外で呼び声がして、ユユが飛び上がって返事をする。
御簾が上がって、ユユと同じ癖っ毛のツバクロが顔を覗かせた。
「お父サマァ!」
数日振りの父親に、ユユが飛び付く。
「カタカゴ、済まない。大切な場所なのに。入り浸らないよう言い聞かせるから」
今しがた遠方より戻ったばかりの旅マント姿。
帰った早々、フィフィにでも相談されたのだろう。
「カワセミ殿はユユがお好きなのです。最初に会った時から、大層お気に入られたみたいで」
ユユは不安顔で父とカタカゴを見比べる。
「しかし、奴の仕事に支障をきたすのではないか?」
そう、蒼の長の手足として外を飛び回る執務室の仲間や、里や草原全体の危険を遠視(とおみ)して知らせるのが、三番目の長カワセミの役割りなのだ。
今日もノスリの弟子が怪我を免れたし、この何十年か、彼の予知で命拾いした者は数知れない。
しかし、覚醒する事も出来ぬほど生命力の低い彼には、常にアンテナを張り巡らせて置く事は容易ではない。
「……そうですね」
「といういう事だ、ユユ。カワセミは実はとっても忙しいんだ。お前の相手をしている余裕はないんだよ」
「ぶう~~」
繕い終わったズボンを履かせ、ツバクロは娘を肩車して帰って行った。
巫女が溜め息を吐いてカワセミを見ると、彼も心なし残念そうにしている。
「私も寂しいですわ……」
夕仕舞いをしてカンテラに灯をともし、揺り椅子で目を閉じる。
巫女は、ここの所とても疲れやすくなっている事に気付いてる。
妖精とは身体が違うのだから当たり前なのだが、無限とも思える体力の彼らを見ていると、こうも身体が脆いと心細くなってしまう。
あの子が訪れる事を拒まなかったのは、そんな気持ちも関係していたのかもしれない。
***
ツバクロに叱られてからもユユは、大人と交渉して『決まり』を作り、へこたれずにやって来た。
見よう見まねで巫女の手伝いをして、お喋りはそれが終わってからの短い時間。
『他人に合わせる』という、この子にとってはとても難しそうな事を、一所懸命やろうとしていた。
修練所でも落ち着きが出て、教官をホッとさせているらしい。
こっそり馬に乗るのはなかなか諦めないようだが。
その日、ユユは久々に修練所で喧嘩をし、居残り罰を済ませて、全力でパォに走っていた。
今日の上級生は許せなかった。
ナナの事、親の七光りで威張ってるなんて言うんだよ。
威張ってるんじゃない、ナナは算数やってる時に話し掛けられたら返事が出来ないだけ。
あれはやっつけてもてイイよね、早くカワセミ長サマにこの話をしたい。
行くと、パォの外に梯子を掛けて、珍しくノスリ長が居た。
「おうユユ、丁度良かった。ちょっと登って来て、ここを押さえてくれ」
「あ、はい」
ユユはホッとして梯子を登った。
「ここのほつれ目を直そうと巫女殿が道具を取りに行ったんだが……場所が分からんのかもしれん。ちょっと行って来る。」
「はい」
ユユは小さい手で真剣に布の端っこを押さえた。
ノスリ長サマは小さい子とか関係無しに用事を頼んでくれるから好きだ。
二人が道具箱を抱えて戻って来た。
「??」
ユユにも分かる位、二人の表情が硬い。
「巫女サマ? こんにちは」
「あ……ああ、ユユ、いらっしゃい」
「??」
「そう、これ、帰る時に持って帰ってね。ナナの忘れ物なの」
巫女は何故かナナの鞄を持っていた。
やっぱり何か変だ。
ユユは屋根修理を手伝い、巫女は敷布を運んで外でお茶の用意をしている。
「時に、ユユ」
ノスリ長が梯子を降りながら、なんだか改まって聞いて来た。
「お前のお母さんは、蒼の一族とか、蒼の長の事を、どういう風に教えてくれたんだ?」
「えっ」
いきなり、何なのか。
「え――とぉ……」
ユユを敷布に座らせて、二人の大人は黙って答えを待っている。
「その……蒼のイチゾクは、草原を統治する偉大なイチゾクでぇ……その一員になるんだから、恥ずかしくないように、考えてコウドウしなさいって。長サマは……」
二人は真剣にユユの顔を凝視している。
訊問されているような気分のユユは、どんどん早口になって行った。
「お、長サマは、その里を束ねる偉いヒトで……あ、偉大なるヒトで、お父サマにも人前で軽々しく甘えちゃダメって……あああ、ごめんなさい! アタシ全然出来てないっ!」
ユユは頭を抱えた。
「ああ、ごめんなさいね、ユユ、怖がらせてしまって」
カタカゴが慌てて女の子の肩を抱いた。
「ね、ノスリ殿、やはりあの方は、そんなに大それた事は言っていないんです。受け取り方の問題でしょう。ユユ、もうひとつだけ聞かせて貰えるかしら」
「は、はい」
「私が人間って事は分かっていた?」
「へ? あ、はい」
「それに対して何か思わないの?」
巫女はなるべく優しく聞いたが、ユユの強張りは取れない。
「ユユ、思ってた通りを言ってごらん」
ノスリ長も口を挟んだ。
「えと、えと、えーと!」
二人は、ずっと黙って待って、答えるまで許してくれそうにない。
もう頭がぐちゃぐちゃ。
「ご、ごめんなさい! 何にも思ってませんでしたぁ!」
二人は口を半開きにしてユユを見る。
「そ、か、気にしなきゃダメな事だったんですね。うえぇ、何にも気にしなかったぁ!」
巫女が半泣きのユユの頭に手を添えた。
「何もダメじゃないわ。答えてくれてありがとう。さ、カワセミ長様の所へ今日のお話をしに行っていらっしゃい」
・・・・・
「えらい違いだな」
女の子がパオに入ってから、ノスリがポツンと言った。
「ノスリ殿……どちらが良いとか悪いとかではない気がします。何も考えず在るがままを受け入れるユユの方が、大人にとっては楽です。でもナナは、見た事や言われた事に対して、自分で考えて消化してから受け入れようとしているんです」
「……ふむぅ」
「たまに消化不良を起こして、大人の思惑と外れてしまうけれど……あの子はそうやって一つ一つ納得しながら、ゆっくり成長したいのではないでしょうか。だから、そういう時って……そう、大人は『の』の字にお腹を撫でて、胃薬を処方してあげればいいんだわ」
パオの入り口にユユが姿を見せる。
「カワセミ長サマが二人を呼んでる……」
そしてユユは家に帰るよう言われ、二人は慌ただしく馬を引いて、何処かへ飛んで行った。
ずっとずぅっと後……
ユユがそういう事を理解出来る年になってから、ノスリ長が、その時の質問の理由を教えてくれた。
そして、そういう日々の細々した事で、何度、巫女殿に助けられたか、どれだけ教えて貰ったか。
短い一生の、更に短い十六の年まで。
いやもっと短い、目を開けたカワセミと過ごした数ヵ月足らず。
人間ってなんて色濃く生きるんだと、思い知らされたという事も。
そんな話の最後、ノスリ長は独り言のように締めくくる。
長い一生を送る自分には、ただ、忘れないでいる事くらいしか出来ないのだと。
***
朝もやの萌木の森。
雫に濡れる繁みの中、息を殺す二人。
水色の細い髪の妖精の青年と、真っ黒な髪が波打つ人間の少女。
「来ないねえ……」
「来ませんねえ……」
萌木の森の木霊(こだま)に会う為に、早朝から延々待っている。
ここの木霊はとりわけ臆病で、呼んでも絶対に出て来ないから、こうして通りすがりを待っている。
「カワセミ殿の任務って、地味なのばっかりですねぇ」
「斬った張ったはノスリの役目。口車と外面(そとづら)はツバクロ担当。ボクは……」
「ボクは?」
「その他」
「……………」
「今、ガッカリしたろ?」
「……いえ……」
それから更に数時間。
夕焼け空にカラスが鳴き出す。
二人はじっと待つ。
黙って静かに。
ただ隣に居て、触れもせず離れもせず、少しの体温を感じる距離で、ずっと。
一番星の夕まづめの頃、向こうの枝に、ポゥと光る小さいモノが現れる。
見つけた!
カワセミが印を結ぶ。
印の中に木霊を捕らえる。
巫女は隣で息を止めて待つ。
カワセミは目を閉じて、頭の中で木霊と話している。
結構な時間が過ぎて、金縛りになっていた木霊がポソと尻餅を付く。
そうして頭を振りながら灌木の奥へ消えて行った。
同時に水色の妖精も前のめりに傾いた。
「完了ですか?」
巫女はその身体を支えながら聞く。
「はい、やはり木霊の中で争いがあるんです。それで森のバランスが崩れて、植物が水を上げなくなって萎れてしまい」
(あ、オシゴトモードだ)
カワセミほど普段と仕事の時の顔を使い分けるヒトも珍しい。
それが普段はエネルギーをセーブしてるせいだと、巫女が気付いたのは最近だ。
「急ぎですか?」
「いえ、今日明日どうなるものではありません。長が仲介に入ると思うけれど……あの木霊にマーキングして置いたから、次はこんなに待たなくて……いいと……思……」
説明しながらカワセミの声に抑揚が無くなって来る。
(あ、ネムネムモードだ)
巫女は素早く地面にマントを広げ、カワセミを押し倒した。
「大丈夫だって、帰ろう」
「駄目です。休んで下さい」
頭を押さえて、強引に寝かし付ける。
これが彼女の役割り。
放って置くとカワセミは、帰る途中で動けなくなったり、下手をすると馬から落っこちるのだ。
「もぉ、大丈夫なのに……」
「半刻したら起こしますから」
言っている側からオヤスミ五秒、水色の妖精は口を開けて寝息を立て始める。
ほらね……
人間でありながら妖精が見えて、ちょっぴり魔法も使えてしまう少女は、人間の社会で生き辛かった。
そんな彼女に蒼の長が与えてくれた役割りは、ペース配分が出来ずにしょっちゅう倒れてしまう、この術使いの見張り。
「ふにゃあ」
妖精は寝返ってスカーフを丸めた枕から頭を落としてしまった。
少女はキョロキョロと辺りを見回してから、落っこちた頭を自分の膝に乗せた。
いいよね、きっとこの方が首も楽だし。
足を伸ばして手を身体の後ろで支え、空を眺める。
西の空の茜に対して東から濃紺が迫って来る。
あの鳥の群れはご飯を持っておうちに帰るんだな。
膝の妖精は無防備に寝入っている。
睫毛長いなぁ・・
いつまでも眺めてはいられないのは分かっている。
この睫毛はもうすぐ開く。
そうしたら彼は妖精の里へ、私は人間の世界の庵へ帰る。
妖精と人間だから仕方がない。
いつまでもこのままではいられない。
だから、今だけは、もうちょっとこのまま…………
頭がカクンとなって、老婦人は目覚める。
揺り椅子で眠ってしまったらしい。
カンテラの燃料が切れそうでチラチラ瞬いている。
冷え込む日が多くなり、最近、疲れやすくなってしまった。
こんな風に居眠りしてしまうなんて。
しかもあんな、忘れてしまっていたような大昔の夢。
ロウソクを灯して、カンテラに燃料を継ぎ足す。
『予知』は何時あるか分からない。
いつでも動けるよう万全の準備をしておかねば。
ふと見ると、御簾の隙間から白い物がチラチラと見える。
「初雪だわ」
隙間をキッチリ閉めて、羊の毛布を出してベッドのヒトに被せる。
明日は分厚い方の寝間着を着せてあげよう。
そういえばユユ、明日から待望の乗馬訓練が始まるってはしゃいでいたな。
あの子が自由に飛び回る姿を見るのが、こちらも楽しみになっている。
「勿論、貴方にも見て貰いましょうね」
水色の妖精は、今はぐっすり眠っている。
この睫毛が少し待てば必ず開くと分かってたから、あの頃の私はあんなに幸せだったんだ。
「幸せって後になって分かるって、本当ね」
では、今の自分は幸せなんだろうか?
ずっと後の自分は、思い返して幸せだったと思うだろうか。
「きっと思うわ」
横になるのは後にして、もう少しこの睫毛を眺めている事にした。