麻帆良で生きた人   作:ARUM

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第百十七話

 

「さて、それじゃあそろそろいい頃合いですかね。中々楽しい会話でしたよ、エヴァンジェリン」

「うふふ、私も久しぶりのおしゃべりは楽しかったわ。ありがとうね、エヴァンジェリンちゃん」

「さぁ、少しばかり会話に花を咲かせて時間を喰ったような気もしますが……始めましょうか、春香」

「そうね、セイ。私はもう少し話してもいいけれど……終わってからでもいいわね。それじゃ、お願いするわ」

 

 エヴァを挟んで向かいにいた春香の姿が、前触れも無く霧のように薄らいで消えた。

 一瞬の間を置いて、今度は直ぐ側に、手を伸ばせば、それだけで触れられる位置に。

 しかし、まだそれはいけない。

 もう少し。あと少しだけ。

 

「待て、最後の言葉はどういうことだ。流石に看過する訳にはいかんぞ」

 

 エヴァンジェリンの表情は一周回って逆に冷静になったのか、素だ。こちらを圧する威もなければ、先ほどまでの驚愕も無い。

 答えなければ、すぐにでも切っ先が迫ってくるのだろう。

 

「……人ってのは、難儀な物でしてね」

 

 エヴァの足下からは霜は既に消え去った。

 しかし、最初に出した断罪ノ剣は今も健在であり、言うまでも無く油断などできない。

 言外に切り捨て、事を始めるのは簡単だ。ここで事を構えることになるが、そんなことは今更だ。どうにでもなる。

けれど、エヴァは良くも悪くも“同類”なのだ。

 

「……人から離れてしまえば、多くを失います。人であったからこそ享受しえた多くの事が、手の届かない所へ行ってしまう。

しかし、それと同時に得る物もある。望んで変質してまでも願い渇望した力が得られないことがある。望まずとも変容せざるを得ない中で不意に力を得ることもある。貴女もそうだったでしょう?」

「ああ、そうだな」

 

 エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。闇の福音の字を冠する真祖の吸血鬼。彼女のが初めて裏の歴史に登場するのは、六百年前のこと。

 

 その間には、“闇の福音”となるまでの課程があったはずなのだ。

 

 私にとってのそれは、あの日のまほらから始まった。

 

 あの日、里を燃やす火によって照らされていた世界樹。

眠る間に、大きく有り様を変えていった世界。

それでいて、何も本質は変わらぬ世界。

力を求めた、狭間の先の別世界。

何度かの大戦(おおいくさ)を越えて、今に至った。

 

 今なお終わることはなく。しかし今終わろうとしている。

 

「ですけどね、人に近づくこともまた、同じように多くを失うんですよ。人でなければできたことができなくなり、人でなければできたのにと、そう後悔する日がくるかもしれない。

あの日、あの時、自分に、あるいは誰かに力があれば、きっとああすることができた、もっと良い方向に物事を進められた。考え始めればきりがない」

 

 それまでは引きずっていた尾を、全て地面に突き立てる。

 石畳をわざわざ避ける必要などない。たたき割り、地中深くへと。根のようにより先へと伸ばしていく。

 同じように、角もまた枝葉のように広がっていく。しかしこちらは先端から形を失い、肩幅より先は燐光となって溶けてゆく。

 

 ――そろそろ、本当に始めるとしましょう。

 

「貴女は既に、貴女の中で一度全てを終わらせた。自分自身の決着を、次へ進むための何かを成した」

「いかにも」

「しかし私の中ではまだ終わっていない。私自身のことはまだ何一つ終わっていない。だからこそ、私は今ここにこうしているわけですよ」

「……いい加減、質問に答えろ。これで最後だ」

 

 断罪ノ剣が、私に向けられる。正中線のど真ん中、抵抗しなければ、寸分違わず私を突き貫くことでしょう。

 そして、その次にその刃が向かうのは、当然、春香。

 

「――奪われたのは私です。しかし、奪われ続けたのは私ではない」

 

 ――そんなこと、させるものか。

 

「奪われ続けたのは、春香です。樹という性質故に逃げること叶わず、力を染みこませ、伝播させることで惠をもたらす地脈の楔という役目故に人に自ら抗うことも叶わず、結界の核に据えられた。

側に長くいた私を含めた多くは戦火に消え、眷属たる樹々は切り倒された。森が消え、人が消え……最後には何が残った!?」

 

 一瞬、衝撃波のように霊力が走る。

 エヴァンジェリンは片眉を動かしただけだが、周囲の広い範囲にヒビが放射状に広がり、窓硝子などが砕け散った。

 

「……何重ものサイクルの中で完結していたはずの自然。それを壊さぬよう寄り添って廻っていく世界などもはやあり得ない。そもそも、そんなものはとうの昔から存在していなかった。見えないが故に気づけない、表の不自然さを取り繕った歪を内包した世界が、表層の、目に見えるすぐ側にあったのに誰も気づいていないだけなんですよ」

「…………」

 

 黙って、エヴァは私の話を聞いている。剣先は向けられたままだが、動く気配は無い。

 

「私と春香がかつて望んだ未来も、今のままでは叶わない。多くは望みませんとも。この地に春香がいて、さよさんがいて、皆がいればそれで良かった。

しかし、その最大の障害となるのは、麻帆良学園という魔法使いの集団で無ければ、近右衛門や貴女のようなな単機の戦力でも無く、春香が世界樹の具現であるという、その一点それが在る限り、必ず問題が付き纏う。

わかりますか?エヴァンジェリン。春香を覆う灰色、これは世界樹がこの十数年で一身に受けた負荷と歪みの反映なのですよ?」

「つまり?」

「――もはや世界樹という楔は必要無い。そのために、春香という“意志”を世界樹から切り離します。結果、世界樹が朽ちるとしても。

世界樹の具現などではない。確固たる、ただ春香としての春香を手に入れるために私は全てを天秤に乗せて春香を取ります」

 

そのために、私は彼女を人の身に堕とします。彼女を手に入れるためだけに、彼女を神の座から引きずり下ろし矮小な存在に貶めることになったとしても。

あるべき摂理を、世界のバランスを崩してでも、彼女が隣にいられるように。

 

私が望み、そして彼女が望んだ故に。

 

「どうするつもりだ。世界樹が失われれば、世界規模での影響が出るぞ?」

「あくまでこの麻帆良に“軸”があれば良いんですよ。見えますか? 私が用意したあの柱は、そういった使い方もできます」

「じじいやタカミチ達は? あいつらは絶対に諦めんぞ。それに、私もまだこうして健在なわけだが」

「私だって全ての札を切ったわけでも、全ての駒を取られたわけでも無いんです。まぁ私自身はヘタをすればここで退場ですが……私が居らずとも、期待したとおりの働きをしてくれるはずです」

「この闇の福音をどうにかできると?」

「できますとも。それだけの人材を、力を私は集めたつもりです」

 

「そこまでするに見合うだけのリソースがあるか?」

 

「もちろん。価値観なんてものは人による、なんてことは痛いほど知ってるでしょうに。

私にとって、全ては今のこのために、です」

 

「……そう、か。それで色恋か」

 

「ええ、そうです。敢えて言うなら、愛故に」

 

 言い切って、エヴァに両手を見せる。術式を放つためではない。

 袖口に隠していた両手。そこにはヒビが入り、中身はもはや空洞だ。感覚はあるが、中身は無い。割れた風船が伸縮することなく、そのままの形状を維持しているような感じだろうか。

 そして、ヒビは全身に広がっていく。

 今より私も又、一度身体を失う。

 新たな春香の身体の構成と、春香の魂を世界樹から切り離し、別の物にするために、枷となるからだ。

 

……駄目ですね。やはり話しすぎてしまった。

 

「……いい加減、お別れですか。良い頃合いのようです」

 

 視線を、右に向ける。

 

 まだ、彼女はそこにいる。

 

 そして、きっとこのあとも、その先も。

 

 

 

 

 

 

「――さようなら、エヴァンジェリン」

 

 

 

 

 

 

 










ここで一旦終わらせるか、もそっと続けるか。

一旦終わらせる場合は色々もやっとするので、もそっと続けた場合やる予定だった各々の戦いをできる範囲で補完する模様。

ちなみにそうなったら次回のサブタイトルがエピローグになってると思います。

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