最終章から始まる物語   作:山田甲八

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第七章 サイコパス

 Q税務署の幹部に連絡し、しかるべき対応を取ると言われてからまたしばらくの時間が経過した。組織は動いてくれているのかもしれないが、反応は鈍く、Xのことが進展する気配はない。

 Xは相変わらず気ままに振る舞い、僕のストレスは蓄積される一方だった。でも、僕はおとなしく待っていた。

 そして僕は組織が対応してくれるまでの間、サイコパスについて少し勉強してみようと思った。Xが本当にサイコパスだとして、僕に何かできることがあるのであればそれはそれで取り組みたいと思ったのだ。

 勉強といっても最初はインターネット上の情報を集めて吟味する程度だった。そのうち、ネット上の情報だけでは足りなくなり、活字も読むようになった。活字も図書館にあるような古い本ではなく、最新刊を読むようになり、雑誌を読むようになり、さらには学術論文まで読むようになった。

 Xのことは僕にとって本当に不幸な出来事だったけれども、この部分だけは不幸中の幸いで、上の子が大学の心理学部の現役の学生だったのだ。だから近所の図書館に出向かなくてもそれなりの蔵書が家の中にあったし、分からないことは子どもに質問することもできたし、調べてもらうこともできた。

 文学部心理学科は数多くあるが、心理学部が単独の学部としてある大学は多くはない。しかも、子どもの通っている大学では、その心理学部は看板学部だったから、有名な先生が在籍しているなど、色々なことが充実していて、僕は労せず最新の情報にアクセスすることができた。

 僕は、自分が税務職員で、そこそこ食べていけていることから、子どもが心理学部を希望するのには反対で、できれば商学部とか経営学部で会計学でも勉強してほしいと考えていて、受験の際には「心理学で飯が食えるか!」とか言ったものだった。今では心理学部に行ってくれたことを素直に感謝している。

 そして、別に心理学部だったからというわけではなく、法学部でも、経済学部でも、理学部でも、工学部でもどこにいっても同じことを言っていたと思うのだが、僕は子どもに、大学に行ったら三つの勉強をするように助言していた。

 それは大学院進学のための勉強、資格試験受験のための勉強、公務員試験受験のための勉強の三つである。当然のことながらこの三つは全く別物というものではなく、公務員試験の教養試験対策の勉強は少し特殊ではあるが、専門分野の勉強は相当広範囲に重なり合っている。

 子どもはこの僕のアドバイスを忠実に実行し、結果として我が家の蔵書は充実することとなった。

 サイコパスについて随分と詳しくなった僕はサイコパスの特徴を僕なりにまとめ、それがXに当てはまっているのかどうかチェックしてみた。

 サイコパスの特徴には次の十のものがあった。

 

①平気で嘘をつく

 

 どの教科書にも載っていることだったが、サイコパスの人は平気で嘘をつく。これがもっとも基本的な特徴である。

 普通の人は嘘をつかない。あるいは嘘をついたら良心の呵責を感じる。だから嘘をつけない。

 嘘をついてはいけないということは人を殺してはいけないとか傷つけてはいけないということと同じくらい、誰にでもわかる簡単なルールだ。それは人間同士が相互に信頼し合うために必要な決まり事であり、お釈迦様の時代から変わらない。

 だから刑法には「詐欺」についての条文があるが、詐欺をはたらいてはならないとは書いていない。行為規範がなくてもそれがいけないことで、処罰に値する行為だということは誰にでも分かるからである。

 しかし、サイコパスは良心の呵責をまったく感じることなく、平気で嘘をつけるという。そして、Xも、それが嘘ではないのではないだろうか、あるいはXは完全に正しく、こちらが勘違いをしただけなのではないだろうかと思うくらい、ごく自然に嘘をつく。

 例えばこういうことがあった。

 法人税の申告書の作成相談の依頼があり、それに対応するためにXが席をはずした。

毎年二月中旬から三月中旬までの、所得税の確定申告の時期になると所得税の確定申告手続きのため、多くの納税者が税務署あるいは税務署が設置している確定申告書作成会場を訪れ、税務署が繁忙期を迎えることはテレビや新聞などでも報道されているし、多くの人が知っているだろう。

 個人の所得税の確定申告は、もちろん個人事業主が主力ではあるが、サラリーマンや年金生活者も参加してくる。税理士などの専門家に申告書の作成を依頼できるのはごく一部の富裕層であり、多くの人は自力で申告書を作成しようとするのだが、自力で作成するのも難しく、税務署に相談に来る。一時期に大量の納税者が税務署に来るので、税務署としても特別の相談会場を設置してこれに対応する。

 これに対して、僕が担当している法人課税事務が対象とするのは、公益法人などもあるが、ほとんどが会社である。会社は決算や申告の手続きを自前でできるというのが建前であり、できなければ税理士などできる人に依頼して多くの会社が決算、そしてそれに続く申告の手続きを行っている。

 だから、会社から直接寄せられる申告書の作成相談は滅多にない。それでも中には自力では申告書が作成できず、税理士に頼むだけのお金もないという会社は月に何社かあり、時々、会社からの申告書の作成相談を受けることがある。

 申告書の作成相談は審理担当の仕事であり、基本的に僕かXが対応する。税務署への相談は電話予約が原則なので普段、電話に出ることのないXが直接、相談に対応することはない。しかし、電話予約が原則でありながら、これを知らず、飛び込みで来てしまう納税者はいて、さらに、このときは「運悪く」Xしか対応する職員がいなかった。

 しばらくするとXが戻ってきて、僕に次のようなことを告げた。

 法人税の申告書の作成相談に納税者が来ているのだが、これから〇時の新幹線に乗らなければならないそうだ。自分はまだ経験が浅いので時間までに急いで申告書を作成する自信がない。できれば相談を代わってくれないか。

 別にXに意地悪をする場面でもなかったし、何よりも納税者に迷惑を掛けてはならないと僕は思い、僕は面接の交代を受け入れた。

 そして、相談者と向き合い、「〇時の新幹線に乗らなければならないということで、お急ぎのようですね」と言うと、納税者から驚愕の一言が発せられた。

 

「私はそんなこと言っていませんけど」

 

 Xとの付き合いの中でこれまでにもそういうことは何回かあった。その度に僕は自分が勘違いをしたのではないかと騙されてきていた。この件でXが平気で嘘をつくことができる人間であると確信できたのは、相談者が法人税の申告書の作成相談であるにも関わらず、所得税の青色申告決算書しか作っていなかったからである。

 通常、会社は会社法あるいは定款の規定に基づいて決算書を作成しなければならない。会社ならば自らが、自らできなければ税理士などできる人に作成を依頼することによって決算書を作成できるというのが法人税の建て前である。決算書は会社が分配可能利益を算定し、株主などに経営状況を報告するための書類であり、税務申告のためのみに作成される書類ではないからである。そして株主総会の決議などで確定した決算書を基に法人税の申告書が作られていく。

 しかし、すべての会社が税務や会計に明るいわけではない。個人事業者が法人成りして設立された会社の場合には、表現は美しくないが「個人商店に毛の生えたような会社」がある。

 社長が一人で経営していて、その社長に知識が乏しく、所得税と法人税の区別がつかないようなケースもあり、その場合、社長に知識がないゆえに対峙する税務職員は面倒な対応を強いられることになる。

 素人相手の麻雀は楽勝かもしれないが、ルールすら知らない素人を相手に麻雀をするのは骨が折れるだろう。

 この人に対応するのが面倒臭くてXは嘘をついてまで僕に面接を譲ったのだなと、そのとき僕はハッキリと理解できた。しかし、面接から戻るとXは何事もなかったかのように平然としていた。

 それ以前も、それ以降も同じような事例はあった。Xに何かと理由を付けられ、面接や電話を代わったケースはあった。いずれのときもXはまったく平然としていて、良心の呵責などは微塵も感じられなかった。

 

②情報を自分の都合の良いようにしか理解しない

 

 ダブルスタンダードであること、すなわち他人には厳しく、自分には限りなく甘いこともサイコパスの特徴である。同じ情報であっても、自分の都合で使い分けることができる。

 Xがある税制改正の説明をする担当者に指名されたことがあった。その改正は国税組織全体にまたがるかなり大規模なもので、担当者は法人課税部門だけではなく、個人課税部門や管理運営部門など、他の事務系統からも職員が招聘され、その改正を専門に扱うプロジェクトチームが結成されていた。部門横断的に、署を上げて改正に対処しようというのだ。

 署を挙げて、ワンチームで対応しようというその方針にもかかわらず、法人課税部門ではない別の事務系統のある職員が納税者対象の説明会の講師をXに押し付けようとした。その職員は他系統の職員だったためにXの出来不出来が分からなかったのであり、単純に法人課税部門の職員の方が慣れていると考えていたのだが、それに対してXは異常なくらい抗議していた。担当者である以上、与えられた仕事はキチンとこなせというのだ。一見、Xの主張は正論の様にも思える。

 しかし、一方で、自分が担わなければならない説明会の講師の役回りは僕に平然と押し付けていた。別に担当者でなければやってはいけないという決まりはないとまで言っていた。自分が押し付けられたときに見せた正義感はどこ吹く風だった。まるで別人のようであった。

 人は多かれ少なかれ自分自身には客観的になれず、他人に厳しく、自分に甘くなってしまうこともあるのかもしれない。しかし、そういう判断をした場合には心が痛むはずである。

 Xには心の痛みは感じられず、あたり前のように自分に都合の良い解釈をする。

 

③人を貶めて自分を良く見せようとする

 

 サイコパスの人はその性格ゆえに他人から誉めてもらうことは希である。その一方で、他人に認めてもらいたいという意識は普通の人よりも強いようである。

 結果として他人を貶めて優越感に浸るという行動パターンを繰り返すことになる。

 Xは他人について常に文句を言っている。悪口を言っている。他の人の気に入らない部分をあれこれまくしたて、「おかしくないですか?」というのが口癖の一つである。さんざん、他人を批判し、最後に「バカなんですよ」と言って締めるのも、もう何度も聞かされている。

 もちろんペアを組んでいる僕も標的の一人だ。僕の仕事のやり方が間違っているということを何度となく、色々な人に言っている。かなり大きな声で言うので、直接、僕の耳に入ることもあるが、僕に聞こえようがお構いなしだ。僕の目の前でも僕のことを平然と批判する。だから、周囲の人たちはうんざりしている。

 

④ミスを指摘されても延々と言い訳を続け、他人やルールのせいにする

 

 他人の批判は言いたい放題だが、逆に自分が他人から批判されることは許すことができない。どんなささいなミスであっても認めることができず、相手がギブアップするまで延々と言い訳をする。

 どうしても自分の過失を認めなければならない場合にはルールや制度、仕組みのせいにして、絶対に自分の非を認めない。殺人を咎められた者が「あんな人間、生きている価値がない」などと言い訳するようなものだ。

 Xが納税者に送付するあるお知らせハガキの印刷をしたことがある。結果、記載ミスが発覚し、それは誰がどう判断してもXのチェックミスに違いなかったのだがXは、こんなところにこんな記載を入れなければならないのが間違っている、こんな記載はいらないはずだ、などとルールの責任に転嫁し、大声で騒いで周囲の同調を求め、自分のミスを認めることができなかった。子どものようだった。

 子どもは自分のミスを認めることができない。必ず誰かのせいにする。あるいは何かの言い訳をする。自分の非を認め、謝るべきところではすぐに、素直に謝った方が周囲の納得を得られやすいということが理解できるのは随分と大人になってからである。

 Xは、確実に三十を超えているはずであるが、言い訳すれば周囲がそれを認め、味方になってくれると信じて疑わないようである。

 

⑤自惚れが強い

 

 サイコパスの人は自意識過剰な傾向があるようである。誰も、自分が思うほどには他人は自分に関心を寄せていない。しかし、サイコパス傾向の人は他人の無関心を許すことができない。

 Xはよく休みを取ったり遅刻したりする職員だ。一応、その都度、上司に連絡は入れるので欠勤ということにはならない。なかなか連絡を入れず、始業時間ギリギリとなって、上司や周囲がヤキモキするということも決して稀ではないが、そこは地頭が良いのか、間に合っている。

 Xが本当にだらしなく、欠勤してしまうような職員であるならば組織としても分限処分が可能なのであろうが、そこはしっかりしている。

 休暇を取る場合には事前に連絡をしなければならないのが公務員のルールであるが、事前に連絡していても上司や周囲が忘れてしまうこともある。もちろん事前に承認の決裁は受けているので欠勤になることはない。

 ただ、そもそもXはその存在自体がいてもいなくてもどちらでも良く、どちらかというといない方が、組織が機能するので、周囲はXに無関心だ。そのため、「今日、休みだっけ?」とか不在のXに誰かがメールしてしまうこともある。そうすると自分の存在を軽視されたXはとても怒る。ちゃんと言ったじゃないかというのだ。

 こういうこともあった。僕がXから引き継いだある仕事について上司に「よく承知していない」と言ったら、それを聞きつけたXが怒り出し、キチンと引き継ぎをしているのに引き継ぎをしていないように言われるのは心外だと上司に猛烈に抗議していた。誰もXのことを咎めてなどいないにもかかわらずである。この光景は異常なものであり、以後、僕の職場では「引継事件」として語り継がれることになる。

 

⑥よくしゃべるが内容が薄い

 

 サイコパス傾向の人はよくしゃべるようである。しかし、内容のあることは少なく、つとめて自分のこと、自分の関心事が中心となる。そして、自分に関心のない話題には興味を示すことができず、人の話に耳を傾けることができない。聞き役になるということができないのだ。

 Xも積極的に話すことはあるが、つとめて個人的な、例えば旅行の話とか、重要ではなく、しかも、自分の身近にあり、かつ自分が中心となれる話題ばかりである。

 自分が主導権を握ることのできない話題は、例えばクルマには全然興味がないようであるが、「クルマには乗らないから」と言って人の話を聞こうともしないし、合わせることもしない。相槌すら打つことがない。

 これは先の「自惚れが強い」とは逆行してしまうのであるが、Xは自意識過剰の割に自慢話をするということは少なく、むしろ自虐的な話の方が多いかもしれない。これは一見すると不思議な現象であるが、要するに自慢話よりも自虐的な話の方が周囲の関心を得ることができると計算してのことなのだろうと僕は理解している。自慢話をしてしまうと周囲は引くということまで計算しているのだ。

 サイコパス傾向の強い人にとっては自分が話題にされることが何よりも重要なのであって、それが自慢か自虐的かは二次的な問題だということなのだと思う。

 

⑦力のある人には媚びへつらい、立場の弱い人は放置する

 

 社会、特に職場や学校などに広く生息するサイコパスが排除されない理由の一つとしてサイコパス傾向の強い人は力のある人に取り付くことが挙げられている。

 力がある人といっても、直属の上司というレベルではなく、限りなくトップマネジメント、学校の場合では校長レベルの人に取り付き、気に入られ、結果として排除されない。

 Xも上司には取り付いていて、上司のことになると妙に礼儀正しく、言われないことでも積極的にやってのける。ただ、直上の上司、すなわち統括国税調査官には、一応、敬いはするもののそれほど重要視していない。

 以前、勤務していた税務署で、Xが直属の統括官に「それはパワハラだ」と面と向かって言っていたという話も聞いたことがある。

 反面、統括官の上の副署長、さらにその上の署長はとても大切している。言われなくても行動する。Xなりの戦略があるのだろうが、周囲から副署長あるいは署長に上げられる情報がよろしくないので副署長や署長がXのことをあてにしたり、信頼したりすることはない。

 一方、立場の弱い人、経験の浅い若い職員については一見、面倒見が良いように錯覚することもある。しかし、これは本当に錯覚で、Xが先輩として自己満足できる状況において面倒見が良いように見えるだけである。

 意見が対立すると途端に切り捨て、相手の立場を理解してやろうとすることはなく、周囲に人がいようが平気で相手を罵倒する。

 また、力のある人に取り付くのはその力を利用したいからであり、年長者を敬うということはない。力があるかどうかだけが大事なのであり、力がないと見るや大先輩であっても罵倒する。

 職場に定年を控えた大先輩がいたが、この大先輩はおとなしい性格の人だった。結果、Xは些細なことでもこの大先輩に突っかかり、小さなミスも容赦なく掘り起し、罵倒し、助けを求められても放置していた。

 逆に言い返す人、自分の言うことを聞かない人には近付かない。国家公務員の仕事の場なのだから近付かないことは難しいはずなのに、そういう人との仕事は堂々と僕など周囲の人に押し付ける。

 どうしても引き受けなければならないハメに陥ると今度はトラブルを起こし、周囲が「この人に頼んでも無駄だ」と思う状況を作り出す。

 

⑧新人が入って来ると必ず取り付く

 

 どこの世界でも新人は弱い存在である。その弱い存在である新人をサイコパスが見逃すはずはなく、自分の欲求不満のはけ口として利用する。自分を受け入れない相手には近付かないが、人を拒絶しない優しい人を見つけては取り付く。

 新人はまだ周囲のことがよく分からず、気にかけてくれるサイコパスを良い人と誤信する。その誤信にサイコパスはさらに漬け込む。

 もちろん時間がたつにつれて新人もサイコパスの本性を見抜くようになる。そんなときにはサイコパスは深追いすることはしない。次のターゲットに移るだけだ。

 僕はこの、新人に必ず取り付くという仮説は、Xには当てはまらないと考えていた。Xは協調性や社交性がないために職場の仲間と一緒に飲みに行くというようなことがない。顔合わせ会や新年会、解散会のような公式行事にすら滅多に参加することはない。ランチすらも同僚と一緒に食べに行くということはないようである。

 ごくたまには飲み会に参加することがあって、気に入った若い職員を捕まえては、延々と説教を続けている場面を見ることもある。しかし、それは例外であって、基本的にXにとっては、職場の付き合いは面倒臭いものであり、積極的に参加するものではないと、そう僕は思っていた。

 その僕の思い込みが覆されたのは、ある飲み会、確か、誰かの永年勤続表彰のお祝い会の席だったかと記憶しているが、その席である若い職員の独白を聞いてからだ。

 Xが、その若い職員を含む何人かを連れて渋谷のイタリアンだかどこかの店で晩餐会を随時、開催しているというのだ。Xがボスで後はXに逆らうことのない、逆らうことのできない若い職員が参加し、Xの話をさんざん聞かされた挙句、最後は割り勘だという。しかも、ただの割り勘ではなく、勘定までもXが仕切り、「〇〇くんはいくらでいいや」とあたかも自分がご馳走しているように演じてみせるのだという。

 随時開催されるその晩餐会の翌朝、参加した若い職員は疲弊しており、周囲の職員も参加した若い職員の愚痴を聞くところから一日をスタートさせなければならないのでとても辛い一日となる。

 

⑨傷つくことがなく、反省もしない

 

 批判されても傷つくことがなく、反省をしないこともサイコパスの特徴として挙げられている。感情を持たないということである。

 先ほどの続きになるが、若手職員のXについての愚痴がXの耳に届くこともある。普通の人ならば反省しないまでもその愚痴を言った職員に対して怒るなりなんなりの感情の発露というものがあるだろう。

 しかし、Xの場合はどこまでも無感情である。怒るでもなく、ターゲットを次の職員に代えるだけである。

 

⑩常に刺激を求める

 

 常に刺激を求め、刺激のない状況には耐えられないこともサイコパスの特徴であると言われている。

 だから、サイコパスには企業経営者、冒険家、あるいは異常犯罪者が多いと言われている。毎日毎日同じことをする、単調なルーチンワークには耐えられないのである。

 一方、一か八かの投資とか、冒険的な賭けは進んで受け入れることができる。

 Xのその気質が仕事に活かせるものであったならばXにとっても組織にとっても幸せだったのだろうが、残念ながら税務署は役所であり、保守的な職場で、冒険的な仕事とは遠いところある。

 そう考えると、なぜXがその職業として税務職員を選んでしまったのか、理解に苦しむこととなる。その理由をXの口から直接聞いたこともあるのだが、相談に行った時の税務署の印象が良かったからというあたりさわりのない話で、とても納得できるものではなかった。

 説明会の講師や税務相談、あるいはお知らせハガキのあて名を書いたラベル貼りなど単調な仕事はとても耐えられるものではないのだろう。当然のことながらやる気を見せることができず、仕事をやらない。結果として、できない職員として組織の顰蹙を買うことになる。

 

 以上をまとめると、やはりXは、サイコパスと呼ぶかどうかはともかくとして、なんらかの人格障害ではあるのだろうというのが僕の結論だった。

 

 仮にXがサイコパスであるとして、周囲の者、特にペアを組む僕はどのように対処すべきなのだろうか。対処法についても色々と研究し、文献にもあたったが、結論は出なかった。

 サイコパスは産まれながらのものであり、治療できるものではないと、周囲の人が何らかのアクションを起こしてもサイコパスの行動を変えることはできないと、そういう見解が主流であった。

 ある識者は次のように述べていた。

 

「サイコパスにはできるだけ近付かないこと」

 

 たとえそれが事実であり、最も効果的なサイコパスへの処世術だったとしても、僕にはできないことだった。僕は人事によってXとペアを組まされているのである。もし、どうしても近付きたくないのであれば職場を辞めるしかない。家族を養わなければならない今の僕にその選択肢はない。

 僕はサイコパスが関与したとも言われている、これまでの異常犯罪についても調べてみた。連続幼女誘拐殺人事件、カルト教団の毒ガス散布事件、小学校や繁華街での通り魔事件、漫画の原作者に対する脅迫事件なども研究した。あるいは、これはサイコパスとは無関係なのかもしれないが、代理ミュンヒハウゼン症候群の母親が我が子を殺めるという事象も検討してみた。しかし、それらの犯人とXとの共通項は見い出せそうで、見い出すことはできなかった。

 一方で次のような仮説もあった。サイコパスには勝ち組のサイコパスと負け組のサイコパスが存在すると。

 犯罪が露見してしまい、警察に捕まってしまうのが負け組のサイコパス、一方、犯罪ギリギリのところで踏みとどまり、あるいは犯罪を犯してもそれが露見されることなく立ち回り、警察に捕まることなく無垢の隣人として生活しているのが勝ち組のサイコパスであるという。

 そして、もちろんXは勝ち組のサイコパスに分類される。

 国家公務員試験に合格し、採用され、安くはない、少なくとも同年代の平均を上回る給与を受け取り、一方で嫌な仕事は受け付けず、自分のペースに周囲を巻き込んで、マイナスの感情を持たない。プライベートはよく知らないが結婚しているという話は聞いたことがあるので私生活の面でもそれなりに充実し、成功しているのだろう。Xは間違いなく勝ち組だった。

 

 僕はここである疑問を抱いた。なぜ、国税当局はトラブルメーカーのXを採用したのだろうか?Xが税務職員を職業として選択したことも謎ではあるが、楽そうで給与が高い、刺激は別のところで見つければ良いとXが割り切っていたのであれば、それはそれであり得ない選択肢ではない。

 しかし、当局のX採用はより深い疑問が残る。ただ単にXがサイコパスであることを見破れなかったからなのだろうか。実はもっと奥の深い、別の理由が隠されているのではないだろうか。

 僕はサイコパスに関するある仮説に強い興味を示した。それは、サイコパスが人類の中に一定数、存在し続けている理由についての仮説だ。

 論者にもよるが、人がサイコパスである確率は百人に一人だという。わずか一パーセントという言い方もできるし、全人口の一パーセントもいるという言い方もできる。

 興味深いのはサイコパスが、その気質ゆえ、社会の中で生存しづらいにもかかわらず、完全に淘汰されることなく、人口の一定数、存在し続けているということである。そして仮説は、その理由を、一定数サイコパスが存在する方が人類の生存にとって有利だったからだと考える。

 人類は社会的な生き物であり、フットボールチームである。一人一人では弱いが、それぞれのプレイヤーが役割分担することによって生存の確率を高くしているのであり、人類を万物の霊長に押し上げている。

 サイコパスは欠点が多く、厄介者だが、欠点は言い換えれば長所の裏返しなのであり、それが役に立つ場面も滅多にはないが存在する。

 サイコパスの短所を端的にいうと、良心の呵責を感じることなく、残酷なことだ。普段の生活においては嫌われ者とされてしまうだろう。

 しかし、人類が生存していく上で残酷さを発揮しなければならない場面も皆無ではない。

 例えば、戦時下では躊躇なく敵を殺さなければならないし、躊躇なく敵を殺せる個体が生存には有利だ。そして、そのような個体のいるグループはグループとしての生存が有利になる。強いものでもなく、賢いものでもなく、環境に適合できたものが生き残ることができるのだ。

 平時と有事の逆転現象、ここまで考えてまた別の仮説が僕の頭の中を襲った。

 

国税当局はXをサイコパスと知りながら敢えて採用したのではないだろうか?

 

 公務員の採用試験には性格検査もあったはずである。その検査がサイコパスを見抜くことができるかどうかはともかくとして、性格に問題があればそこで不採用とされても良いはずである。

 もちろんXがそれを見破り、性格検査をだまして採用に持ち込んだという考え方も可能ではあるだろう。サイコパスは平気で嘘をつけるのであり、人だけでなく、客観的な検査ですら容易にだますことができるのかもしれない。

 しかし、逆に敢えて国税当局がサイコパスであることを承知の上でXを採りにいったと考えたらどうだろう。

 

国税査察官

 

 その言葉が僕にその仮説を想起させた。

 少し古くはなってしまったが、『マルサの女』という映画以来、国税の査察制度が広く人口に膾炙している。国税査察官はタックスポリスとも呼ばれる、強制的な捜査権限を持つ脱税Gメンだ。

 査察は税務調査とは根本的に異なっている。

 税務調査はあくまでも任意に、納税者の協力と了解を得ながら進められるもので、その目的は適正・公平な課税の実現である。税務調査には、税金の計算に不慣れな納税者を指導するという側面が強く、税務調査自体はとてもフレンドリーに行われるのが一般的である。健康診断のようなものである。九十九パーセントの税務調査は笑顔で終了する。

 しかし、査察は違う。査察の目的は脱税犯の取り締まりである。脱税という犯罪を立件し、検察に告発するのが目的である。査察は裁判所の令状を基に行われる強制的な手続きだ。

 だから査察官には一般の国税調査官が持たないような資質も求められる。

 対象者をだまして情報を集めたり、普通の人では躊躇するようなプライベート空間への侵入をためらうことなく実行できたりする人材も必要である。

 今日初めて会う人に無遠慮に罵倒される神経が求められるし、今日初めて会う人を無遠慮に罵倒する神経も求められる。

 そして僕はもう一つ驚愕の仮説を思い付いた。

 

Xには査察の経験があるのではないか?

 

 もしXに査察の経験があるのであれば、国税当局はサイコパスと分かっていながら敢えてXを採用したという先の仮説が裏書きされる。

 そして、予定どおり査察に配置したのは良かったが、予想に反し、仕事に刺激を求めることはなく、まったく使い物にならず、結果としてお荷物を抱え込んでしまった。だからといってクビにすることもできず、そのお荷物の管理を僕に押し付けた。

 僕は自分の立てたさらなる仮説に身震いした。

 例えば躊躇なく人を殺すことができる男を警察が採用し、スナイパーに配置したがまったく役に立たなかったので普通の制服のお巡りさんに紛れ込ませたとしたら、その男と一緒に仕事をしなければならない別のお巡りさんはどういう迷惑を被るだろうか。

 僕はQ税務署の執務室にある僕の机の下の引き出しを開けてみた。その中には毎年改定される、平成元年から直近までの国税局の職員録が何冊も収納されてある。僕はXが採用されたであろう年を推測し、職員録を一冊ずつ見ていった。

 最初に手に取った冊子にはXの名前はなかった。僕はXが何歳かも知らないし、何年に国税局に採用されたのかも知らない。僕が採用された頃はそのような職員の個人情報は割と緩く、公表されていた。しかし、個人情報保護法で個人の情報が厳重に管理されている昨今、そのような個人情報が本人の口以外から外に出ることはない。それでなくとも国税組織は個人情報の管理にうるさいのだ。

 大学を卒業したノンキャリアは最初の数年を税務署で過ごした後、本人が希望し、人事当局もそれを望めば国税局に配置換えとなり、調査官になったり、徴収官になったり、査察官になったりする。

 僕が手に取った二冊目の職員録からはXの名前が登場し、数冊目の索引欄で僕はとうとうその文字を見つけることになった。

 五十音順に並んだ職員の名前の一覧にはXの名前が記載されていて、その右隣には部署を表す査察という文字があり、さらにその右側にはその人の肩書を示す査察官という文字が並べられていた。

 

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