剣霊使い、刀久里鉄典。
反対派が特に多い近畿圏の中の和歌山を担当する最高幹部で、反対派に限らず融和派を含めた最高幹部会の中での最古参でもある。
世代としては近衛近右衛門や近衛千蔵、橘然次と同世代で、かなりの高齢である。
この四人は若かりし頃、近右衛門が関西を裏切り、魔法使い側に行く迄は協会の若手の中で四天王と呼ばれた程の実力者だった。
当時から並はずれた才能と実力を有し、何より策謀において頭角を現した近衛近右衛門。
一つの分野に限らず、多用な術で攻撃、補助、回復となんでもこなした万能型の近衛千蔵。
青山宗家でないにもかかわらず神鳴流師範に登りつめ、亜流ともいうべき独自の技まで編み出した橘然次。
そして、その最後の一人が刀久里鉄典なのだ。
剣霊使いという協会内でも異色の術者である彼の戦闘手段は、言葉にすればごく単純で“刀剣類を操る”の一言につきる。
しかし、彼は刀を扱うが刀を実際に振るうわけではない。刀久里はあくまで術者であって剣士ではないのだ。
刀を自在に繰り戦う。ゆえに“刀繰り”が転じて刀久里となった。
ただ、操るといってもその方法は一つではない。
造られてからそう年月の経っていない物、たとえば安物の包丁や果物ナイフなどであれば自身で操作する必要があるし、逆に戦国時代に合戦で使用されていたような古い刀であれば、念が宿ったり九十九神となっている場合もあるのでセミオートのように操ることもできる。
他にもいくつかの手法があるが、刀久里の場合は彼の一族の中でも抜きんでた物を持つ。
彼を一族の当主に押し上げ、最高幹部にまで成らしめ、老いてなお健在なその“固有技法”。
その厄介さを、闇に堕ちつつも冷静な、あるいは冷徹な思考を維持する詠春は身を持って理解させられていた。
闇を受け入れ飼いならし、通常の気を用いた身体強化よりもさらにブーストをかけた状態の自分が攻めきれない。
理由は、自分の周囲を舞う六本の野太刀。
右斜め上から飛来し、岩も切り裂かんとするような鋭い太刀筋で迫る“炎天”。
その軌跡を寸分たがわずトレースし追随する“業”。
それからほんの少し遅れるようにして、左後方下側の死角から切り上げてくる“海原”。
視界の端の方でちらちらとけん制するように動く“風花”。
その“風花”の周囲に漂い、時折思い出したように首か心臓のどちらかの急所を狙ってくる“末枯”。
そして、護衛のように刀久里の傍に滞空する“落星”。
刀久里鉄典が誇る固有技法。それは、幾つかの厳しい条件に当てはまる、ごく一部の限られた刀剣に限り、その刀に刻まれた刀そのものの記憶を呼び起こし、かつての持ち主の技術や剣閃、癖に至るまで完全に再現すること。
そしてこれら六本の野太刀は全て、“歴代の神鳴流師範が生涯愛用した刀”。
つまり、今の詠春は五人の神鳴流師範を相手にしているような状況なのだ。
さいわい、霊力と気の供給源は刀久里一人であるため力を温存しているのか奥義は使ってこないので今は一進一退の状況だが、それも刀久里が勝負に出ればどうなるかはわからない。
現状は詠春がやや不利だ。動きを再現するといっても、そこに使い手がいるわけではなく刀だけ。そのため対象が小さく、刀の破壊を目的にこちらが奥義をくりだしてもほんの少しの移動でかわされる。
かといって大元である刀久里の方を狙おうとすると、残る落星が邪魔をする。
詠春からすればやや手詰まりの感もある。しかし負けるつもりはない。
一撃必殺にかけるには速いが、打開策の浮かばない詠春がとった手段は常に移動し続けること。
包囲されればそれで終わり。だから桜の下をくぐり抜け、常に動き続ける。
黒い気をまき散らしながら。桜吹雪を巻き上げながら。
「……なぁ詠春、いいかげん素直にやられぇや。お前もさっきの坊と一緒で、お前一人頑張ったところでどうにもならんやろ。それがわからん年でもあるまいよ」
常に高速で移動し続ける詠春とは対照的に、刀剣類が納められた箱を横に寝かせ、それに腰かけた刀久里が詠春に語りかける。逃げ続ける詠春を他人事のように眺める様子は、まるで夜桜見物に来たかのようだ。
「……木乃香を、犠牲にさせるわけにはいきません!」
「それが組織の、ひいては多くの長期的な安寧につながるとしてもか? そもそも誰も犠牲にするら言うてへんぞ? これまでも身近にあった、気づかんかっただけのちょいとした日常の裏側を知るだけや」
「それでも……です!」
その言葉に、刀久里は少し苛立ったように言葉を紡ぐ。言霊に、ほんの少しの恨みを乗せて。
「魔法世界の大戦なんぞとは何の関係もなかった儂の息子夫婦と孫夫婦は巻き込んだのに、か? ええおい」
詠春はその言葉に答えず、淡々と野太刀の攻撃を避け、逃げ続ける。
刀久里は箱から適度な長さの刀を一本取り出し地面に立て、柄頭に両手を乗せて、さらにその上に自分の顎を置いた。
「ええ身分やなぁ、詠春よぉ。他人の身内死地においやっといて、自分の家族はごくありふれた、ほんの少しの危険に近づけるのも嫌てか。親心がわからんわけやないが、長やからてそれは通らへんと思うんやが、そこいら辺しどう思う?」
詠春は答えない。事実であるが故に否定する言葉はあるはずがなく、答えることなどできはしない。
ただ苦々しげに顔を歪め、何か言おうと口を開くが、結局そこから何か言葉が発せられることはなく、沈黙したままだ。
「そこで黙ってまう辺りがあかんのやがなぁ……」
ここで、刀久里は詠春を責め立てていた五本の野太刀を一度自分の傍に引き戻した。
それから、顎を置いていた刀を杖のようにして立ちあがると、油断なくこちらを見る詠春にさらに続ける。
「……儂のやり方やとな、かつて持ち主の癖とかだけやのうて、その持ち主の思想や意志みたいなンもどうしても再現してまう。神鳴流の奥義や制御の関係上取り除くことのできへん仕組みでなァ、気に入らん相手やとへそ曲げて動かへんこともあるんやな、これが」
唐突な、自分の欠点をばらすような暴露話をする刀久里に対して、詠春は不審げに眉を寄せる。
だが、それならばと疑問も浮かぶ。刀久里が今使っているのは神鳴流の師範達が昔使っていた野太刀。
神鳴流は昔から保守派的な思想が強く、歴史的に見てもこういった反乱に関わるのはまれで、戦国時代の記録でも中立であったというふうに書かれている。
なら、どうして野太刀はああも動き、刀久里に従い自分の命を狙ってくるのか。
「その面見ると、儂の言いたいことの意図はわかったようやが、理由まではわからへんようやな。十五年かけてもわからへんのか。……まぁ、わかっとるようなら、そもそもこんなことにはならへんかったやろしなぁ」
「……どういうことです」
「どうもこうもあるか、ボケが。お前が神鳴流を穢したからに決まっとるやろうが!」
一瞬、思考に空白が生まれる。
――自分が、神鳴流を、穢した?
「わからへんか。わからへんやろなぁ! 橘の奴も生前言うとったが、お前はなんも気づいとらせんやろ! 過去を顧みることをせず、己の足下に目を向けることもなく、ただ遠くと理想じみた未来だけを見続けたお前には!」
「な、にを……」
「詠春、お前は神鳴流を人斬りの剣に落としよった。妖物を討ち民を守る為の剣を戦場で振るい、夕凪を血に染めた。なぁおい詠春、お前はなで魔法世界の大戦なんぞに加わった?
神鳴流の、協会の次の世代の担い手として武者修行に出たはずのお前が、なぜただ力を振るいたいだけの馬鹿とともに魔法世界なんぞに渡った?
そこまでならまだええやろう。そこでなぜお前は剣を同じ人に向けたっ!?」
「それはっ……魔法世界を救うために……」
「そんなんは後付けの言い訳やろが。特別顧問を忘れたか? 聞いた話では、大戦の中盤まではMMなんぞの都合の良い私兵みたいなもんやったそうやないか。……詠春、おどれ、力に魅せられたんやろ?」
その言葉に、詠春の頭に浮かんだのは共に戦場を駆けた戦友の顔。圧倒的な魔力。人間離れした肉体能力。不屈の精神。そしてそれらが霞むような天才的な戦闘の才能。
魔法世界の英雄、ナギ・スプリングフィールド。
「……大戦中、赤毛の阿呆に特別顧問が訊いたそうやな。なぜ戦場で戦うのかと。それに、奴はなんと答えたか。お前も知っとるよなぁ、詠春」
それは、確かに知っている。自分もその場にいたのだから。あれは、初めてアスナ姫とあった、ウェスペルタティア王国の王都オスティアで、何度目かの帝国の攻勢の時の――
「強い奴と戦い、自分が最強であると証明する。そう答えたらしいな」
「……ええ」
「答えろ詠春。お前はそんな奴の隣で、何を思うて戦った?
力だけを求める者の傍らで刀を振るうことが、人を守ることに繋がると本当に思うたか?
いや、訊くまでもないわな。お前は何も考えんかった。
自分が魔法世界で戦ういうことが周りにどないな影響与えるか。
木乃芽様の婚約者である自分が戦乱に加わるいうんが何を意味するか。
歴代の神鳴流が神鳴流として何を今に伝えてきとったんか。
それを、お前は何も理解らしてへんかった。ちやうか?」
「……っ! なら私はあの時、世界一つ見捨てれば良かったというのですか!?
それらを救う力がありながら、それを振るうことなくこの京都の帰還していれば良かったと! そうあなたは――」
「――おう。まったくもってその通りや。遠くの他人と近くの身内なら身内とらぁな。今のお前と同じように」
それに、詠春は絶句する。目の前の老人は、眉一つ動かすことなく、世界一つを見殺しにするべきだったと言ったのだから。
「さっきも言うたがなぁ、世界云々は後付けの言い訳やろ。志無く戦場に立つなんぞ論外、自己の力の証明のためら言うたら最悪やな。命を賭けて戦う者達に対する侮辱以外の何でも無い。なのにお前は戦場に立った。自分の立場を考りゃ、決して立つべきとちゃう戦場に。振るうべきでない力を振るた。誰かを守る為の術(すべ)として研鑽を積み重ね、間違った方向に振るわれぬよう厳しく律し、守り続けられてきた剣をっ! 見ず知らずの誰かを殺すために振るいよった!!」
先ほどまで椅子代わりに横に寝かせていた箱は立てることなくそのままに、杖のようにしていた刀を鞘から払い、天に掲げる。
そして射貫くようなまなざしを、闇に堕ちたからではなく、自分の過去に対して自問自答し、迷いで澱み歪む暗い目をした詠春に向ける。
「目ぇ逸らすなや……いや、そもそも見とらんかったか。んなら視界を広うして今のお前の周りの世界をよう見ろ。
百歩譲ってお前が世界を救う為に大戦に参加したんやとしても、その後のお前の行いが結果が今この戦を生んだんや。
千蔵はもうおらん。然次も後悔だけ残して逝きよった。ほなら、次に禍根を残さん為に汚れるんは儂のような老いぼれの仕事やろう」
刀久里の周りに浮かぶ六本の野太刀。いずれも、人の血を吸ったことがないわけではない。夜の闇、戦場に生き、戦いを日常として生涯を過ごしたならば、人だけを斬らないなどということはありえない。
欲に溺れて気づかぬうちに、あるいは力のために自ら進んで闇に堕ちた者。望まずとも、抗うことかなわず、不幸にも闇に取り込まれた者。
その全てをこの六本の野太刀は斬ってきたはずだ。
それでも、これらの持ち主は誰かを守るために。あるいは誰かを救う為に刀を振るったはずなのだ。
「詠春。お前は武者修行なんぞ行くべきやなかった。多少の陰口たたかれても、一人の神鳴流の剣士として、男として木乃芽様の隣におればよかった」
六本の野太刀が横一列に並び、まばゆい光を帯びる。それに伴って刀久里から力が吸い上げられて莫大な疲労感が襲うが、身体に喝をいれ立ち続ける。
もう少しだけ、もう少しだけだと自分に言い聞かせつづけ、さらに野太刀の一本一本に気を送る。
今までで試したことのない最上級の剣霊六本同時喚起。それに加えて、今から神鳴流の奥義を使うために自分の体から抜け出ていく莫大な量の気。霊力と気を一度にこれだけ体から引き出せば、老いた刀久里の体はきっと過負荷に耐えられない。
それでも、気を送ることはけしてやめない。
この戦いが、次の世代につなげるための、自分の最後の仕事だと信じて。
「即席で組んだ雷光剣六発分の合わせ技や。名前も無い。派手で燃費もどえらい悪いんやが……葬送には相応しいか。お嬢様には上手くごまかしといたるさかいに、安心して去ねや」
刀久里が、掲げた刀を振り下ろした。
今日はこれで打ち止めです。
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