まだ明けやらぬ早朝、フラフラのカワセミが蒼の里に降り立つ。
馬繋ぎ場には何故か二人の仲間が待っていて、支えられながら長に任務の報告をした……
………………………………………………
……………所までは、記憶にある
カワセミが目を開けると、自宅パォの天井があった。
額に乗せられた手拭いがカピカピ。
目も鼻も口もガラガラ。
枕元には酸っぱい匂いの薬草や薬湯がズラリ。
入り口が開いて、オタネ婆さんが入って来て、ゴシャゴシャ喋って、額の手拭いを変えてくれて、何か苦ーいのを飲まされた。
…………………………
……次に気が付くと、二人の仲間が居た。
「よっ、眠り姫のお目覚めだぞ」
「大丈夫? まず、水分とって」
「……いま、いつ? ボク、どれ位寝ていた?」
また苦い薬を飲まされながら、カワセミは目をキョロキョロさせた。
「一週間と半日。熱が下がんなくてね。……あ、これ、繋いで置いたよ」
ツバクロは石の鎖を枕元に置いた。
石が包まれていたハンカチについての言及は無い。
「やっぱり俺がフォローに行ってやれば良かったな」
ノスリの言葉に返事せず、カワセミはうつ伏せになって枕に顔を埋めた。
「カワセミ?」
「ダメだ……どうしてこの身体、こんなにすぐイカれちゃうんだろ。キミ達に負担かけて、ちっとも長の役に立てていない」
二人は困った顔を見合わせた。
ままある事なのだが、今回は二重のダメージを喰らっている分、傷が深い。
***
「君が湖から帰ったその日、長は大ナマズの所へ行ったよ」
カワセミは転がってこちらを向いた。
「一人で?」
「うん」
「それだけ?」
「ああ、うん、何回か通うみたい」
「えっ?」
「ナマズに会いに、だよ。説法を何回かに分けて授けなきゃいけないだろ」
「…………」
二人とも、あの少女がどうしたのか知らない。
湖から帰った長は、いつもと変わりが無かった。
こちらから聞く訳にも行かないし。
カワセミが黙ってしまい、微妙な空気になった所へ、ドカドカとオタネ婆さんが入って来た。
「小僧、起きたか!」
「わあああ! プライベート空間ですよ、ご婦人!」
「たわけ半人前の小わっぱどもが。特に小僧、働いている時とぶっ倒れている時が半々じゃないか。いつになったら、長様の片腕までに成長してくれるんじゃい」
婆さんが歯に衣着せぬのはいつもの事だが、今のカワセミは塩を刷り込まれる傷口が大き過ぎた。
「そう……ボク……永遠に……長の役になんか立てないんだ……」
ああっ! このモードに入っちまうと厄介なのにいぃぃ~~と、恨みがましい目で見る二人を尻目に、婆さんはツカツカと部屋を横切り、丸まってるカワセミの右手首をワシっと掴んだ。
「アダダダダ――!!」
挫いた怪我がまだ癒えていないのに……
「それだけ元気があれば行けるな。長様がお呼びじゃ」
婆さんは下げてきたカゴから膏薬を取り出し、手首にベッタリと塗って、目にも止まらぬ早業でテーピングしてくれた。
「ありゃりゃ?」
カワセミが目を丸くしている。
痛みが嘘みたいに引いたらしい。
「これ、寝ている間にやっといてくれりゃ良かったのに」
「目が覚めていつの間にか治ってましたじゃ、有り難みが無かろうが」
「ババァ!」
「ほれ、長様の御前に、そんな格好で行く気か。とっとと着替えんかい」
婆さんは構わず、カワセミの寝巻きを引っぺがしに掛かった。
「分かった、自分でやるから、やーめーて――!」
ノスリとツバクロは呆然と眺めていたが、やがて笑いが込み上げてきた。
オタネ婆さんは、身寄りのない小僧っ子が、放っとけなくてしようがないんだ。
ノスリもツバクロも血縁は多いが、カワセミは早くに両親を無くして親族もいない。
だから彼らの何倍も長ベッタリなのだが。
(それでもこうやって構ってくれるヒトがいて、何だかんだで幸福者じゃないか、こいつ)
すったもんだの末、身支度を整える頃には、カワセミはしゃんと立って表情もはっきりしていた。
オタネ婆さんも正確に回復する頃を読み切っていたんだろう。
「早よう行かんかい!」
蹴飛ばすようにカワセミを追い出してから、婆さんは残った二人に向き直る。
「!??」
「お主ら、あの子がどうしようもなく身体が脆弱なのは知っておろうが」
「は、はい……」
「弱いのに、過分に頑張り過ぎて、しょっちゅうオーバーヒートしては動けなくなるのも知っておろう」
「……はぃ」
「じゃったらしゃんとフォローせんか!! あの子を殺す気かあぁ~~!!」
とばっちりがブッ飛んで来た。
カワセミは執務室の入り口で、一度躊躇した。
いつもは長に会えるのはワクワクするのに、今はちょっと不安だ。
「カワセミですか? どうぞお入りなさい」
いつもと変わらぬ長の声。
恐る恐る御簾を開けて入ると、長は大机の向こうで立ち上がっていた。
「身体の方はどうですか? 不調なら気にせず言うんですよ」
「はい、もう大丈夫です。オタネ婆さんのお薬のお陰。心配かけてごめんなさい」
「構いませんよ、元気になって何よりです」
長は仕事の顔になって、報告書を取り上げた。
「湖の件、ご苦労様でした。主殿が予想外に喧嘩っ早くて、貴方に負担をかけてしまいました。よく治めましたね。さすがは貴方です」
カワセミは口をキュッと結んで下を向いた。
こういう瞬間に、何時如何なる時もこのヒトの為に全力を尽くそうと、決意を新たに出来るのだ。
「件の主殿ですが、後何度か説法を授けて、水神となって頂く事になりました。その役目、貴方にお願いします」
「ぇ……ええっ!!」
「大自然の繋がりを説く基本の説法です。貴方ならもう出来ます。第一先方が貴方を気に入っているのです」
「は……ぁ……」
「今晩が新月だからお願いします。後、忘れずに毎回、新月の時に通って下さいね」
「は、はい」
カワセミには遥か彼方の事と思えた重大な役割だ。
その他の心配事なんか吹っ飛んでしまった。
長は他に何も言わなかった。
カワセミも当然聞かない。
あの女の子が勇気を出して思いの丈を打ち明けたとしても、長にしたら沢山の出来事の中の一つに過ぎない。
生きている舞台が違うのだ。
ただ、長の事だから、きちんと最後まで聞いて、丁寧に応えてあげただろう。
あの子は、それで自分に自信を持てて、人間の人生を生きて行ければいいんじゃないか……と思う。
カワセミは夜空に馬を走らせる。
新月なので真っ暗だが、星が地上に映っている所が湖だ。
――!?
湖畔に火が見える。
「あの女の子、また家出しているのか?」
そうだったら、可哀想だけれど、ちょっと遠慮して貰わなきゃ。
しかし馬を降下させるにつれ、それが焚き火ではなく、二つの火が地上より高い所で燃えているのが分かった。
「篝火(かがりび)?」
湖畔は以前と雰囲気が違った。
篝火は、あの寂れたお堂の前で焚かれていたが、お堂は新しい板が張られ、小綺麗に修繕されていた。
灯りの間に立つヒトが居る。
「……キミ……?」
墨で線を引いたような黒髪が、腰まで流れる女の子。
神木の枝を両手で持ち、あの絹のズボン(ウムドゥ)を履いているが、今日は上もお揃いの、カタカゴの花の刺繍の入った長衣をまとっている。
カワセミを見ると、神木を掲げて一礼した。
「どういう……コト?」
カワセミは馬から降りてよろめいた。
また熱が出そうだ。
女の子はカワセミの前に進み出て、もう一度形式通りの礼をした。
「この湖の守り神の、巫女を務めさせて頂く事になりました。イルアルティと申します」
「…………」
「蒼の長様に任命頂き、主様にお許しを頂きました」
「……長が……」
聞いてないよ……
蒼の長が大ナマズと話をしに来た日、女の子は確かに湖を訪れていた。
しかし長が来る前に、浮上したナマズに先に会ってしまった。
ナマズは身構えたが、女の子は駆け寄って、先日の事を正直に謝ったのだった。
そして……長が訪れた時には、何だか両者打ち解けて、和やかな雰囲気になっていた。
ナマズが長に「チョット、コノ娘ノ話ヲ聞イテヤレ」と促した程だ。
さて、ナマズは己の言葉を人間に伝える架け橋が欲しい、女の子は自分の在るべき場所が欲しい。
長がポンと手を叩いて、こういう形になった。
(それでいいのか? 長……)
まぁ、あのヒトらしいっちゃ、あのヒトらしいけれど。
「家族にそう言ったら、お父さんとお兄ちゃん達がお堂をキレイにしてくれたんです。お父さん、お前らしい道が見付かったなって、喜んでくれた。バカみたいですね、私。『お父さん』は今のお父さん以外の誰でもなかったのに」
「そうか、うん」
「暫くは、羊番もやりながらの通いの巫女だけれど、これから主様と共にしっかり勉強して行きます」
イルアルティはそう言って微笑み、湖に神木を掲げて一礼した。
水面が盛り上がり、大ナマズが厳(おごそ)かに現れる。
カワセミは背筋を伸ばして息を吸った。
自分のやるべき一番の仕事を長はお膳立てしてくれた。
精一杯努めるだけだ。
右手に大地の精気を集める。
ぽぅと光る。
左手に風の精気を集める。
ぽぅと光る。
両手を前に伸ばして二つの光を併せる。
そうしてその場に集った全ての者に、この世の理(ことわり)を説いてゆく。
林の奥から光を慕って蛍が漂い出る。
薄緑の明滅の中、静かに祝詞(のりと)が流れる。
主殿は水底へ戻り、帰りがけ、形式的に見送る女の子に、カワセミは振り向かずに聞いてみた。
「長には気持ちを伝えられたの?」
「いいんです。伝えなくとも分かって下さっていたから」
「そう?」
「人間の身にして、こうしてお役に立てている。これ以上は望みようもありません」
「うん、そうか」
「貴方様に感謝します」
「……うん」
不意に、離れた藪でバサバサと音がした。
あまりに焦れた二人がつんのめった音だ。
「ノスリ、ツバクロ」
二人は、目を丸くするカワセミに悪びれもなく、ニコニコしながら寄って来た。
「遅かったからさ。またオタネ婆さんに説教食らいたくないし。具合、どうだ?」
「……うん、平気」
「じゃあ、この巫女ちゃんに僕らを紹介してくれる?」
ツバクロが、里の女の子百発百中の流し目を発動する。
カワセミは慌ててその前に立ち塞がった。
イルアルティは目を丸くしながらも笑顔。
ようやく自分の在るべき場所に落ち付けたようだ。
ヒトの縁(えにし)は不思議な物。
このイルアルティの母親が居てこそ、この三人の弟子は在る。
それを四人が知るのは、まだしばらく先の事。
中天の天の川は丁度湖の真上に在り、新月の漆黒の中、天と地に二本の星の河を描いていた。
その二本は遠くの地平で交わる。
~蛍火・了~