そして同人誌版で収録していた「訳者解説」も付いています。(エピローグだけだと最低投稿文字数に足りなかったので、合体させました。)
あくまで陽射しは柔らかで、空気は初夏の装いを帯びてさわやかだった。列車の到着と、入線ホームを告げる駅員のアナウンスはそのたびに人々の動きを生み出し、ざわざわと心地よいざわめきをもたらしている。切符売り場の列はゆっくりと動いていたが、さほど長くはなく、紀川はすぐに先頭に出ることができた。
「どちらまで?」
「彩球まで。軍人一枚」そう言って紀川は代金と身分証、そして休暇証明を差し出した。
「帰省ですか」それらの書類の印を確かめながら係員は質問した。紀川は小さく首を振る。
「いえ、友人を訪ねに」
「そうですか、うらやましい」係員はそう答えると椅子を回し、傍らの棚から切符を抜き出した。「はい、彩球まで。行ってらっしゃい」そう言って笑顔で身分証と休暇証明、そして切符を紀川に渡す。
「ありがとう」紀川は軽くお辞儀をして窓口を離れた。掲示を見上げて次の列車の時間を確かめると、待合室の空いている座席に腰を下ろす。待合室の隅に置かれたラジオが外洋水軍統帥部の定期発表を流していた。各方面での戦況や発表事項が終わると、喪失艦船の報告へ内容が移る。
「本期間における喪失艦船は以下の通り……小型軍艦の喪失は以下の通り……航空母艦龍驤、防空巡洋艦由良、軽巡洋艦鹿島、防空駆逐艦秋月、……駆逐艦電、駆逐艦野分、駆逐艦夕立、駆逐艦深雪……」
外洋水軍統帥部発表の放送が終わるころ、待合室の入り口近くで彩球方面へ向かう列車の到着と入線ホームを告げる駅員の声が響いた。紀川はのろのろと腰を上げる。ラジオの方をちらりと振り返ると、紀川は鞄を持ち直し、まっすぐにホームへと歩き出した。
訳者解説
本書は、第三十八号世界で刊行された海洋冒険小説の訳書である。近年、第三十八号世界における対棲戦争を題材とした小説の翻訳が少なく、読者諸兄の中にはなじみのない者も多数いると思われるのでこの項を借りて、本作の背景となっている状況の簡単な解説を行わせていただく。
まず、第三十八号世界はこの世界と異なり、魔術の利用が盛んであり、自然科学と同様に魔法学として発展し工学分野でも盛んに活用されている。その一方で、魔術の発展は呪術的生物の進化を促進し、その結果として我々の世界において二十世紀初頭に相当する時代(第三十八号世界標準歴二〇〇〇年代)に「深海棲艦」と呼称される人類に敵対的な海洋起源種との戦争とが数度発生している。本作もそういった戦争を背景として描かれたものである。このうち、第一次対棲戦争は魔法工学よりも科学力によって深海棲艦の制圧に成功したものの、本作の舞台となった第二次対棲戦争では深海棲艦が強力になって復活し、それに対抗するため生まれたものが艤装システムであり、それを背負う「艦娘」と呼ばれる少女たち(あるいは兵科)であった。本作では原題の英語直訳である“H.M.S. FleetGirls”が示す通り、この「艦娘」たちが主人公として描かれている。詳細な解説は省くが、艦娘たちが背負うこの艤装には我々の世界の第二次世界大戦で使用された軍艦の「記憶」とでも呼ぶべきものが附随しており、これらの軍艦と同等の戦闘能力を有している。ただし、本作の主人公の一人となっている美唄奈井江の背負う「由良」の艤装に関しては、実在したものと異なる性能を有している。これは戦争中期から実用化された技術によってこちらの世界でペーパープランに過ぎなかった改装が行われているためと思われる。(この原案になったものと思われる由良型軽巡洋艦の改装案が「日本巡洋艦物語 福井静夫著作集―軍艦七十五年回想記」に掲載されている)また、艤装にこのような改装が行われるのは王国外洋水軍艦娘のなかでも優秀な者のみに限られていたという。
本作で彼女らが従事する任務は、東方の同盟国であり緒戦から深海棲艦の脅威にさらされている共和国への物資輸送任務である。舞台となった標準歴二〇三二年の時点で、共和国戦線はかろうじて膠着状態にあり、共和国への援助は本国近海や南方海域で辛うじて深海棲艦を押さえていた王国にとって重い負担であるものの行わざるを得ないものであった。しかし、作中でも触れられている通り、この輸送船団にとって北方洋のある島に潜んでいる強力な単独行動の深海棲艦、レ級艦は重大なる脅威であり、王国外洋水軍はこれの早期排除と船団の護衛を兼ねて直接護衛隊と間接護衛隊の二段構えで船団を護衛していた。本作ではこの直接護衛隊を中心として描いている。なお、このレ級艦は本作の舞台となった標準歴二〇三二年の二年後、王国龍翼軍第六三三機械化航空中隊の爆撃によって潜伏していた入り江ごと埋め立てられるまで北方洋において船団の脅威となり続けた。この任務を題材として書かれたのが「六三三龍翼隊」(B・P・デファイアント著 笠原 慎二訳)であり、本邦では文庫化もされている。
紙面の事情により、第三十八号の対棲戦争や艦娘たちについてこれ以上の詳細な説明は省略させていただく。この世界における対棲戦争については、「概説 第二次対棲戦争戦史」(オーバーストラント著 村井健太郎訳 海人社SF文庫)が、艦娘たちについては「波濤を纏って 艦娘たちの戦争」(小林源五郎著 村井健太郎訳 海人社SF文庫)が詳しいため、興味のある読者は参照することをお勧めする。
また、本書の最後に掲載する形となってしまい申し訳ないが、本書の訳出に際し読者の理解の便を図るため作中における単位はすべてメートル法、ないしはこちらの世界で使用されている単位に換算し、適当なところで四捨五入を行っていることをお断りさせていただく。
戦争経験もなく、知識も不十分な若輩の翻訳である。本書執筆に際しいくつかの文献を参照したが、それでもなお読者の叱責をかうであろう点はすべて訳者の責任である。
というわけでこれにて全13話完結です。
およそ一ヶ月間、お付き合いくださりありがとうございました。