「刹那」
それは、ある日の放課後の話。
「マナか。何の用だ」
「最近どうしたんだ。もう夜の警備は辞めたんだろう」
「ああ、そのことか」
龍宮マナは、最近の桜咲刹那のことを心配していた。
少し前、彼女の同僚であった刹那は、夜の警備を辞めた。
余りに突然の事で、学園長を始め多くの魔法先生や魔法生徒が留意を促したが、彼女の意志は固く、その日以来夜の警備に来ていない。(なぜか葛葉刀子だけは訳知り顔で微笑んでいた)
で、あるにもかかわらず、最近の彼女は生傷が絶えないのだ。マナの知る限り、夜の間も特にどこかへ出かけることもないというのに。
あるとするならば、丁度今から、つまりは放課後に何かしていると踏んだのだが……
「実は少し前から、自分を見つめなおすためにある人に弟子入りしてな」
「弟子入り? 刀子先生じゃないのか?」
「ああ、違う」
「私の知っている人か?」
「……ま、まぁな」
めずらしく歯切れの悪い返事をする刹那を見て、突如マナにピキーンとした閃きが走った。
「もしかして……あの暗辺セイか?」
「…………ああ」
◆
「で、連れてきてしまったんですか?」
「はい……」
ダイオラマ魔法球『黄昏』のなかで、もっとも高い所に位置する浮遊島。その地表部全域を覆い尽くす武家屋敷のような建物の一室で、私の前には野太刀を横に置き畳の上に平伏する少女が一人。
そして、野太刀を挟んで少女がもう一人。わざわざ刹那ちゃんを軽く脅迫、もとい説得してまで付いてきた龍宮マナその人です。
きっと今私の顔は引きつっているか、苦笑いを浮かべているのでしょう。自分でもそれくらいはわかります。
少女二人は制服で、私も楽な服装であるので緊張感は余りありませんが。むしろ目の前の少女達が勝手に緊張しているといった風です。
「で、何しにきたんです?」
私がマナちゃんの方を向くと、それだけで彼女は身をすくませました。威圧などまったくしていませんが、どうしてでしょうね?
「あなたは……」
「?」
「あなたは、なぜマナ・アルカナという私の名前を知っていたんだ?」
ふむ、と少し考える。素直に教えても良いが、無理矢理付いてきたというのが少し心の中で引っかかっています。そのまま教えるというのも面白くは無い。
そうですね……
「その問には……あなたが刹那ちゃんと一緒に今日の修行をクリアできたら答えてあげましょう」
◆
「終わった……」
「そこまで悲観することはないだろう、刹那。一日逃げ切れば良いんだろう?」
それぞれ一度寮に戻り、戦闘装束と装備に変更して『黄昏』の地上部、森の中にいた。
修行の内容は単純明快。時間設定を弄って中の一日が外の一時間になった魔法球の中の森で、球内時間で一日相手から逃げ切れば良いという物だ。
ちなみに、刹那とマナはどちらも完全装備だ。刹那が強硬に完全装備を主張して譲らなかったのだ。そのため、今は夜の警備でも使わないような武装まである。
「お前はわかってないんだ、マナ。相手にもよるが、この生存を目的とする修行が幾つかあるメニューの中で一番きついんだ。
時雨さんなら罠にはめつつ逃げれば保つし、志津真さんも森の中なら割と保つ。だが、さよさんかセイさんだとそれも難しい。……それに、たまにいらっしゃる東の幹部の方々だったら最悪だ」
「――あら、それはなぜかしら?」
「なぜって……あの人達は私もほとんど知らないから風聞からしか情報を得られない。正直ほとんど初見殺しなんだ。かといって一度相手をすれば勝てるかと言えば癖の強い相手が多くてそうもいかない。わかったか、マナ?」
「……刹那、私は何も言ってないぞ」
「……え?」
ギ・ギ・ギ……
ゆっくりと首を声のした後方に向けると、そこには。
「あらあら、そういう風に言われると……久々に暴れがいがあるなぁ」
ニコリ。
そこには東の幹部の一人、いつものように肩から拡声器を提げた七守衣子が、暗い木陰から姿を現していた。
「刹那……この人は?」
背後に突如として現れた女性、七守衣子にマナは警戒の度合いを一気に引き上げる。
肩で切りそろえられた艶やかな黒髪。年齢はおそらく自分より上、成人はしているように見受けられ、服装は動きやすいジーンズとTシャツ姿。右手には肩から提げた拡声器の持ち手を握っている。
拡声器はどう見ても武器には見えない。しかし戦場で培ったマナの勘はなんの武器も持たないはずの女性から何かを感じた。
……これが、魔法使いを日本の大部分から駆逐した東の幹部……!
自分より一回りは上のはずの女性が浮かべる勝ち気な笑み。
しかしそれでいて明るそうな雰囲気にそぐわぬ暗い気配に、否応なく感じさせられる底知れない“何か”。
マナには、それが不気味でしょうがなかった。
「マナ、逃げるぞ!!」
「ああ!」
「えー? なに向かってこないのー?」
刹那の声に対し、マナは背中を向け衣子を視界に収めつつ逃走を開始する。その背後で、衣子はTシャツの襟元に手を突っ込み、胸の間から一枚の符を取り出した。
「んー……そうだな、たまにはこの子らにも頑張ってもらおうかな?」
取り出された符は淡い光を帯びると衣子の手から離れ目線の高さで空に留まった。
そしてそこから“溢れこぼれ落ちた何か”は、森の闇に静かに溶けていった。
「しっかり逃げろよー。じゃないと気づいた時には足下から這い上がってきてるぞー?」
◆
「ところでセイさん」
「何です? さよさん」
縁側に腰掛けて、眼下に広がる“蠢く森”を眺めていると、すぐ隣、肩が触れあう距離に座っていたさよさんがこちらを向きました。
二人の少女が地表部に下りてからは、今までずっとお茶を片手にゆったりまったり、けして沈まぬ夕日を眺め続けていたのですが。
「今日下にいるの衣子さんですよね。戦えるんですか?」
「そりゃあ戦えますよ。またどうして?」
「セイさんのことなら知ってますけど、幹部の人達の本気って見たことが無いので」
こちらを流し目で見るさよさんに少しむせかけましたが、お茶で呼吸を整え取り繕います。
「本気ですか。まぁ本気は出さないでしょうが、片鱗くらいはわかるんじゃないですか?……ああ、ほら」
眼下の樹海から魔法世界にいる竜と見まごうばかりの大きさの大百足が水面にはねる魚のように飛び出し、また森の中に潜っていきました。
次いで爆発により生じた一瞬の炎と黒煙。それから少し離れた場所で樹が同心円状に根こそぎにされました。
おお、派手にやっていますね。まぁ衣子さんのは女の子にはきっついでしょうからねぇ。
「……百足ですか?」
「百足ですよ。衣子さんは近接での徒手空拳以外は基本蟲怪使いですから」
より厳密に言うと、
「他にも蜘蛛やら蜂やら……蛞蝓やノヅチの類なんかも使いますから、まぁ今頃必死に逃げてるんじゃないですか、二人とも」
「ナメクジ……ノヅチ……蟲の範疇じゃないじゃないですか。魔法世界の魔獣使い並じゃないですよ。えげつないです」
「小さい物も使役する分魔獣使いとは数が段違いですけどね。森というのもありますから、きっと今“下”は酷いことになってるでしょうね」
「……ぞっとします」
きゅっと、しがみつかれました。いつもなら対応に困る物ですが、まぁ、たまには良いでしょう。
「そうですねぇ……でもまぁ、手加減はされてるわけですし……、まぁたっぷりと生物としての“根源的な恐怖”を味わってもらいましょう」