麻帆良で生きた人   作:ARUM

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第七十二話 一葉

 

 

 

 数年ぶりの長のお嬢様の帰還にわく本山にある離れの一つ。特別顧問であるセイとその妻さよにあてられたその離れの一室に、古参術者数名に守られた大きなガラス玉が存在した。

 

 ダイオラマ魔法球、『黄昏』。

 

 その中に、午前中に動いていた面々がブッキングを避けるために隠れているのだ。

 

 外での時刻は昼過ぎ。最初は立ち上がることも困難だった千草も、セイの治療の甲斐もあって今ではほぼ本調子である。

 

 だが、今度は代わりに千草の付き人、一葉が運び込まれてきて布団に寝かされている。

 

 治療には当然千草も加わった。

 

 

「ふぅ……よう寝とるわ」

 

 

 今は安定したが、一葉の傷は深かった。

 

 鋭利な刃物で一閃。傷は内臓にもおよび、普通の人間なら死んでいただろう。

 

 そう、“普通”の人間だったなら。

 

 

「千草はん」

 

「月詠か」

 

「訊きたいことがあるんですけど、答えてくれはるやろか?」

 

「……一葉のことか?」

 

「はい~」

 

 

 千草が背後を振り返ると、部屋の入口に普段着の少し大人しい目の服に着替えた月詠がたっていた。二刀は刹那によって壊されたため、今手元に得物を持っていない。

 

 だが、それよりもいつもの月詠と大きく異なる点があった。

 

 いつもと同じのんびりした口調だが、やや固さを帯びた声色。

 

 常日頃浮かべていたほんわかとした笑顔はなりを潜め、千草でも初めて見るような真剣な顔だった。

 

 こんな顔もできるのかと、千草も内心で驚く。

 

 もしこれがいつも通りの月詠であったなら、千草は何も語らず、本人にいつか訊けば良いと言って追い返した。人の深いところは基本的に他人が語るべきではない。

 

 だが、今までにない今の月詠ならば、あるいはこの話をすることで剣に生きる修羅の道以外の……新しい道を見つけてくれるかもしれない。彼女はまだ、戻れる場所にいるのだから。

 

 

 ――だから、試すことにした。

 

 

「月詠、知ることに対する覚悟はあるか?」

 

「覚悟、ですか~?」

 

「そや。知らんでもええことを知りたがり、望むべきでないことを望む。それをするなら当然相応の覚悟が必要になってくる。それが誰かの秘密ならなおさらに、や」

 

「……」

 

「ええか、月詠。この話は関西でもとびきり暗い部分の話や。気分のええ話やないし、聞いたところで何の得もない。裏の世界にあってなお光届かぬ深いところに近づくだけ。せやから、半端な興味とかやったらやめとき。せやないと――いつかこうなる」

 

 

 トン――と、月詠の眉間に、扇子の先があてられた。

 

 それをしたのは、一葉の横で、“自分の目の前で正座をして座っていた”はずの千草だった。

 

 

 ぶわりと、全身から汗が噴き出した。目の前の千草は、いつも通りの自然体だ。シネマ村での刹那のような殺気も、“名付き”の大妖怪が放つような威圧感もない。

 

 ただ、自然体でいる千草。それが何をしたのか“わからない”。

 

 ただの一瞬も、自分は目を離さなかった。なのに、何が起きたのかわからなかった。

 

 正座から立ち上がるという動作も、懐から扇子を抜く動作も、そしてそれを自分の眉間に突きつけるという一連の動作全てが――月詠には、知覚することができなかった。

 

 月詠のその様子を見て、千草は月詠の眉間に扇子に当てていた扇子をしまい、心の内を覗き込むかのように、目をまっすぐに見てこう告げた。

 

 

「今のは認識阻害と気の瞬発力を併用しただけの、ごくごく単純な小技やけど……月詠、今のが見えたか?」

 

「……見えませんでした」

 

「そやろな。しかも、ウチは術者で月詠はんは剣士や。前衛と後衛の差は大きい。なのにそのていたらく。そんな状況で暗部に近づくことが何を意味するか、わかるな?」

 

「……はい」

 

「それでも、聞くか?」

 

 

 千草が見た月詠の目には、確かに一瞬迷いがあった。恐怖もあった。だが、それを月詠は自分の前で振り切った。

 

 月詠の目に、強い光が戻るのを見届けると、千草はひとつ頷いた。

 

 

「……ええやろ。ただし、絶対に他言無用や。墓の中まで持って行け。漏らした場合は、それなりの罰もうけてもらう。ええな?」

 

「かまいまへん」

 

「おし。座り」

 

 

 自分の前をぽんぽんと叩き、月詠に座ることを促す。月詠は素直にそれに従い、黙って千草の前に正座で座った。

 

 

「まず、初めに一葉が何であるかを言うておく。一葉は人と妖物のハーフや。本人は自嘲の意味で混じり物て言うけどな」

 

「やっぱり、そうやったんですか……」

 

 

 あの時、森の中で一葉は自分で自分のことを混じり物と呼んだ。関西では時々蔑称としてハーフのことをそう呼ぶが、その存在自体はそこまで珍しい物では無い。

 

 現に、犬上小太郎もそうだし、他にも結構似たような境遇の者はいる。

 

 昔は結構風当たりも強かったそうだが、十五年程前から徐々に減少し、今ではそういったことはほとんどない。

 

 千草は一度間を置いて、語りを続ける。

 

 

「――昔、て言うても十五年ほど前やが、一部中堅幹部が秘密裏に実行した計画あった。曰く、式神を人と交わらせることを目的に召喚し、“人工的”に人と妖物のハーフを造る計画。生まれてくるであろう子供を、片親が式神という側面を利用し幼い段階で呪言で縛り、命令に決して反抗しない優秀な駒を造る。そんな腐った計画や」

 

 

 千草の表情には、何の変化もない。ただ、たんたんと事務的にそれを語ることができる千草が、話の内容以上に月詠は怖かった。

 

 

「当時は、先代の長が亡くなったり、関東呪術協会が発足したりで本山もごたごたしとってな。不自然な物の流れに気づいてから事実を調べるまでに少しかかってしもた。当然すぐにその計画に荷担した外道は一人残らず粛正したけど、悪い意味での成果は既に出とった」

 

「それが……一葉さんなんどすか?」

 

「そや。たった一件だけの成功例。それが一葉。安倍晴明を生んだ葛の葉狐にあやかって、狐の妖と人との間に造られた、呪具と符に埋もれ、半ば一体化した赤ん坊。身勝手な都合で造られたが故に、混じり物やと自嘲しよる。関東に誘ても、未だに理由つけて表には出たがらん」

 

 

 ふぅ、と嘆息した千草は、すっと手を伸ばし――眠り続ける一葉のでこをぺしんと指で弾いた。

 

 

「あうっ」

 

「ほれ、とっとと起きい。狐が狸寝入りなんぞするもんとちゃう」

 

「しかし、千草様が……」

 

「しかしも何もあるかいな。薬とってくるさかい、じっとしてよし」

 

 

 すっくと立ち上がり、千草は部屋を出て行く。

 

 残された一葉と月詠が、夕日で黄色く染まる部屋の中で会話もなく黙っていると、一葉が話を切り出した。

 

 

「月詠」

 

 

 びくっと、名を呼ばれた月詠が身体を震わせる。それを見た一葉は、横になったまま、月詠に語りかける。

 

 

「あなたは、なぜ私が好んで式神に九十九神を用いるか、わかりますか?」

 

「式神、ですか~?」

 

 

 どんなことを言われるかと身構えていた月詠は、内心でほっとしつつも、言われたことを考える。だが、何かを言う前に一葉が答えを言ってしまう。

 

 

「狐の火は人を惑わしますが、灯りとしての役割を果たすことも多々あります。それが、本来の役割とは違うとしても、必要とされなくなったあの子達に役割を与えられる」

 

 

 だから、と一葉は続ける。

 

 

「月詠、もしあなたが私の話を聞いて何か思うことがあったのなら、誰かを必要として、誰かに必要とされる人になりなさい」

 

「……けど、ウチは斬り合いになったら止まれません。斬り合いをやめられません」

 

「だからです」

 

 

 天井を見上げたまま、一葉は笑う。

 

 

「どんな名刀であろうと、振るう者がいなければただのなまくらと同じ鉄の塊です。だからこそ、振るう理由が必要なんです。あなたが言ったように、理想の自分を想像しなさい。そうすれば、きっと変われます。あなたがそれを望むなら」

 

 

『黄昏』。

 

 

 永久に日の沈まぬ魔法球で、月詠の心の中に、新しい何かが芽生えた瞬間だった。

 

 

 

 





 ねんれいけいさんはしてはいけない。

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