麻帆良で生きた人   作:ARUM

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第五十五話 琵琶湖エンカウント

 

 関東呪術協会本部〈天乃五環〉。全長約五キロある巨体の大半を地下に隠すこの機動戦艦は、あまり知られていないが、下部の四層と五層の間に四・五層とも言える区画が存在する。

 主に格納庫としての使用が想定されただだっ広い空間で、今は兵器の試射試験や大型の物の開発が行われていたりする場所だ。

 

 ただこの場所、一応艦内地図にも載っており、長であるセイに黙認されている状態なのであまり無茶はできない。

 

 もちろんそれは悪いことではない。確かに余りにもはっちゃけた物は開発出来ないが、きちんと地図に載っているためこそこそする必要がないし、ちゃんと休憩室や購買部も存在する。……なぜかカ○リーメ○トはメープルしか売っていないが。

 

 その休憩室の一角、安っぽいソファに白衣を着た男と、濃緑にオレンジのラインが入った作業服、俗に言う“ツナギ”を着た男の二人がソファと同じく安っぽいテーブルに置かれたパソコンを前にうなっていた。

 

 

「……駄目か、これは。もう一度、こっちのポートで……ああクソ!」

 

「やっぱ無理かぁ。……どうするよ?」

 

 

 白衣の男がパソコンに向かって長く複雑な数字を入力しENTERキーを押すが、モニターに現れたのは無情で無機質なエラーの文字。どうやら何かに失敗したらしい。

 

 

「しょうがない、休憩しよう。そのための部屋だ」

 

「ちげぇねぇ。休憩しにきて疲れたんじゃ話にならん」

 

 

 ツナギの男が近くの自販機に飲み物を買いに立ち上がる。何が良い? と聞かれた白衣の男はイチゴオレと答え、再び視線をパソコンに落とし、再び何かの入力を始める。

 

 

「おいおい、休憩はどうしたよ。……ホレ」

 

「……すまん、やっぱり手が空くと、な」

 

 

 白衣の男は今度こそファイルを閉じてパソコンの電源をおとした。受け取った紙のコップに口を付ける。

 それ見ていたツナギの男は、呆れたようにため息をつく。

 

 

「お前ほんとそれ好きだよな」

 

「当たり前だろ? これを飲まんと始まらん」

 

「そうか」

 

 

 ツナギの男も、自分のコップに手を付ける。彼の紙コップの中身は普通のブラックコーヒーである。

 しばし、休憩室の間に男二人が向かい合って座り黙って飲み物を飲むというなんの面白みもない光景ができあがる。

 

 

「そういやぁよ」

 

「うん?」

 

 

 先に口を開いたのは、ツナギの男の方だった。

 

 

「そっちの方は最近どうなんよ? たしか、兵装部門だろ、お前」

 

「あー、それなぁ」

 

 

 白衣の男は、コップを持っていない空いた方の手で頭をかいた。

 

 

「今分裂してる」

 

「あ? なんでよ。おまえんとこはうちと違ってもめる理由がないだろ?」

 

「それがそうでもないんだわ」

 

 

 少しイチゴオレを口に含み、喉の調子を整えてから男は話しだす。

 

 

「班長連がさ、主兵装を何にするかで揉めてるんだよ。まずは大きく分けて実体弾派と非実体弾派が対立してて、その中でさらに内装型、可変展開型、常時展開型でも揉めてる。で、こっからがややこしいからよく聞いてろよ? 実体弾派は滑空砲派とレールカノン派がほとんどだが……いや、レールカノン派ももっと細かく分けられるんだが……まあ後は一部にライフル砲派とミサイル派が残ってる。こっちはたぶん最終的にはレールカノン派が勝つと思う」

 

「ちなみに、お前はどの派閥?」

 

「LRC(リニアレールカノン)派。バッテリーで場所を取られるけど、砲弾を小さく済ませられるからな。電磁砲派が怖いが、コイルカノン派はウチに合流した。既に薄雲級の砲戦仕様に搭載されてるから実績もあるんだが、そのぶん今度は他のだろってことでもめてるんだと」

 

「はー、大変だねぇ」

 

「なに言ってるんだよ、凄いのはここからだぞ」

 

「まだあんのか?」

 

 

 ツナギの方は既にコーヒーを飲み終わり、空のコップをオーバースローでゴミ箱に投げる。が、コップは途中で失速して墜落。やれやれと席を立って拾いに行く。

 

 その背中に座ったままの白衣の男が言葉を投げかける。

 

 

「非実体弾派の方が凄い。ビーム砲派だろ、レーザー砲派だろ、荷電粒子砲派に陽電子砲派、反物質砲派までいる」

 

「おい、最後のはヤバいだろう!」

 

「だから没になった。そもそも理論だけで本当に造れるとは思ってないだろうさ。んで後は魔導砲派に大魔法射出砲派、精霊砲派、霊力砲派、霊力子砲派、他にも既に却下されたの含めて幾つか」

 

 

 ツナギの男も、その多さにしばしぽかんとした。

 

 

「……元は企業にいた奴らがほとんどだから未知の分野の魔法関連に人が流れるのもわかるが、そんな状況で兵装部門の班長会議どうなってるんだ?」

 

「書類が宙を舞わない日は無いらしい。机か扉のどっちかが吹き飛ばなきゃ御の字だそうだ」

 

 

 この分だと前面主砲でももめるよなぁ……とぼやく。

 

 白衣の男もイチゴオレを飲み干し、コップをゴミ箱に捨て、両手を上で組み背のびをする。背中と腰から ごきごきと音がし、数秒その体勢を維持した後、元に戻した。

 その後でテーブルの上のパソコンをソファの上にあった薄い鞄にしまい、二人して休憩室を出た。

 

 巨大な天乃五環では当然それに応じて通路も長い。そうして歩く間、今度は白衣の男がツナギの男に質問する。

 

 

「そういうそっちは? 結構すごいんじゃないのか?」

 

「んにゃ、実は意外とそうでもない」

 

 

 これに、白衣の男は少し立ち止まった。

 

 

「まじで?」

 

「おう」

 

 

 ツナギの男は歩き続け、少し離された白衣の男は慌てて小走りになって追いつく。

 

 

「おいおいおいおい、搭載機部門でも何造るかで揉めてただろう」

 

「それなんだがな、結局兵装と用途に応じて使い分けるから、とりあえず上に却下されたの以外は一通り造ってみようってことで落ち着いた。数に差はあるが、とりあえずこっちは沈静化してる。二足歩行型を含む機動兵器部門と戦闘機部門はあいかわらず仲が悪いがな」

 

「はー、良いなあ。じゃあもうかなり開発も進んでるんだろう?」

 

「いや……実はそれがそうでもない」

 

 

 先を歩くツナギの男は、少し顔を歪めてそう言った。

 

 

「全部つくるってことは、完成した後も他と比べられ続けるってことだろ? 他のに劣るようなの造れるかってんで、設計一から見直し。動力やらなにやらも含めて」

 

「それは……頑張れ」

 

「……今も頑張ってるよ」

 

 

 ツナギの男はさして気にした風もなく、そう言った。

 

 

「薄雲級の担当は良いよなー。空挺仕様はテスト済みで、今度砲戦仕様の試射試験するらしいし……千里の完成型もできたそうだぞ。麻帆良侵攻計画に関する奴らはどこも順調なんだよな。……このままだと離されるか」

 

「あー、でもあれはまだ実装は無理って話だろ? 情報を統括する次世代量子型スパコン部門の小型化が遅れてるから、今のままだと観測と演算、薄雲級二隻分でワンセットになるってぼやいてたぞ」

 

「そりゃだめだ」

 

「それより、あれだ。麻帆良の超鈴音に対抗するってんで気合い入れてた人に限りなく近いメイドロボの開発班、最近見ないがなにかあったのか?」

 

「構想の段階でスカートをロングにするかミニにするかで揉めて、殴り合いになって、結局三分の二が入院したから残りの面子がとりあえず基礎設計だけ完成させたって話らしい」

 

「……馬鹿だな、せっかく担当になれたのに。開発希望者多数で抽選になったって話だろ? アレ」

 

「そうだな。まー二足歩行のロボット……性質を考えるともうアンドロイドか。おまけにメイドってんだからわからんでは無いけどなー」

 

「十年前じゃ歩くのも精一杯だったのを考えると、随分遠い所に来た気がするよ」

 

「でも麻帆良じゃもう稼働してるらしいからな。これでもまだまだ遅れてるってこった。それを中学生がやっちまうってんだから末恐ろしいよ。まったく」

 

 

 それからさらに歩くこと十分ほど。目当ての場所にたどり着いた。エレベーターホールである。

 

 そして、二人がエレベーターに乗るために、△ボタンを押したとき、それは起きた。

 

 

 ――バツン。

 

 

「っ!? なんだ!?」

 

 

 通常照明が落ち、通路を照らす全ての明かりが赤色の非常灯に切り替わる。

 

 通常、天乃五環では地下の一部区画以外の照明は動力炉が落ちない限り明かりが消えることはない。その場合でも、即座に予備動力に切り替わり元の明るさを取り戻す設計だ。

 

 だがしかし、今通路を照らし出すのは赤い光。

 

 それが意味することは、ただ一つ。

 

 

「おい、これってまさか……」

 

「非常事態、だと!?」

 

 

 直後、けたたましい警報が鳴り響いた。

 

 

「おい、パソコン立ち上げろ!」

 

「今やってる!」

 

 

 鞄からパソコンを取り出し、立ち上げる。一秒もたたずに初期起動を完了させたそれで、天乃五環の内部情報にアクセス、情報の収集を開始する。

 だがそれよりも先に、放送が入った。

 

《こちら開発班統合部、この警報は侵入者や実験の失敗による物ではありません。落ち着いて行動してください》

 

 放送の内容に、ツナギの男はホッとする。だが、白衣の男はさらに表情を険しくする。

 

 

「なら、この警報はいったい……」

 

 

《非常事態宣言が発令されました。繰り返します、非常事態宣言が発令されました。今回は非戦闘員の避難は必要在りません。冷静に行動してください。

四層以下の開発班には一部に出動命令が出ています。今から呼ばれた者は三十分以内に格納庫へ向かってください。繰り返します――》

 

 

 関東本部・天乃五環。その四層の一角で、白衣の男とツナギの男が赤い光に照らされた通路を足早に歩いていた。会話の内容は、今現在も流れ続ける警報〈アラート〉についてだ。

 

 

「おいおい、一体何事だよ。いつもの強制査察じゃねえのか?」

 

「わからん、だが俺ら“開発班”に招集がかかるってことはまた麻帆良がらみじゃないのか?」

 

「勘弁してくれよ、この間行ってきたところだぜ? あ、だからか。完成型の“万里”のテストか?」

 

「あ、それならありえるか。……いや、それなら非常事態宣言なんか出さないだろう。今までで非常事態宣言が出たのって、二年くらい前に第二縦坑で古代の邪神掘り当てた時くらいだろ? テストくらいで発令したりはしないだろう」

 

「葉頭さんがモンキーレンチとパイルバンカーで討伐して、後で封印しなおしたってあれかぁ? 古郷さんとか常駐幹部が到着した時には何事もなかったみたいに作業再開の指揮とってたてんで、あれ以来扱いが本部長並だもんな、葉頭さん」

 

「だよなぁ……って違う! だから問題は今何が起きているかだろうが」

 

《呼び出しを開始します。薄雲級三番艦の乗員は直ちに……》

 

 

三番艦。その単語が聞こえたとき、二人はぴたりと足を止めた。それは、周囲の行き交う開発班員達も同様だった。

 

 

「おい、三番艦っていやぁ……」

 

「……ああ。さっき言ったLRC、大口径リニアレールカノン搭載の、砲戦仕様の実験艦だ」

 

 

 赤い光に満たされた通路で、警報だけが鳴り響いていた。

 

 その警報は、いつも以上に彼らの脳裏の奥深くまで鳴り響いた。

 

 

 

  ◆

 

 

 

 琵琶湖。言うまでも無いことだが、日本でもっとも大きな湖である。ちなみにその名の由来は嘘か真か弁財天が持つ琵琶だそうな。

 

 ……少し話が脇道にそれたが、今の琵琶湖は一言でいうなら“異常”だった。風が吹き荒れ、雨が滝のように空から落ちているというのに、湖面が凪いでいるのだ。

 

 理由は、結界。

 今現在の湖面は戦場、それを一般人に見せないために、近隣の関西、関東の呪術協会の術者が可能な限り総動員され、人払いと隔絶の結界をかつて無い規模で幾重にも張り巡らせていた。

 さらに重ねるように幻術で雨と風を吹かせ、一般人を遠ざけているのだ。湖面が凪いでいるのも、術で固めて水を足場としているからだ。

 

 彼らがそこまでして立ち向かう相手、それは、たった一人の剣士だった。

 

 黒衣に身を固め、両の手に持つは二本の野太刀。それに加えてまだ腰などに数本の脇差しや小太刀が差しこまれている。

 

 通常、野太刀はその長さ、重さから、両手であっても扱いが難しいシロモノだ。それを、この男は二刀流として使っているのだ。京都神鳴流、関西呪術協会の長、近衛詠春は。

 

 多くの術者に周りを囲まれながらもその身に負った傷はなく、眼は白黒が反転し、周囲に黒の気をまき散らす有様はもはや修羅の域。

 

 

「……千草さん、それと、関東の七守衣子さんでしたね? 後ろの方々も……あなた方に用はありませんので、どいてくれませんか?」

 

 

 で、あるというにもかかわらず、その口調はいつもと同じ柔らかい口調のままだ。姿と口調の差違は、周囲の者に感覚的な物であるはずの闇を本能的に感じさせた。

 

 

「んなことできへんのはわかっとるやろ。はよ帰りましょや、長」

 

「そうもいかないんですよ、千草さん。私は少し、妖怪を一匹しとめにいかねばなりません」

 

 

 ごう、と、周囲にまき散らされる黒い気の勢いが強くなり、それだけで千草と衣子の後ろ、数多くいる術者の中には倒れそうになる者が現れるほどだ。

 

 その様子を見て、千草は一つの決断を下す。

 

 

「しゃあないな……力尽くで連れて帰らせてもらう!」

 

「つまり……私の邪魔をするということですね?」

 

「そうや……弓隊、“鳴らせ”!!」

 

 

 詠春の四方、隠匿の術で隠れていた者達が姿を現し、弓を構える。だが、そこにつがえるべき“矢”は無い。

 

 彼ら彼女らが構えるのは、“梓弓”。その弦の音は、古来より魔を祓うとされている。

 

 今の近衛詠春は闇に堕ちたと言っていい。元来神鳴流は闇に堕ちやすい傾向にあるが、それは一時的な物が多く、闇から戻ってくるのも早い。

 ならば闇を払えば、近衛詠春も正気を取り戻すかもしれない。

 

 それでなくとも、百からの梓弓による衝撃波。昏倒させることも狙える。

 

 タイミングを完璧に合わせた鳴弦は、成功した。

 

 詠春がいた地点で水柱があがり、霧状となった水が周囲にまいあげられる。

 

 やがて、水煙がはれたとき……そこには前と変わらずただ立っているだけの詠春がいた。一つの傷も負うことなく。

 

 

「はぁ!?」

 

「おや、何か不可思議なことでもありましたか、千草さん。……ああ、私が地に伏していないことですか?

それとも傷一つないことですか? 着眼点は悪くありません。部隊を伏せて、四方から攻撃する。梓弓であれば、その威力も大きい」

 

「……せやったら、なんでそんな風に飄々としてられる……!」

 

「衝撃波を斬り捨てた。ただそれだけです」

 

「は……?」

 

 

 今、なんと言ったか? 斬り捨てた、そう言ったのか? 四方から、文字通り音の速さで来る衝撃派を、斬った?

 

 

「おかしなことではありません。弐の太刀の剣閃は形無き物にも及びます。魔法であろうが、雷であろうが。ならば、霊力の乗った音を斬ることもまた可能、ということです」

 

 

 千草の考えが甘かった訳ではない。曲がりなりにも長たる詠春、その実力はよく知っている。

 

 千草に油断があったわけではない。そんな物は、幹部に上がったときに捨ててきた。

 

 ただ、この男が――近衛詠春が、それら全てを凌駕したのだ。

 

 千草は、自分の中での近衛詠春という存在の認識を改めた。

 

 

「さて……次はこちらの番ですね?」

 

 

 目の前にいるのは、いつもの優柔不断な能なしではない。

 

 

 ――自分の父と同じ、人外であると。

 

 

 

  ◆

 

 

 

 ――それから、半時間ほどたった。

 

 その場にいた三百近い精鋭の内およそ半数ほどが地に伏せ、立っている者も、皆満身創痍。

 対する詠春は数本刀が減ったものの、大きな傷は負っていない。

 

 関西と関東の精鋭とて、急なことで準備に時間がとれなかったとはいえ、日々の厳しい修練をくぐり抜けてきた猛者達。

 

 それに加えて、千草と衣子という二人の幹部戦力がいるにも関わらず、だ。

 

 千草は長年、セイやさよとともに世界を回り、相応に実力を上げてきた。衣子も余り目立つ活躍は無いが関東発足時からの幹部、得意不得意があるにしても、その実力はおりがみつき。

 それでも、彼を、詠春を止められない。追い詰めたと思っても、些末な傷を、それこそ血がにじむ程度の傷しか負わせられない。

 

 ――なぜか?

 

 

 一閃。

 

 

 一閃。そう、一閃だ。詠春がその手に持つ二本の野太刀、白鞘の“炎天”と黒漆の鞘の“風花”。そのどちらかの一閃で、今までの全ての攻撃が斬り伏せられた。

 

 曰く、神鳴流の、斬岩剣などに代表される、それら奥義の先にあるもの。

 

 

 ――弐の太刀。

 

 

 あらゆる攻撃が、それによって無効化されたのだ。正確には、斬り伏せられた、だが。

 

 梓弓による衝撃波。神道系術者による祓い。仏教系術者による縛呪。開発班謹製の特殊結界。千草の“連結符術”から、衣子の“大波野槌”まで。

 

 そこから動くことなく、ただ一閃。それらが自分に届くまでの刹那に左右どちらかの刀を振るい、それら全てを斬り伏せた。

 

 

 

 ――関西の最高幹部は、最も高い権力を持つから最高幹部を名乗るのではない。一部地域を除いて、関西における最高の実力を持つ者が名乗るが故の最高幹部。

 

 西を束ねる長がその職務にふさわしくないと判断されたとき、実力でもって排除するために用意された、長を除けばたった十八の席。

 西の総本山の長という“力”に対する権力分散の意味も含めた安全装置。

 

 

 

 では、そこまでする長とはなんなのか?

 

 

 

 政務の最高責任者?

 

 組織の象徴にたる人望?

 

 高貴なる身分に身を連ねる血筋?

 

 

 

 ――否。答えは否だ。

 

 

 

 先代の近衛木乃芽はそれら全てを兼ね備えていたが、歴代の長がそうであったわけではないし、今代の長詠春もそう。人望などは特に無い。むしろマイナスに近い。

 

 ならば、何を持って長は長たり得たのか?

 

 いろいろな要素はあるが、極論にすると、今の詠春がまさにそうだと言えるだろう。

 

 

 

 ―――すなわち。裏世界の西国最強、である。

 

 

 

「……時間の浪費、ですね。いい加減先にいきましょう」

 

 

 

 今まで、その場で迎撃に徹していた詠春がついに動き出す。

 

 白鞘の“炎天”をさやに戻し、黒漆の鞘の“風花”を両の手で握り直す。

 

 しかし構えはとらず、ぶらりと下段に下げている。

 

 そして、ゆぅらりと詠春が消えた。

 

 

「おや」

 

 

 詠春が消えた直後、響き渡る轟音。音の出所は千草の隣。振り抜かれた野太刀の根本、鍔の辺りを衣子が“拡声器”で防いでいた。

 ギリギリと軋む音が鳴るが、拡声器は壊れない。

 

 

「……気で強化したにしても、固いですね。噂の“開発班”とやらの品ですか?」

 

「そうです、よっ。ちょっとやそっとじゃ壊れない、部品一つに、いたるまで、こだわり抜かれたっ! 特別製っ!」

 

「なるほど。ですが、それだけではどうにもなりませんよ?」

 

「くぅ!?」

 

 

 最初は拮抗していた力比べが、少しずつ衣子の方に押されていく。だが――

 

 

「……?」

 

 

 詠春は怪訝そうな顔をする。力を温存するために若干手加減をしているとはいえ、術者に止められるような力では無いはずだ。

 なのになぜ、急に下手をすれば押し返されそうなほど強力な膂力を感じたのか?

 

 

「教えてあげましょうか」

 

 

 直後、衣子の気配が大きく変わる。変転する。

 

 固められているはずの湖面が波打ち、黒かった衣子の髪が色あせるように白黒斑の混じった薄茶へと変わる。瞳孔は裂け、色も赤へと変化する。

 

 

「獣化……?」

 

「違いますよ。厳密には、妖怪化。いえ、先祖返りというのが正しいかもしれません。

……詠春殿は、土蜘蛛という妖怪をご存じですか?」

 

 

 その言葉に、詠春は一瞬戦闘中であるにも関わらず自分の中の知識を探る。

 

 土蜘蛛といえば、虎や鬼の顔に蜘蛛の身体を持つとされる割とメジャーな妖怪である。人間に化ける妖術も使うし、頑強な糸も吐く。

 

 厄介な相手だが、詠春も若き日に単身討伐に出て、見事討ち果たしたこともある。

 

 だが、それがどうしたというのか?

 

 すくなくとも、関東の幹部、衣子は自分の知る土蜘蛛とはなんの関連性も――

 

 

「――!」

 

 

 ここで、詠春はあることを思い出す。

 

 一説によれば、土蜘蛛とは――

 

 

「―――大和朝廷に従属しなかった、地方豪族」

 

「その、とお……りぃっ!」

 

 

 気合い一声。詠春が大きく押されるような形でバランスを崩す。

 

 詠春は一瞬のうちにバランスを取り直すが、それよりも早く、衣子が拡声器を口に持って行き……

 

《先祖返りの能力はぁーー、主に怪力でーーーすよぉーーーーーーーーっ!!!!》

 

「……っ!」

 

 

 至近距離で、叫んだ。霊力も乗せず、特に呪術的な意味もない叫びを。

 

 ただし、近距離で、拡声器の最大音量でもって。

 

 ――開発班謹製。この五文字を刻まれた製品は、破格の性能を誇る。開発班が造った物の代表として、神里空里専用の魔法のステッキことシュトゥルム・ファウストがあるが、あれは実際には炸薬やフレームの強度などに度重なる改修が施され、最高で亜音速で弾頭を飛ばせるちょっとしたシロモノだ。

 

 当然、同じく幹部である七守衣子専用の拡声器もそれに準ずる性能であり、音量最大で思いっきり叫んだならば。

 

 

「ぐっ……!」

 

 

 その威力は、衝撃砲にも匹敵する。

 

 

「ふっふふ、もっとも私の代になっては隷下の蟲を従える以外は身体が強く膂力が在るくらいで、もうたいした事は出来ませんけどね! さ、今です千草さん! 連結符術で……ってあら?」

 

「~~~~っ! もうちょっと周りに気ぃつけえや!」

 

「あ……」

 

 

 ちなみに、威力を持つほどの衝撃は前方のごく短い射程しかもたないが、音自体は凄まじい大きさで周りに響く。

 

 戦闘機の爆音とか目じゃないレベルで。

 

 

「まあええ、皆今や! ちょいと気ぃはってあれを縛りつけい!!」

 

「何を……!?」

 

 

 湖面からは水の柱が、千草からは細い鎖で繋がれた大量の符が、控えていた術者達からの捕縛術が詠春を拘束する。特に、野太刀を構える腕を重点的に。

 

 

「よし、“逃げぇ”!!」

 

 

「逃げる……!?」

 

 

 なぜ?と詠春は思う。すくなくとも、今はチャンスだ。自分を倒すなら、機会は今しかないだろう。なら、なぜ逃げる?

 

 ――自分なら、どういうときに敢えて引くという選択肢を選ぶ?

 

 相手を拘束した上で引くのは、撤退戦、あるいは――

 

 ――大火力による、一点集中!

 

 下は湖面。なら来るのは。

 

 詠春は黒く、されど澱むことなく暗い光を放つ双眸で空を見上げた。

 

 

 

  ◆

 

 

 

「三番艦、九番艦、十番艦、所定位置に展開完了しました」

 

「各艦、両舷下部可変翼及び下部垂直尾翼展開、艦を現状の位置にて固定します」

 

「各システム、リンクスタート。十番艦特装四番“万里”起動、観測開始。九番艦試製量子コンピュータ“白澤”起動。三番艦、LRC(リニアレールカノン)“春雷”チャージ開始。射出可能電圧まで五秒。四、三、二……完了しました」

 

「万里が地上部で異常な大きさの音を観測しました。画像出ます」

 

「あー、はいはい。どうなってます?」

 

 

 三番艦、艦橋。そこに忙しく指を動かす班員達と、それと対照的にのんびりとした口調の班長がいた。

 

 

《……でーーーすよぉーーーーーーーーっ!!!!》

 

「うぉうあっ!? 音声下げて! 何事!?」

 

「下にいる七守さんが拡声器使ったみたいですね」

「拡声器? あー、あれね、衝撃砲並の出力だせるようにしたやつ。指向性も持たせられるようにしたやつだっけ?」

 

「試作品でしたけどね」

 

「うん。帰ったら改造しよう……って詠春黒ォっ! しかも衣子さん髪白いっ!? アレ? 衣子さん本気? 下って結構やばいかな?」

 

「やばいですね。……照準、“詠春”にあわせます」

 

「急いで。弾頭はちゃんと重石化術式搭載のやつに変えといた?」

 

「もちろん。殺すわけにもいきませんから」

 

「だねー。しょうがない、よ……?」

 

 

 班長がふと何かに気づく。画面に映る黒い詠春。

 

 その顔が、地上にいる千草たちを見ずに天を仰いでいる。

 

 そして、班長と詠春の視線が交わった。

 

 

 ――ぞわり、と班長の背筋が寒くなる。一気に冷や汗が全身から吹き出し、一瞬、視界に映る全てから色が失われた。

 

 

「―――っ! 照準合わせ急げ! セーフティ一番から六番まで解除! 撃てるようになったらすぐ撃て!」

 

「は? 何を……」

 

「バレてんだよ!! 急げ、発射シークェンス略式省略していい!!」

 

「は、発射します!!」

 

 

 砲全長百十メートルという船体と同じ規模の長さを誇るが故に、一隻に一基しかつめないLRC“春雷”。その砲身が、静かに、空を引き裂くつぶてを放った。

 

 

 

  ◆

 

 

 

「おお、凄いな」

 

「開発班の人達の自信作らしいですよ? 春雷って言うそうです」

 

「ほー、しかし……もう少し手加減して欲しかったな。結界が吹き飛ぶとこやったわ。結界無しやったら街に迷惑かけるようじゃまだなあ」

 

「あははは……」

 

 

 少し離れた所から、湖の様子を眺めていた千草と衣子。空からの攻撃は当初の計画では自分達が失敗した場合にのみ使用するということに決めていたが、上手くいって良かった。

 

 空から落ちた光の柱は雲を貫き、轟音と共に着弾した。今頃、水煙が立ちこめるあの場には人一人分の石像ができあがっていることだろう。

 

 

「あ、そろそろ煙が晴れてきましたね」

 

「お、そやな。ほーれ、皆立ちぃな。とっとと長縛り上げて……」

 

 

 

 トスッ。

 

 

 

「帰ろ、か……ぁ?」

 

「え……?」

 

 

 千草の腹部から、生えるは赤を纏った銀。

 

 それが引き抜かれると共に、吹き出る血。千草は腹を押さえて倒れる。

 

 その背後にいたのは、上半身の服が吹き飛ばされ、身体のいたるところから血を流す詠春。

 もはや身に付ける武器は“風花”一本。しかしぎらりと輝く眼を術者達に向け、表情も険しく、睨みつける様はまさに獣のようだ。

 

 

「ち、千草さん!」

 

 

 そして、詠春が動く。

 

 もはや、何かを話すことも無く、ただ刀を振るう。

 

 薙ぎ、払い、打ち込む。心を打ち消し本能のまま武を振るう――修羅のように。

 

 

 

 一方、相手をしている衣子は焦る。自分の得物である拡声器が、どんどん削られていくからだ。

 

 衣子はあくまで術者だ。かつて西から逃れた、土蜘蛛という名をかぶせられた一族の血を怪力というような形で色濃く残しているが、近接戦闘は本来の自分の戦い方ではない。

 

 血の影響で相性の良い蟲怪を使い、中陣辺りでの壁役が本来の仕事であり、詠春のような近接に長けた相手に対しては分が悪い。

 

 

「く、うぅ、……」

 

 

 一閃、二閃、三閃……速さは際限なく増していく。

 

 奥義を使っている訳ではない。だが、一太刀ごとに詠春の斬撃は鋭さを増し、もはや眼で視認することができないほどにまで加速している。

 それでも直感と経験を駆使して、なんとか直撃は避けている。

 

 しかし、それにもやがて終わりが来る。今まで詠春の斬撃を防ぎ続けてきた拡声器が、真っ二つに割れてしまったのだ。

 

 そして、斬撃が衣子を襲う。

 

(避け、られっ……!)

 

 衣子は、自分がたどる結末を予想し、眼を瞑った。

 

 

 

 だが、痛みは訪れない。

 

 詠春程の腕だ。気づかぬうちに斬り捨てられ、死んだのかとも思ったがどうやらそうでもないらしい。

 

 そっと眼を開ければ。

 

 そこには、関東呪術協会が発足してすぐの、自分が幹部になり立てのころの魔法使いの襲撃時に、自分を守ってくれた人の背中があった。

 

 

「……貴方か」

 

「ええそうですとも。なんとか間に合いましたか。……いえ」

 

 

 詠春が、砲撃をくらって以降、初めて言葉を口にする。

 

 だが、セイはそれを無視する。視界の先には、腹部に大量の治癒符を貼られた千草がいる。彼女の顔からは血の気が引き、まだ動ける術者達が今も治癒符を貼り続けていた。

 

 それを見て、セイの顔がほんの少し苛立たしげに歪む。

 

 

「……終わりにさせてもらいますよ、詠春」

 

 

 唐突に、辺りが暗くなった。原因は、高度五十メートルほどの低空に浮かぶ空挺仕様の薄雲級。

 そのコンテナ部のハッチは限界まで開かれており、そこから覗くのは巨大なスピーカー。

 

 

「何を……馬鹿な……」

 

「これを聞いても同じ事が言えますか?」

 

 

 セイは手を振り上げて合図を出した。

 

 

 スピーカーから聞こえて来たのは――

 

 

 

《お父様なんか、大っ嫌いやあぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーっ!!》

 

 

 

 聞こえて来たのは、少女の声。それは、麻帆良にいる詠春の娘、近衛木乃香のものである。セイが、登校前の木乃香に頼んで録音してきた物だ。

 

 それを聞いた詠春は。

 

 

「グハァッ!!」

 

 

 黒い気を霧散させ、血を吐いて仰向けに倒れた。

 

 その後はぴくりとも動かない。

 

 

 

「……は?」

 

「……ええ!?」

 

「えぇーーーーーーーーーーっ!」

 

 

 

 死力を尽くしていた術者達の、現実を、目の前の光景を疑う叫びが、信じたくないという思いの丈が、琵琶湖に木霊した。

 

 

 

 

 

 

 




 三(話)・合・体!したところで今日は打ち止めです。

 こんな長いのは多分最初で最後。

 ご意見ご感想誤字脱字の指摘批評など、よろしくおねがいします。

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