吹雪はさらにその密度を増し、電の周囲で渦を巻いては海面へと落ちていく。嚮導艦として前方を行く〈幸風〉は淡い色で描かれた北方海域迷彩も相まってシルエットの捉えにくいおぼろげなものになっていた。風は雪をはらんでしじゅう北西の方から吹き、うねりは徐々に大きくなっていった。雪はただ上から下へと落ちるだけではなく、時には海面付近で舞い上がり、油布でできたコートの内側に入り込んでセーターや制服をじめじめと濡らした。艦娘はその大きさに見合わぬ耐航性を持っているが、それでもうねりに合わせて電の体は大きく上下に動いている。
靴のように装備した脚部艤装の底に備え付けられた聴音機は前方の広い範囲に大量の雑音を捉えていた。おそらく第一四護衛戦隊の推進音・機関音、そういった音の集合体であろう。やがて、妖精さん 原注が左前方の艦影を電に告げた。
〈幸風〉との位置関係の監視を妖精さんに任せて、電がそちらに目を凝らすと、吹雪の中にぼんやりと艦影が浮かび上がってきた。三島型の船体の真ん中に幅の広い上部構造物がある、軍艦らしくないシルエットの船だ。護衛部隊よりも輸送船団にいる方がふさわしい見た目をしている。
それもそのはず、この〈トワイライト・ゾーン〉号は元々共和国の海運会社、RMラインの定期貨客船だったのである。しかし深海棲艦との戦争が勃発したことにより共和国へ帰ることができなくなり、王国外洋水軍に徴用、その後買収されて護衛艦となったものである。通常は、水軍が買収すると新たな名を付けられるものなのだが、この〈トワイライト・ゾーン〉号は徴用時にいったん特設護衛艦として水軍艦艇簿に登録され、その後買収されてそのまま正式な水軍艦艇になったため名前がそのままとなっていたのである。
電がさらに進み、〈トワイライト・ゾーン〉号がほぼ正横にやってくるころになると、前方に二隻、横に並んだ船影が浮かび上がってきた。左側には船尾楼に煙突のある、全体的に平べったい印象を与える大型船、もう一方には船尾に爆雷投下軌条を大量に載せた乾舷の低い艦。艦娘母艦〈越後〉と駆逐艦〈明星〉である。〈越後〉は第一四護衛戦隊のもう一隻の艦娘母艦で、当初から艦娘母艦として設計・建造されたものである。艦隊型補給艦をベースに設計されているために〈大瀬〉のように強力な戦闘力を備えているわけではないが、水上偵察機を六機搭載している。この水上偵察機は、昼間は船団上空から周囲の海面を見張りつづけ、敵潜水艦に対して絶大な威力を発揮するのみならず、時には船団上空に張り付いてその位置をしじゅう報告し続ける敵偵察機を追い払うことさえあった。さらにこの〈越後〉には艦娘〈龍驤〉が第一〇一二航空戦隊第二艦隊旗艦として配属されている。王国水軍では軽空母として分類されているが、もともと彼女が存在していた国の海軍では制式空母に分類され、三〇機以上の航空機を搭載することができた。彼女の艦載機も対潜哨戒や敵偵察機の撃退に大きな貢献をし、これまでの数回の船団護衛の艦に一度たりとも哨戒機を近づけず、さらには単独で三隻、駆逐艦と共同して一隻の潜水艦を確実に撃沈している。
それに対し〈明星〉は旧式の〈星〉型駆逐艦の一隻で、艦橋前方で甲板が一段下がった特徴的な形状をしていた。排水量は一二〇〇トン強、艦齢もすでに二〇年を数えている。戦争が起こらなければおそらくすでに王国水軍艦艇簿から抹消され、予備艦としてその身を軍港に係留されているか解体されているであろうことは間違いなく、また彼女の姉のうち何隻かは魚雷をおろし護衛艦や沿岸警備艦へと改装されていた。〈越後〉を挟んで反対側に位置している姉妹艦の〈彗星〉は雷装を完全に撤廃し、その代わりに対空砲を増設する改装をすでに受けていた。
電の後方を航行していた野分が「オ先ニ失礼」と簡単な信号を残して転舵し、〈越後〉も後方へと消えるとやがて前方に〈大瀬〉の丸みを帯びた艦尾と第七十三号護衛艦の角張った艦尾が見えてきた。
「護衛艦」という艦種は通商保護を主目的として建造された艦艇のことであり、第七十三号護衛艦は現在のところ潜水艦に対しもっとも効果のある方法―輸送船団の直接護衛―を主な任務としていた。第七十三号護衛艦は排水量も星型とさほど変わらず、最大速力に至っては二十五ノット弱しかない。ただし主砲は高角砲であり、また搭載している爆雷の数・一度に投射できる数は抜群の物であった。しかし駆逐艦と違い、魚雷は一本たりとも積んでおらず、主砲も口径の小さい物である。それでも敵水上艦の脅威の少ない海域ではこういった艦が船団護衛の主力となっていた。深海棲艦の潜水艦に対しては、艦娘でなくてもその有効性はあまり変わらなかったからだ。戦隊の先頭に立つ第七十五号護衛艦はこれと完全に同型の艦であり、大瀬の左側を固める第六十二号もほぼ同型と言えるものであった。
これらに〈幸風〉を加えた九隻が第一四護衛戦隊の艦艇であった。駆逐艦とはほとんど名ばかりの艦ばかりであるこの戦隊において、〈幸風〉は例外的に新鋭の〈風〉型駆逐艦の一隻であり、速力、兵装ともに申し分のない物であった。
電は「宛サチカゼ 本文、センドウカンシャス」と鉛筆で紙に書き、それを艤装の背負い紐に付けられた箱に押し込んで転舵した。肩のあたりに備え付けられた信号灯がカタカタと音を立てて〈幸風〉に信号を送る。再び転舵し、〈大瀬〉の真後ろで同航すると、艦尾の甲板上に設けられた発着艦指揮所に発光信号を送った。指揮所から返答の信号が返ってくると同時に艦尾の扉が左右に割れはじめる。船体からはみ出ないような形状になった扉の動きが止まると、指揮所で信号が再び瞬き、電はそれを見るとゆっくりと速力を上げた。〈大瀬〉の曳波を踏み越えて、艦尾に近づくと逆進に切り替えて速度を落とす。艦内に入ったところで行き脚が止まった。艦娘収容の指揮を任されていた中尉が声を張り上げると、モーターが唸りを上げて背後で扉が閉まる。腰に命綱を巻き、靴まですっぽり覆う防水衣を着た水兵がウェルドックに飛び込んで水しぶきを上げながら駆けより、手早く電の艤装に収容装置から延びるワイヤーを結びつけると素早く電から離れた。中尉の号令と同時にウインチのモーターが唸りをあげる。たるんでいたワイヤーが張り詰め、電が艤装ごと収容ランプをゆっくりと引き揚げられる。水兵たちの手で背負い紐が外されると、電はようやく艤装から解放された。こっそり足をすり合せて、コートの下に入り込んで服に張り付いた雪を落とす。
チェックリストの項目をすべて確認してそれを整備長に渡すと、艤装の点検作業にかかる整備兵たちに軽くお辞儀をして電は艤装格納庫を出た。
ラッタルを登り、士官次室に入ると電は赤茶を注文し、細長い部屋の真ん中あたりにある椅子に座った。向かい側では、深雪が机に突っ伏して居眠りをしている。
士官次室の、ひりつくような温かい空気を頬のあたりに感じながら、電は赤茶を少しずつ飲んだ。薄暮総員配置の前に少し眠っておくべきだろうかと思ったが、それほどの時間もなさそうだった。電が時計を見上げながらそういった考えを巡らせていると、深雪が身をよじらせて目を覚ました。少しの間、深雪はぼんやりとした表情で電を見上げていたがすぐにいつも通りの表情に戻った。
「なあ、私がどんな夢を見ていたと思うか」
体を起こし、あちこちの関節を鳴らしながらいたずらっぽい表情を浮かべた深雪の問いかけに、電は首をかしげた。いくら親友と呼ぶべき仲であろうとも、他人の夢の内容までは読み取りようもない。
「衝突した夢さ」
深雪がこともなげに言った言葉に、電は言葉を失った。視線が泳ぐ。
「冗談だよ」
すぐさま深雪が、どこかあわてたような口調で訂正した。「彩球の家に帰ってる夢を見ていた。初夏のころさ。半袖がちょうどいいくらいの季節だ。兄さんが卵焼きをつくってくれてさ……」
「驚かせないでください」電はぴしゃりと言葉をさえぎった。「それにまったく……縁起の悪い」
「いやすまん、冗談のつもりだった」
そういって肩をすくめると、深雪はごまかすように笑みを浮かべた。電は思わずため息をついた。深雪はいつもこうだった。どこにいても我が家にいるのと変わらない。気さくで、あけっぴろげで、そして世のすべては冗談のタネであるようにふるまう。そして誰よりも水軍を、船を愛している少女。まるで自分とは正反対だ。電はむしろ、慎み深さや無口さ、真面目さを好んでいた。
「ん、もうじき総員配置の時間か」
そう言って深雪が席を立った。「美花も一杯飲むかい?」「ええ、おねがいします」
電がそう答えたところで、天井のスピーカーが、通常通り総員配置一〇分前に艦長の訓示があることを告げた。
上甲板に上がると、吹き付けてくる風に由良は思わず首をすくめた。相変わらず雪は激しく、由良はフードを目深にかぶり直すと艦首の方へと歩き出す。薄暮総員配置の直前で、何重にも着重ねた水兵たちが各々の配置へと足早に急いでいた。艦橋構造物に入るラッタルから甲板を見下ろすと、甲板上に積もった雪のうち、乗組員の行き来の多いところだけすこし薄くなっている。艦橋に入ると、セーター、コート等々を着込んだ乗員たちをかき分けるようにして、由良は艦橋の最前部の椅子に座っている五島の横に行った。由良が五島の隣に立つと五島は由良の方をちらりと見やった。
「大丈夫かい?」
回転窓が吹雪にあらがい続けて何とか視界を確保している前方を見つめたまま、五島が低い声で尋ねた。由良もまっすぐ前を見つめたまま、低い声で答える。
「おかげで、だいぶおちつきました」
「本来なら、退艦させるところだけど」
「そういうわけにもいかないでしょう。〈由良〉の防空力を欠くわけには―」
そう答えると、由良は押し殺した咳を漏らした。由良が咳をした手をハンカチでぬぐうとき、わずかに血がついていることに五島は気づいたが、特に何も言わなかった。由良の言ったことは事実であった。〈由良〉は防空巡洋艦、それも大規模な改装を行った数少ない軽巡級の艦娘であった。艦娘搭載型としては最新型、最高の性能を誇る電探に加え高射装置、長一〇センチ連装高角砲を複数装備しており、〈由良〉自身の練度も相まってその防空能力は王国水軍の全艦娘のなかでも一、二を争うものだった。由良は角をそろえてハンカチを四つに畳み、ふたたび前方を見つめる。
「それに、一応自分の状態は把握しているつもりです」
「そうか」
そう応えると、五島は黙って双眼鏡を持ち上げ、窓の外を見つめた。それから、艦橋の反対側の席に座っている艦長に声をかける。「訓示はいつも通りに?」
「いつも通りにやります」由良が来る前にもした会話だったが、上中村はそんなことを感じさせない口調で答えた。
「そうか。ま、せいぜい覚悟をきめさせることだね」
五島が笑いを含んだ声でそう言い、上中村が微笑んだところで武狸副長が「そろそろ時間です」と声をかけた。
艦娘待機室の天井に埋め込まれたスピーカーが、ザリザリと雑音をたてた瞬間、深雪はぱったりと口をつぐんだ。
一瞬、艦内が静寂に包まれる。換気口から漏れてくる、通風機が空気を吐き出す音、どこから聞こえてくるのか判然としない、荷重のかけられた船体がきしみをあげる音、そして時折船体に波が打ち付けられる音、スピーカーから漏れてくる細かな雑音が話し声にとって代わって船内を満たした。
「私は艦長だ」完全に静まり返り、一区画下で渦巻く水流の音さえ聞こえそうな搭乗員待機室に上中村艦長の落ち着いた声が響いた。夕立は無意識のうちに天井のスピーカーを見上げる。
「通常通り、本艦がこれからどのような任務に就くのか、これから諸君に伝える。けれどもその前に、それよりも先のことを伝えさせてもらう」そこで上中村はいったん言葉を切った。
「これは、北方水軍管区所属艦隊として、われわれの最後の任務となる。星の巡りが許すのならば、一か月後には、本艦は八神水軍工廠のドックに身を置いているはずだ。むろん、その間休暇が出される。その後は、サーモン海へ行く」
艦長の声は、拡声器を通していたせいで、どこか金属的な響きを帯びていた。背筋を伸ばして座りながら、まずは良いことから、ということねと鹿島は想像をめぐらせた。鹿島は訓練校を出てそのまま第一〇一二航空戦隊へ配属となり、経験豊富な艦娘とは言えなかった。それでも船団がこれから直面する困難について、これまで二度の航海で十分な経験を得ていた。
「だがその前に、我々はもう一度任務を果たさねばならない。今回も船団護衛、アルフォンシーノ行き輸送船団MP五四だ。この船団がどれほどの働きを為すかは繰り返し述べるまでもない―諸君らはもう何度も同じことを言われているだろう。この船団が運び込む物資は共和国が深海棲艦やその陸上種と戦い続けるために大きな働きを為す。むろん深海棲艦たちもそのことはよくわかっているはずだ。おそらく彼らも相当正確に―場合によっては我々自身よりも正確に船団の動向をつかんでいることは、十分予測される」
電は身じろぎもせず、真面目な表情でじっと黙って艦長の訓示に聞き入っていた。秋月も一見すると同じように聞き入っていたが、電よりはずっと余裕のある表情を浮かべ、少しリラックスした姿勢で座っていた。
「これらのことはいままでの船団と変わらない。しかし本船団では他にも困難な要素がある、諸君らのうち、すでに気付いているものもいるだろうが、現在天候が悪化しつつある。おそらく、大嵐となるだろう。これが一つ目だ。さらに、我が方の情報部は敵の戦力が北方航路の付近に集結しつつあることを報じている。敵潜水艦群が複数、さらに航空部隊。むろん、これらはすべて我々への攻撃に振り向けられることになる」
ここでいったん、上中村は言葉を切った。夕立がスピーカーから視線を外すと、深雪と目があった。深雪が軽く眉を上げたところで、スピーカーから再び声が流れ出す。
「さらに、情報部は敵はぐれ艦隊にも出撃の兆候があると言っている。レ級艦も含む、強力な部隊だ」
そっけなく、これまでと変わらない口調でそう言うと、上中村は再び言葉を切った。今言ったことが艦内隅々まで染み透るのを待つように、わずかに黙り込む。電には無限にも感じられるほどの時間がたった後、そっけない口調で再び話し始める。
「むろん、外洋水軍統帥部もただ手をこまねいていたわけではない。まず、我々には十二人の艦娘が随伴している。さらに、本船団と並行した針路を、航進十二時間の距離を保って艦娘母艦を含む部隊が続航することになっている。この部隊には、複数の戦艦型と航空母艦型の艦娘が含まれているとのことだ。彼らはレ級艦を沈めるために随伴し、レ級艦が本船団に向かうこととなればすぐに我々と合流する手はずになっている。しかし諸君らも十分知っている通り、この企みがうまくいかなかった場合には、当然本艦は船団を退避させるためあらゆる手段を講じることとなる」
周りにばれないように、夕立はこっそりとため息をついた。本国艦隊は、この海域に潜んで北方航路を脅かし続けるレ級艦を排除するためにもう三回はこの企みを実行に移している。そのうち一回はそれを察知したレ級艦が早々に引き揚げ、残りの二回は本国艦隊の来援は遅すぎた。そして夕立は、そのうちの一回に駆逐艦戦隊の一員として参加していた。上中村は少し柔らかい口調に切り替えて言葉をつづける。
「諸君らがこれまでなしてきたこと、そして諸君らが今どのような状態にあるか、私は十分承知しているつもりだ。本来であれば、十分な休息を与えられるべき状況であることも。それでもこのことは果たさねばならないことだ。それでは諸君、よい夜を」
そうやって訓示が締めくくられると、夕立はそっと室内を見回した。誰一人、身じろぎ一つしない。それぞれが、訓示を聞いていた時と同じ姿勢のまま座っていた。深雪がおもむろに立ち上がり、無言のまま発進区画に続く扉を開けるまで、だれも身動き一つしなかった。
原注 「妖精さん」は艦娘の艤装システムの総称である。その名の通り、艤装内の妖精が、各種情報を整理して艦娘に伝える機能を持つ。艦娘を特殊軍艦の艦長とするならば、妖精さんたちはその乗組員に相当する。(訳注:一般的な用法に従って「妖精」と訳したが原書で用いられている語は「精霊」の意味も持つ語であり、我々の観念としては「精霊」の方が近い物であることをここに記しておく)