碧い羽根のおはなし   作:西風 そら

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薄雪・Ⅰ

 

 

 空は藍紫。

 見渡す限りの彩雲の海から、何本もの虹が立っている。

 

「どこ? 空の上かしら?」

 カタカゴはふわふわと浮いていた。

 足元が不安定で覚束ない。

(ああ、これ、夢なんだわ)

 

 周囲の色は美しいのに、何だか凄く嫌な感じがした。

 恐い、早く覚めて欲しい。

 

 恐いと思った途端、彩雲は渦巻いてたちまち灰色に濁る。

(ああ、嫌だ、嫌だ)

 

 嫌だと思う程、濁ったドロドロが足にまとわり着き、見てはいけないと思う程、視線が足元に引き付けられた。

 

 足を掴んでいるのは、子供の頃あの神殿で見た、無表情なひび割れたレリーフ達。

 

(・・・!!)

 悲鳴を上げたいのに口が動かない。

 

 重い手を空にもがかせる、もがかせる、もがかせ…………

 

 誰かの手が掴んでくれた。

 暖かい、これは安心出来る手だ。

 

 見上げると、水色の真ん丸な目。

 ああ、知っている目だ、ずっと見たかった目。

 

 この薄い水色の底の底に、鮮やかな翡翠色が潜んでいる事を、皆知っていただろうか。

 大好きな色だ。

 この世で一番好きな色。

 

 この上なく幸せな気持ちだった。

 こんなに嬉しい事はない。

 嬉しくて嬉しくて涙が出そうだ。

 

 

 

 そして目が覚めた。

 自分の涙で目が覚めてしまった。

 せっかく幸せだったのに。

 手にまだ暖かい感触が残っている。

 

 小さな簡易ベッドから起き上がって、反対側のベッドで眠っているヒトに近寄る。

 

「また悪夢を見そうな所を助けて下さったのね。ありがとうございます」

 

 戸口の隙間から外を見ると、夜闇の中に薄紫が混じる。

 夜明け近いのか。

 

「!??」

 外を何かが過(よぎ)った気がする。

 

 里は結界が張られてるとはいえ、こくごくたまに、波長の合った野性動物が入り込んだりする。

 

 ゆっくり動き、隅の三本ホックを握って、再び入り口に向かう。

 静かに御簾に手をやり、外を覗く。

 

「!!!」

 

 思いもかけず、立っていたのは小さな女の子だった。

 

(そっくりだわ……!)

 一目で分かった。

「どうしたのです? こんな外れへ。こんな夜明けに?」

 

 女の子は後ろ手を組み、足をモジモジさせる。

「タンケン……」

 

 カタカゴは女の子のはなだ色の瞳を覗き込んで優しく言った。

「そう、昨日来たばかりでワクワクする気持ちは分かるけれど、危ない道具の置いてある仕事場もあるわ。慣れるまで探検はよした方がいいですよ」

 

「うん……」

 女の子は素直に頷いた。

「でもね……」

 襟首から金鎖の首飾りを引っ張り出す

「これ……」

 

「??」

 金鎖の先に付いた平たいピンクの石が、ぼうっと光って震えている。

 

「山茶花の木の所から震え始めたの。歩いて来るに連れてどんどん強くなって」

 

「……この石、どうしたのです?」

「母サマがくれたの。運気が上がるって」

「…………」

 

 巫女は室内を振り向いた。

 ベッドのヒトに変わりは無い。自分の独断で会わせない方が良いだろう。

 

「うわっ」

 しかし女の子は後ろを振り向いて悲鳴を上げ、止める間もなくパォに滑り込んでしまった。

 

「あっ、駄目ですよ」

 巫女は慌てて女の子の身体を掴もうとした。

 

 次の瞬間、入り口からもう一人の影が飛び込んで来た。

「ユユ! 何やってるんだ! ヒトの家に入り込んじゃダメ!」

 

「ああ、貴方だって入り込んでいますよ。静かにして下さい」

 巫女も久し振りに声を張った。

 後から来た男の子はすぐに止まって、罰悪そうな顔をした。

 

 巫女がそちらに気を取られた間に、女の子はもうベッドの側に行き、中のヒトを覗き込んでいる。

「いけません、離れなさい」

 何十年も眠り続けるカワセミ長は、デリケートな存在だ。

 この子達に会わせる時も、細心の注意を払うと長様達は仰っていた。

 

 巫女は女の子の肩に手を掛けようとして……止まった。

 平たいピンクの石が、女の子の手によって掲げられ、金鎖の先で独楽のように回っている。

 女の子は光にホッペを照らされながら、石と眠れるヒトを交互に見つめている。

 

「ユユ、行くぞ」

 男の子が巫女の横を掻い潜って、無理矢理女の子を引っ張った。

 そのまま入り口まで連れて行き、外へ押しやる。

「すみませんでした」

 

「ああ、いえ……」

 巫女は茫然と二人を見送った。

 

 女の子は振り向いて小さく手を振る。

「じゃあ、またね」

 視線は巫女を通り越して、ベッドを向いていた。

 

 

 二人が去り、しんとなった。

 巫女はカワセミの側に寄り、そっと手に触れる。

 

「あら・・・・・・ふふ、それは良うございましたね」

 

 

 

 

 

 

「まったくお前は。母様に、してはイケナイ事、イイ事、教えられたろ」

 兄はまだ後ろを気にしている妹の手を引き引き歩く。

「うん……でも、多過ぎて覚えきれないモン」

「ヒトの家に入り込むのも、寝ているヒトを覗き込むのも、イケナイ事!」

 

「うん……でも……」

「でもじゃない!」

「寝ていなかったよ、お話してくれたモン」

「何て?」

 そんなの聞こえなかった。

 

「ん……」

 女の子は服の上から胸の上の石を押さえた。

 お話した事は確かなんだけれど、何て言われたかと問われると答えられない。

 

「今日から修練所に通うんだ。もう僕に手間を掛けさせないでよ。僕は父様みたいにずっと首席を取らなきゃいけないんだから」

「うん……」

 

 女の子には既に、修練所や勉強よりも、ずっと気になる事が出来てしまった。

 ここにはそういう不思議が一杯なんだろうか?

 

 

 ***

 

 

「アタシは早くお馬に乗りたかっただけなのにィ!」

 ピンクの石を握りながら女の子は頬を膨らます。

 

 里へ来て一週間。

 ユユがまっすぐノスリ家に帰ったのは、最初の一日だけだった。

 毎度の居残り罰の後の直行先は、山茶花(さざんか)林の奥の小さなパォ。

 

「カワセミ長様にはちょっとの悪い気が命取りですからね」

 と言うカタカゴの言葉に忠実に、修練所の水場で手足と口の中をガシガシ洗って、水しぶきを撒き散らしながら一気に駆けて来る。

 今や、その進路上に住む者の名物ですらある。

 

「秋までダメだって言うのよ! 母サマも『里の同級生と同じになるように』って、馬の飛ばし方は教えてくれなかったの」

 

 水色の眠れるヒトの横で、起きているヒト相手のように喋る子供に呆れながら、カタカゴは揺り椅子で繕い物をする。

 このお転婆娘が、修練所の馬によじ登って振り落とされて破れたズボンのお尻を縫ってるのだ。

 あの方がこの子供に馬の飛ばし方を教えなかったのは、多分大正解だろう……

 

「お山では吹き上げる風が強く吹いて、それに乗って遊べたの。あ・あ・あ・もうどれだけ地べたの上だけで暮らしているのかしら!」

 女の子は受け答えしない相手に飽きずに話し続ける。

 子供ってこんなだったかしら?

 

 

 当初カタカゴは、この連日の訪問者に困惑していた。

 里では子供は勿論、ここを訪れる者は殆どいない。

 大長様と長様達と、あとはオタネお婆さんくらい。

 古い大人達は初期に少し来ただけで、すぐに遠退いた。

 

 ユユが、『可哀想な病人に同情してお見舞いに来ている』のではない事は、すぐに分かった。

 良くも悪くも、そんなお利口な子供ではないのだ。

 

 この子が小鳥のさえずりみたいに喋っているだけで、何気にカワセミの血色が良くなり体調も上がるので、巫女も彼女の好きにさせていた。

 しかしユユが帰った後のカワセミの疲れ具合は気にかかる。

 

 

「あっ!」

 お喋りの途中で、急に子供は顔を上げた。

「巫女サマ!」

 

「え?」

 カタカゴは縫い物を小机に置いて、揺り椅子を立ち上がる。

 子供が後退りして場所を開けてくれるが、ベッドのカワセミに変わりは無い。

 手を握ってみると、頭に映像が流れ込んで来た。

(いつもの透視だわ。どうしてこの子に分かったのかしら)

 

 止まり木の隼(はやぶさ)に手紙を持たせ、外に出て空に飛ばす作業をしている間、子供は黙って後ろから、興味深げに眺めていた。

 

「カッコイイ!」

 隼が飛び立ってから、ユユは叫んだ。

「お手紙を届けるの?」

 

「ええ。カワセミ長様から、ノスリ長様のお弟子さんへ、ちょっとしたお報せ。それより隼を扱っている間、よく静かにしていましたね、偉いわ」

 

「えへ~~」

 ユユは得意気に鼻の下をこすった。

「大人がオシゴトしている間は静かにしましょうって母サマに教わってた。今のが巫女サマとカワセミ長サマのオシゴトなんでしょ?」

「ええ、そうよ」

 

「スゴイなあ! カッコイイ、カッコイイ!」

 

 はしゃがれて逆に巫女は戸惑った。

 この子に何処まで理解出来ているか分からないが、多分寝ながら仕事をしている不思議に興奮しているのかしら。

「そうね、カワセミ長様って凄いのよ」

「巫女サマもスゴイ!」

「私は、ただ間に立っているだけだから、別に凄くないの、平凡で普通。誰にでも出来るお仕事だし」

 

「…………ウソ」

 女の子の表情が急にしぼみ、能面みたいになった。

「……そんなコト言ったらダメなんだモン」

 

「えと……どんな事?」

 どこがダメだったのか?

 

「だってカワセミ長サマ、巫女サマにしかここに居て欲しくないのに、そんな風に、……あれ、あれれれ?」

 桃色の頬っぺたを涙がポロポロ落ちていく。

 

「ええっ、ど、どうしたの」

 こんなに泣かせるような事を言ってしまっただろうか?

 

「違うよ、これ、カワセミ長サマ!」

「!?」

 

 ユユは踵を返してパォの中に駆け込み、ベッドサイドに座り込んだ。

 ベッドのカワセミは何ら変わりなく、泣いてるなんて事はなかった。

 

「カワセミ長サマは泣く事も出来ないから、アタシが代わりに泣くんだね」

「そ、そうなの?」

 カタカゴは一生懸命理解しようとした。

 

「もうあんな、居ても居なくてもいい、みたいな事、言わないでね」

 女の子は鼻をすすりながら言う。

「ええ、もう言わないわ」

 この子がただのヒステリーでなく言っているのは、分かった。

 

 

 

 程無く隼が戻って来た。

 足に着けた筒が逆さになって、手紙を受け取った印が成されている。

 止まり木に戻して褒美の餌を与えながら、巫女は落ち着いて来た子供に聞いた。

 

「ね、貴女は、カワセミ長様にお喋りするだけじゃなくて、まさかやりとりが出来ているの?」

 

 予知や透視があった時は巫女の頭にサインが響くだけだし、たまに言葉のメッセージもあるが、本当に体調の良い時だけだ。

 何せこのヒトの肉体は、特別な加護のあるこの場所で、ギリギリ生きていられるだけの生命力しかない。

 もしも過分に疲れさせているようなら、酷だけれども制限するしかない。

 

「うん? えーと、ヤリトリ? ってのじゃないよ。気持ちが一緒なんだよ」

「気持ち……なの?」

 

「そそ、アタシが愉快な話をするとカワセミ長サマ、楽しい気持ちになるの。一緒に楽しい気持ちになると何倍にも楽しいから、ここでお喋りするのが大好き。でも、さっきの巫女サマの言葉で悲しい気持ちになっちゃったから、アタシにもすぐに伝わって、すんごく悲しくて泣いちゃった」

 

「…………」

 この子は言葉も気持ちも全く一緒で、隔たりがないんだ。

 だから手を繋がなくとも、そのまんま、このヒトと通じ合えているんだ。

 

 

 

 

 

 

 

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