最終章から始まる物語   作:山田甲八

3 / 10
第三章 署長面接

 税務署は、一般的な会社組織がそうであるのと同じように、縦割りの組織となっている。ただ、一般の会社や、あるいは役所と比較してもそうなのだが、「課」を名乗る部署が総務課しかないことが特徴的である。

 総務課はもちろん、官房系であり、総務的な仕事をしているのであるが、その他の部署は大きく分けて、税金をいくらにするかを決める「賦課」系と決めた税金を実際に集める「徴収」系に大別される。

 賦課系はさらに、課税される対象により、個人に課税する個人課税部門、法人に課税する法人課税部門、相続や譲渡所得を担当する資産課税部門に細分化されている。これとは別に、国税庁はお酒の監督官庁でもあるので、酒税はもちろん、酒の製造や流通を監督する酒担当の部署もある。

 僕は会社や社団法人あるいは財団法人などの法人の賦課、すなわち税金をいくらにするかという事務に関する仕事を担当している。

 ただ、僕の所属している部署は法人課税課とは呼ばれていない。法人課税部門と呼ばれている。もっとも「部門」といってはいるものの、その内実は一般的な組織の「課」と代わるところはなく、ただ部門のトップが課長ではなく、「統括」と呼ばれているだけだ。「統括」の下には、賦課系の組織であれば「国税調査官」が付き、徴収系の組織であれば「国税徴収官」が付く。

 僕は法人課税部門に所属しているから僕の上司は統括国税調査官と呼ばれている。統括国税調査官、あるいは統括国税徴収官はポストとしては課長クラスであり、一般の組織の課長と代わることはない。部下の勤評もするが、基本、上司と部下の間で苦しむ中間管理職に違いはない。

 僕の所属するQ税務署は税務署としては中規模であり、法人課税部門は一部門から五部門までの五つの部門で編成されている。都市部の大きな税務署では法人課税部門だけで二十を超える税務署もある。一方、地方の小さな税務署では法人課税部門が一つだけというところもあり、さらに小さな、離島を管轄する税務署だと個人、法人、資産の各系統が合体して一つの「課税部門」という名で呼ばれているところもある。

 Q税務署では第一部門は総括的な事務を、第二部門は源泉所得税関係の事務を担当し、第三部門以下が税務調査を担当している。

 税務署というと、内向きの仕事、つまり、提出された申告書が正しいかどうか、税務署の中でチェックし、間違いがあれば納税者を呼びつけて訂正させるような仕事が多いと考えている人が多いかもしれないが、税務署はつとめて外向きの役所であり、国税職員の多くは調査や滞納処分で実際に納税者の下を訪れ、役所の外に出て仕事をしている方が多い。

 ちょうど営業担当者が外回りの仕事に従事していることと感覚としては似たものがある。だから、国税の組織は役所ではあるがどことなく会社的な雰囲気が漂っていると言われている。

 僕も鞄を持って外に出ていた時期もあったが、ここ何年かは国税職員としては珍しく、内向きの仕事をやっている。

 僕がやっている審理という仕事は法人課税部門の中でも総括的な仕事の範疇に入るので、僕は法人課税第一部門に所属している。どちらかというと高級住宅地を管轄するQ税務署はこじんまりとしたたたずまいであり、僕の所属する法人課税第一部門には僕やXを含めても七名しか人員が配置されていない。

 

 その法人課税第一部門の統括国税調査官が、わざわざ僕をXのいないところに呼び出したので、僕はその瞬間に何かXのことで話があるのだなと、ピンときた。

 Xは僕の対面に座っているので、勤務中に僕に話しかけると必然的にその話がXの耳にも入ってしまうことになる。だからXの目の前で仕事の話がされることは滅多にない。仕事に関する話は大抵、Xのいない隙を見計らって行われる。Xのいるときに仕事の話をすると、仕事をやりもしないXが話に介入してきて面倒だからだ。Xは、仕事はしないが仕事の話にはやたらと首を突っ込み、文句を言う。それだけでも組織の疲労感は増してしまう。

 さらに統括官がわざわざ席から離れて、同じフロアにあるパーティションで仕切られた応接に僕を連れ込むということは他の職員にも聞かせたくない、Xに関係する話をするということだ。Xの話をする場合、それがXを誉める話であることはない。必ずXの悪口になってしまう。

「署長と話がしたいそうだね」

 応接に僕を座らせると対面に座った統括官が言った。署長と話がしたいかどうかはともかくとして、自分が今現在、置かれている状況をなんとかしたいという思いは強く、色々な人にそう言ってはきたからそれがようやく署長の耳にも届いたのかと僕は統括官の言葉を理解した。

「確かに話がしたくはありますけど、署長との面談が設定されるまで随分と時間がかかりましたね」

 僕は多少の嫌味を込めて言った。

「Xのことだね?」

「もちろんです。それ以外に僕が署長と個別に話す話題はありません。X以外のことはすべてうまく行っていますから」

 僕が言うと統括官はさもありなんという表情を見せた。統括官は僕よりもいささか年長のおじさんで、それなりの貫禄も備えている。

「そりゃもっともな話だけどね。で、課長から話があったんだけど、今度の木曜日なら署長が、時間が取れると言っているようなんだけど、どうする?」

 課長というのは税務署の中で唯一、課長の称号を持つ総務課長のことだ。だから税務署ではわざわざ課長の前に枕詞を付けなくても、課長と言えば総務課長のことであることは自動的に分かる。

 話を聴いてもらえるというのであれば僕がそれを拒絶する理由はない。今さら期待する部分はあまりないが、僕自身のストレス解消にはなるのかもしれない。僕はそう楽観的に考えた。あるいは署長がこの問題についてどのように考えているのか、そのことを確認するだけでも署長と面談する意味はあるのかもしれない。

「もちろん、機会を設けていただけるのであればよろしくお願い致します。話したいことはいっぱいありますから」

「じゃあ、木曜日の二時頃を予定しておいて。課長から連絡が来ると思うから」

 それからの数日間、僕は期待と期待外れに陥った時の絶望感の入り混じる不思議な感情を抱えて過ごし、約束の木曜日を待った。

 

 そして約束の木曜日午後二時の数分前、総務課長から内線電話が入り、僕は署長室の隣の署長応接室に呼び出された。署長応接室は小規模な会議や多人数の面会に利用される部屋であるが、比較的大きめのテーブルに椅子が四脚ずつ向き合って並べられていて、中で署長室と直結している。

 僕がそのうちの一脚に腰掛けて待っていると、署長室と繋がっている扉が開いてファイルを手に持った署長が現れた。

 署長は僕の七、八年先輩にあたるのだと思う。背は高く、頭髪は幾分というか、かなり後退している。総務課や会計課など官房系の勤務が長いために、税務署長でありながら税法の知識はあまりないと聞いている。

 税務署も役所であり、警察や裁判所ですらそうであるように官房系の職員が出世していく傾向にある。組織のことについてはやたら詳しいが、出世しているからといって税金について詳しいとは限らない。ただ、自身が税金に無知でも、税金に熟知している職員をうまく回せば仕事にはなるので、税に関する知識の量は税務署長の力量を左右するものではない。

 署長は少し慇懃に「よろしくお願いします」と言って僕の対面に腰掛けたので、僕も座ったまま同じセリフを言って頭を下げた。

 署長は背が高く、座高も高いので少し見上げてしまう。僕は眼鏡の奥のその瞳を凝視したが、眠そうで覇気は感じられなかった。

「なんか、私と話をしたいということを聞いているんだけど何かな?」

 署長がそう言うのを聞いて僕は少し心を落ち着かせなければならなくなった。正直、その一言を聞いて僕は落胆してしまったのだ。

 僕はあまり期待していないということを装いつつも、心の底ではある種の期待を抱いてしまっていたのだ。署長が面会に応じたということは、署長にこの問題解決の意思があるのだろうと勝手に解釈し、そしてその期待がかなり大きかったことに僕はようやく気が付いたのだった。

 その期待が裏切られようとしていることを受け止める準備を、今さらながら、僕はまさにしなければならなかった。

「……今日のこと、何か聞いていらっしゃいませんか?」

 僕は不自然なくらいに間をおいて言った。

「いや、特に聞いてはいないけど。もちろん何か話をしたいということは聞いているけど」

 署長が事務的に言った。僕は自然と大きなため息をついた。

「…僕が今の席で深刻な問題を抱えていることをご存知ありませんか?既に色々な人に相談しているんですけど。署長の耳には入ってはおりませんでしょうか?」

「だから何?」

 署長が「だから」の部分に力を込めて、少しイラついた声で言った。僕はもう一度深いため息をついた。深いため息をついたことは、今度は署長にもハッキリ分かったはずだ。また最初から話さなければならないのかという疲労感が僕を襲った。

「スミマセン。僕は署長が既にすべてご承知で、それで今回の面会が実現したのだと思っていましたので。何もご存知ないのですね。…では残念ですが最初からお話をさせていただきます。僕の対面に座っている人のことです」

「対面に座っている人って…」

「Xのことです」

「…ああ、Xのことね」

 署長は他人事のように言った。事実、他人事だったのだろう。

「署長の耳にも入っていると思うのですけど、僕はXのことについて色々な人に相談しているのですが、なんら解決に至っていません。署長にも無視されているようで」

「無視はしてないよ。ちゃんとやってるよ」

 僕がキレ気味に言うと署長は突然、逆ギレ気味になって言った。

「無視していないって、どう無視してないっていうんですか?」

 僕はさらにキレ気味に言った。

「副署長や一統から報告受けているし、ちゃんと対応するよう指示も出している」

「それと僕を無視しているかどうかとは全然、関係ないと思いますけど。無視されているかどうかは僕が決めるのであって、僕が無視されているって言って、署長が、いや、無視していないって言うのはおかしいと思いません?それって、セクハラだって言われて、いや、これはセクハラじゃないって言うのと同じだと思いますけど」

 僕の理屈の正しさをなるほどと思ったのか、署長は少し黙り、息を吸った。

「…一体、何をしろって言うの?どうしてほしいの?」

 署長はヒステリックに言った。イライラしているのが僕にもハッキリと伝わってくる。面倒臭いと思っているのだろう。

「今の状況をどうにかしてほしいです」

「今の状況をどうにかするとは具体的にはどういうこと?」

「Xと一緒に仕事をするのをやめにしてほしいです」

「それは異動させろってことでしょ?それは無理だよ。人事のことはヒトゴトだからね。私の力ではどうしようもない」

 人事はジンジと読むのが普通だが、読みようによってはヒトゴトと読むこともできる。ヒトゴト、つまり他人事ということだ。人事はヒトゴトだからどうしようもないというのは人事についてどうにかしてほしいという相談を受けた幹部がよく口にする言葉だ。

 税務署長に人事を采配する権限がないことくらいは僕も知っている。しかし、ここで引き下がっていては僕のこれまでの我慢が活かされない。あるいは署長に「なんだ、我慢できるじゃないか」と思われたくもない。

「すぐに他の署に異動させることが無理であることは僕も理解しています。でも、Xを一階に降ろしてもらえませんか。それくらいなら署長の権限ですぐにできますでしょ?」

 僕とXがいる法人課税部門は三階建ての庁舎の三階にあり、庁舎の一階には内部事務を専担で扱う管理運営部門が入っている。一階に降ろしてほしいという言葉の意味はXを管理運営部門に異動させてほしいということと同義だ。

「どういうこと?意味が分かんないんだけど」

「署長は、署長の権限で三ヶ月以内の併任を発令できますよね?それでXにこれから三ヶ月間の管理運営部門との併任を発令していただきたいんです。そしてXを管理運営部門に降ろして、僕の目の前から消していただきたい」

「無理だね」

 署長は間髪入れずに言った。せめて、リップサービスでも良いから「検討してみよう」とでも言ってくれれば僕の気持ちも少しは穏やかになったのかもしれない。同情してくれる人がいるという事実だけで僕は、少しは満足しただろう。少なくとも暴れてやろうという気持ちを抑えるにはその程度で十分だった。しかし、署長はその言葉を発する素振りすら見せなかった。

 それでもまだ定年まで何年も残しながらノンキャリアの分際で都市部の税務署の署長にまで登りつめたのだからさすがは官房系とうならざるを得ない。税務署長の多くはノンキャリの最終ポストであり、そこにも届かない職員が圧倒的多数を占めるのだ。もしこの署長にせめてものリップサービスを見せる力があったならば、今頃、内閣官房長官くらいにはなっていたのかもしれない。

「三ヶ月以内の併任発令は署長の権限でできるはずですけど」

「確かに建前はそうなっているけど、私が勝手にやるわけにはいかない。それは分かるでしょ?併任を発令して管理運営部門に移すということは、管理運営部門に人手が足りないという状況にないといけない」

「実際に管理運営部門は残業続きで人手が足りてないって聞いてますけど」

「たとえ現実にそうだったとしても管理者としてまずやることは局に応援を要請することだよ」

「機動課ってことですか?」

 国税局には機動課という部署がある。何人かの職員が常時待機していて、人手の足りない税務署に臨時のマンパワーを供給する部署だ。署長が言っていることは機動課に臨時のマンパワーの派遣を要請することが先だということだ。

「まあ、そういうことになるね」

「別に人手が足りないとか忙しいとかではなく、Xを僕の目の前から消し去るという純然たる理由で併任を発令してほしいんです。局にもそう説明していただきたい」

「そんなことはできない。それくらい分かるでしょ?」

「それって、できないんじゃなくてやりたくないだけなんじゃないんですか?お荷物を管理運営に降ろして管理運営を混乱させたくないという思いがあるからなんじゃないんですか?それにそんなこと局に説明すること自体とても面倒なことでしょうからね。署長の管理能力も問われてしまうでしょうし」

「分かっているならそんなこと言わないでくれよ」

「いいえ、言いますよ。署長は七月のご自身の就任あいさつのときに何を言ったのか覚えていますか?」

「一々は覚えていない」

「決して一人で抱え込まないようにって言ったんですよ。もう忘れましたか?それともあれは事務方が準備した原稿を棒読みしただけですか?」

「そんなことはないよ。もちろん一人で抱え込まないようにはしてほしい」

「じゃあ、これはなんなんですか?今のこの状況。このXの問題。僕一人に抱え込ませているじゃないですか?僕はこのXの件、黙って我慢しているわけではありません。色々な人に相談していますよ。でも誰も助けてくれない。おかしいじゃないですか。一人で抱え込まないということは、悲鳴を上げたら誰かが助けてくれるということなんじゃないんですか?」

「だからベストは尽くしているって言ってるじゃないか。でもXをクビにするわけにもいかないんだ」

「クビにできなくても分限処分にするくらいはできるでしょ?いかがです?あれだけ働かずに周囲に迷惑を掛けているんだから戒告くらいにしてもいいんじゃないんですか?正直、Xの存在は組織にとってマイナスです。役に立たないというレベルじゃない。組織にとって有害です。Xがいない方がよっぽど効率的に組織が回りますよ」

 僕がそう言うと、今度は署長が僕にハッキリと分かるように深いため息をついた。

「これは理解してほしいんだけど、ただ単に職務不熱心というだけでは分限処分にすることはできないんだ。無断欠勤とか、勤務時間中にパチンコをやっていたとか、株取引をやっていたとか、明白な怠慢がないとね。それも一回だけでは駄目で、注意しても何度も繰り返されるという状況が必要になる。Xは欠勤寸前になったことは何度かあると聞いているし、どちらかというと素行不良の範疇に入るんだろうけど、明確なルール違反があるわけではないから、分限処分まではできない。もし、処分して異議申立てとかになったら持ちこたえられないからね」

「だから、僕一人に犠牲になれと?それも随分とバカらしいんですけど。もし、僕がこのストレスに負けて何か事件を起こしてしまったら、即、懲戒ですよね?それっておかしくないですか?原因はあっちにあるのに」

「理不尽であることは認めるよ」

「署長はXのことをどう評価してます?」

「色々と話は聞いているよ。調査部門とトラブルになっていることも聞いている。でも、さっきも言ったけど人事はヒトゴトだ。私の力ではどうにもならない。それはどうか理解してもらえないだろうか?」

「じゃあ、逆に、署長は何ができるんですか?僕がこうして下さいと言っても、それはできないという。じゃあこれならできるということを教えてくださいよ」

「今度の七月の異動で君の希望がかなうようには一生懸命努力している。でも、それ以上はできないよ」

「じゃあ、今度の異動では僕は希望するところに確実に行けるということでよろしいですね?」

 僕が言うと署長はまた大きなため息をついた。

「そんなこと約束できないことくらい、君くらいの経験を積んでいれば分かるだろ?今、この席を切り抜けるために、約束すると言ってみたところで所詮は空手形だ」

「結局、一人で抱え込めということですか?」

「結果的に誰かに負担をかけてしまうことはあるかもしれない。でも、サラリーマンの世界はそういうものだろ?サラリーマンの世界は、たとえ公務員でも、そういう理不尽の連続で、それに耐えたものが出世できる世界なんだ」

「僕は管理運営部門の一期生です。それはご存知ですか?」

 埒が明かないので僕は話題を変えた。管理運営部門はそれまでバラバラだった各事務系統の内部担当を一まとめにした事務系統で、賦課系ではなく、どちらかというと徴収系の新しい部署だ。僕は法人課税部門から派遣された一期生だった。

 管理運営部門を作ることは国税当局にとって初めての試みで手を挙げる人は少なかったが、僕は当時の上司に説得される形で手を上げることになった。法人課税部門から交流という形で、三年間期間限定という往復切符を持って、それが五年に延びて法人課税部門に帰ってきた。だから管理運営部門一期生というキャリアは国税の組織で特別扱いしてもらえるファストパスだったはずだ。

「私が管理している職員は百人を超えているんだ。一々把握はしていないよ」

「じゃあ、今、認識してください。僕は管理運営部門一期生です。そして法人から交流で出て行くときに、当時の副署長から『君達は苦労するだろうから帰ってくるときには我がままを言ってもらってもいいと思っている』と言われて送り出されました。ところが帰ってきたら希望がかなうどころかすさまじい罰ゲームじゃないですか。よくもまあ、こんなにもすさまじい罰ゲームを与えることができたと思いますよ」

「罰ゲームではないと思うけど」

 相変わらず事務的な署長。僕は署長のその言葉を聞いて、もう一度、署長にもハッキリ分かるように、最大限の嫌味を込めて大きくため息をついた。

「何度も同じことを申し上げますけど、罰ゲームかどうかを決めるのは僕であって、署長も含めて、他の誰かではありません。署長はやっぱり、セクハラだと言われてこれはセクハラじゃないって言い張るんですね?」

「何が罰ゲームだっていうんだ」

「Xとペアを組ませることですよ。すさまじい罰ゲームです。もちろん僕がまったくできない職員で、組織のお荷物で、全然仕事をしてこなくて、あるいはミスばかりしているようで、とても給料に見合う働きをしていないというのなら理解できますよ。そんなにもひどい罰ゲームを与えられたとしても。しかし、僕は与えられたミッションはすべてクリアしてきたはずです。それに、少なくとも昨事務年度は最高の成績を上げたはずですよ。それは前任の署長に聞いていただければお分かりになるはずです。それでも罰ゲームですか?」

「君は、自分が恵まれている方だとは思えないのかなあ?都市部に勤務できるだけでもありがたいと思ってくれないと。希望しても田舎に出されちゃう人はたくさんいるんだよ。調整手当が低くて通勤時間も長い田舎に」

「それは理解しています。僕の先輩でもポストも与えられず、都心の勤務を希望して、それがかなってもすぐに田舎に出されちゃう人は何人も知っていますから。でもそういう人達は、少なくとも管理運営の経験はない人で僕とは違うと思いますけど」

「Xが問題児であることは分かっているよ。でもクビにするわけにはいかないし、君もここまで我慢してきたんだから、後数ヶ月我慢してもらえないかなあ?」

「僕一人で背負う十字架ではないはずです。だから、併任発令して、僕の視界からXを消し去って下さい」

「それは無理だ」

「署長は署長の権限で三ヶ月以内の併任発令ができるはずです」

「それは建前だ」

「できるかできないかではなくてやりたいかやりたくないかじゃないんですか?署長は結局、部下の健康よりも保身なんじゃないんですか?併任発令なんかしたら自分の経歴が傷つくことは目に見えている。反対にこのまま放っておいてもこの男が一人犠牲になるだけだと、そう思っているんじゃないんですか?」

「どう解釈するかは君の勝手だ」

「僕は署長のことをパワハラで訴えるかもしれませんよ」

「はあ?なんでパワハラなの?私は君に何もしてないと思うけど」

 事務的な口調の署長のトーンが一転、哀れな口調になった。

「何もしていないことがパワハラなんですよ。これだけ窮状を訴えているのに何もしてくれない」

「だから一生懸命頑張ってはいるよ。でもヒトゴトはどうにもできないんだって。分かってよ」

「まあ、実際に訴訟にするかどうかはともかくとして、弁護士と相談して、内容証明郵便を送るくらいはするかもしれません。そのくらいはしてもいいですよね?」

「そんなこと言わないでよ」

「覚悟はしておいてください」

「訴えたところで勝ち目はないと思うよ」

「ご忠告ありがとうございます。そんなことは僕も承知しています。でも、世論喚起くらいはできるでしょう。それに、裁判になれば署長にそれなりの打撃を与えることもできる。署長にそれなりのお金を使わせることもできるでしょうから」

「お金?」

「ええ。署長にとっては我がままな部下が無茶なことを言っている程度にしか受け止めてもらえないんでしょうけど、僕にとっては人生最大のピンチです。もう限界に来ています。すぐに解決しなければならない。解決のためにはどんな犠牲を払ってでもいいとさえ思っていますよ。お金もそうですけど、これまで積み上げてきたものをすべてつぎ込んでも。裁判をするとなると、もちろん僕は組織ではなく、署長個人を訴えるつもりですから。今まで何もしてくれなかった署長を。そうしたら署長はやりたくもない裁判に巻き込まれることになる。訴訟費用は半端にならないでしょうね」

「そんなことしても失うものが多くなるだけだよ」

「僕はもはや何かを手に入れようなんて思ってはいませんよ。せめて一矢報いることができればと、そんな風に思っています。このままだと本当にやられっぱなしになっちゃいますからね」

「そんなことして楽しいの?」

「楽しくはないですよ。訴訟程度では署長に与える打撃はたかがしれていると思いますから。ですから、政治家に頼んで、国会で取り上げてもらうのもいいかなとかも考えています」

「なんで国会なの?」

「衆議院でも参議院でもどちらでもいいんですけど、財政金融委員会かなんかで、Q税務署でこういう事象が生じているがどうかと政府の見解を質してもらうんです」

「こういう事象って?」

「職員が窮状を訴えているのに幹部が見殺しにしているという事象ですよ」

 それを聞いて今度は署長が大きくため息をついた。荒唐無稽な計画だと感じたのだろう。

 すると次の瞬間に密室だったはずの署長応接室のドアがノックされ、ドアが開いて総務課長が顔を見せ「そろそろよろしいですか?」と言った。僕はそれを見て、ある一定の時間が経過したら総務課長が救出するという段取りだったのだなと思った。

「もういいかな?」

 署長は面倒臭そうに言った。

 結局、僕の気持ちは置き去りだった。

「そうですね。僕も暇ではありませんし、事態がなんら進展しないということは分かりました。本当に残念です。無念です」

 僕がそう言うと署長は今がチャンスと思ったのかさっさと席を立ち、僕もつられて席を立った。

「とにかくあと数ヶ月は我慢してよ。人事の方は頑張るから」

 署長はヤレヤレといった表情で言った。

「最近は時々、署長を銃で撃つ夢を見ますよ」

 僕は自分でもビックリするくらい不気味にそうつぶやいた。

「脅してんの?」

「僕は事実を述べているだけです。そういう夢を見ているのは事実ですから。解釈はお任せします」

「じゃあ、またなんかしゃべりたくなったら来てください」

「今日はお時間を取っていただきありがとうございました」

 最後、署長に軽く言われた僕は署長に感謝の気持ちなどはまったくなかったが、自然とその言葉が出て一礼し、署長応接室を出た。

 

 署長応接室を後にした僕は疲労感に包まれていた。署長との会話は平行線にすらならなかった。そもそも見ている世界が違う話だった。

 僕にとってこの問題は最重要事項だ。しかし、署長にとっての僕は、他にも数多くいる職員のうちの一人に過ぎない。自分のことしか考えない我がままな職員に過ぎないと思われたことだろう。

 僕はそんなことを考えながら階段を昇り、三階の僕の席に戻り、力なく座った。

 僕が自席に戻るとどこからか「署長に呼ばれてたんですか?」という野太い声がした。

 僕はしばらくどこから声がしたのかを考え、その声が僕の対面から発せられ、声の主がXであることを確認し、嫌な気持ちになった。

「ええ」

 僕はXと視線を合わせ、最小限の受け答えをした。本当は無視しても良かったし、無視するべきだったのかもしれない。今の僕にとっては視線をXと合わせることすら苦痛であり、Xへの出血大サービスだ。

「何の話をしてたんですか?」

 Xの首突っ込みたがり病がまた始まったのかと思い、僕はさらに嫌な気分になった。僕はXから目をそらし、僕の興味が机の上のパソコンに向かっていることをXにアピールした。

「プライベートなことですよ」

 僕はため息交じりにそう言って、それ以上は話さなかった。

 そしてXと視線を合わせたのがとても久し振りであったことを思い出し、もう一度嫌な気分になった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。