ツバクロとノスリはただ黙々と、夜闇の中、馬を飛ばした。
悪い事ばかりが頭を過る。
カワセミが朝、妙に爽やかだった事、長に念を押されたのに巫女を連れて行かなかった事…… 頭を振ってそれらを払う。
どうせまたいつもの奴だ。
睡魔に襲われて帰れなくなって、巫女を連れて行かなかった気まぐれを悔いて落ち込む流れだ。
とっとと見つけて連れ帰らなきゃ、風邪をひかせてオタネ婆さんに説教喰らうのはこっちなんだから。
下方の草原から、翡翠色の光の合図が立ち上がった。
ホッとしたのも束の間、そこにいたのは、黒鹿毛に跨がったキビタキだった。
王都に住む、彼らの弟弟子。
久し振りだが、ゆっくり話している暇は無い。
二人は軽く手を挙げるだけで通り過ぎようとした。
しかし、キビタキは二人を引き留める言葉を発した。
「ね、カワセミ、里に帰ってる? もしかして、帰っていなくて、捜索に行くんじゃないの?」
「何か知っているのか?」
二人は降下して弟弟子の両側に下りた。
キビタキは……人間の皇子としての名前はトルイだが……今日も城で大人達に混じって、政議の末席に居た。
父王はとにかく、現場から学べ、の方針なのだ。
夕刻近く、いきなり窓が開いて、突風が机の上の紙類を舞い上げた。
慌てる大人達を尻目に、皇子は「風が話しに来た」と外に飛び出した。
残った諸侯は、変な所ばかり父王の真似をして……という顔で見送った。
バルコニーに走った皇子は、手すりに立つカワセミを見た。
「久し振り……」
の続きも言わせて貰えず、カワセミは皇子の胸ぐらを掴んで早口で喋り出した。
「いっぺんしか言わないからよく聞いてよ。王都と蒼の里の間の岩ばっかりの山岳地帯。石切り場のある山沿いに、人間の村が幾つかあるよね。そこの住民は避難させて。なるべく南に、今晩中に」
「え、えっ??」
「妖精は人間にこんな親切はしない。でもキミだから言う。キミを親友だと思っているから」
その言葉の最後の頃には、カワセミは上空だった。
「どういう事? カワセミ、カワセミ――!」
何を急ぐのか、水色の妖精はあっと言う間に見えなくなった。
「……………」
「母さんは親父と国境へ行って不在だ。だから俺、黒鹿毛を走らせて来てみたんだ。でも住民を避難なんて、どうやったら……」
「……………」
二人の妖精は顔を強張らせて無言だ。
皇子は目を上げた。
「うん! 俺、行く!」
「キビタキ……」
「カワセミがわざわざ知らせに来てくれたんだ。どんな事をしてでも住民を避難させる。だから、二人はカワセミを頼むよ!」
皇子は馬を返して、帯のような灯の見える山沿いの集落群へ駆けて行った。
二人は更に緊張の顔を見合わせ、例の亀裂の場所へ急いだ。
山沿いには小さな集落が点々とある。
キビタキは風を起こして、最初の村の中央の、大きな建物の屋根に、馬ごと駆け上がった。
剣を抜き高く掲げる。
――雷(いかずち)!!
晴天の星空に雷鳴が走る。
村内が真昼のように照らされる。
住民はビックリたまげて、老いも若きも飛び出した。
「俺様は山の狼の化身!! そう、赤い狼だ!!」
皇子とはいえ、身分も証明されていないこんな片田舎で、怪しい子供の言う事など誰が聞いてくれよう。
これしか思い付かなかった。
「今からこの村の人間は俺様の一族が美味しく頂く。逃げるなよ、どこまでも追い掛けて、一人残らず骨までしゃぶってやる!!」
放電で目を眩ませて、恐ろしい化け物だと思わせると、住民達は震え上がってくれた。
逃げるなよ、と言われれば逃げるのは人の性。
慌てて馬や馬車を引き出し、我先にと山と反対方向……南に逃げ去った。
「ふう……」
後、村の数だけこれをやるのか。
すんごい自己嫌悪に陥りそう。
っていうか、これで何も起きなかったら、親父殿や母さんに何て言い訳すりゃいいんだ?
往復ビンタ位じゃ済まないだろうな……
それでも、親友だと言ってくれた水色の兄弟子の顔を思い浮かべて、次の集落へ馬を向けた。
***
キビタキが派手に雷を呼んでいる場所より少し離れた山沿いの岩地。
前日急に現れた亀裂が、チロチロと明かり漏らす。
ヒトの目には見えない。『在らざる世界』の現象。
内部は広く深く、山峡の渓流のような光の帯が無数に流れている。
血管の如く立体的に絡み合っているが、流れる方向は一定。
痩せた草の馬が、裂け目が伸びるのを阻止するように、端に立って四肢を踏ん張っている。
最初は笹船程度の大きさだったのに、ここ数刻で十倍以上に伸びてしまった。
馬の足元、亀裂の内部の棚になった場所に、一人の蒼の妖精。
片膝付いてしゃがみ込み、のし掛かる上部の層を緑の槍でつっかえ、これ以上亀裂が開かぬように抑えている。周囲には折れた槍が十数本。
もうどれだけこの姿勢で居るんだろ。
まったく身動きが取れない。
(何で巫女を連れて来なかった?)
いや、あれは子供だ。
連れて来ていたら、今の状態はなかった。
里を出た時、何度目を閉じても、奈落に落ちる巫女しか浮かばなかったのだ。
多分彼女が来ていたら、さっき急に崩れたここを咄嗟に支えた時、自分を助けようとして落ちてしまったのだろう。
巫女の草の馬を森に繋ぐと、そのビジョンがピタッと消えた。これで正解だった筈。
しかし……いい加減身体の感覚が無くなって来た。
参ったな……
不意に、圧が失せて楽になった。
両側に、各々の能力を発揮して天井を支える、ノスリとツバクロ。
「おぅ、待たせたな」
カワセミはふぅっと前に崩れた。
「……遅いよ……」
「大丈夫?」
「うん、長には?」
「出掛けに鷹を飛ばした。もう届いている筈だ」
「そう」
カワセミは這ってそこを抜け出し、立ち上がって、光の流れる周囲を見回した。
「おぉい、これどうすりゃいいんだ? ずっと支えてる訳にイカンだろ」
物理系の地力の強いノスリでも、のし掛かる重さに圧倒されている。
カワセミは足元を確かめながら、歩き回り始めた。
「そこを離すと、将棋倒しみたいに段々に大きい歪みに繋がって、草原全体に大災害をもたらす。具体的に言うと……地下水の流れが変わる、地脈が変わる、草原全体が陥没したり呑まれたり。蒼の里は、全滅はしないだろけれど、無事じゃ済まない。人間の街の被害は、想像も付かない」
さらさらと言うが、支えている二人は血の気が引いた。
「何より、湖が無くなる。湖の主殿が命を落とす。巫女が在るべき場所を無くす」
草原全体の災厄と巫女の心配が同じ土俵なのが、カワセミらしくて笑える所だが、二人はそんな余裕無かった。
「ノ、ノスリ、長が来られるまで、も・つ・か・・?」
「もたせるしか無いだろ、相棒・・」
「二人とも情けないなあ。もうちょっとでいいから頑張ってよ」
しかしここへ来て、歪みの圧力が倍々に増して行ってるのがカワセミにも分かっていた。
待っている時間は無い。
水色の妖精が歩みを止めた。
「見つけた!!」
トンと踵を蹴ると、其処から波紋が広がって、深い奈落の穴が開いた。
「歪みの大元をぶち壊して来る。将棋倒しは防げる筈」
カワセミは乾いた顔で奈落を覗く。
地の底からの光がその顔を妖しく照らし、お使いのように簡単には行かない事を物語る。
「出来んのか?」
「やるっきゃないでしょ」
水色の髪の後ろに手を回し、カワセミは素早く石の鎖を解いた。
手足の鎖も外して、ジャラジャラと足元に落とす。
「カワセミ? それ、君を護ってくれるんじゃなかったの?」
全て外してスッキリした姿で、光に照らされながら、彼は振り向く。
「うん、自分を護る為に、術に上限を掛けていたんだ。でも今は外さなきゃ、多分足りないから」
「おい! カワセミ!」
「カワセミ!!」
「じゃあまた後で」
逆光に二人をしっかり見てから、水色の妖精は奈落へ飛び降りた。