ようやくのことで味方の部隊がやってくる時間が近づいてきます。
そして、深海棲艦の艦隊もやってきます。ようやく決戦です。
日付が変わるまでに、船団はさらに二度の空襲を受けた。夜間攻撃―南方海域などではけして例のないことではなかったが、北方洋ではこれまで一度としてなかったことである。二度の空襲で船団はさらに三隻の船―〈明鏡〉号、連邦東海岸船籍、煙突とデリックポスト、細長い船橋の外にはほとんど船体上にそびえ立つもののない独特なシルエットのAタイプ標準型快速貨物船〈デイライト・エクスプレス〉号、そして第七十三号護衛艦―を失った。〈幸風〉は〈明鏡〉号に横付けし、その生存者を運び出すことに成功したが、残りの二隻からは一人の生存者も救い出すことができなかった―〈デイライト・エクスプレス〉号は金曜日に受けた損傷が原因で機関が故障、船団から遅れ始めたところで再度雷撃を受け沈没、第七十三号護衛艦に至っては敵潜を船団に近づけぬため船団の後方に残って敵潜上に居座っている途中に消息を絶った―船団にはわずかに、対空砲の砲声と連続した爆発音が聞こえたにすぎなかった。
いつの間にか雲の消え去った北の空には原色の極地光が光り輝き、船団を照らし出していた。これでまた、深海棲艦は照明弾を投下する手間を省けたわけだ―船団後尾を進みながら深雪はぼんやりとそう考えた。おそらく、夜明け前にあと一度か二度は空襲があるだろう。夜明け―夜明けさえやってくれば。そうすれば本国艦隊から発進した空母艦載機部隊がやってくる。〈トワイライト・ゾーン〉号から転送された電文によると本国艦隊はようやく、船団を艦載戦闘機の行動可能圏内に収めつつある位置に到達しつつあるとのことだった。MP五四船団、本国艦隊双方とも現在位置は天測によって判明した位置だったから、相当に正確な情報である。しかし一機の護衛も飛んでこないのは、外洋水軍の空母艦娘には、夜間発着艦の可能な機体は全く搭載されていないためである。それでも、夜明け前には重巡洋艦級艦娘複数を従えた部隊が船団に合流するはずであった。
「こちら野分。右舷側より爆音が聞こえます」
不意に無線で飛び込んできた、疲労の全く感じられない―だが、その背後にあるべきいかなる感情の存在も感じられぬところが異なる野分の声に、深雪は反射的に船団右舷、東の方向を見やった。―〈大瀬〉が沈んだ直後船団は北方へ転針していた。しかし、東の空は暗闇に沈んでいて何一つ深雪には見えない。不意に、前方、西寄りの空から深海棲艦爆撃機の甲高い轟音が響いた。直後、吊光弾がすっかり数を減らした船団の影を映し出した。吊光弾は一つ、二つと数を増し、五つまで増える。その光に照らされて深海棲艦の雷撃機が東の空に浮かび上がった。船団右舷に陣取った〈トワイライト・ゾーン〉号の対空砲が一斉に火を噴く。
「由良より全艦……船団右舷へ急行せよ」
疲労のためか途切れがちな由良の声が無線から響くと、深雪はすぐさま体を傾け、右舷へと舵をとった。前方では野分が隙のない動作で転舵している。野分の主砲も被弾で使い物にならなくなっており、機銃も破壊されていたはずだったが、野分の身のこなしはとても疲労し、艤装もスクラップ同然の状態になっているようには見えないものであった。もっとも、深雪は夕立を抱え上げたときに主砲は喪っていたため、背部艤装側面に装備された機銃以外使用可能な対空装備は残っていない。雷撃機を射程に収めると同時に、機銃が発砲を始めた。
突然、不意に、深雪の前方でまばゆい光芒が極地光の灯りさえ圧して暗闇を貫いた。探照灯―水雷戦隊の夜襲において目標を照らし出すために用いられる照明具の灯りだ。時に十キロ余り先まで照らし出すことのできる強烈な灯りを近距離からもろに覗いてしまっては、深海棲艦の受光器官さえも数秒とその機能を維持できない。その証拠に、深海棲艦の雷撃機が一機、機首を大きく下げ、探照灯の光芒の外によろめき出ると水柱をあげて海面に突っ込んだ。
探照灯を照射しているのは野分以外にありえなかった。彼女は何を想っているのだろう―自ら操作する装備もない手持ちぶさたな中で深雪は思わずそのことに思いを巡らせた。妹のことか、黒井戸にいた家族のことか、黒潮号の船長を務めていた父親のことか。推測の糸口はなく、誰にもその心中は覗きこめなかった。その間にも探照灯は水平に向きを変え、新たな標的をその光線の中に捉える。そしてその二機目は、探照灯から逃れようとするのではなく、エンジンから響く甲高い悲鳴のトーンをさらに増し、猛然と光源へと突進していく。強烈な光芒の中で影絵の如き雷撃機の姿が光源に吸い込まれていくと同時に、断ち切られたように灯りが消え、轟然と巨大な水柱が鮮やかな極地光に照らされてそびえ立った。通り過ぎざまに雷撃機が打ちかける機関砲弾の中を潜り抜け、深雪は崩れゆく水柱を追い越したがその前方にはいかなる艦娘の姿もなかった。水柱の向こうでは、舳先に被雷した貨物船、〈糠平〉号が行き足を止め、静かに沈没し始めていた。
空襲が過ぎ去った後、再び天候は悪化を始めた。低く雲が垂れ込め、雪があちこちでとぐろを巻いて、ある場所では濃密に、ある場所では薄く静かに降るようになっている。それはつまり、空母艦載機による援護を受けられなくなることを意味していたが、同時に船団にとって希望でもあった。この天候ではいかなる航空機も船団を発見できない―飛んでいるのが精いっぱいのはずだ。そうであれば、もはや空襲を受ける心配もない。あと一時間―あと一時間もこの天候が続けば、船団は再び強固な護衛隊に守られ、アルフォンシーノへとたどり着ける見込みも大幅に増大するだろう。
「ああ、安息よ、安息よ、我知らず、それを得ていようとも」由良が低い声で呟いた。
「なんでしょう?」マイクのスイッチが入っていたらしく、鹿島が聞き返してきた。
「名無昇一郎の詩です」由良は言い訳するようにそう答えた。「秋月がよく引用していた」
「ああ」鹿島が得心の言ったように頷く。「ええと……されど我等は漕ぎ出す、深淵の先へ、暁の水平線へ、でしたっけ」
「そうだったかもしれない。……これならうまくいくかもしれない。あるいは……あるいは。いえ、よしておきましょう」そう言って由良は首を振ると、はっと顔を上げた。艤装が〈トワイライト・ゾーン〉号からの発光信号を受信していた。
『東方から艦影近づく。きわめて小なり』
「どういうことだ? もしかして、本国艦隊が―」深雪が小声で呟いた。
それを断ち切るように東の水平線の辺りで遠雷のように閃光が瞬き、次いで砲声がどろどろと響き渡った。
「どうも違うらしい」深雪が悲しげにつぶやいたとき、水柱が〈トワイライト・ゾーン〉号の周囲に一斉に立ち上がり、ブリッジと煙突が吹き飛ばされて宙を舞う。由良が呟いた。
「重巡か、あるいは」
「レ級かもしれません」深雪が静かに答えた。「ようやくお出ましになったのでしょう」
「あるいはそうかもしれない」由良は肯定も否定もしなかった。それまでその海域に居たはぐれ艦隊がイベント海域の艦隊に合流するのはないことではなかった。由良はごほごほと数度、咳きこむ。もはや血も出てこなかった。
「……そろそろ頃合いね」由良はそうつぶやいて、一呼吸置くと、あの、よく通る声を張り上げた。「突撃!」
スクラップヤードのようになった〈幸風〉の後甲板に上がると、紀川は体を軽くゆすり、防寒着の裾を立て直した。渦巻きながら降りゆく雪はめちゃめちゃに破壊された二基の主砲を覆い隠すように降り積もっている。東の空には照明弾が三つ、黄色がかった光となって浮かんでいる。
自分より二回りは背が高い士官候補生の先導で艦橋に続くラッタルを登り終えると、もはや陣形を組んで航行するのをやめた輸送船の間から盛んに燃える〈トワイライト・ゾーン〉号の姿が見えた。船上での火災で熱せられたためか、あらぬ方向へと機関銃が曳光弾の奔流を噴きあげている。
「夕立、君にはこいつを見ておく権利があると思ったのでね」屋根一つない露天艦橋で〈幸風〉艦長、一藤 正直少佐はそう言って紀川を出迎えた。意外と小柄で、身長は紀川とさほど変わらないほどだった。
「もう私は夕立ではありません」紀川はそう言って首を振る。自分の頭がひどく重く感じられた。
「あるいは、そうかもしれない。けれども見たいかもしれないと思ったのでね」一藤はそう答えると、めちゃくちゃに歪んだ手すりの向こうを指さした。「あれを見るといい。……航海長、彼女に双眼鏡を貸してやれ!」
航海長から手渡された双眼鏡に目を当て、一藤の言うとおりの方角へ向けた紀川は一瞬、その視界に敵艦の姿を捉えた。それはくろぐろと溜まった暗闇のなかに浮かぶ、いくつもの赤い光として捉えられた。
「彼女たちが行くぞ! ほら、あそこだ!」一藤が声を張り上げ、海上の一点を指さす。その方向へ双眼鏡を向けた紀川はその視界に一瞬、由良の姿を捉えて息を止めた。しかし〈幸風〉の揺れの中で、たちまち紀川は由良の姿を見失ってしまう。
「由良より発光信号!」
信号員が声を張り上げた。「敵艦発見 コレヨリ突撃ス!」
「勇者の如く、か。あるいは、あるいは」一藤がぼそりと呟く。「善き羊飼いは羊のために―ちくしょう、あれは我々の仕事だったのだがな」恥じ入るような声だった。〈幸風〉は幾度もの空襲で、すべての武装を失い、今や機関も一基のみがかろうじて動き続けているだけだった。その上、船内には沈んだ艦船から救出された乗組員たちがひしめいていた。
「私もあそこに居たかった」双眼鏡から目を離し、夕立はほとんど上の空で呟く。そしてそのまま、不意に砲声が途切れるまでそうしてじっと東の水平線の辺りを眺めていた。
これにて、護衛艦隊のお話はおしまいになります。
エピローグは30分後に投稿予定です。