「え」
誰の口から漏れた言葉だったろうか?
自分か、周りの人か、あるいは両方だったかもしれない。
それはあまりにも衝撃で、信じたくなくて、考えたくなくて、そして悲劇的だった。
歓声に溢れていた東京レース場がか細い悲鳴しか聞こえなくなる。
色が、薄れていく。
誰よりも美しく、輝いて見えたスズカさんの色が。
それはどうしようもなく今起きている悲劇を、ボクの脳に伝えてきた。
「あ……え……? 嘘……だよね……?」
無意識に出た疑問に誰も答えない。
否、答えたくない。答えられない。
だってそれは、皆、嘘だと思いたかったはずだ。
駄目だ。
このままじゃ命が危ない。
スズカさんの出していたスピードはウマ娘の限界に迫るような速度だったはずだ。
そんなスピードのまま地面に衝突したら、原形を留めているかすら怪しい。
いくら減速しようと思っても、故障した足で身体を支えられるとは思えない。
最悪の可能性が、そこには広がっていた。
そのことに考えが至ったのか自然に動いていたのか定かではないが、スペちゃんが勢いよく飛び出し、その後をトレーナーが付いていく。
その光景をただ見守ることしか出来なかった。
どうして動かなかった、ボクの体。
今から行ってももう遅い。ボクがたどり着く前に救急車が着くはずだ。
分かってる。
駄目だ。考えるな、思い出すな。
あの頃──体が駄目になってしまった後の日々を。
ボクはただ──ただ、スズカさんが、もう走れなくなってしまうかもしれないと理解したくなかっただけだ。
あるとき、走ることが生きることと同義になりやすいウマ娘が走れなくなってしまうのは、死んだことと同じなんじゃないか? と言った人がいた。
そんなことは無い、というのが一般論だ。
それなら引退したウマ娘たちは全員死んだってことか? という反例が存在するからだ。
元から走らないウマ娘たちは生きていないのか? とも。
でも、あくまでそれは──悪く言ってしまえば
ボクが一生走れなくなったとき、正気でいられるのか?
多分、廃人みたいになるかもしれない。まぁ、多分では無いか。確実に、だ。
だって、昔はそうなったじゃないか。
スズカさんがそうなる姿を見たくない。決してそうなると決まったわけじゃないけれど、そうなる可能性も十分ある。
あぁ、あの笑顔を見せてくれたスズカさんはもう見れない気がした。
────この時ばかりは勘が鋭くなったことを恨み、どうか外れてくれることを願った。
□ □ □ □
「どうしたんだ、テイオー?
早くスズカのところに行こーぜ」
「ボクは……会えない、見たくない、────耐えられない」
「……そっか、気持ちが整ったら会ってやれよ」
□ □ □ □
スズカさんが運ばれてから3日が経った。
ボクは今日も病院に来ていた。
待合室までだが。
学校は行けていない。気分ではなかった。
マヤに見つからないように朝早く出て、適当に歩き回って時間を潰し、昼ごはんも適当に取って午後の面会可能時間になったら病院に行くという生活をしていた。
会おうとは何度も思っている。
でも、あと少しの勇気が出なかった。
こうしてボクがうずうずしている間にも、見知った顔を病院内で見かける。
ボクは目立たないように耳を帽子で隠し、尻尾も窮屈だが隠してウマ娘であることを隠してここに来ているので、向こうからばれる事は無い。
──と、思っていた。
隣に人が座った。
珍しいことでは無い。だが座った相手が問題だった。
「テイオー」
「私のこと? ……人違いじゃないかな」
「いえ、
どうやら誤魔化しは無駄のようだ。
帽子を外して顔をマックイーンの方に向ける。
だが、マックイーンは正面を向いたまま顔を合わせようとはしない。
マックイーンも制服では無く、学校には行っていないようだ。
「マックイーンは学校どうしたの?」
「サボりましたわ。どこかの誰かさんと同じで」
「うっ……」
「ここで話すのもあれです。
少し外で話しませんか?」
「……分かったよ」
いまいち乗り気では無かったが、ここ最近誰ともまともに話していなかったので、心の中のどこかで生まれた少し会話がしたい気持ちに逆らえなかった。
立ち上がったマックイーンの後ろをついていき、近くの公園に入る。
公園は平日の昼間ということもあり、親子で来ている人が若干いる程度で空いていた。
マックイーンがベンチに腰を下ろすとボクもそれに倣って横に座る。
「はぁ……それで貴女はスズカさんに会ったのですか?
まあ、その様子を見れば何となく察せますが」
「……無理なんだ。
怪我しているのはボクではないのにどうしてもボクに重ねて考えちゃう。
ボクが走れなくなったらどうするのか、そればっかり考えてしまうんだ」
「走れなくなったらどうするんですの?」
「はは、マックイーンてば残酷だね。
分かって聞いたよね?」
「いえ、私にはテイオーのことは分かりません。
教えて貰えますか?」
「……良いよ、マックイーンには教えとく。
走れる可能性があるなら頑張るよ。でも二度と走れなくなったら生きていけるか怪しいね」
「……」
上を見上げながらそう言うボクをマックイーンがただ見つめる。
「だから……」
「ん?」
「だから、あのとき身体を壊すということに過剰に反応したのですね」
そんなこともあったっけ。
「今言ったことはマックイーンは気にしなくて良いよ」
「えぇ、貴女が怪我をしなければ私も思い出すことはないでしょう。
なのでくれぐれも気を付けて下さいね」
「もー、分かってるって」
ちょっと暗かった会話が少し明るくなって、ボクの心も少し明るくなった気がした。
「……スズカさんは元気?」
「……それは貴女が自分で見る必要があると思いますわ。
スズカさんは貴女にも会いたがっていましたよ。
私はこんなことを言う立場ではありませんが、早めに会いに行った方が良いと思いますわ」
それを聞いてベンチから立ち上がる。
「じゃあ、行ってくるね」
「私がついて行かなくて平気ですか?」
「……流石にボクをバカにしすぎじゃない?」
「いいえ、3日も通っているのに会う勇気が出ないテイオーには正当な評価ですわ」
何も言い返せなかったので、黙って病院に足取り軽く戻っていった。
□ □ □ □
息を吸っては吐き、何とか落ち着かせる。
病室の前に立って自分の行けるタイミングで行こうとするが、中々入れない。
やっぱり、マックイーンについてきて貰ったほうが良かったかもと弱音も吐きそうになるが、それではいつまでも自分は変われない。
スポーツをする上で怪我は付き物。
自分がならなくてもまたチームの誰かがなるかもしれないのに、その時に僕はまた目をそらすのか?
勇気を出せ、■■■■。
コンコンコン。
扉を3回叩く。
「はい」
中から綺麗なスズカさんの声が聞こえてくる。
ここまで来たらもう引けない。
勇気を振り絞って扉を横にスライドした。
「こんにちは……スズカさん」
「テイオー……!」
やっと会えた。
ベッドの上で上半身だけを起き上がらせているスズカさんを見てそれをつくづく実感する。
だが、その左足は包帯で包まれ、怪我の悲惨さを物語っていた。
目頭が熱くなるが何とか我慢して、スズカさんに話しかける。
「ごめんなさい。
中々会いに来ることが出来なくて」
「こちらこそ、ごめんなさい。
私の怪我でテイオーまで辛い思いを……」
「それは違います」
これははっきり言えた。
「それは違います。
怪我したのはスズカさんで、ボクは歩けるし走れるけど、スズカさんは自分の足で立てない。
一番辛いのはスズカさんに決まってます。
だからボクのことは気にしないで下さい」
「……ありがとう、テイオー。
でもテイオーも私のことでそんなに深く考えすぎなくても良いのよ。
私はまだ走ることを諦めてないもの」
そうやって微笑むスズカさんは以前には無い不安の表情があるような気がした。
「この足が治ったら前までの絶好調のときの私のように走ることは出来なくても、色んなところを走りたい。
まだまだ走っていないところがあるのに走らないのは勿体ないでしょ?」
「リハビリは苦しいかもしれない。
でもそれでまた走れるならいくらでも出来るわ」
「スズカさんは……強いですね。本当に」
「そうかしら……私はただ走りたいだけだわ」
「今走れなくなるかもしれないのに前を向けてる。
僕には無理だ」
「テイオーは不安? 怪我して走れなくなること」
「もちろん」
「私もそう。
でも、こうやって皆が会いに来てくれて、応援してくれて、また会いに来てくれた皆と走りたい」
ここを見てと言われ、ボクが目を向けないようにしていた包帯に包まれた足を見る。
そこには色んな人がらの寄せ書きが書かれており、病室の殺風景な内装とは反対に賑やかな雰囲気だった。
「テイオー何か書いてくれないかしら。
ゴールドシップが絶対にテイオーが来たら書かせろって言ってたから」
マッキーペンをボクに差出しながら、ここはどうかしらと空いているスペースを指差す。
何を書くべきだろうか。
『怪我に打ち勝て』? なんか違う。
『元気になったら一緒に走りましょう』? 重石にならないか……?
「書いてくれてるときにごめんなさい。
でもどうしても今喋りたいことがあるから言わせて貰っても良いかしら?」
そう言われ外していたキャップをはめ直して、スズカさんの話を聞く体勢になる。
「先頭の景色の向こう側は、見れたの。
でも、そこはとても静かで、孤独だった。
スピカでの日々が大切になっていた私には合わなかったみたいだわ」
次回更新予定:一週間後ぐらい。