砦が視界に入った。
高度を下げながら、カワセミが見せてくれたビジョンの地形を捜す。
高い崖が垂直に谷に切れ込む、森の中の急斜面……そこで、キビタキが何かに襲われている。
城から草の馬が上昇して来る。
キビタキの母親だ。
「ツバクロ、皇子を、皇子は……一緒ではなかったのですか?」
「連れて行く訳ないでしょう!」
語気が荒くなる。
「じゃあまた城から居なくなったんですね?」
女性は今までにない不安な顔だ。
「あの後すぐ、この馬で飛び出したんです。でも馬だけすぐに戻って来て」
「…………」
「う、馬から、墜ちたので……しょうか……」
自分で言った言葉に気絶しそうにグラグラしている。
いくら風が使えても、あの子の力じゃ墜落したら……
「しっかりして下さい! 僕が見たビジョンでは生きていました、地上で!」
「ビジョン?」
「とにかく捜しましょう。深い谷に切り立った崖、後、同じ形の二本杉、心当たりありませんか?」
ツバクロは道々、本国でカワセミが予知してくれた事を伝えた。
女性は一所懸命、予知のあった地形を割り出そうと頭を巡らす。
もう凍て付いた表情はしていなくて、心細い母親の顔だった。
「王は?」
「城に居ます。大国よりの使者が来るそうで」
!! 呑気なもんだ・・!
喉まで出掛かって、声に出さなかった。
そんな事を言ったって何にもならない。
彼女は黙って俯(うつむ)いている。
これを切っ掛けに、あの王から離れる事を考えてくれないだろうか。
切り立った崖に、双子杉。
それだけのヒントで、まさにぴったりの場所を彼女は思い至ってくれた。
そして手前の斜面、木々の間を走るキビタキを発見した。
しかしメデタシではなかった。
皇子は思いっきりヤバそうなモノに追い掛けられている。
「ム、ムカデ!? ・・いや違う?」
木々の揺れ具合から巨大さは分かるが、全体像が見えない。
大樽を連ねたような黒塗りの胴体に、足が無数に付いている、見た事もない魔性。
そいつが凄い早さで皇子に迫っている。
「僕が引き付ける! キビタキを救い上げて!」
ツバクロはムカデの前に馬で躍り出て、右に左に翻弄した。
ムカデから気がそれた息子を、母親が素早く引っさらった。
「早く乗りなさい」
「ぜぇ、ぜぇ、ごめんなさ……」
「早く……あっ」
一瞬の出来事だった。
ムカデの尻尾の針を寸でで代わしたツバクロの馬が、脚をもつれさせて転んだ。
投げ出されたツバクロにムカデの牙が乗し掛かり、その一歩後ろは崖。
ツバクロは剣を抜いて、開いた口中に突き立てる。
が、勢いの付いたムカデもろとも崖から吹っ飛んだ。
・・・・
・・・・・
ツバクロは目を開けた。
どうやら助かったらしい。
自分は風を起こして完全に体重を支える事が出来る。
どんなに空気が薄くたって、例え成層圏から落ちたって大丈夫な筈だ。
しかし大ムカデに乗し掛かかられて落ちるのは未経験だった。
剣を身体の奥まで押し込んだので、口から腕が抜けない。
お陰で大ムカデ全体の体重を支えなきゃならなかった。
さすがにちょっと無理があった。
「……どこだろ?」
灰色の葉っぱが重なった、小さなドームの中。
「気が付かれたようです」
声がした。
いきなり視界一杯に立派な髭面が現れる。
「長老……」
先日会った森人の長老。
「大ムカデの下敷きになっておられました。地面を掘って引っ張り出しましたが、腕まで無事とは驚きました。さすがは蒼の狼殿のお連れ様ですな」
「あ、ありがとうございます……」
助けて貰ったのは有り難いが、彼女は狸親父だと言っていた。
キビタキも拐われかけたというし、用心しなきゃ……と思う若者の内心ぐらい、長老は見透していた。
「もう何もしませんじゃ。要望は果たして頂きましたのでの」
「は……?」
「大ムカデを退治して頂きました。皇子の身柄を預かって、蒼の狼殿にお願いしようと思っておりましたが」
ツバクロは信じがたい表情で起き上がった。
あちこち痛いが、折れてはいなさそうだ。
「それ位、誘拐なんかで角を立てなくとも、素直に頼んでくれれば……」
長老は目を細めた。
「やはりお若い。地元の、蒼の長殿の治める草原しかご存知でない。こちらでそんな事を頼んでご覧なさい。蒼の狼殿はお優しい。我らの弱い者が犠牲になっていると知れば、尚更無償で引き受けて下さるでしょう」
ツバクロもそう思う。
「そうするとな、他の部族からは、『狼はあそこの部族と特別に繋がってる』となるのじゃの」
「……………」
「だから、理由が要るのじゃ。子息を人質に取られたとなれば理屈が立つ。周囲も納得するでの」
「……………」
「難しいですかの?」
「……はい……」
「いつか解って下されば良い」
若い森人が入って来て、ツバクロに飲み物を勧めた。
「有り難いけれど、頂けません。師の教えですので」
長老は膝を叩いて笑った。
身体中が軋むが、ツバクロは頑張って平気な素振りで立ち上がった。
ドームを出ると、多くの森人が枝から降りて、掌を組んで頭を下げている。
「貴方も直(じき)、狼殿のように、立派な外交手になられるのでしょう」
「僕、そんなに凄くなれないと思いますよ。あの方みたいにドーンとした迫力なんか無いし」
長老はじめ森人達は、一拍止まり、そしてさざめくように笑い出した。
「我らがあの方の迫力に押されて契約しているとお思いか?」
「え……」
ちがうの?
長老は目を細めて語る。
「あの方が初めてここへ来られた時は、まだホンの子供じゃった。幼顔の小さな子供」
「え……ぇ……」
「我々は鼻にも引っ掛けなんだ。他国から来た子供が、いきなり何の戯言をと」
何の力も無い小さな子供が、他国の部族に、人間の主君への協力を頼んで回る? 無理だろ、想像もつかない。
「……それで……どうして……何か、切っ掛けとかががあって、契約を結ぶように?」
長老は他の森人と顔を見合わせた。
「はて、どうだったかの? まあ、強いて言えば……慣れ、ですかな」
「慣・れ・・?」
「何回も何回も来ましたのじゃ。我々に相手にして貰えるまで。その内挨拶を交わし、言葉を交わし、酒を酌み交わすようになり……もっともあの方は、少しでも混ぜ物のあるモノは鋭く見分けておられたがの」
長老は悪びれなく笑った。
「お前さんはあの方は迫力があると言った。それは初めからでなく、我らとの積み重ねの内に育まれた物じゃ。そう思うがの」
森の端でざわめきが起こった。
蒼の狼が草の馬と共に立っていた。
相変わらずの凍り付いた表情で、長老の前に進み出る。
「森人の長老殿、この者の保護と手当てを、感謝致します」
「なに、ひとつ貸しを作れてホクホクじゃよの」
草の馬は一頭で、後ろに乗るよう促された。
「僕の馬は?」
「脚を挫いていますが、おそらく四、五日で回復すると思います。馬と皇子を先に連れ帰ったので、貴方の事が後回しになってすみません。森人が来たので任せてしまいました」
「あ、はい、親切にして頂きました」
女性は頷いて馬を上昇させた。
ツバクロは口を結んで落ち込んでいた。
馬を怪我させるのは、蒼の一族にとって、最も恥ずかしい事だ。
「すみません、貴方の馬に怪我をさせたのも、元々は私の落ち度です」
前の女性はポツリと言った。
「貴方が発ってすぐ、皇子が問い詰めて来たんです。大人同士の話だから首を突っ込んでは駄目と言ったら、大人だったら、大事なヒトを傷付けて、何も教えてくれないの!? って叫んで。
いつの間にそんな事を言える歳になっていたのでしょう。それに気付かずごまかそうとしたから、結局危険な目に遭わせ、貴方にも迷惑を掛けてしまった。全て私の落ち度です」
ツバクロは顔を上げた。
「貴女はっ・・何でいつもいつも、そんな風に背負い込んじゃうんですかっ!?」
「………」
女性は黙った。白いうなじに緊張が走るのが分かる。
「僕の馬の事は僕の責任です。幾らでも手はあったのに、馬に負担をかけるやり方をしてしまった。そもそもキビタキが飛び出したのだって、僕が子供みたいに不用意な態度を取ったからで。貴女のせいではありません」
ツバクロは勢いに任せて、この際、いつも思っている事も口にした。
「そんな風に何でも自分のせいにして追い詰めて。もうちょっと力を抜いたらどうです。眉間の縦線がそこに凍り付いちゃいますよ!」
女性はずっと黙っている。
生意気過ぎただろうが、絶対に引っ込めない!
少し沈黙があって、鈴虫みたいな声がポソリ。
「変な感じ……です」
「?」
「蒼の一族の、何の損得の間柄もない若者に、そんな風に言われる日が来るなんて、夢にも思いませんでした」
砦に戻ると、キビタキが傷付いた馬に一生懸命湿布を施していた。
ツバクロを見ると走って来て抱き付く。
ツバクロはキビタキを抱えたまま、ひざまづいて、馬の鼻面を撫でた。
「すまなかった。ゆっくり休んで、怪我、治してな」
馬はフルルと甘えて来た。
キビタキが何か言おうと口を開いた所で、靴音がして、城壁に王が上がって来た。
マントを翻し、ツバクロの真正面に歩いて来て止まる。
二人睨み合う。
ツバクロは負けずに目を逸らさなかった。
「……感謝する……」
王が目を閉じて静かに言った。
一瞬呆気に取られたツバクロに何も言わせないまま、王は踵を返して、横の女性に話し掛けた。
「小狼、使者殿がお帰りだ。いつも通り内偵して。俺は西の郷へ行く。夜には戻る。トルイ」
「はいっ」
皇子は緊張して真っ直ぐに立った。
「同道しなさい」
「は、はいっ!」
飛び上がって父に着いて行く。
振り向きながらツバクロに、後でね、と口だけ動かした。
ツバクロは小さく手を上げて見送るしかなかった。
残されたツバクロと女性。
気まずい。
「あの子ね」
沈黙を破ったのは彼女。
「飛び出してはみたけれど、思い直して、馬だけはすぐに帰したんですって。たまにこうして急な任務が入るから、私が困ると思って。それで森でね、何をしていたと思います? 小鳥の卵を探していたんですって」
「は、はぁ?」
「鷹の手紙に付けて貴方に送ろうと。何なのでしょうね、あのピンポイントな無知さは」
「……はあ……」
そういえば前日、子供の頃小鳥の卵を孵した話をしたっけ。だからって……
「で、小鳥の卵だと思って近付いたら、大ムカデの卵だったって」
「…………」
「どう見たって大きさが違うでしょうに。そもそも卵なんか送ったら割れてしまうでしょ? まったく、何て幼稚でドジなの。どちらに似たのだと思います?」
「え……?」
いや、割れる以前に冷えて死んでしまうと思うんだが……
「どちらかと言うと……」
女性は興味深げにツバクロを見る。
「長に似ていますね」
吹き出されてしまった。
「ふふ、あははは、そうかも!」
初めて笑い顔を見る。
笑うと長に似ている……と思った。
女性は気を取り直して、城壁から地上を見下ろした。
王が皇子を伴って出立する所だ。
「良かった。一日に二回も不始末をしでかして、王に本国へ送り返されるんじゃないかって、あの子、ビクビクしていたんですよ。私もその可能性はあると思っていました。連れて来るには子供過ぎたって」
ツバクロもそう思う。
出来れば王にはそちらの選択をして欲しかった。
やっぱり、早く利用出来るまでになって欲しいと思っているのだろうか。
「嬉しそうに、行ったでしょう」
「あ、ああ……ええ」
「自分が生まれた事には意味がある、自分はこの世でやる事がある! って、実感していたいんですよ」
母親は王の隣の小さな騎馬を愛しげに見やりながら、言った。
「そういう所は、私に似ているのかもしれません」
貴方も打撲をしているんです。帰ったらキチンと治療をしますから、部屋で休んでいて下さい、そう言い残して、女性は使者の内偵に飛んで行った。
ツバクロは薄暗い小部屋に戻る気にならなくて、城壁の端で馬の足元に座って過ごした。
見知らぬ土地で怪我をしたら心細いのは、ヒトも馬も一緒だ。
夕空を見ながら色々考えた。
王の事、妹君の事、キビタキの事、長老の事、そして……カワセミに言われた事……
里で長の弟子だけを一直線に生きて来た自分には、解っていない事が多過ぎる…………