「巫女殿、あの狼、捨て置いて良かったのか? 悪意がビシビシ響いて来たぞ。巫女殿に頼まれていたから刃を向けなかったが」
ノスリはマントを外して、うずくまっているナナの頭から被せた。
ナナは視界が半分になったが、生臭い臭いは漂って来る。
「契約さえしなければ手を出して来ません。ナナが相手にしなければいいんです」
凛とした老婦人の声。
本当にノスリ長と対等なんだ……
「ナナの背中に憑いていた蟲は、こっちの鉤爪地霊どもの使役か? まったく、どこでそんなモノに取り憑かれた?」
「・・ムシ……?」
ナナは糊付けを剥がすように口を開いた。
今日まで里の外には出なかったし、覚えがない。
「馬具置き場だと思います」
婦人が、ナナの心の疑問に答えるように言った。
「誰かの馬具にくっ付いて侵入したのではないでしょうか。結界に入るとそういうモノはすぐに滅してしまいますが、あの馬具置き場は、良くない気が溜まっていました」
「悪しき羽根の力が働いた場所だからか。一回浄化した筈なのにな」
「完全には清まらないのかもしれません。今度カワセミ殿に相談してみます」
「ああ、頼む」
「あ、あの……」
と言う間もなくナナは、マントごと抱え上げられ、馬に乗せられた。
すぐ後ろにノスリも跨(またが)る。
「巫女殿も早い目に穢れ落としを」
「少しだけ、ここの場所を浄化してから帰ります」
「地霊の芥塵だし、朝陽が当たればある程度は蒸発するだろう」
「はい、それでも玉石の周囲だけはすぐに清めて置きたくて」
「うむ、では先に行きます。無理せぬように」
馬が浮き上がった。
マントの隙間から丘の頂上が見え、佇む婦人が小さくなる。
「あの……」
ナナは恐る恐る、もう一度声を出した。
「んん?」
ノスリの声は、もうあまり怖くなくなっていた。
「僕は、何をされそうになったの? 蟲って何? 地霊って?」
「うむ……今回の地霊は、蒼の里に悪さをしたい奴で、蟲はそいつらの手下だな。子供に取り憑いて脳ミソをつついて操って、里の外に誘い出すんだ」
「ええっ」
ナナは慌てて自分の頭を押さえた。
「もう追い出して微塵切りにしたから大丈夫だ。と言っても、俺らが行かなかったらどうなっていたか分からんぞ」
「どうなっていたの」
「いろいろだ」
「教えて下さい」
ノスリはちょっと止まったが、一拍置いて答えた。
「あぁ――・・多分、生きて帰しては貰えなかった」
「何でそんな事されるんですか」
「いろいろ……」
「はっきり教えて下さい」
「…………」
馬の手綱を引いて、ノスリはゆっくり話し始めた。
「そうさな、まず、蒼の妖精を喰いたい、又は精気を吸いたがる連中が存在する。身体が強くなるとか寿命が伸びるとかそういった理由で。本当かどうかは知らんがな。今回はそれだ。長の子供なんていかにも精気が濃そうで、まぁ大勢集まって来た」
「・・・・・」
「あとは、里の子供を人質に取って何かを要求する輩、弱い者を標的にして上位に立った気分になりたい連中、ただただ反抗を誇示したい種族なんかも居る。ああ、あの狼なんぞ、知能が高い分始末が悪い。出会ったら『去れ』以外喋るな」
「そ、そんなに、よくある事なんですか?」
「あってたまるか」
ノスリは少し声を低くした。
「そうならないように結界を張って、厳しい掟で守っているんだ」
「…………」
「蒼の里は安心安全、蒼の長は皆々から崇められる王様だと思っていたか? 違うぞ、そういうのも皆引っくるめて対処して、尚且つ草原の平穏を祈って働くのが蒼の長だ」
ナナが黙ってしまったので、ノスリは緩めていた速度を早めて、里へ向いた。
(七つの子供にする話ではなかったかもしれない。だけれど、恐れずに知りたがるのなら、こちらもごまかさずに応えてやらねば)
ナナは口を嗣ぐんで下を見ている。
(やはりショックだったか、トラウマにならんといいが……)
心配しているノスリの位置から、彼の口角が上がっているのは見えなかった。
もちろんショックも受けたけれど……ナナは湧き上がって来る嬉しさに、鼻の奥をツンとさせていた。
このヒトはキチンと教えてくれた。うやむやにせず教えてくれた。
そう、彼はただひたすらに、真剣に向き合って教えてくれる、頼れる大人を求めていたのだ。
馬繋ぎ場では仁王立ちのフィフィが待っていて、目にも止まらぬ早業でお尻をぶたれた。
***
夜半遅くにツバクロが帰還した。
執務室でノスリと二人、本日あった事を話し合う。
「馬具置き場か……僕も気付かなかった」
「大長が今、浄化に行ってくれている。あのヒトでも見落としていた位だから、突発的に悪化したのかもしれない」
「里の者に今一度、身の回りに注意するよう言わなくちゃ」
「ああ、通達を出しておく。それと……」
蟲が憑いてたせいだとしても、ナナの言動が少々気になった事を、ノスリは一応注進した。
「ああ」
ツバクロは肩をすくめた。
「あの子の母が蒼の里で過ごしたのは、十一歳まで。それも前の前の偉大過ぎる長の時代だ。蒼の長に対する考え方は、時代錯誤っていうか、僕らとかなりズレている」
「言われてみればそうだな。大長の代で、大分やり方を変えたらしいし」
「でも、彼女が育てたキビタキはすこぶる良い奴だったろ。最初は蒼の長に対するイメージをこじらせていて大変だったけれど。だからあんまり心配していない。これから里で、僕らを見て学んでくれればいいと思っている」
確かに、長に対する考え方なんて、これから幾らでも変わって行ける。
「はは、責任重大だな」
「ただ、長を継ぐ事について、もうリアルに考えているとは思わなかった。やっぱりそうなるか」
「お前は、選ばせてやるつもりだったんだろ?」
「うん……」
カワセミの予言は、『山で生まれる男の子が、長の能力を持っている』だけだった。
「長になるとは限らない。色んな可能性を持たせてやりたかったんだが……でもそうか、そんな事言っていられないか」
「俺はお前の考え方で良いと思うぞ」
「ありがと。……そうだな、でもナナがその気なら、ちゃんと道筋を示してやるよ。それは、父であり長の先輩である僕の役割りだ」
そういえば、自分達が蒼の長というものをちゃんと理解したのも、弟子入りして何年も経ってからだったよな……
***
槍のような山々に青い月が掛かり、雪原に青い影を落とす。
女性は髪を風に揺らしながら、神殿の前に佇んでいた。
立つヒトは一人なのに、影は二つある。
「本当に久し振り」
「・・・・・・」
「ナナが地霊に囲まれた時、姿を現して牽制してくれたんですって? ああ、風が教えてくれるんですよ、皆さんウワサ好きで」
「・・・・・・」
「後、ツバクロ殿に聞いたんですけれど、イルがカワセミ殿の為に此処に来た時、忠告に現れた者……あれ、貴方でしょ? ふふ」
「・・・・・・」
「お礼を言われるのは嫌いでしたよね、でも本当に貴方って……」
シュッと音がして、影のひとつは消えた。
***
蒼の里の南側半分は、広大な放牧地になっている。
まだヒトを乗せられない当歳達が三々五々遊び、それらをぐるりと囲む土手一面に、鞠のような黄色い花が咲いている。
「わあ、きれい! わあぃ、お馬が一杯!」
ユユは歓声を上げて土手を駆け降りて行った。
「お前さんはあんまりはしゃがないんだな」
ノスリは遅れて歩くナナに声を掛ける。
「あ、いえ……きれいだと思うし、はしゃぎたいけれど……僕がそう思っている間に、妹が先に駆け出しちゃうんだ」
「それでお前さんは、転んだ妹を助け起こしたり、妹が失礼をしでかした相手に謝って回ったりの役回りになっちまうんだ」
「うん……」
ノスリはナナをひょいと抱え上げて肩車に乗せた。
「わっ、い、いいですよ」
「たまには肩車されてもいいだろ、お前さんも」
「……」
「俺も大家族の長兄だったから、気が付いたら弟や妹の世話ばかりしていた」
「……」
「お前さん、うちでは一番末っ子になったんだ。もっと甘えてみろ。甘えられる子供の時期なんてあっと言う間だぞ」
「……うん」
ノスリはナナを肩車したまま土手を歩いた。
見渡す放牧地と外の結界の境目まで、黄色い色が広がっている。
「ツバクロが大陸から持って帰って来た花だ。数粒の種が最初の年は二株育った。寒い年に全滅しそうになったりしたが、生き残った株が強い遺伝子を伝えながら数十年かけてここまで増えた。多分、元の大陸の森にあった花と、もう別物だ。ここだけの花だ」
「……凄いや」
「ツバクロが、これを一番見せてやりたかった奴は、もうこの世に居ない。二番目に見せてあげたかったヒトは、ここに来られない。だから、お前さんらが見てやってくれ」
「僕達でいいの?」
「ああ、いいんだ」
ユユが花冠を被って駆け戻って来る。
肩車を降りた兄に、もう一つの花冠を無理矢理被せる。
迷ったり躓いたりしながらここまで来て、こうして幸福な風景を見ている。
この幸せな地平が未来まで続いてくれればいい。
~ここだけの花・了~