女王陛下の護衛戦隊   作:ターレットファイター

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第5話。
眠れないままに夜が明けます。そして、護衛すべき船団とようやく合流です。


5.火曜日

 

 夜明けは、薄明総員配置と共にやってきた。

 由良は相変わらず、艦橋で五島の傍らに立っていた。ほとんど睡眠のとれぬ一夜は、彼女の体力をすっかり奪い去っていた。頬はこけ、顔色も灰色になっていたが、それでも由良は前日と変わらず、五島の脇で大瀬の揺れに合わせて踏ん張っていた。五島はもうすっかりあきらめた様子で、渋い表情で海をじっと見ていた。ただ、時折由良の方をちらりと見やって、由良の病状も末期的だなということを何度も繰り返し考えている様子であった。

艦橋の外では、波はますます高まり、大瀬のような大型の艦がそこに突っ込むと、轟然たる音をたてて砕け散り、氷交じりの雨となって艦上へと降り注いだ。気温は夜の間にますます下がり、気圧計の液金もすっかり低いところまで降りていた。その光景を見て、上中村や枕崎といった、外洋水軍軍人である以上に経験豊かな船乗りである人々は表情を曇らせていた。

「艦長、やはり天候は思わしくないかな?」

「そうですね。私は長いこと洋上勤務に就いていましたが、これだけの海の荒れかたは、しかもこんな北方でとなると初めてです」

「なかなか素晴らしい幕開きだな」

「ええ、まったくです」

 上中村はあまり面白くなさそうな表情で頷いた。

 総員黎明配置の間にも、風はますます強まり、それに伴ってうねりはさらに大きくなっていった。奇妙なまでにのっぺりと晴れ渡った空の下、気温はなおも下がり続け、第一四護衛戦隊の各艦はびっしりと氷に覆われ、マストはさながら大鞍の樹氷のような趣を見せていた。付着した氷は艦容をわずかに太らせ、そのスマートさを損なっていたが、問題はそこではなかった。大量の氷は船の喫水線より上の部分の重量を増大させ、そのことは重心の位置が設計時に想定されていたものよりも上昇することを意味していた。むろん、設計時には大きな傾斜を受けても転覆しないようをもって重心がとられていたが、それでもこの荒天下での重心の位置の上昇は各艦の艦長にとって決して無視できることではなかった。さりとて、この荒天のなか乗員を氷の除去へ向かわせることはほとんど自殺行為となっており、彼ら艦長にできることと言えば艦首が不気味に波間に沈み、再び浮かび上がってくるのを艦橋から祈るように見つめることのみであった。

〈大瀬〉の右舷側で対潜警戒に当たっていた秋月にとって、黎明直配置はほとんど拷問に等しい状態であった。艤装から展開される力場をもってなお防ぎきれない、すさまじい寒気は防備がどうしても手薄になる足元から、半ば凍り付いた水しぶきや雪と共に這い上がってふくらはぎ、腿を容赦なく攻め立てている。さらに、灰緑色をした海はほとんど二〇〇メートルごとに波濤を盛り上がらせ、それらの頂上は例外なく真白く泡立っていた。駆逐艦や護衛艦がそこに突っ込むとほとんどまず真っ白な水しぶきが上がり、ついでのっそりと艦首が海面を描き分けて浮かび上がってきた。

 竣工時に行われた試運転で排水量およそ三〇〇〇トン級の艦に相当する航洋性を持つと判定された秋月の艤装も、さすがにこの海況では波にあらがいきれず、海面の上下に合わせて波濤を登ったり滑り降りたりを繰り返していた。そのために秋月は戦隊の航海速度よりいくらか速い速度で航海を続けている。また、艤装から海中に向けて展開され、秋月の体重と艤装の重みを支えている力場は波の頂上に来たとき、一瞬海面から飛び出して水しぶきを空中に跳ね上げた。霧のような飛沫は一瞬で凍りつき、そのまま無防備な秋月の顔面に襲い掛かった。その結果として、秋月の顎はすでに凍傷の症状を示し始めていた。もし艤装から展開されている力場がなければそれはもっと深刻なことになっていたであろう。

 さらに、黎明直配置が半ばを過ぎたころ〈大瀬〉の電探が接近する飛行目標を捉えた。前日の夕方、艦隊に接近した大型哨戒機タイプと同種の飛行機である。今度は出し惜しみはなかった。ただちに龍驤が〈越後〉艦尾のスロープを滑り降り、〈零式〉という名の艦上戦闘機を三機発艦させた。(訳注:零式艦上戦闘機の〈零式〉をペットネームと誤認したものと思われる)戦闘機が発艦してしばらく経ったあと、電探は深海棲艦の哨戒機が針路を変えたのを捉えた。さらにしばらく追尾させた後、五島は龍驤を引き揚げさせるつもりだった撃墜せずとも、追い払うことさえできれば十分目的を達することができるのだった。その間もうねりは相変わらず高まり続けていた。うねりは規則的に押し寄せるのではなく、突然向きを変えて思いがけない方向からも押し寄せては船体や力場に衝突しては夜明けの薄明かりの中に際立つ白さを浮かび上がらせる。龍驤はうねりの表面を上り下りしながら艦載機を遠隔操縦し続けていた。そして自らの操艦と遠隔操縦している艦載機の操縦、全く別な場所で行われる二つの行為に気を取られていた龍驤はうねりの頂上から飛び上がったとき、目の前で二つの波が衝突し、ひときわ巨大なうねりへと変化したことに気付くのが遅れた。そしてその遅れは、彼女がその変化に対し対応を行うわずかな時間的余裕を奪い去ることとなる。うねりの斜面に龍驤が着水したとき、その巨大なうねりは龍驤のすぐ眼前にまで迫り、ほとんど頭上から覆いかぶさるようにして彼女を飲みこもうとしていた。龍驤にはほとんど身構える程度の時間的余裕しか与えられなかった。下り坂での加速も相まって、驚くべき速度で龍驤が巨大なうねりに突っ込んだときに生じたしぶきでさえ、その頂上で泡立つしぶきと比べればまるでちっぽけな、おもちゃのようなものとしかならず、たちまちのうちにうねりの中にかき消されてしまった。

 どれだけの間、そうやって龍驤が波の下に沈んでいたか、後になってその正確な時間を思い出せたものは誰もいなかった。見張り員の叫びを聞きつけた由良と五島がかたずをのんで見守る中、動物が誤って口にしてしまった毒が吐きだされるように突然龍驤は波の下から姿を現した。誰も彼女が波の下から現れる瞬間を目撃していなかった。ただ、突然、初めからそこにいたかのようにぽっかりと海の上に龍驤は再び海の上に立っていた。頭のてっぺんからつま先までずぶ濡れになり、音を立てて凍りつき始めている彼女の全身と紙屑のように捻じれた艤装の飛行甲板のみがわずかにその名残を残していた。

 五島が発信させた気遣わしげな信号に対し、龍驤はまるで何でもないように〈ゴ心配ニ感謝ス、我濡レ鼠トナルモ凍傷ノ外ハ問題ハナシ。 新式ノ折畳式飛行甲板ハ独特ナ艦容ヲ為シ、コレモマタナカナカ「オツ」ニシテ 変化ニ乏シキ在来型飛行甲板トノ換装モ母艦デ可能ナレバ新式装備トシテノ採用モ考慮サレタシ〉と返信したのを信号員が告げると五島は苦々しい表情を浮かべ、最後に〈シカシ艦載機ノ発着ニハ聊カノ不便無シトセズ〉と締めくくるに至って五島は癇癪玉を破裂させたが、その信号が発信される直前にそれを改め、ただ母艦に帰投して修理を受けるよう返答するだけに留めた。〈越後〉には小規模な損傷のみであれば修理できる施設があったから、龍驤の飛行甲板の損傷はそれで対処できるはずであった。龍驤から発艦した三機は放棄され、哨戒機を追い払った後船団から遠く離れた空でコントロールを切られて大きくうねる海へと零式は飲み込まれた。

 天候はさらに悪化し、これ以降は艦娘の収容作業が危険になると五島と由良は判断した。その結果、艦娘の黎明海上配置は通常より一〇分早く切り上げられて終了した。また、五島は当面の間、海が穏やかになるまで艦娘は出撃させないことを決めた。

 

 

 さらに四時間が経過した。気温はなおも低下し、天候は悪化の一途をたどっていた。波はなおも激しく、そして高まりつづけていた。夕立は深雪と共に上甲板に上がり、上部構造物の風下側艦尾寄りで、一一センチ連装砲塔の陰に隠れて時折降りかかってくる波しぶきをよけながら海を眺めていた。空は黒々と青く、その下で白い波しぶきを上げつつ進む軍艦は一幅の絵画のごとき美しさを見せると同時に、どこか恐ろしい光景であった。波は海の表面が動いているというよりも、海そのものがのたうっているようなさまで、〈大瀬〉の周囲を行く駆逐艦や護衛艦たちは完全に翻弄され、絶え間なくピッチングを繰り返しながらなんとか陣形を保っている有様である。〈大瀬〉艦上から見たとき、かろうじてマストの先端を残して波頭の向こうにその姿が消えることもしばしばであった。そうでないときも、ピッチングのたびに艦首は水中に水しぶきを上げて突っ込み、しばらくその姿を消した後に水中から飛び出しありとあらゆる突起から水煙をたなびかせて空中へと踊りあがっては艦底を海面に叩き付けていた。そのたびに、軍艦そのものが太鼓と化したかのようにくぐもった轟音が響き渡る。

「こんなのは、白澤ではならわかったねぇ」

 不意打ちのように襲い掛かってくる水しぶきを、二十四ミリ機関砲砲座の支柱にしがみついてやり過ごしながら夕立はつぶやいた。彼女には珍しいことに、畏怖の表情が浮かんでいた。

「そりゃあ、艦娘訓練所だからなぁ。船乗りを育てる場所じゃないもの」

 いっぽう深雪は、平然とした表情でそう答えた。それから、目を細めて空を見上げる。

「今日の出番はないな。こういう荒天はむしろ船乗りの領分さ」

「そうね。こんな状況じゃあまり海には出たくないわね……」

 夕立の弱気な言葉に、深雪はちらりと夕立の顔を見た。深雪の知っている限り、夕立にとって恐れしらずは天性、大胆不敵は信条のはずである。コートと帽子の隙間から見える夕立の表情はいつもと変わらなかったが、その眼にはわずかに不安げな色があった。

「だいじょーぶだいじょーぶ、心配することは何もないさ。上中村、枕崎両先生がついているんだ。何も起こりようがないさ」深雪は夕立の顔から眼をそらすと、気楽そうな口調でそう言った。

「二人とも、俺たちの人生と同じくらい船乗りをやっているんだ。枕崎大尉は特にすごい、あの人は帆船と熱水船両方の免状を持っていて、戦前は不定期貨物船の一等航海士をやっていた。しかも篠原廻船(訳注:王国最大手の船会社で、行き届いた船員教育で知られていた)から船長からならないかという誘いまできてたって噂だ。まさしく当世少ない優れた船乗りというやつだ。航海してきた距離を全部足したら、この星を何周もできるくらいの長さになるはずだよ」

 それを聞いて、夕立は深雪の顔を覗き込んだ。いたずらっぽく目が笑っている。

「へぇ、英雄崇拝の趣味があるとは思わなかったわ」

「別にそういうわけじゃないさ」深雪は笑いながらそう答えると、急に真面目な口調になって付け足した。

「ただ、あの人たちは決してあきらめないだろう、ってことだよ。こういう時に、そんな人たちの指揮する船に乗っていることは喜ぶべきことだ。さっ、そろそろ下へ降りよう」

 

 

「失礼します」

 秋月が一礼してから由良の私室に入ると、由良はちょうど寝台から体を起こすところだった。由良はすっかり赤く染まってしまったタオルを寝台の端に引っかけると、そのまま寝台に腰掛ける。

「寝てらっしゃったのですか」

 少し驚いた様子の秋月に、由良は椅子を勧めながら軽く頷いた。

「それは失礼しました。灯りが点いていたのでてっきり起きているのかと」

「寝付けていなかったから大丈夫。気にしないで」

 そう応えながら由良はさりげなくタオルを秋月から見えないよう自分の後ろへ移す。秋月はちらりと由良の私室の中を見やった。もともと簡素な部屋だったが、荒天への備えか机の上に飾られていた私物も片づけられますます質素な部屋になっていた。

「それで、何かあったの?」

 由良の問いかけに、秋月は「司令官閣下からの伝言です」と言ってメモをポケットから引っ張り出した。

「まず、本艦は単艦で南下中、本日二三〇〇頃に船団と合流予定です。また、本艦を除く第一四護衛戦隊の全艦艇はキス島沖で仮泊中、明朝に再度合流予定、以上です」

 秋月の言葉に、由良は軽く頷く。「それと、当面は艦娘の出番はないのでゆっくり休んでいなさい、とのことです」秋月はそう付け足した。

「ありがとう」

由良はそう言うと、急に激しくせき込んだ。片手で口元を抑えながら、もう一方の手でタオルを引っ張り出す。

「ありがたく休ませてもらうわ」咳が収まると由良は微笑んだ。

「それでは失礼します」

 秋月は微笑んでそう言って腰を上げた。ピッチングの揺れでひっくり返らないように壁に手をついてバランスをとりながら扉の所まで歩いて行くと、まだ寝台に腰かけたままの由良を振り返った。

「おやすみなさい。それでは、また夕方」

 そう言って秋月は由良の部屋の扉を閉めた。

 

 

 秋月が士官室に入ると、隅のソファーで鹿島がうとうとしていた。秋月が入ってきたのに気づくと目が覚めたらしく、座り直して秋月を見上げた。士官室には他に誰もいなかった。

誰かがかけっぱなしにしていたレコードが弦楽器の堂々たる響きを船体の軋みと唱和させていた。「サブロクの嘆き」―艦娘にとっては、作戦行動中の軍艦ではあまり聞きたい曲ではないな。秋月はぼんやりと考えた。艦娘にとって、「運命の軛」と密接に結び付いたサブロク栄光と破滅の物語はあまりに生々しすぎた。

「ああ、安息よ、安息よ、われしらずそれを得ていようとも。されど我等は漕ぎ出す、深淵の先へ、暁の水平線へ」秋月は小声でその曲につけられている詩を呟く。生々しい内容であるはずだったが、うたわれる情景は今の状況にまったく似つかわしくなかった。安息など、ここにあろうはずもない。鹿島も流れている曲の名前に気づいたらしく、顔をわずかにしかめながらレコードの回転を停止させた。

「ひどい揺れですね」

 一見、陸上にいるときと変わらない様子で鹿島は秋月に話しかけた。もちろん、鹿島も船の由良に振り回されないようソファーの上で踏ん張っている。おそらく、居住区に戻ってもどうしようもないのだろうな、と秋月は想像した。軍艦の様々な備品は荒天に備えて固定されているが、残念ながら人間の吐瀉物とそれを収めるバケツは固定されていないのだ。

「輸送船団の方は相当平穏だそうです」

 鹿島の質問に、秋月はそう答えて向かい側のソファーに腰を下ろした。レコードが止まると、船体の構造材が波による非常に大きな応力を受けてビーン、ビーンと大琴の弦のように鳴っている音がやけに耳についた。

「同じ海だとは思えませんね」

 鹿島がそう言ってため息をつくと、秋月も小さく頷いた。

 秋月の頭に一瞬、赤茶でも頼もうかという考えが浮かんだが、調理室の方から食器が割れる音と、調理兵の悪態が聞こえてくるのに気が付くとたちまちその考えは打ち消された。あの様子では、今晩以降はティーカップで赤茶を飲むという贅沢はもうかなわないだろう。ティーポットから直接赤茶を飲む自分の姿を想像して秋月は笑みを浮かべたい気持ちになった。仮に実家でそのようなことをしようとしたら両親からひどく叱られるに違いなかった。彼女の実家は没落こそしていても、子供の勉学にかかる金と教養を身につけさせる手間を惜しむような見識だけは持ち合わせていなかった。没落こそしていないものの、鹿島の実家もそれは同様だった。

「旗艦を、夕方にランデブーする戦隊の艦に移乗させて本土で治療を受けられるようにはできないのでしょうか」

 しばらく黙り込んでいた鹿島が、うつむいたまま呟くように秋月に問いかけた。

「あの人は任務を放り出すことを良しとする人ではないですよ。たぶん、最後の一隻になっても任務を続行するでしょう」そう答えながら、秋月はひりひりする頬を無意識のうちにさすっていた。それに気づいて、秋月は両手をコートのポケットの中に入れる。

「それに……おそらくもう、手遅れでしょう」

 

 

二三〇〇、〈大瀬〉は輸送船団MP五四と合流した。

 

 




護衛すべき船団とようやく合流。そう、ようやくこれからが護衛任務の始まりです。
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