碧い羽根のおはなし   作:西風 そら

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『みっつめのおはなし』から、幾ばくかの時が流れました


よっつめのおはなし
ここだけの花・Ⅰ


 かつての王都を眼下に、風の末裔の一番目の長が、夏草色の馬を駆る。

 

 偉大なる大ハーン没後、第三皇子が跡目を継いだが、父には遠く及ばない。

 人間の帝国に、かつての隆盛は無い。

 

 ここまで低い所を飛んだのは、国土が荒れても変わらない白い森を見て、少しだけ干渉に浸りたかっただけだ。

 あそこには、若い日の、煌めくような想い出がある。

 あの日の四人のうち、二人の笑顔はもう見られない。

 

 

 細筆で墨を引いたような眉の妖精は、気持ちを切り替えるように上昇気流に乗った。

 遥か上空に高速気流の帯が流れる。

 西北の風出流山(かぜいずるやま)へ通ずる、通い慣れた道。

 

 万年雪の山岳地帯頂が近付き、一際高い頂に反射光が見える。

 頂上直下にある、風の神を奉る神殿。

 今日は珍しい晴天で、前庭の雪が一枚の絹布のようだ。

 

 通常の飛行術ではまず辿り着けない。

 彼だって道を見付けるまでは苦労した。

 

 

 神殿は、昔は魔のモノ達の巣窟だった。

 祖先の悪しき残留想念が、半端な魔性を引き寄せていたのだ。

 今はそういうのはすっかり駆逐され、過去人が施した呪いも解除されている。

 

 エントランスの階段を降りて来る一人の人影。

 細くなよやかな姿は、この神殿を浄化した張本人とは思えない。

 空と同じ色の編髪を春風に揺らし、雪の肌にはなだ色の瞳。

 

(本当に、初めて会った時と変わらない)

 

 

「長殿、ご機嫌宜しゅう。そろそろ来られる頃かと思っておりました」

 

「ああ、君も元気そうで何より。晴れて良かった。あの子らに最高の景色を見せてあげられる。何処に居る?」

 

 唐突に、天空を小鳥のような声が覆った。

 

「あはははは――」

「きゃははは――」

 

 山々にこだまするあどけない笑い声。

 青空に雲が渦巻く日輪の中、二つの影が降って来る。

 草の馬にすら乗らず、空身で宙を舞う二人の子供。

 手に持つ絹の帯に風を集め、山の上昇気流を見事に捉えて舞っているのだ。

 

 女性が声を上げる。

「早く降りていらっしゃい。お父様がお見えよ」

 

 

 子供達は雪煙を上げて着地し、駆け寄って来た。

 

「父様、お久し振りです」

 目の縁が父そっくりに凛々しい、真っ直ぐな髪の男の子。

 

「ね、ね、アオのサトへ行ったら、お馬が貰えるんでしょう? アタシ直ぐに欲しい!」

 はなだ色の瞳に空色の巻き髪の女の子。

 

「直ぐには無理だな、ユユ。しっかり勉強をしてからだよ」

 父親は小さい娘をヒョイと肩車する。

 

「ぶ~~」

 

「里へ行ったら、そんなワガママ通りませんよ。それにお父様の事は、長様と呼ぶんです」

 

「ぶ~~変なの~~!」

 女の子は肩車から飛び降りて、神殿へ駆け込んで行った。

 

「あいつ、荷造りが途中なんだ」

 兄は、妹の去った方向を睨んで眉をしかめた。

 

「そうか、ナナ、手伝ってやってくれ」

「ボクが、何で?」

「妹は見捨てちゃダメだ」

 

「……」

 男の子は不満そうに妹の後を追って行った。

 

 残った二人、雪原に佇む。

「君は、寂しくなるな」

「ここへ来た最初の頃に戻るだけです」

「…………」

 

 

 凍れる女性(アイスレディ)は、『掟を曲げて連れ添った大切な人』の最後の一息まで側に居た。

 ほぼ大往生だったし、彼女の兄の蒼の長や弟子達も、何だか肩を降ろした。

 

 出奔した彼女が里に戻るのは不可能だったが、背負っていた荷を下ろして、これからは目の届く所で穏やかに過ごして欲しいと、周囲は思った。

 

 その頃の彼女には、人間の王との間にもうけた息子が居り、戦場へ向かう彼の側に寄り添う姿が、幾度か見られた。

 蒼の長との約束どおり草原の領主となった息子は、父の遺言も継いで、兄弟達と隣国への遠征を重ねていた。

 しかし父の死後、僅か数年で、遠征先で急逝してしまった。

 

 

 周囲が慰める言葉も失くしている間に、彼女は唐突に風出流山に飛び、神殿(ここ)に乗り込んで巣食った魔物を一掃し始めた。

 その頃、ここまで飛べる者は蒼の長くらいで、弟子達はそれを聞いて面食らうばかりだった。

 

 長が、この神殿を苦々しく思いつつも手出し出来なかったのは、巣食うモノの親玉が自分達の祖先だったからだ。

 出奔して身軽な彼女には、枷(かせ)が無かった。

 

 で、長年の兄の憂鬱を払した彼女は、更に驚いた事に、そのまま其処に住み始めた。

 何でそうなるのかと愕が外れる弟子達に、長は眉間に手を当てながら教えてくれた。

 

「祖先と直にやり合うと物理的にあの辺り一帯が壊れてしまうので、穏便に、神殿の奥の奥に退(しりぞ)いて頂いたんですって」

「そ、それって、封印……」

「退いて頂いたんですっ、ご先祖様ですからねっ」

「…………」

 

「奥のご先祖様の為に風の神を奉り、再び魔物が集わぬよう、彼処(あすこ)で番人をやる事にしたそうです」

「あんな誰も訪れない高山で、独りで、ずっと?」

「言い出したら聞かない子ですからね」

 

 愛した王も息子も関係の無い場所で、誰にも触れられないで貝のように隠っていたいのかもしれません……長はそう言って話を終わらせた。

 

 一番目の長は……その頃はまだ弟子の一人だったが、過去に一度だけ、まぐれで神殿まで飛べた事があった。

 神サマがこの時の為に、自分に高く飛ぶ能力を与えてくれたのだと思った。

 大昔に白い森でした、彼女の息子との約束……寿命の違う母親が自分が居なくなった後、寂しい思いをして欲しくない……その願いを叶える為に。

 

 多分、蒼の長は、弟子がボロボロになりながらチャレンジし続けているのを知っていたと思う。

 知っていて、放って置いてくれた。

 

 初めて訪ねた時、女性は怒りも驚きもせず、ただ、ご機嫌ようと挨拶してくれた。

 

 そうして彼は、空いた時間を作っては、遠い雪山に足繁く通った。

 長にも仲間にも知られる事となったが、誰も何も言わなかった。

 

 秋の月の下で馬頭琴を鳴らしたり、吹雪の夜に暖炉の前で将棋(シャタル)を差したり、時には春霞の雲海を並んで黙って眺めていたりした。

 そんなのが七年続いた。

 

 八年前……長を襲名したのを期に、玉砕覚悟でプロポーズした。

 意外や、彼女は受けてくれた。

 大長と呼ばれるようになった彼女の兄が、ニコニコしながら祝福に来てくれ、仲間には袈裟固めをかけられた。

 

 翌年、ブツブツ言うオタネお婆さんをここまで運んで、彼女は珠のような双子を生み落とした。

 父親の方の家系の幼名、ナナとユユと呼んだ。

 

 

 

 そして今日、双子は初めて山を降り、蒼の里へ向かう。

 

「長い休みには必ず送り届けるから」

「修練所へ通い出したら、親元へ帰るよりも、友達と遊ぶ事を優先する子供になって欲しいわ」

「君、そんな子供だったの?」

 

「いえ、貴方がそんな子供だったんじゃないかと思って」

 

 

 ***

 

 

 子供達は初めて乗る高速気流に大はしゃぎだった。

 

 見る景色全てに興奮し、里に着いた頃には、二人ともぐったりしていた。

 

 馬繋ぎ馬には、今日の仕事をみんな引き受けてくれた、二番目の長ノスリと、子供達の叔父にあたる大長が出迎えてくれた。

 

「おお来たか、ガキんちょども、お前ら、俺を覚えているか? っても、赤ん坊の時以来だからな。何にしても、うちで寝起きするんだから、お前らの親父その二だ。宜しくな!」

 恰幅のいい男性にグイグイ来られて双子は面喰らったが、もう一人は馴染みのある顔だったのでホッとした。

 

「大長様、ノスリ長様、宜しくお願い致します」

「叔父サマ! アタシ早くお馬が欲しい!」

 

 大長はニコニコして、双子の頭を撫でた。

 こんな日が来るなどとは、夢にも思っていなかった。

 まったくツバクロの若気の至り・・もとい粘り強さと根性には、頭が下がる思いだ。

 

 一歩下がってノスリの妻フィフィが控えている。

 ああ、もう幼名のフィフィとは違う名なのだが、二つ団子をオレンジ毛糸で結わえた髪型は、一生変わらない。

 しゃがんで二人の子供に目線を合わせる。

 

「疲れたでしょ。さあ、晩御飯が出来ているわよ。うちはお兄ちゃんお姉ちゃんが多くてびっくりするかもだけれど、仲良くしてね。ノスリ、今日は早く帰れるの?」

「明日の打合せが済んだらすぐ帰るから、飯は一緒に食えるぞ」

「分かったわ。それと小さい子供を預かるんだから、汚ない言葉使いは止めてね」

「へいへい」

 

 

 坂の上の執務室で、大長とノスリ、ツバクロで、明日の打ち合わせを済ませる。

 

「ツバクロ、お前もうちで飯食ってくだろ」

 

 双子の父親のツバクロだが、外回りの仕事が多く、月の半分は里に居ない。

 子供達はノスリ家で預かるという事で、話は付いていた。

「今更二人っくらい増えたって変わらないわよ!」

 と、従姉妹(いとこ)でもあるフィフィがトンと胸を叩いてくれていた。

 

「いや、寄る所があるんだ、後で顔を出すよ」

「寄る所……ああ」

 

 執務室の入り口で、三人は三方へ別れる。

「じゃ、奴に宜しく」

 

 ノスリは、坂の下の居住区の、握やかな自宅へ。

 大長は、執務室の裏の代々の長の住居へ。

 ツバクロは、坂を登って里の裏手へ。

 

 里の裏側、放牧地の脇。

 山茶花(さざんか)林の小道に入ると、ひっそり佇む小さなパォに行き当たる。

 昔の馬具置き場、もっと昔は産屋だった場所だ。

 

 御簾(みす)の外から声を掛けると、どうぞと静かな声が返った。

 表の賑やかさと切り離された、簡素で静謐(せいひつ)な室内。

 ランタンに照らされてスッと立つ老婦人と、奥のベッドで眠る水色の髪の妖精。

 

「カワセミ、今日、僕の子供達が里に降りて来たよ。早く君にも会わせたい」

 

 ふっさり閉じた水色の睫毛が上がる事は無い。

 

「ご存知なようでしたよ。朝からとてもご機嫌が良うございました」

 傍らの婦人は、黒髪の人間の女性だ。

 三番目の長カワセミの依り代として、常に側に控える。

 

「里での生活に馴れたら、必ず会わせに来るよ。ユユなんか凄いんだぞ、何度も馬から飛び降りそうになって」

 ツバクロはベッドに近寄り、掛布の上に出ていた細い手に触れた。

 昔必ず巻いてた石の鎖は、もう無い。

 

 目を閉じて指先に集中し、空から降って来た我が子の映像を思い浮かべた。

 こういうのが自分にも出来るとは思わなかったが、調子の良い時のカワセミなら読み取ってくれる。

 今日のは、出来れば見て貰いたい。

 

「私も早くお会いしとうございますわ」

「そうだねカタカゴ、近い内に。じゃあおやすみ、カワセミおやすみ」

 

 ――オ・ヤ・ス・ミ・・

 頭の中に響いた。

 良かった、今日は調子の良い日みたいだ。

 

 

 湖の巫女カタカゴが名前を貰って間もなくの、まだ少女だった頃。

 草原に起こったある出来事で、カワセミは残りの人生、起きて活動する全ての力を使い切ってしまった。

 そしてあの場所で昏々と眠り続ける。

 

 巫女は彼の依代になると宣言し、人間の名前イルアルティを捨てた。

 以来、眠れるヒトの身の回りの一切をやりながら、彼の予知を伝える声として彼処(あそこ)に居る。

 

(まったく、女性って何て強いんだ。妻にしても巫女にしても……フィフィだってそうだよな……)

 

 

 

 里裏からの坂を登って、ツバクロは執務室に戻った。

 カンテラに明かりを灯し、書類を引き寄せて明日から訪ねる地方の下調べをする。

 

 草原を統べる蒼の里の外交は、重責だ。

 取りこぼしがあったら、ここだけの問題では済まなくなる。

 どれだけやっても過ぎる事はない。

 

「おーい」

 入り口でノスリが御簾を揺らした。

「明かりが点いていたから。まだやる事があるのか、手伝うか?」

「いや、確認だけだったから」

 

 二人は戸締まりをして、ノスリ宅への坂を下る。

 

「お前の子供達、果てしないスタミナだな、ナナは上の子の本棚に食い付いてるし、ユユには男の子全員ダウンさせられた」

 

「すまない、頼りっ放しで。本当は七つで修練所に通い始める前に、時々にでも里に慣らしておくべきだったんだけれど)

 

「お前が忙しいのは皆理解しているよ。蒼の里が代替わりしたこの何年か、胡散臭い連中が跋扈(ばっこ)して、お前でなきゃ抑えられんかったからな。こちらこそ、そういう暇を作ってやれなくて、申し訳なく思っているよ」

 

「そう言って貰えると助かる」

 

 前長がまだ健在とはいえ、草原を統べる蒼の長が、血筋外の若者に代替わりしたとなると、各部族に動揺が走る。

 挨拶が遅いぞとお冠ぐらいならまだマシ、良からぬ品を渡して来る者、いきなり舐めて掛かって来る者、等々。

 機微に長けたツバクロがきちんと根回ししていたからこそ乗りきれた、と言っても過言では無い。

 

 手離しを決め込む大長を見るに、自分が元気な内に代替わりを決めた理由が分かる。

 父の急死で突然長を襲名せねばならなかった自分の苦労を、弟子達に味わわせたくなかったのだろう。

 

「ところでナナはどうだった? お前は赤ん坊の時に一度会ったきりだけれど、七つになってどうだ、どう思う?」

 

「来たばかりじゃ分からんよ。まぁお前に似て、秀でて賢そうではあるな。後はおいおい気を付けて見て置くよ」

 

「ああ、頼むな」

 

 同じ日同じように生まれた双子だが、ナナの方にだけ、カワセミの予言がなされていた。

 

 




挿し絵:双子 
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