ仕事をしているはずの僕のところに仕事を持ってくる。そのことは僕も理解していたから僕は断ることなく色々な仕事を引き受けた。

 それでもXはこれをやりたいと思った仕事は、特に理屈を述べることもなく、僕のところから奪っていった。

 

「自分がやりますから」

 

 しかし、一度引き受けたことでも、少しでも気に入らないことがあるとあっという間に手を引いた。

 例えば、こういうことがあった。毎年一回、国税局で開催される、税制改正研修のQ税務署からの出席者を検討していた時のことである。

 税制改正は毎年、同じ時期に行われる。審理担当官は税法の専門家だから当然、改正税法にも熟知していなければならない。そのため、毎年、同じ時期に改正税法研修が開催され、各税務署の審理担当官が招集される。

 上司は僕とXを派遣するつもりでいた。Q税務署の審理担当官は僕とXだけだったから上司の判断はあたり前のことだったが、僕はこれに反対し、Xだけの参加を主張した。理由は単にXと行動を共にするのが嫌だったからである。

 一方、Xは二つ返事でこれを引き受けた。研修はただ座って話を聴いていれば良いだけなのでそれ自体は楽なものだ。

 しかし、研修受講者はQ税務署内での職員向けに税制改正研修の講師を務めなければならないことを知った瞬間に、あっという間に参加を拒否した。

 

「じゃあ、やめます」

 

 そんな姿を見て、上司は「やるのかやらないのかハッキリしろ」と言っていた。僕はそんな上司に言ってやった。

 

「ハッキリはしているんですよ。やりたいことはやる。やりたくないことはやらない。それだけのことです」

 

 また、Xには税務職員の十年選手が要求されている知識や理解能力が欠如していた。僕もXも法人課税部門の職員で、会社などの法人を担当していたが、Xは会社法の細かいルールはもちろん、会社の仕組みそのものが理解できていないようだった。

 納税者から質問があった場合、運悪くXが受けてしまったときは惨めなものだった。もちろんXは自力で答えることができないので周りに聞く。その先にいる納税者だったら数分で説明して理解してもらえるところをXが相手だとXに理解させるだけで半日くらいかかってしまうのだ。

 最初のうちは周囲もXに期待していたから電話を取ったり、相談の来客に出て行ったりするのを期待した目で見ていた。そのうち、フロアの誰もがそんなことを期待しなくなり、Xが電話や来客を受けてしまったときにはとても残念がった。

 知識や説明能力が欠如しているから、たとえ自分自身で理解できたとしてもそれを納税者など他の人に説明することは、Xには難しかった。

 さらに、Xはコミュニケーション能力も欠如していた。空気を読むことができないので相手を気遣うことができなかった。すべてが自分中心だった。それは相手が納税者や税理士でも同じで、だから納税者とトラブルを起こすことも稀ではなかった。

 例えば、相談に訪れたある納税者はXとの何回かの面接の後、こんなことを言っていた。

 

「別に特別に詳しい職員に対応してほしいと思っているわけではないんです。普通の職員に対応してほしいだけです」

 

 Xは一見すると普通の税務職員だ。だから何も知らない人は取り敢えず普通にコミュニケーションをはかろうとする。僕もそうだった。ペアを組んで仕事をさせられている僕でさえ、Xの異常さに気が付くのに五ヶ月くらいかかっている。

 Xの異常さに気が付いた人はXから距離を置こうとする。それをXが深追いすることはない。ターゲットが別の人に代わるだけだ。

 あるいは、そういう生活に慣れてしまっているのかもしれない。Xとよく話をしていた人が、ある日を境にぷっつりと話をしなくなることがある。お互いに一線を越えてしまったのだなということは端から見ていてもハッキリと分かるものだった。

 そういう背景があって、僕は、Q税務署ではとても重宝されていた。ただ、それは僕が優秀だとかそういう理由ではなく、あくまでもXのお世話係として役に立っているという文脈でだった。多くの職員が僕に対して「大人の対応をしてくれるので助かっている」と言っていた。

 「大人の対応」、その一言で片付けられるようなことを僕はしていた。そして、その僕の努力、というよりも我慢は決して報われることがなく、僕はストレスが蓄積される一方の生活を送っていた。

 それでもXには税務職員として普通の給与が支払われていたはずである。そして、それは税金で賄われていたはずである。僕はいつしかXを扶養しているような錯覚にさえ陥っていた。僕がXの分まで働く。そして僕が働いた分までXは給与をもらう。

 そのうちXは誰からも期待されず、仕事も与えられず、一日の大部分を本や資料を読みながら退屈に過ごした。

 一見すると暇死にしそうな生活にも見えるが、それでも目の前にある電話が鳴ってもそれを積極的に取ることはなく、そのくせ、ハガキへのラベル貼りなど、自分に与えられている数少ない仕事をこなす際には、忙しい素振りを見せて周囲の顰蹙を買っていた。

 

 僕に蓄積されていったストレスの矛先はXではなく、国税当局の方に向かった。Xに向かった瞬間も確かにあったのかもしれなかったが、それは本当に短時間のことだったと思う。

 Xを随分ときつい口調で咎めたこともあった。しかし、すぐにそれがまったく無意味なものであることに気が付き、僕はやめてしまった。どんなに厳しい口調で咎めてみても、Xはまったく意に介さなかった。普通の人とは思えなかった。そこで僕はXが一体どういう存在なのかようやく気が付くことになる。

 Xは人格障害者なのだ。病気ならば治療して直る可能性もあるかもしれないが、人格障害となると、それは産まれつきのものだから治療することも、治すこともできない。だからXを責めてみても、それは仕方のないことなのだ。

 僕は、国税職員が全国に五万人もいて、毎年、大量の職員が退職し、それを埋め合わせるために大量の職員を採用しなければならないことを知っている。

 そして、それだけ大量の職員を採用する際には、人格に障害を持っている職員も一定数、採用されてしまうことも理解している。僕もそうだったけれども、Xの本質を短時間で見抜くことは不可能だ。採用試験には性格検査もあるし、もちろん面接もあるが、そんなものではすべてを見極めることはできない。

 特に公務員試験の場合、面接は一回しかない。民間のように、何回も面接が積み上げられていくスタイルであれば、どこかの段階で誰かが気付けるかもしれないが、たった一回の面接でXの本質を見抜くことなど不可能だろう。

 だから、毎年、国税職員の中に「大人の対応」を担わなければならない者が出てくることも理解しているし、もし、自分にその当番が回ってくる機会があったならば、そのときは一生懸命、その与えられた役割に尽力しなければならないし、尽力したいと、今でもそう思っている。

 しかし、その尽力も一年間が限度だし、そのような捕虜収容所生活から運良く抜け出せた暁には、それなりに報われる生活が約束されてしかるべきだと思う。組織とはそういうものであるべきだ。

 国税当局はこの僕のささやかな願いを蹂躙した。僕自身が異動するか、あるいはXを異動させるのかはともかくとして、とにかく現状を改善したい。Xを審理担当から外してほしい。そう声高く訴えたのにも関わらず、定期人事異動では無情にも何も起こらず、引き続きXは僕の対面の席に座り、僕とペアであり続けている。

 そして、そのうち僕は、組織への復讐をリアルに考えるようになっていった。

 

 僕はストレスに負けて犯罪に手を出してしまうような人と僕はまったく別の人種だと思っていた。

 よく痴漢などの罪を犯した犯人が「仕事のストレスがたまっていた」などと供述することを報道などで耳にすることがある。僕はそれを、我慢強くない、弱い人だからそんなことになるのだと思っていた。

 でも、今なら完全に理解できる。世の中には我慢できないほど大きなストレスがあるということを。逃れようとしても逃れられないストレスがあるということを。罪を犯すレベルまで達してしまうストレスがあるということを。

 僕はこのストレスをどのように解決したら良いかを考えるようになっていた。

 例えば、酒が大好きで、酒を飲むことでストレスを発散させることができれば、僕はまだ救われたかもしれない。残念ながら、僕は酒が飲めない。「酒が飲めない」と言うと「本当は強いんでしょ?」とか言われ、手に持ったグラスに飲みたくもないビールをなみなみ注がれる経験を僕は何度もしてきた。百回以上はしてきただろう。最近は酒の強要もハラスメントということで随分と社会の理解を得られるようになってきている。

 とても不幸なことに僕は体質的に酒が飲めないのだ。酒を飲むと身体中がかゆくなってしまい、爪でひっかいて、全身血だらけになってしまう。酒が飲めればもっと出世したし、別の人生があったかもしれない。

 そんな僕が考えたことは、僕の理性が考えたことではなくて、僕の感情が感じたストレス解消法は誰か他人を傷つけることだった。

 無差別殺人は心の病の結果、引き起こされてしまうこともあるが、自分の受けているストレスを他者に転換する結果、引き起こされることもあるのだということを僕が知ったのは今の経験をしてからである。

 相手は誰でも良かったというわけではない。ストレスの元凶はXなのかもしれないが、それはもはや遠因であり、組織の無対応、僕に対する無関心が今や直接の原因となっているのだから。

 そういう事情で、僕は組織をどのように傷つけるかということを熱心に夢想するようになった。

 最初に考えたのは、この問題を放置しているQ税務署長を傷つけることである。

 Q税務署長は、もちろん税務署が抱えるこの小さな問題に一々関心を示すことはないだろうが、Xの問題には気が付いているはずだし、気が付いているべきだし、気が付いていてほしい。

 それを放置しているQ税務署長を傷つけることができたら、それは気分爽快だろう。

 例えば銃を入手してQ税務署長のことを撃ってみたらどうだろうか。僕はそんなことを考えた。別にQ税務署長個人には恨みはないから殺すつもりはない。Xの問題の重要性に気が付いてくれれば十分だし、僕以外に傷つく人がいれば、僕の気持ちもきっと落ち着くだろう。

 

「ああ、僕以外にも傷付いている人がいる」

 

 そう思える安心感。実際に僕はそんな夢を見ていたし、そんな夢を見た翌朝は、恐怖と爽快感の入り混じる、不思議な気持ちに襲われたものだった。

 あるいは傷つけることすら必要ないのかもしれない。Q税務署長に銃を向ける。引き金を引く。弾丸がQ税務署長の耳をかすめる。それだけでも僕の目的は十分に達成できそうな気がした。

 銃の入手はそれほど難しいものではない。そこは高度情報化社会、ネット社会には危険な情報も溢れている。太閤検地以来、この国で武器を所持することが認められているのは特別公務員だけになってしまってから何百年も経過しているが、そんなことは建前でありお金と時間とリスクを冒すほんの少しの勇気さえあれば、銃は比較的簡単に手に入る。

 実戦で使うわけではないからしっかりしたものである必要はない。殺すつもりもないし、傷つけるつもりすらないのだから、改造モデルガンとか、3Dプリンターで自作したものとか、中国製の粗悪品でも良いのだ。大切なことは騒ぎが引き起こされることだ。そうすれば僕の気持ちはたとえ一瞬であってもスカッとするだろう。

 しかし、夢の世界ならともかく、現実に銃をQ税務署長に向けて発砲するのはさすがに気が引ける。僕は元来、意気地がないのだ。血が流れるのを見るのは嫌だし、Q税務署長が悶絶するのを見るのも愉快ではない。

 第一、そんなことをしたら僕の警察行きは必至であり、大切な家族を傷つけてしまう。それは僕が最も避けたいことだ。

 次に考えたのは爆発物で例えば庁舎の一部を爆破してしまうことだ。

 爆発物を作るにはある程度の化学の知識が必要となるが、簡単なものであれば例えば原料となる火薬は花火や爆竹をほぐせば比較的簡単に手に入るし、それほど難しいものではないだろう。

 銃を撃つのとは異なり、隠密に行動できるわけだから、防犯カメラなど気を使う部分はあるがうまくやれば警察のやっかいにもならなくて済むかもしれない。

 しかし、これにも問題がある。製作中に事故が起きてしまえば、僕の生命はともかくとして傷つけたくない人を傷つけてしまう危険がある。

 もし、爆発物を作成するとしたら自宅しかない。自宅には家人がいて、その誰もが僕の愛すべき人だ。そんな危険なものを自宅に置いておくことも危険だし、持ち歩くことだって難しいだろう。

 そして僕は化学物質を融合させることによって有毒ガスを発生させる今朝の夢を思い出す。これも化学の知識が求められるが、化学の知識がなくても分かることはある。

 例えば洗剤でもなんでも良いのだが、ドラッグストアで売っているような液体に「混ぜるな危険」という表示があったりする。「混ぜるな危険」は比較的大きな字で表示してあるが、老眼には見えないような小さい字で「○○系の薬品と混ぜると有毒ガスが発生する」とか書いてあったりする。しからば混ぜてみれば人体に有害なガスを発生させることは可能なのであり、これはなかなか良いアイデアのように僕には思えた。

 何しろ材料は街で売っているわけだから入手は容易だ。銃や火薬よりも簡単に手に入り、持ち歩くのも安全だろう。家に置いていても、持ち歩いても、Q税務署の中に置いておいてさえ不審がられることはないはずだ。

 有毒ガスが発生したとしても、それが人を死に至らしめることもないだろう。もしそんなことがあれば、政府がもっと厳しく管理するはずだ。せいぜい、異臭騒ぎで終わるはずだし、今の僕にとっては異臭騒ぎ程度でも、何か混乱が引き起こせれば満足できるレベルだ。少なくともストレス解消にはなるだろう。そんなことを考えた。

 

 僕はこのアイデアに満足し、洗濯物を干し終えると、階下に降りてから一度家の外に出て、ポストの中の朝刊を取ってからコーヒーを入れ、テーブルの上のクッキーを軽くつまみながら新聞を読んだ。家人はまで寝ていて、僕一人の時間が破られる気配は当分ない。

 世間を騒がせるような大きなニュースがないためか、新聞にはあまり注意は向かわず、新聞の文字を目で追いながらも、僕はさっきの有毒ガスを撒き散らすというアイデアをもう一度考えていた。

 インターネットで検索すれば有毒ガスの生成方法などは容易に手に入るだろう。自殺サイトなどでも有益な情報が入手できるかもしれない。

 しかし、自分のパソコンやスマホでそれをするのはやはり気が引ける。ことが大事になったとき、警察が僕のパソコンやスマホを押収して検索履歴を調べれば立件のための間接証拠にはなってしまう。

 ここはじっくりと図書館で本を借りて調べる方が良いのかもしれない。アナログでスピード感はないが、図書館で必要な図書を匿名で調べれば履歴も何も残らないだろう。あるいは、仮に履歴が残ったとしても図書館は思想信条の自由か何かを盾にして僕を守ってくれるのではないだろうか。

 久し振りに図書館に行ってみるか。そう思った僕は、組織に対して一矢報いたいという気持ちがとても強くなっていることを感じていた。

 

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