麻帆良で生きた人   作:ARUM

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第百二十四話

 

 

「……被害状況は。報告どうした」

 

「報告も何も……」

 

 麻帆良湖畔。関東呪術協会は開発班の陣地では、希望の見え始めた学園側の陣地とは違い、静かな絶望が顔を覗かせ始めていた。

 

 彼らにも水の飛沫は届いていた。眼鏡や端末の画面に水滴が付くのにもかまわず、視線を一方向に集中させていた。

 

 警報が鳴ろうが銃声が聞こえようが止まることは無かった手は、止まってしまっていた。

 

「……目の前のが、全部じゃないっすかね」

 

 開発班の人員からすれば、専門では無いとは言え橋などというものがどういった構造物で、それを根こそぎにするにはどれだけの破壊力が必要か、などといったことが大まかにはわかる。わかるからこそ、目の前の光景は同じ物を見た魔法使い立ち寄りも衝撃的なものに映った。

 

 『魔法使いは常識から外れている』、という言葉が魔法使い以外での裏の世界では時折使われる。

 これは魔法使いが裏特有の物とはやや異なる独自の倫理観を持ち行動を起こすからで、それが軋轢の元ともなっているのだが、開発班の面々も割と似たような趣旨で開発班でない幹部などから苦言を呈された事がある。

 

 しかし、彼らの場合は魔法使いのそれとは異なる。開発班は常識の向こう側、技術の新しい境地を目指して自ら常識の外へと飛び出していった。つまりは本来の世間一般で言うところの正しい意味での常識を知ってなお、それを捨て、ないしそれを持ったまま常識から外れていったのだ。

 

 そんな彼らをして、色を失ったのは初めてのことかもしれなかった。

 

確かに今までもまずいと思うようなことは多々あった。

 

 社会に評価されない不遇の時代があった。

 

 実験の失敗で心身共に傷つくことがあった。

 

 油断して査察を食らったこともあった。

 

 それでも。

 

 そういったことは、全て突き詰めればどこかしら自分に責任があった。

 

 関東呪術協会の朴木の下に付いてからは、決定的な何かを失うということは、無かったはずなのに。

 

今日、これまでは。

 

 

 

「……生命反応は」

 

「さよさん達がいた辺りと、衝撃のベクトル、散布界パターンなどから吹き飛ばされたとしたらいるはずのエリアにピンポイントで天乃五環と薄雲経由で行いましたが、まだ……」

 

 女は、無言で頭を振る。こうしている間にも、モニターに対象が見つかったことを示すアイコンが出るかもしれない。

 それを信じて、見つからないとは決して言葉には出さないのだ。

 

「そうか……」

 

 この場での責任者である男は、目を伏せた。

 

 そして――

 

「……白エヴァシリーズ、全機機動準備。近隣の春雷装備の薄雲に支援砲撃要請。それから残っている機動兵器の砲口開放だ。標的に照準合わせ。……仇を取るぞ」

 

 目を開けた男は、いつになく厳しい顔をしていた。

 

 

 

 

 

 

「私、死んでないんですけど……」

 

「うわあ!!」

 

 

 白露よろしく、濡れ鼠となった、さよだった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「……刀子ちゃんですね、アレ」

 

「お知り合いで?」

 

「知り合いですよ。西の生まれですけど、東に嫁ぐっていうので私とセイさんがとりもったんです。別れちゃったそうですけど……」

 

 首にタオルを引っ掛けたさよは、向こう岸との中間点、水面の上に佇む葛葉刀子を見る。刀子の側もさよには気づいているはずだが動きは無い。

なお、さよには目立った傷はないが、白露は治癒符を体中に貼り付けて治療中。時雨は開発班によって拘束が強化されたタカミチと一緒に転がされている。

 

「どう仕掛けますか?」

 

「……いえ」

 

「?」

 

「ちょっと待って下さいね。……今の私じゃ、勝てないから」

 

「そこまでですか!?」

 

 その言葉に、班長の一人である男はぎょっと目を剥く。

 

「あの、刀子ちゃんが持ってる刀、見えます? 右手に持ってる黒い方なんですけど……」

 

「え、ああ、えーと……見えますが」

 

 男の方は小型の双眼鏡で見ているが、さよは裸眼で気の強化によって刀子のことを、より正確には右手に握る一本の黒い刀を凝視している。

 

 男の双眼鏡は映像を機械処理した物を映すタイプで、とても鮮明に物が見えるとさよは以前に聞いていた。しかし、自身が見ている物はきっと見えてはいないのだろう。

右手の黒い刀が、どういった物かも、絶対に知らないのだろう。“オカルト”の総本山の一つとも言える組織に身を置いていたとしても、科学畑で生きてきた彼らが、知っているはずは無いのだ。たかが、刀一本。知らずとも、生きていくことには何ら支障はない。むしろ、知らない方がよっぽど幸せだ。

 

 

 

 あんな、見ただけで怖気の走る、禍々しい物のことなど。

 

 

 

「妖刀ひな……ですな」

 

 男とさよの間に、にゅっと先の尖った狐の耳が割り込んでくる。

 

「白露さん、まだ寝てて下さい」

 

「あんな物が近くにあっては、寝てなどおれますまい。這いつくばって逃げていたのでは、今度こそあれに首を取られる……首が残っておれば、ですが」

 

 口調は砕けているが、白露の視線はさよ以上に厳しい。見ているのは、やはりというべきか、さよと同じく刀子の右手の黒い刀である。

 

「わかりますか?」

 

「わからいでか……忘れようもありませんな、この血錆の臭いばかりは」

 

 ――妖刀、ひな。

 

 波紋の浮かばぬ直刃の刀身は元より、鞘、鍔、鎺(はばき)に至るまで黒一色。色を除けば、造りそのものはさして珍しくも無い一振りの日本刀。

 

「……あれ、そこまでマズいものなんですか?」

 

「まずいも何も」

 

「その昔、京の都を火の海に変えたという妖刀があれよ。人に仇成す化生は大小問わず数在れど、京の都を焼き払えた妖怪など一体どれほどいたことか」

 

 どれほどの物か漠然と理解したのか、男の顔が段々と青くなる。しかしさよと白露には男をいたわるだけの余裕は無い。

 

「いつまでも出てこないし、見たって報告も来ないからどうしたんだろうと思ってたらあんな物持ち出してきて。姿が無いってセイさんから聞いてはいましたけど」

 

「……主殿は知っておったのかも知れません。抗うならばそれも良し。どうにかできるものならば、力尽くでやりたいことをやってみろ……と時折申しておりましたからなぁ。

西の小娘が訪れた時も『やりたいようにやってみたら?』というような事を言うておったたし」

 

「だからって、アレは……白露さん、なんとかできません?」

 

「無理です」

 

 妖刀ひなにまつわるエピソードの一つに、こんなものがある。妖刀ひなを手にした、たった一人によって、神鳴流が根絶やしにされる際までいったというものだ。

 東に伝わる妖刀ひながいかな理由で西で猛威を振るったか。どういった結末を迎えたのか。詳細は伝えられてはいないが、今に神鳴流が伝わっていることからも最終的には勝利したのだろう。

 

「私も、もう符のストックが余りないですし、これは……」

 

「まずい、の」

 

 それほどの物が、敵としてそこにある。おまけに、先のエピソードに一つ考察として加えなければいけない要素がある。

 それは、この話が今よりもずっと昔に起きた事件であり、それは魔法使い流入よりはるか以前。つまりは、夜闇に巣くう勢力が今よりも大きく、それに対抗する立場の神鳴流もまた今よりも大きかった時代に起きた事件だと言うことなのだ。

 

 おまけに、担い手はその神鳴流の剣士である。ただでさえ妖刀など無くとも心に曇りが生じれば、闇に堕ちることのある神鳴流。その恐ろしさはいつぞやの詠春の暴走をもって推してはかるべきであり、そこに妖刀ひなが加わるなど……

 

「……しかし、動きがない」

 

「寄らば斬る、とでも言いたいんでしょうか……」

 

 ここで、視線をひなからじっと動かぬ刀子へとずらしたさよが、あることに、気づく。

 

「……あれ?」

 

「何か、勝機が?」

 

「あ、そうじゃないんですけど」

 

 班長の男と、白露ががくっと肩を落とした。

 

 

 

「刀子ちゃん、闇に呑まれて無いような。目の色も、よく見たら反転してないみたいですし」

 

 

 

 






 自分の中で終わりが見えてきたせいか、ふっと昔のことを思い出したり。

 昔見たSSで、今もどこかで復活しないか期待してるのが、誰にだってひとつふたつあるはず。

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