麻帆良で生きた人   作:ARUM

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第八十九話 少女たち

 

 

「いよいよやな、せっちゃん」

 

「……はい」

 

 

 麻帆良へと向かう電車の中、向かい合わせに二人の少女が座っていた。

 

 一人は桜咲刹那。一人は近衛木乃香。どちらも麻帆良女子中学校の生徒である。

 

 彼女らにも多大な影響をもたらした修学旅行から、友人達や先生から数日遅れでこの麻帆良に帰ってきたのだ。

 

 理由は、建前上はただ“家庭の事情”。実際は裏の事情で説明やら挨拶回りやらであるが。

 

 

「ごめんな、せっちゃん。迷惑かけてもうて」

 

「それはっ……!」

 

「しっ。ここ、電車の中やで?」

 

 

 ぽつりと木乃香が言った一言に刹那が過剰に反応し、それを木乃香がなだめる。同じ車両の乗客は何事かとこちらの様子を見ていたからだ。

 

 

「謝らなくてはいけないのは、私の方なのに……!」

 

「もう言わんといて。最後に決めたんはうちやから」

 

 

 刹那は悔しそうに顔を歪める。それに木乃香は諭すように話しかけるが、刹那の表情は優れないままだ。

 

 麻帆良では、雨が降っていた。

 

 

 

  ◆

 

 

 

 周りに、暗色のローブを着た大人が数人立っている。

 

 私に向けられた視線は、まるで物でも見ているよう。そこに暖かみなどカケラも無い。

 

 視線と同じくらい、氷のように冷え切った石の床と鉄の鎖。

 

 眼前に広がるのは暗い夜空。赤や黄色の光が走り彩りを与えた。

 

 時折、耐え難い激痛が胸に走る。

 

 それを確認すると、大人達は周りから居なくなった。

 

 

 わからない。

 

 

 こんな景色は知らない。

 

 

 こんな冷たさは知らない。

 

 

 こんな痛みは知らない。

 

 

 

 こんな世界を、私は、知らない……!

 

 

 

「イヤァアアアアアアアッ!! あっ、え……?」

 

 

 布団を翻し、飛び起きた。けど、この部屋には今は私一人しかいない。

 

 ルームメイトの木乃香が、まだ帰ってこないから。今日は土曜日。今日の昼には帰ってくるらしい。

 

 

 ……今の私を知られたら、心配させてしまうだろうか。

 

 

 あの日から、夢を見るようになった。

 

 修学旅行三日目の夜、木乃香の実家にいったあの日から。最後に、蒼い炎を見たことだけは覚えている。

 

 気がついたら布団に寝かされていて、何もかも終わっていた。説明された話の内容はよくわからなかったけど、私が木乃香を助けられなかったって事だけはわかっている。

 

 私も、ネギも、届かなかった。どうしようもなく弱かったからだ。

 

 助けると意気込んで、助けられなくて。

 

 戦うと息巻いて、戦うことすら出来なくて。

 

 だからだろうか。掛け布団ををたぐり寄せるが、酷く寒い。今の今まで見ていた夢の中の、石の床の冷たさが残っているかのように。

 

 これも、私が弱いからなのだろうか? 力を手に入れれば、この寒さも消えるのだろうか?

 

 

「ネギ、いいんちょ……木乃香ぁ……」

 

 

 頭が、ひどく痛い。

 

 

 

  ◆

 

 

 

「……」

 

 

 

 森の中。

 

 野営のためのテントから這い出て滝の側の岩の上に腰を下ろし、あぐらをかいてただじっと流れ落ちる滝を見続ける。

 

 天気は雨であるが、服が濡れ肌に張り付くのも気にせず、ただただじっと滝を見る。

 

 自分の中の迷いを沈めるための精神統一。

 

 

「……むぅ、駄目でござるな。」

 

 

 いつもなら容易い瞑想が上手くいかない。心の内がざわつき、鎮まることがない。理由ならわかっている。京都での一件だ。

 

 この世に人成らざる物がいることは既に知っていた。

 

 世界に棲み分けがあることも、幼き日より教えられてきた。

 

 それを踏まえても、修学旅行で自分は何ができたのか。学友より救援を求める電話を受け飛び出した物の、犬耳の少年一人を抑えている内に大勢は決していた。

 

 いかに情報が少なかったとは言え、大局を見誤ったのだ。

 

 

 

 それと、もう一つ。

 

 修学旅行が終わり麻帆良に帰ってきてから一度、甲賀の頭領である父から電話があったのだ。中身はなんら差し障りのない世間話。最近体調はどうだとか、ちゃんと食事はしているかなど。特に暗号というわけでもない。

 

 だが、それこそが異常。

 

 甲賀の頭領である父親が、“何の用もないのにわざわざ電話をかけてきた”。

 

 京都での事件もそう。棲み分けが出来ていた表と裏が、その境界を朧気にしつつあるのだ。ことの始まりは、ネギが来てから。そして京都でそれが一気に顕在化した。だが、己の勘がまだ終わりでないと告げている。それどころか、むしろそれはより一層強くなってきている。

 

 

「……何か。起きるでござるか?」

 

 

 雨は風をともない始めていた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 麻帆良、学園長室。その扉を開けて、室内に二人の少女が足を踏み入れた。

 

 待ち受けるのは、学園長近衛近右衛門。

 

 

「ただいま、じいちゃん」

 

「おお、木乃香よ。よく無事に帰ってきたのう! 刹那君も無事で何よりじゃ」

 

 

 近右衛門は、木乃香を笑顔で迎えた。何を思っての笑顔かは、本人以外には決してわからない。

 

 

「は……」

 

「ところでな、じいちゃん。一つ言うとかなあかんことあんねん」

 

「ほ、なにかの?」

 

 

 

 

 

 

「うち、一昨日付で西の長になったさかいに。よろしゅうな」

 

 

 

 




 短い!

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