麻帆良で生きた人   作:ARUM

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第百二十三話

 

 

「橋が――」

 

 

 

 橋が、ない――

 

 

 

瀬流彦の背後から聞こえた言葉。誰か言ったかはわからない。

 

どこか聞き覚えがある声だったから、きっと本国派遣の人員ではなく、瀬流彦と同じ麻帆良の魔法先生のだれかだろう。

 

 だが、その言葉以上に現状を明確に表す言葉を咄嗟に思いつくことは、瀬流彦には出来なかった。

 

 タカミチと敵勢力の先頭で、半ばどころかほとんどが崩壊していて、全体が崩れ落ちるのもそう遠く無いといった状況だった、麻帆良大橋。

 

 それが、もはや跡形もないのだ。

 

 文字通り、橋桁すら残さず、端から端まで一撃で根こそぎにされたのだ。

 

 湖ということもあり、普段はそう波が立つこともない湖の湖面が話に聞く鳴門の大渦のごとく大きくうねり飛沫が風に乗って湖面からは距離のあるここまで届いている。

 

 それを成したのは、古代魔法もかくやと言うような黒い衝撃波。少なくとも、先ほどまで目にしていた高畑の奥義や、魔法世界の巡洋艦を沈めるという術式よりも広範囲に被害を出し、威力も大きかったように思えた。そうでなければ、橋などと言う近代建築物が根こそぎにされるなどありえない。

そもそも橋が根こそぎになること自体がそうそうありえないのだが、高畑や学園長、オスティア総督などという大戦の英雄クラスが揃っているあたり、ありえないと言えないのが怖いところ。無論瀬流彦では橋桁一つ吹き飛ばせるかどうかは難しい、というか無理だろう。

 

 問題は頼りの高畑が敗れ、そしてそれをやった敵諸共橋と共に吹き飛んだことだ。

 気を失い縛り上げられていた高畑の安否も気になるが、橋を吹き飛ばしたのが敵か味方か、そちらの方が問題だ。

 

 クリスを先頭にした、アリアドネー式の陣形魔法。その効果は確かで、敵の術式を確かに防ぐことが出来た。しかし、橋を吹き飛ばすような攻撃は、防ぎきれるとは思えない。まだ戦列に復帰できていない魔法使いを加えても、相手の威力を考えると難しいだろう。

 

 心なしか、全身鎧に身を包み表情の見えないクリスの背中から、焦りのようなものを感じるような気がしないでもない。

 

 敵か、味方か――

 

 水煙が晴れていくとともに、波も緩やかに引いていく。

 

 飛沫も収まり、水面は穏やかさを取り戻し静謐に近づいていく。

 

 だが、ふたたび、湖面に波が立つ。

 

 不規則に荒れ狂うようなものではなく、規則的に、ある一点から円を描く波紋が何重にも連なって、再び飛沫を巻き上げる。

 

 丁度“こちら”と“あちら”の間のあたりに位置する、波紋の中央。そこに立つ人物の姿を見て、瀬流彦は。否、瀬流彦だけでなく、元々からの麻帆良学園の関係者は絶句することになる。

 

 距離があるのと、飛沫で霞み見えづらいのとがあるが、見間違えるはずはない。

 

 

 

 何せ、相手は同僚だ。

 

 

 

 いつもと変わらぬ、パンツスカート。

 

 シャープな印象を受ける細いフレームの眼鏡に、腰まで伸びた金の髪。

 

 左手に持つ、見覚えのある白木の柄の刀。

 

 右手に握る、見知らぬ黒一色の刀。

 

 

 

「葛葉、先生……」

 

 

 

 言ったのは瀬流彦か。それとも、同僚の誰かだったか。

 

 

 

  ◆

 

 

 

所変わって、麻帆良市街地の商業区画と世界樹広場との境目。

 

麻帆良大橋と並ぶ、もう一つの防衛線と定められていたこの場所は、不思議な静寂に包まれていた。

 

 誰も、いないのだ。

 

 麻帆良側の魔法先生や魔法使い、クルトの重騎士隊も。

 

そして、移動しながら戦いを続けていた空里と近右衛門。それに加えて、空里を移動しながら狙っていた龍宮マナまでも。誰一人として、その姿は無い。

 

そしてその答えは、路地裏を歩く一人の男と二人の少女の手の中にあった。

 

少女の内の一人は、京都から派遣された一葉である。既に狐の耳としっぽは解放済みで、どちらも時折ぴこぴこと揺れている。右手にはトランクケースを抱えており、服装はいつぞやの時と同じ官憲のような黒い詰襟と短いマント。

無駄になってしまいはしたが、もし作戦がずれた場合にコスプレと言って姿をくらます際に一役買うはずだったのだ。

 

 片方が一葉となれば、もう一方の少女は当然というか月詠だ。

こちらは以前とはまた違うゴスロリ調で、スカートもフリルこそ変わらずふんだんに使われているものの丈は短く動きを阻害するものではないし、色調も人ごみの中でも存在感を発揮するような派手な物ではなく淡い色合いのものだ。

腰にはで左右一本ずつ刀久里から渡された小太刀の『初春』と『初空』が吊るされている。他に、目立つような荷物は無い。

 

最期の一人である男は老齢で、洋風の街並みである麻帆良とは不釣り合いな紺の作務衣姿をしていた。

その手の上にはちょうど片手の手のひらに収まる程度の透明な球があり、老人はその中を覗き込んでいた。だが、すぐに見るのをやめると、球を一葉に手渡した。

受け取った一葉は、一旦トランクケースを地面に置きダイヤル式のロックを外して、蓋を開く。中身はたった今手渡されたのと同じ丸い球で、それが五つ。その中に一か所、球がちょうど収まりそうなスペースとくぼみが残されており、男はためらうことなく球をしまうと、トランクケースを元のようにロックをかけて閉めなおした。

 

「……善一郎様、完了しました」

 

「わかっている。この目でしかと確認した」

 

 老齢の男の名は古郷善一郎。

 

関東の初期からの幹部の一人で、高齢であるため半ば引退しかけている。彼は二人と共につい先ほど、二式大艇が飛来して少しした頃を見計らって他とは別口で麻帆良に潜入していた。

 

「ふむ。少し遅くなったが、これから麻帆良を離脱する。気を付けてくれ、“それ”に何かあったらせっかくの仕掛けが“おじゃん”だ」

 

「はっ、はい」

 

「ふふん?」

 

 一葉が少しどもったのを見て、古郷は皺だらけになった顔に笑みを浮かべた。

 鉄火場に潜入するとあって、古郷は誰を連れていくべきかの人選で苦慮した。もともと術具使いである古郷は直接的な戦闘には向かない。

当然、部下の傾向もよく似ていて、分類的には術具を造る術具師や設置を担当する罠師、他には特殊な術具や結界設備の整備などをが行う人員が多い。

 そこで、京都での功もあり、実戦も経験済み。ある程度の実力もみこめるということで、二人を連れてきたわけだが、一葉の方にはやはり緊張が見て取れた。

 

「安心しなさい。少なくともきちんと機能している事は確認済みだ」

 

「は。あ、いえ、しかし」

 

「……まぁ、無理か。何せその中には、近衛の妖怪じじいを筆頭に数百人からの魔法使いがいるんだからな」

 

 古郷と二人が回収した球。その正体はダイオラマ魔法球。

 ただしいささか古郷によって特殊な術が施されており、自由に出入りすることはできなくなっている。

ようは、特殊な術式を用いて六つのダイオラマ魔法球で囲んだおおよそ“半径百メートル以内の人間を、ダイオラマ魔法球の中に強制的に引き摺りこんだのだ。無論、空里ごと。

 先に言った通り簡単には出れないし、六つある魔法球は独立しており、どこに振り分けられるかは運次第。相互の移動も味方である空里以外はできない。

脱出しようとしても中には空里がいて邪魔をしてくるし、術式もセイが組み、古郷が運用しているのだから十分以上の堅さを誇る。

 

結果は上々、近右衛門他魔法使いの多くを閉じ込められたわけだ。

 

 まぁ、当然トランクを奪われ中身を破壊されれば、中に閉じ込められている人間が出てくるわけで、そう言った意味では緊張するのもわからないではないのだが。

 

「はえ~、上手くいくもんなんですなー」

 

「いやまったく。私としては何よりだ」

 

 

 

 対照的な表情をする二人を、古郷は肩越しに少しの間眺めていた。

 

 

 

 







 たぶんあと十話以内に終われる、はず……

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