翌日、やっとキビタキが訪ねて来た。
彼を送って来た母親は、出奔した身ゆえ里へは入らなかったが、長の代理として対応したツバクロに、丁寧な見舞いを述べた。
赤毛の皇子はカワセミが呼吸をしているのを見て、心からの安堵の顔をした。
父王に着いて戦場に出ている彼は、年齢の割には、死生を身近に知っている。
父親から人間の王としての感謝の文を預かって来ていて、こちらも長の代理のノスリに渡した。
暇際(いとまぎわ)、巫女に、尾花栗毛は自宅で大切に預かっているからと耳打ちし、彼女を少し微笑ませた事に満足して帰って行った。
夜になってから、東方より長が戻り、カワセミの横に付いていた巫女は、執務室に呼ばれた。
ツバクロにノスリ、オタネ婆さんも居た。
厳粛な空気が胸を締め付ける。
「東の民に、あの亀裂の事を知っている古い部族が居ました」
皆、顔を上げ、長を見る。
「あれは、太古より繰り返される、災厄と再生をもたらす大いなる力。とてもヒトの力で抗える代物ではないと」
「だって、カワセミは……」
「もし、その営みを曲げる事が出来たのなら、その者は過分な犠牲を払ったのでしょう。命か、それに近いモノ……彼らはそう言っていました」
「……!!」
ツバクロもノスリも、奈落へ飛び降りる直前の、焼き付けるようにこちらを見るカワセミの目を思い出した。
「それって……」
「まだ三日目です。まだ分かりません。だけれど、そちらの場合も、私達は覚悟しなければなりません。カワセミは、残りの寿命、目覚めて活動する全ての力を、使い切ってしまったと」
長が口に出すという事は、多分、『そちらの場合』の方に近いんだ……
巫女がよろめいて長椅子に寄り掛かった。
オタネ婆さんも下を向いて目をしばたいている。
ツバクロとノスリは頭の中が真っ白になった。
三人で長を継ぐ筈だった。
カワセミの術力に、両翼を支える自分達。
当たり前にそんな未来を思い描いていた。
蒼の長の要は術力だ。
その要が欠けて、どうやって長を継げよう。
よしんば、奇跡的に他に能力者が育っても……自分達には、カワセミなのだ。
カワセミ以外考えられない。
こうなってしまって初めて、如何にかけがえのない相棒だったかを思い知らされた。
二人は言葉も出せず、血の気を失くして立ち尽くす。
そんな二人を、乾いた横目でツ・・と巫女は見た。
話が終わり、皆、明日には好転している事に芥子粒程の望みを託し、家路に着いた。
カワセミのパォに寝起きする巫女は、皆と反対方向に歩き掛けながら、ツバクロの脇に来て袖を小さく引っ張った。
「……?」
寝付けなかったノスリもさすがに連日の疲労からイビキをかき出し、ツバクロはようよう寝床を抜け出す。
夜闇の中、覆いをしたカンテラを持ち、カワセミのパォに向かう。
巫女は起きていた。
「カタカゴ、何かあるの?」
巫女のただならぬ気配に、ツバクロは急いて聞いた。
「ツバクロ殿、風出流山(かぜいずるやま)はご存知ですか?」
カンテラで逆光になった巫女は、表情が分からない。
「?? 行った事はある。風の民の発祥伝説のある土地だよね?」
「では、山頂の神殿は?」
巫女は声を抑えて、慎重に聞く。
長に聞いた事があるなら、アウトだ。
「何、それ?」
セーフだ……
巫女は、これから自分がやろうとしている事に、目眩がした。
ツバクロは怪訝な顔で覗き込んで来る。
何処まで話せば良いんだろう。
このヒトに長を裏切らせる訳に行かない。
「連れて行って下さい」
「え、山頂は無理だよ。せいぜい中腹よりちょっと上……」
ツバクロは、ハタと止まって、微動だにせずこちらを見つめる巫女を見る。
「・・カワセミを、助けられるの?」
「その可能性を、訪ねに行くのです」
巫女の表情は揺るぎない。
「誰か居るの? あんな雪山に」
「…………」
「何も教えてくれないのに、連れて行けって?」
「はい」
沈黙が流れる。
「……分かった。ただ、あんな高い所まで飛んだ事がないから……無理だったら諦めて」
「すみません」
二人、パォを出て、粛々と夜の里を歩く。
カタカゴは長の寝室を見て悲しそうに瞬きをした。
厩舎からそっと馬を曳き、二人乗りで静かに上昇する。
まずは中頃の気流に乗り、里が見えなくなってから、ツバクロが口を開いた。
「往復だけなら、夜明けまでに帰って来られる」
「はい、ありがとうございます」
「……助かる可能性って、どのくらい?」
「わかりません」
「僕が断れないって分かっているんだろ、ずるいな」
「軽蔑して下さい」
(そういうのの方が、ずるいんだ)
という言葉は呑み込んで、
その後はもう二人とも無言になった。
程なく、凍り付いた山々が連なる西南の山岳地帯が見えた。
一番高くそびえるのが風出流山だ。
ツバクロは集中して風を探した。
――あの頂に届く風・・・
風、風、風・・・
・・ああ、あった! ・・・逃すな!!
その時すぐに見付けられたのは、本当に偶然も偶然だった。
幸運だったのか不運だったのか。
ずっと後々、ツバクロは再びその場所に通う事になるのだが、何であの時一発で行けてしまったんだと悩むほど、苦労する羽目になるのを、その時は知る由もなかった。
見付けた上昇気流に飛び込んで、二人を乗せた馬は舞い上がる。
ツバクロの術で保護しているが、人間の巫女はかなりの苦痛に耐えているようだった。
「そ、そこの……棚です」
指定した場所に到着すると、彼女はよろめきながら雪の上に下りた。
周囲は雪が降りしきり、視界が悪い。
「神殿って、どこ?」
「見えないんです。覚悟の無い者には」
「ぇぇ・・?」
「ここで待っていて下さい」
カタカゴは棚にそそり立つ氷壁に向かって歩を進め、ある地点でフィッと見えなくなった。
真っ暗な中、ツバクロは所在無く待つ。
山鳴りがゴウゴウし、冷たい雪が頬に当たる。
自分はトンでもない事をしているんじゃないか?
そもそも、あの娘は何でここを知っている?
自力じゃ来られないだろ?
彼女の事は長からざっと聞いただけで、実はほとんど知らない。
――カエ・・・ナ
!? 吹雪の音じゃない。
確かに何かが喋る声。
――ソノママカエラセルナ・・
今度ははっきり、囁くような低い声。
雪の地平に微かに、低く影が動いた。
「誰だ! 帰らせるなってカタカゴをか? 名乗れ、こちらへ来い!」
「ツバクロ殿?」
振り返ると、目を見開いたカタカゴが立っていた。
「誰かと話していたのですか?」
「…………」
地平にはもう何の気配も無かった。
「君は、用事は終わったの?」
「はい」
「で、どうだったの?」
彼女は小さく微笑んで、懐から一本の羽根を取り出した。
金属のような濃い銀に光る、大きな風切り羽根。
某かの魔力が隠(こも)っているのがヒシヒシと感じられる。
「一体誰に貰ったの、って聞いても答えてくれないよね。その羽根でカワセミを助けられるの?」
「はい」
巫女は変わらぬ無表情で言い、歩いて来てツバクロの馬の側に立った。
「帰りましょう」
ツバクロは唾を呑み込んだ。
さっきのがどういう者なのか分からないまま、本当に帰らせていいのか?
「ねぇ、カワセミを助ける為なら、まず長に言うだろう? 言えないって事は、かなりヤバイの? 例えば禁忌の術とか」
「そうですね、多分禁忌です」
カタカゴはサラリと言った。
「それでもカワセミ殿が目を開けるなら、いいじゃありませんか。私一人が長様に罰を受けるだけで解決するんですよ。ツバクロ殿は騙されて連れて来た事にして下さい。実際、私に何も聞かされていないでしょう?」
抑揚無しに一気に喋る彼女の額は影をおび、いつもの穏やかな明るさは微塵も無かった。