蒼の里で、ユユには好きな物が三つある。
いや、里の中はユユの好きな物だらけなのだが、その中でも特別に好きな三つ。
一つは、南の放牧地の金鈴花の土手。
一つは、里の近くのハイマツの丘のカタカゴの斜面。
そして、もう一つは…………
乗馬教習を終えて修練所の厩に降り立つと、帰りの挨拶もそこそこに、鞄を引っつかんで里の奥へ走る。
胸にはピンクの平たい石が揺れる。
大昔は産屋、その次は馬具置き場、次は眠れるヒトと巫女の部屋、そして今は……
「カワセミ長様――!!」
ベッドから落っこちる音がする。
ユユは思いっきり御簾を上げて光を入れた。
「もう夕方ですよ! どれだけ寝ているんですか!」
「う~~眩し……ユユ、朝は勘弁しろ……」
「だから夕方ですってば。今日は森の木霊との話し方を教えてくれるって言ったじゃないですか!」
「明け方まで仕事だったんだ。もう少し寝かせ……」
「木霊の事ばっかり考えて、一日授業が身に入らなくって、危うく居残り罰を喰う所だったんだからっ!」
「それはユユのせいだろう」
妖精は諦めたようにゆるゆると起き上がった。
ボッサボサ頭にヨレヨレローブ。
着たまま寝たらしい。
「とにかく行きましょ! 行きますよ! 早く靴履いてぇ!」
「そんな物を履いたら術が逃げる。ユユも裸足になれ」
やっと起きた妖精は、ベッドに腰掛けて、羽根の先をシュッと整える。
「え・え~~!」
「ボクの弟子になりたいんなら、そのくらい慣れろ」
「ぶぅ~・・はぁい」
奥のパォから直に飛び立つ自由な二人を見ながら、執務室のナナは眉をしかめる。
「あいつ、まだ正式な弟子でもない癖に」
「君もだろ、ナナ」
ノスリは書類の山にうんざりしながら、羽根ペンをクルクル回す。
「そっち、地域別に分けて置きました」
「おお、サンキュな」
「食住世話になっている恩義がありますから」
「お前さん、ホンットに子供らしくないな」
ノスリ家の兄姉の教科書で修練所の学科を全制覇してしまったナナは、今は非公式に大長に師事している。
さすがにこの年で修了証を出す訳には行かないのだが、もう殆ど修練所には通っていない。
「子供らしいって、将来の尾根道に向かって、山道を切り進むのが子供でしょう? 母様がそう言ってましたが、他に何かあるんですか?」
「ああ、分かった分かった、お前さんの言う通りだ」
こいつ絶対、母親とその兄に似たんだ。
御簾を上げて、その兄が入って来る。
「ナナ、行きますよ」
「はいっ、叔父上」
大長も、昔初めて三人の弟子を取った時のように楽しそうだ。
まだまだ隠居には遠いんだろうな。
「……と、まあ、そんな感じ」
風出流山(かぜいずるやま)の神殿でお茶を飲みながら、ツバクロは妻に子供達の近況を語る。
山を降りて丁度三年になるが、今年はついぞ里帰りしなかった。
「君、寂しいだろ」
「いえ、子供はどんどん親を置いて行くモノですから。それにこれ」
女性は、胸元の半月型の半透明の石を撫でた。
実はこれ、昔カワセミに貰った薄ピンクの石から分離させた、ユユのピンクの石の兄弟石だ。
「石が色んな楽しい事を教えてくれるので、退屈はしませんでした。でも……」
首の後ろに手を回して、石を繋いだ金鎖を外す。
「もう覗き見はいけませんよね、いつまでも幼子ではないし。これはカワセミ殿に渡して貰えませんか」
「いいけど……たまには君も」
(山を降りればいいのに……)
彼女は大切なイルアルティ……巫女の葬儀にすら来なかった。
ただこの山で喪に伏していた。
彼女がそんなにまでして山を離れない理由……
「ねぇ、ちょこっと聞いてもいい?」
「はい、何でしょう」
「カタカゴがここで貰った銀の羽根の効力は、羽根を燃やしても失われなかった……一度契約を交わしてしまえば、羽根その物は必ずしも必要では無かった」
「…………」
「多分、彼女はそれが分かっていた。そして天寿を全うするまで粛々と、彼処(あそこ)でカワセミを守って生きていたんだ。……この推理で、間違っていないかな?」
「……あの子、昔から頑固でしたからね」
ツバクロは俯(うつむ)いて、右手で額を覆った。
「それで、君は…………」
「…………」
「『羽根の護り』の呪法が野に降りてしまう事を恐れていた大長の為に、ここを封印して守る事にした。……この推理も間違っていない?」
「……はい」
「はあ――――」
ツバクロは盛大に溜め息を吐いた。
「ごめん、僕は全然分かっていなかった」
彼女は、神殿の奥の禁忌の術を外に出さぬように守っているだけでなく、外から来る者からも守っていたのだ。
護りの羽根が野に降りれば、長い年月、いつの日か誰かが気付いて、神殿を目指さないとも限らない。
カワセミには分かっていた。
『ボクが神殿由来の羽根を背負う事になってしまっても、大長が安心していられたのは、あの方が神殿を守ってくれているからだよ』
そう言われて、やっとやっとツバクロは気付いたのだった。
「情けない……」
「あら、ツバクロ殿は、分かっていなくても、説明も何も求めないで、ただただ私の側に居てくれたではありませんか。そちらの方が凄いです」
「そうなの?」
「そうです、本当に凄いです、凄かったです」
雲海に蒼い月が掛かる。
二人はエントランスの階段に並んで座り、昔みたいにそれを眺める。
月光は灯籠のように明るく、地上に雲の形を映していた。
~薄雪・了~
~碧い羽根のおはなし・完了~