ツバクロが主人公です
金鈴花・Ⅰ
灰色の深い森。
針のような枝が無数に重なる、薄暗い異空間。
僅かな隙間から細い日が繊維のように差し込み、枝々に立つ槍を持つ民を浮かび上がらせる。
中央に、背丈の半分もある髭を湛えた、長らしき翁。
両側に似たような容貌の数人。いずれも厳めしい表情。
そして正面に、異なる社会よりの来訪者二人。
「何時もの通りじゃ、我らは静観する。どちらにも手は貸さんし、手出しもせん」
来訪者は鈴虫の声で軽やかに応える。
「結構です。御協力感謝致します。条件はいつも通りで」
「誓いを立てましょうかの?」
「いえ、我等の間柄です、森人の長殿。今回はご挨拶を兼ねて。御健勝そうで何よりです」
「そなたもの。……蒼の狼殿」
森人の長老は、真白い甲冑姿も凛々しい女性に話し掛けた後、後方に控えている若者に目をやった。
「連れがおるとは珍しいの。後継かえ?」
「いえ、里の若輩者にございます。後学の為に同道させております。お気になさらず」
ツバクロはカチコチで目眩がして、立ってるのがやっとだった。
「ナンデボク、コンナトコロニ、イルノダロウ……?」
思い返す事、三日前。
蒼の里で妖精の勉強に勤しんでいた人間の子供キビタキを送って、大陸の南まで飛んだ。
キビタキは妖精との混血の子供で、人間の名前はトルイ、今の王様の四男坊。
皇子の勤めと妖精の勉強を両立させようと頑張っているが、父王の方針は、一日も早く自分の片腕にしたいっぽい。
だからこんな風に、勉学の途中なのに、戦場(いくさば)の陣に呼び出されたりする。
ツバクロから見たら、まだ十二、三の子供なのに、戦場に連れて行かなくともいいんじゃないか? と思う。
人間が決める事だから口出しはしないが。
前線基地の砦に着いた時、王の行軍はまだ到着していなかった。
皇子の母親が出迎えてくれた。
この女性(ヒト)が妖精で、王の戦神、そして我らが蒼の長の妹君。
大昔、妖精の掟を破って人間に干渉した為、里とは縁が切れた身。
が、蒼の長はあまり気にしていないようで、こうして皇子の教育を引き受けたり、鷹を使って手紙のやり取りをしたりしている。
何にしても、ツバクロは深く考えないようにしている。
自分は長に対する信頼だけしっかり持っていればいい。
皇子の身柄と長の手紙を渡し、任務を終えてひと安心した所で、手紙に目を通した妹君が、ツバクロを見つめて静かに言った。
「分かりました。お引き受け致しましょう」
《このツバクロは、蒼の里でも飛び抜けて、頭脳明晰眉目秀麗な私の自慢の弟子です。将来は里の外交担当となって活躍して貰う予定ですので、外交の現場とか、駆け引きとか、小賢しい事とか、ざっくりと教えてあげちゃって下さい。 P・S 食べちゃダメだョ・・》
手紙の内容を告げられて、ツバクロは血の気が引いた。
聞いてないよおぉぉ――!!
長ああ――!!
妹君は相変わらず凍り付いたような無表情で、今一度手紙を読み返している。
「時に、ツバクロ殿」
「ツバクロで結構です」
「では、ツバクロ。この最後の、『タベチャダメ』とは、どういう意味なのでしょう? どうせまた、兄様特有の笑えない冗談でしょうが。里で、流行っているのですか?」
・・長……ウラミマスヨ……
そんな訳で、大陸の異種族の間を渡り歩く彼女に着いて、こうして後ろに突っ立ってる。
帝国の大王が大陸に侵攻するにあたって、地元の人外への根回しは不可欠だ。
彼女の上手い所は、強いて協力を取ろうとしない事。
ただ傍観していて欲しい。相手方に手を貸さないで欲しい。
先方にとってはそれ程負担ではない条件に、こちらからはお得に思える条件を提示する。
すなわち、彼等の居住地は侵さない。
言い分は聞く。何かあったら偽り無く対処する。
約束を交わしても、お互いにそれ程変化はない。
人間が引いた領土の線など、人外には然程(さほど)影響しない。
ただ、争いの悪い気運は毒になる。
だから予め結んで置く事は、実は地元の人外にも歓迎なのだ。
彼女は移動の間に、意外と丁寧に教えてくれた。
「あの、『蒼の狼』っていうのは?」
「里を出る時、兄様から賜った名です。まだ子供の私には大層過ぎましたが、異種族間を渡り歩くには舐められずに済むので便利です。貴方も将来、厳つい二つ名でも頂けばいいですよ」
長は将来的に、自分にこういう風になれって事なのか。
でも、実感が湧かない。
このヒトみたいに、立っているだけでドーンと迫力があるからこそ出来るのであって、小僧っ子の自分には真似しようがない。
「さて、蒼の狼殿、固い話はここまでにして、酒席を用意致しました。西方の珍しい酒を入手しましたぞ」
森人の長老は顔を緩めて言い、周囲の者に案内を促した。
「それは楽しみですね」
妹君はツバクロを伴って灰色の林間に設えられた酒席に付く。
後方に座すツバクロにも盃が回ってきた。
えーと……飲んでいいのかな……と戸惑う前に、
「長老殿、里では修行中の身は飲酒は禁固なのです。あしからず」
白い手がツバクロの盃を抑え、酒は注がれずに済んだ。
そんな決まりは無いのだが、ツバクロは黙って、談笑する女性の後ろで小一時間手持ち無沙汰に待機していた。
「二人一緒に飲んでいたら、一服盛られていましたよ。狸親父ですからね」
帰る道々、女性は涼しげに言った。
「一服盛ってどうしようってんです!」
「さあ、私達の身柄を拘束すると異種族間でいろいろと無理が通るようですよ。または仲の悪い西の部族に見栄を張るとか。どちらにしても大した事は考えていません。帝国の大王にどうこうなんて度胸はありませんよ。それにしても酷い味だった事」
と言いつつも、彼女はケロリとしている。
後ろから見ても結構な量をあおっていた筈だが。
こんなヒトみたいになれる訳がない。ツバクロは頭から挫けていた。
一緒に来たがるキビタキに、「貴方はまず戦の表参道から学びなさい」と彼女は、行軍中の王の元へ送り届けた。子供には色々まだ早いのかもしれない。
「だいたいの部族は回り終えましたね。駆け足でしたけれど、少しは役に立てましたか?」
「は、はいっ」
と言う事は、もう帰れるのかな?
帝国の大王が大陸の拠点にしている砦は、石で築かれた古い城を利用した物だった。
城壁に立つ塔が『戦神の場所』として、兵士の立ち入りが禁じられている。
塔の上階は戦神の居室で、下の階の手前に草の馬の厩、奥にツバクロが寝起きしている部屋がある。
彼らや草の馬は兵士から見えない。
塔の根元に降り立つと、妹君は「あ」と呟き、急に小走りになって、城壁から門を見下ろした。
「王!」
凍り付いた表情が崩れる。
本国を出立した王の軍が、今到着したのだ。
常駐の兵士達が慌ただしく出迎える。
「貴方をまだ王に紹介していませんでしたね。今日中に目通り叶うよう手配しましょう」
「あの……僕、王に、会わなければいけないですか……」
女性の表情がまた固くなる。
「王は貴方を取って喰いはしませんよ」
素っ気なく言って、マントを翻して階下へ降りて行った。
ツバクロはほっと息を付いて、塔の自室に戻った。
石造りの雑把(ざっぱ)な部屋に、簡易のベッドと掛布を入れてくれている。
倒れ込んで、柔らかい寝具に顔を埋めた。
「早く里へ帰りたい……」
へとへとな意識は毛布に吸い込まれる。
「ふうん」
声がして、ツバクロは飛び起きた。
誰かが近付く気配なんて全く分からなかった。
入り口に半身もたせ掛けて、人間の男性がこちらを見ている。
肩当てと分厚いマントの旅支度に、額には金の輪兜、その下の眼は燃えるように強く、逆光なのに吸い込まれそうだ。
その後ろからキビタキが駆け込んで来た。
「ツバクロー! ずるい! 俺が母さんに付いて回りたかった」
「貴方は王に付いて学ぶ事が山ほどあるのですよ」
妹君が後からゆっくり現れる。
先の男性が振り向いて言う。
「シャオラ、これが君の若いツバメ? なかなか可愛いな」
ツバクロは立とうとしてよろめいて、口をパクパクさせる。
「ツバメではなく、ツバクロです、王君」
ツバクロはパクパクのパの状態で止まって動けなくなった。
「親父ぃ、俺の兄弟子なの! 礼を尽くしてくれ」
王は進み出て、棒みたいになっているツバクロの両手を握った。
「トルイが世話になった。感謝する。あんたらの話ばかりするんだ、こいつ。妬けるね」
「は、はい……恐縮です」
「テムジンだ。色んな肩書きがあるけれど、君に対してはトルイの父親だというだけでいい」
帝国の大王は想像していたより気さくに接してくれた。
しかし、その目の奥に他者の介入を許さない強い信念が燃えている。
それが分かる者には、どんなに軽口を叩かれても、緊張は取れない。
ツバクロもそうだった。
夜、城の一室。
トルイが……ツバクロの前ではキビタキだが……ウトウトと眠かけを漕ぐ。
机には、蒼の妖精の文字で、様々な記号や図形が書かれた石板。
「キビタキ」
正面に腰掛けたツバクロが、両手を顎の下に組んで声を掛ける。
「……ん……はっ、ごめん!」
「やっぱり疲れているんだよ。今日はここまでにしよっか」
「ごめんなさい、まだ大丈夫」
部屋の入り口をノックして、彼の母親が現れた。
「トルイ、ツバクロも今日はお疲れなの。もうお休みなさい」
プライベートな時は母親らしいしゃべり方になるんだなと、ツバクロはこの時初めて気付いた。
トルイの居室を後にして、ツバクロは燭台を持った女性に着いて塔に向かう。
「すみません、こんな事を頼んでしまって」
「い、いえ、僕も勉強させて貰ったので……」
王が到着した夕方から、雨が降り出した。
草の馬に水はあまり宜しくない。出立をどうしようかと、ツバクロが考えていた頃。
トルイが父親に、自分の兄弟子は里の修練所を半分の年数で首席で修了したなんて自慢しちゃったもんで、
「じゃあ、ちょっと見て貰え。どうせ、この雨じゃ当分出立出来ないだろ」
と、親父殿の鶴の一声で、ヤブヘビを喰らっていた。
「でも、勉強は母君に見て貰っていたと言っていましたが」
「私は里の修練所はちゃんと修了していないのです。四年目の途中でした」
「あ……」
このヒトが子供の頃に里を出奔したとは聞いていたのだが、そんなに小さい時だったのか。
「す、すみません」
「あら、謝らなくていいんですよ」
女性はツバクロを向いて少し微笑んだ。
燭台に照らされて、凍り付いている以外の顔を初めて見た気がする。
「そういえば、シャオラっていうのは……」
「ああ、最初の頃、兄様に頂いた『蒼の狼』の名が重過ぎてなかなか名乗れなくて、そうしたら王が、小狼(シャオラ)と呼んでくれるようになったのです」
「…………」
ツバクロは複雑だった。
自分達にとっては、長の名付けは絶対だ。
だけれど確かに、小狼(シャオラ)という響きはこの女性に合っている。
「では、おやすみなさい」
部屋の前で別れるまで、彼女は穏やかな顔だった。
部屋に着いたのがちょっと残念に思えた。
女性は、上の自室ではなく、来た道を引き返して行った。
「王との間に子供をもうけたって事は……王の愛人……に、なるのか」
複雑な思いが胸を過った。
昼間出会った太陽のような王と、細い銀の三日月のような彼女は、噛み合わない気がした。