墨をすり、筆につけて紙に置く。さらりさらりと筆を走らせ、そのまま文字と図形を描き出す。
出来たのは、治癒符。
完成したばかりのそれを、娘(千草)の身体に貼り付ける。
貼ったのは、これで七十六枚目。この符の効果は身体の霊脈の流れを静めること。
正しく作動し始めたのを確認すると、すぐにまた次の治癒符の作成にとりかかる。
「――まったく、無茶をしますね……」
やあ皆さん。本当に、本っ当に久しぶりな気がしますが、セイです。
この挨拶、大戦の頃はよくやったものです。最近は部下が頑張ってくれるのであまり表には出ないようにしていたのですが、今夜は娘の一世一代の大勝負ですからね。出てきました。
で、久しぶりに京都に来て荷ほどきをしていると、一目見ただけで疲労困憊、全身汗だくびしょ濡れの千草ちゃんが運ばれてきたではありませんか。
くわしく調べてみれば、全身の筋繊維や骨に極度の負荷がかかり、切れるか砕けるかの瀬戸際でした。事実、多くの筋は伸びてましたし。
本人に理由を訊くと、自分を“道”にして要石から直接霊力を吸い上げて、“切り札”の仕込みをしていたとか。
しかも、呪言の詠唱ではなく、意味と概念を利用した舞で行ったとか。
そりゃあ体中ぼろぼろになりますよ。私だって昔この本山で“大屍”を呼んだ後でぶっ倒れましたからね。
よくこの程度で済んだと思ったら、自動回復や筋肉補強も舞に組み込んだり、気を使って関節の補強をしたりある程度の対策はしていたようです。
ぺたり。
また一枚完成した符を貼る。今度のは、大気中の霊力を他の符に供給し続ける符。
一段落したので、視線を部屋の中にある時計に向ける。中と外、両方の日時を示す、複数の文字盤を持った特別な柱時計。
外の時間は、昼の十時。
おそらくはそろそろ――戦闘が始まる頃合いでしょうね。
◆
「……」
「……」
関西の本山。そこにたどり着くためには、竹林の中の千本鳥居を抜ける必要がある。
基本的に、本山に至る道はこれ一つであるため、件のネギ少年もここを通るのだが、それを見逃すはずはなかった。
「…………」
「………………」
千本鳥居にしかけられた術式の名は、無限方処の呪法。
一定区間内に入り込んだものを取り込み、反永続的にさまよわせる術式で、この関西の融和反対派……具体的には、受け持ちの犬上小太郎と、他数名の本山の術者が仕掛けた強力なものであった。
なお、術の核になっている鳥居に貼られた三枚の符は、一昨日千草が三十秒で書き上げたものである。
「……なあ、なんかしゃべれや」
「何でですか」
「暇や」
物陰から、今か今かとネギ達が来るのを待ち構える二人の人影が居た。
一人は犬上小太郎、狗族のハーフで、黒い学ランの前を止めずに開けている。少し前に、セイにK・Oされた少年である。
もう一人は、暦。魔法世界の出身で、主たるフェイトの命でこの日本にやってきていた。彼女が今着ているのは、フェイトに褒めてもらったえびちゃの袴と紅白矢絣の着物。
千草から、せっかくだからとプレゼントされたものだ。結構着心地が良い上、計らいでしっぽを出せるようにしてくれたためなお快適なのだ。
しかし、彼女の表情は、いや、二人の表情はすぐれない。
何故かというと……暇なのだ。
朝早くから出てきたのはいいが、予想していた相手がなかなか来ない。
小太郎はすることがないし、暦もできれば風光明媚な本山でフェイトと二人で緩やかな時間を過ごしたかった。
なので、二人の意志は共通していた。
――さくっと終わらせて、とっとと帰ろう。
そう思った、そのとき。
「っ、オイ!」
「はい、間違いありません! 無限方処、発動しました!」
二人とも、狗族と亜人という違いはあるが、どちらも人間より身体的にすぐれる種族。当然聴力や視力も優れており、それは結界内に入った異物、ネギを素早く感じ取った。
「出遅れんなや!」
「出しゃばりすぎないでください!!」
二人は竹林を駆ける。気で強化した足で、それこそ獣のような人間離れした速度で、竹林を駆けぬけた。
相手を見つけたのは、千本鳥居の途中の休憩所。そこにいたのはネギと明日菜、それと二人は知らないが、カモと刹那の式神ちびせつなである。
二人は竹の上の張り出した部分に乗り、様子を窺う。眼下では、明日菜が『たあー』と言いながら岩を蹴り砕いていた。その様子に、少し暦が引いた。
「……あれ、こちらの世界の“普通”の学生なんですよね?」
「お、おお。そう聞いとったけど、思ったより楽しめそうやな……よっしゃ、そろそろ行くで。符は持っとるな?」
「これですよね?」
暦が取り出したのは、妖物を召喚するときに使う符である。少し細工がしてあり、あらかじめ気を込めておくことによって、いざ使うときに気をこめずとも名を呼ぶだけで召喚を行えるようになっているのだ。
「そや。合図するから、名前呼んですぐそれ下に投げるんや。二人一緒にやるんや」
「……符って紙ですけど、投げられるんですか?」
「細かいことは気にすんなや、ほないくで! 来い!!」
「ああもう、フェイト様の対極みたいな人ですねっ! 来なさい!!」
「「土蜘蛛!!」」
放たれた符。呼び出されるは異形。
装甲のように硬い八本の脚と胴体を持つ、蜘蛛の身体。
小太郎のは蜘蛛の頭、暦のは鬼の頭を持ち、二つの巨体が竹を押しのけ、石畳を砕き、それぞれが轟音とともに地に落下する。
ネギ一行を挟み込むように落ちた二体の土蜘蛛の頭に、小太郎と暦がそれぞれ着地する。
突然の事態に、警戒態勢を取る一行に、小太郎は胸を張りにらみをきかせる。
「こんなとこまでよぉ来たなぁ西洋魔術師! せやけどこっから先は通れんで」
「ど、どちらまですかっ!?」
「んなことはどうでもええねん!」
「どうでもよくはないでしょう……」
「後にせぇや暦。ンンっ…ここをお前らの墓場にしたる! 境の狭間の無限方処、千本鳥居に彷徨い果てろっ!!」
◆
はははははっ! やぁっと来よったな西洋魔術師。ここ最近は千草ねえちゃんも忙しいから相手してくれへんかったし、ようやっと暴れられるわ!
せやけど、チビ助の方は期待でけへんかもしれん。お姉ちゃんの方は期待できそうなんやけどな!
「さあ来いや、来おへんならぁっ!?」
今日、二度目の轟音。それと共に、高い防御力を誇る土蜘蛛がたやすく吹き飛ばされた。
さらに、どこからか召喚された巨大なハリセンで、一発で土蜘蛛が祓われた。
――式返し、やと!?
「あ、あれ? 何よ、案外私でもできるじゃない!」
「すげぇぜ流石姉さん! どうやら召喚魔の類に特効が付くみたいでさぁ! やーっちゃってくだせー!」
「よ、よーし! いっくわよー!」
「……おおう」
すごいなこの姉ちゃん! 一発で土蜘蛛返してしもたで!?
式神やと相性悪いみたいやな……
相手するんやったら、俺がやんのが一番ええねんけど、千草ねえちゃんに言われたこともあるし……
よっしゃ!
「暦ぃ! 俺はそのチビ助の相手するから、姉ちゃん抑えてくれ!」
「ええ!? だって今式神が返されちゃったじゃないですかっ! 」
「何聞いとった!? 直接相手するんはお前や! 式は……そこの獣でも追わせとけ!!」
小太郎の意図がわかったのか、暦はすぐに土蜘蛛から飛び降り、爪でもって明日菜に襲いかかる。
「え、爪!? というか猫耳!? ケモナー!?」
「いけませんかっ!?」
ハリセンといえどもアーティファクトはアーティファクト、やすやすとは切り裂けない。しかし、手数でいうならば圧倒的に暦が上。明日菜も攻めに回れない。
一方で、カモには別のピンチが迫っていた。
「うおあっ!? 死ぬってこれはマジで駄目って……! 兄貴か姉さんヘルプっす――!」
カモに襲いかかる土蜘蛛。
自分の全長よりも太い直径を持つ脚が、八本。それらが自分に降ってくるのだからたまったものではない。
土蜘蛛も鬼の頭を歪めて、カモを叩きつぶそうとするが、そこはカモもたいしたもので上手く土蜘蛛の死角をかいくぐっていく。
「カモ君!」
ネギは自分のペットの悲鳴に一瞬視線をそちらに向け、
「おいコラチビ助! よそ見してる暇らあんのか?」
「しまっ……あがっ!?」
「ちょ、ネギ!!」
魔法障壁をたやすく貫いた小太郎のこぶしがネギの胴体に入り、ネギは人形のように吹き飛ばされた。
明日菜が悲鳴をあげるが、それをやった小太郎は、別の意識にとらわれていた。
――ちっ…やっぱチビ助はあかんか。障壁も思ったほど硬ないし、お姉ちゃんの方がよっぽど強いわ。
あー、クソっ! なんで俺がこいつのせいで苛立っとんねん!!
「チッ。サウザンドマスターの息子聞いとったのにこんなもんか!? ……弱いモンいじめやないか。あー格好ワル。こんなんやったらサウザンドマスターの噂も案外ガセか?」
あーあー、がっかり、や……?
サウザンドマスター……ナギを馬鹿にした小太郎を見る、ネギの顔つきが変わった。
……なんや、そないな顔もできるやないか!
小太郎が、再びネギに殴りかかろうとしたときだった。
「ネギさん!」
「うおっ!?」
しまっ……煙幕やと!? 自販機のジュースを爆発させよったか!
戦闘に唯一参加していなかったちびせつな。それが機転を利かせて、煙幕をはった。
煙が晴れる頃には――当然、誰もいなかった。
「だーーーっ! くそっ!」
「どうします、追いかけますか」
「……いや、ちっと待つ。どうせ逃げられへん。未熟な腕でこの無限方処が抜けられるか」
◆
「一葉さーん、いつまでこないなことやってますのー?」
「今はお嬢様の周りに一般人のご学友が多すぎます。護衛の桜咲刹那が彼女達を振り切るか……もしくは、彼女達がいてもごまかしの効く場所に入るかするまでです」
「そんなんありませんやんかー」
一葉と月詠、二人は空を駆けていた。虚空瞬動などで本当に空を飛んでいるわけではなく、電信柱や瓦屋根の上を足場にして走っているのだ。
無論、隠密の符で一般人からは見えないようにしている。
「えーい」
月詠が、両手の指に挟んだ棒手裏剣、都合八本を投げるが、全て刹那に“受け止められた”。
弾くでなく、流すでもなく、一本残らず刹那の手の内に収まっている。
二人を追い立てる為に先ほどから散発的に間接攻撃を行っているのだが、それら全て、一度たりとも成果を上げられていない。
「あーん、やっぱりこんなんじゃあきません。単なる追いかけっこやないですか~。一葉さん、生殺しなんて殺生や~」
「まったく……ですが、もうそろそろ見えてくるかと」
「何がですか~?」
「あれです」
「え~?」
そのとき、今までは地を走っていた刹那が木乃香を抱きかかえ、大きく飛んだ。目の前にそびえる、高い壁の向こう側へと。
「あれは……」
「――シネマ村。あそこなら、あなたの衣装でも違和感なく居られるでしょう? それに多少の無茶も効きます」
「……ウフフ、いややわ一葉さん。ちゃーんと先考えとるんやったら、最初から言うてくれたらよかったのに~」
「あくまで想定された逃げ込み先の一つでしたので。……行きますよ」
「もちろんです~♪ 楽しみやわ~♪」
「……くれぐれも、やりすぎないように」
「わかってますえ~? ずっと楽しみにしとったのに、すぐにやってしもたらもったいないやないですか~」
「……はぁ」
一葉と月詠。二人もまた高く飛ぶ。
――舞台は、徐々に広がりを見せていく。
おとこのけもみみ。ひょうかがわかれる。