麻帆良で生きた人   作:ARUM

125 / 146
第百十五話

 

 

 

「誰だっていいんじゃないかしら。貴女の知りたいことはセイの目的であって私の正体では無いはずよ?」

「いいや、違うな。このタイミングだ、貴様、相当“深く”まで知っているな?」

「……ふふ、そうね。確かに私は誰よりも。それこそセイと同じかそれ以上に多くのことを知っているわ」

「でも、私が言うことはそんなに無いわよ?」

「なんだと……?」

 

エヴァを挟んで、その向こう側。変わらぬ彼女の姿がある。

表情や立ち振る舞い、顔に手を添える些細な仕草、エヴァの魔力に煽られて揺らぐ髪、全てが変わらぬままにある。

 

ただ一点、二十年前と比べてより濃く、より広がった、くすみのような灰色の浸食を除いて――

 

「貴女の言ったことが概ね正解だから。まほら奪還も嘘ではないけれど、先の目的がある。そしてそれが大規模術式だというのも合ってるし、一般人の目を……というのもその通りね。だから、私が答えるべきこともそう多くはない。……違う?」

「貴様が誰かということには答えていないぞ。それと、肝心な部分にも」

「ええ、そうね。……だから、順を追って教えてあげるわ。別に気にしないでね? 貴女は私のお気に入りの一人なの。一応魔法使いだから、干渉はしてこなかったけど」

「……初見のはずだが?」

「貴女からすればね」

 

 世界樹の精霊、春香。彼女が微笑んだだけで、凍てついたこの場が華やいだ気がするのは気のせいでは無い。事実、冷気の放出はそのままだが急降下していた気温が幾らかましになり、降りていた霜も消えつつある。そのことにエヴァは気付いているのか……

 

「さて、答え合わせね。まず、セイの言っていた相手は、この場合は私のことよ。私もあの会話を聞いていたけど、あれじゃ駄目よね。もう少し言い方があったんじゃないかとも思うわ」

「あれを、聞いていただと?」

 

 春香の言葉に、エヴァの表情に変化が生まれる。浮かんだのは、不審。もとから警戒していたそれが、より濃くなったとも言えるが……私に言わせてもらえるならば、春香が今言った内容だって、何もここで言わずとも良いことだと思うんですがね。

 

「それで、結局貴様は何なんだ?」

「さて、何かしらね? 少なくとも人ではないけれど、何だと思う?」

 

 軽い口調にピクリ、とエヴァの眉が反応する。

 

「大規模な術式を起こそうとしている、というのには間違いないのだったな」

「ええ、そうよ」

「では、そうまでして何をしたい?」

「さぁ、何かしらね? 貴女は一体何だと思う? 不死の吸血鬼さん、六百年近く生きた知識で推測しきれるかしら……ああ、わからないから訊いていたんだったわね」

 

「……貴様、答える気があるのか?」

 

 絶対零度、蒼く輝く断罪の剣。その切っ先が春香に向けられる。その延長線上にあるのは胸の中央、心臓。高周波のように高い音を出し続けながら、揺らぐことのない刃。エヴァなら、距離を詰めてそれを突き立てることなどたやすいのだろう。

しかし、春香はその刃を見ても、なんら恐怖の色は浮かばない。警戒の色も同様で、ただ珍しい物を見るような、芸術品や工芸品の類にしか思っていないのかもしれない。

そしてその理由は私のような結界や、エヴァのような不死性からくる超回復を持っている、というわけではないのだが……単に、脅威と感じる尺度が違うというのもあるのかもしれません。

 とにかく、一応いつでも術式を飛ばせるようには準備しておく。が、エヴァの動きは一度止まり、断罪の剣がゆっくりと下された。

 

「……む」

「なぁに?」

「今気付いたが……その姿、実体では無いな? 本体は別か」

「そうよ。でも、気付かないものね。貴女の言う本体、こんなにも“すぐ傍”にあると言うのに」

「何? ……オイ、まさか――!!」

 

 昨日までと比べて劇的に伸びたエヴァの背を更に越え、春香の視線の先にある物。それは私の背後にそびえる、当然エヴァも良く知っているはずの物。

 

「やっと私の正体がわかったかしら? そうね、正解代わりに、やっぱり核心についても教えてあげる。意地悪してごめんなさいね?」

「春香、それは……」

「いいのよ、セイ。どうせ言ったところで止まらないわ。止めようがないもの。まほらは取り戻すわ。そのことに嘘は無い。でも街と今の住人はいらない。それに――」

 

 春香はさらに、言葉を紡ぐ。

 

 セイですら、数えるほどしか口にすることは無かった、爆弾を。

 

 

 

  ◆

 

 

 ――麻帆良学園都市の方々で事態は加速しつつあった。

 麻帆良大橋ではさよと高畑の戦いに呼応するかのようにして、学園側の魔法使いの中でもダメージの軽い者から動き出していたし、対岸でも精神的ショックからある程度復活した、もしくは開発班の人員が端末と工具片手、それと一抱えはあるケーブルを引きずってに次の準備のためにかけずり回っていた。

 同じような動きは方々でも起きていて、どこでも共通しているのは陣営、職種の違いに関わらず変化を重ねながら、決して止まることなく――動き続けていることだ。

 

「――足を止めるなよ! 今度ばかりは落伍者に人をやる余裕が無い!!」

「わかってますよ!」

「何せ総力戦ですからね! 暇人なんていやしない!」

 

 図書館島地下。明かりも備え付けの物がまばらになり、人の手が入らなくなって随分と経つことを窺わせる下層と、もはや人が造ったかどうかも定かでなくなる古代遺跡の最下層との中間点付近。

木々に埋もれるようにしてそびえる、見上げるような両開きの大扉の前に、数十に上る人影があった。

紫紺の忍装束を纏った、神里忍軍だ。

延々広がる広大な空間は図書館と銘こそ打たれているものの、その本質はそんな生易しい物では無い。下へ下へと降りていけば降りていくほど、それに比例してその有り様が現実離れしていくのだ。

低層でさえもあり得ない量の書架が理路整然と延々と列ぶエリアと宇宙戦艦もかくやというような近未来じみたが空間が入り交じっているし、そこから下は常識とは何かを試されるような空間が続く。

書架の柱に支えられた天井、不規則な段差を持つ床と壁の配置、地下であるにも関わらず天井へと伸びていく木々。地下であるにも関わらずなぜか地表と変わらぬ植生を保つ常緑樹。表層を過ぎればもはや完全なダンジョン、魔境だ。書架の天板そのものの通路。一歩脇へと足を踏み外せばそのまま底があるかどうかもわからない奈落へ落ちていく。砂地の上に地底湖よろしく水が溜まり、忘れられたようにまばらに突き経つ細い書架。こちらにいたってはもはやまともな道すらない。これがダンジョンで無くて何なのか。

おまけにほぼ全ての階層にそれに応じた極悪トラップが仕掛けられているのだ。泣きたくもなる。当然建築資料などは存在しない。当時の資料は散逸したということになっているが、そもそもあったかどうかさえ怪しいのがこの図書館島地下一帯なのだ。これでまともなのが地表部分だけかと言われれば、そこすらも中層の浅い所までぶち抜きの滝が流れ落ちる北端大絶壁と呼ばれる代物が存在する。

そしておまけに、この北端大絶壁。一面が書架で蔵書も実際に収められているというのだから冗談では無い。

 しかしそんな便利な道(ショートカット)があったからこそ、彼ら神里の忍達の侵入もある程度楽になったということについては、彼らの先頭を行く荻原鈎介も渋々と言うか、嫌々というか、どこか釈然としないものを抱えつつも認めなくてはいけなかった。

 

 元々、この図書館島地下の受け持ちは神里忍軍だけでなく他の幹部級、七守衣子などの投入も計画の草案段階においては存在した。

しかし、今この時、図書館島地下の作戦には幹部は誰も参加していない。図書館島というダンジョンを踏破するには不向きと判断されたからだ。

出来なくは無い。だが、絶対数と、何よりも速さが足りない。此処で言う速度は戦闘時の瞬間的なトップスピードでは無く、必要なのは移動力。短距離転移符を連続使用するという手も無くは無いが、実現しようとすると幾ら出し惜しみをしないと言っても余りにも無駄が出る。

だからこそ、効率と成功確立の両方を踏まえた上で、その踏破能力を買われて空里の部下、つまり荻原達にこの任がまかされたのだ。

 

 そして実際に最前線で空里に変わって指揮を取る荻原の責任は重い。荻原自身を含めて、百三名の精鋭。成功如何はもはや大前提であり、その双肩にかかるのは部下がどれだけ生きるか死ぬか。全てが荻原の指示一つ。

 任された任務は単なる陽動と囮ではない。全体から見ても決して軽くない、重要な一つのファクターでもあるのだ。完了したのは上層の制圧は完了していて、割り当てられた任務の完遂度で言えば三分の一。ただし重要度から見れば一番低いものしか完了していない。まだまだ気を抜くわけにはいかないのだ。

 

 的確な指示の為に、努めて冷静であろうとする荻原。部下との報告も、直近にいる者以外とは念話で行いつつ、より深い所へと潜っていく。

 

『七班より副長。発破完了、上層の水没による完全閉鎖を確認』

『六班より副長。同じく中層隔壁ロック確認。及び回線の物理遮断と復旧妨害措置完了』

『了解。……五班、報告』

『五班より副長。下層の脱出ルート確保が難航してます。予定していた大回廊の連絡橋の上に重装騎士が三十人ほど陣取ってます。道中で遭遇した何人かを片付けましたが、その分警戒されてます。始末は可能ですが、増援が来られると橋の上では確保し続けるのは困難かと』

 

 報告に、荻原はしばし思案し、そして。

 

『……六班は五班に合流。五班は六班の合流を待って回廊入り口をを封鎖。騎士の流入を防げれば良い』

『了解』

『了解』

「――さて、急がなければ」

 

 目の前にそびえる大扉。この先にいる者を一定時間押しとどめるのが、残りの内の半分。

 上手くいくかはわからないが、やるしかない。

 

「佐藤」

「はいはい」

「田宮」

「完了してます。いつでもどうぞ」

 

「やれ」

 

「「……発破ァ!!」」

 

 

 

 図書館島と、『司書長』アルビレオ・イマの居住区画を遮る大扉。

 

 それに仕掛けられた爆薬が起動したのは、丁度地上でエヴァが己の耳を疑っているのと同じ頃だった。

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。