あれは
私はその中で勝てず、苦しい思いをさせられていたのを今でも覚えている。
「マックイーン、貴女にはステイヤーの才能がありそうですね」
「すていやー?」
そんな中、私を気にかけてくださったのがおばあ様だった。
私には私にあった距離があることを教えてくださった。
「長い距離を走るのが得意な人たちのことです」
「? それっていいことですの?」
「えぇ、メジロ家は天皇賞に重きを置いています。春と秋の2回行われる天皇賞はどちらも3200mと長いのです。
マックイーンの才能はこれからのメジロ家をいい方向に導いてくれるでしょう」
おばあ様は優しく私の頭を撫でながらそう言って下さった。
私は嬉しかった。家族の皆さまのために活躍できるかもしれないと期待されていることが。
「天皇賞秋の距離短縮!?」
「少し前から話自体は上がっていたようですわ」
小学生も高学年になったころ。ライアンとテレビを見ていたとき、URAの会見で衝撃の発表がされていた。
「でもマックイーン!」
「関係ありませんわ。たとえ中距離になったとしても勝てばいいだけですの」
納得がいっていないようなライアンに対して、強気に言う。
「私が中距離でも勝てるような強いウマ娘にならなくてはならないのです。
それが、メジロ家の看板を背負っていくメジロマックイーンなのですから」
最近の日本のレース界では中距離が重視されがちだ。そういった背景もあり、天皇賞の距離短縮ということが引き起こされたのでしょう。
そのこれからさらに中心となっていく中距離という距離で戦えないのはプライドが許せなかった。
「タイムが……伸びませんね……」
トレセン学園に入学してというもの、スランプに陥っていた。
中距離でも走らなくてはならないという使命感と、その努力とは裏腹に伸びないタイムへの苦しみで板挟みされていた。
「マックイーンお嬢さま、そろそろお休みになっては……」
「いえ、まだ走りますわ。
――――これでは駄目ですもの。これではまだメジロを名乗れない」
「あぁ。今年もそんな季節ですか」
学年が1つ上がり季節が移ろっていく中で、テレビである特集が組まれていた。春になると皐月賞の前に必ずあるクラシック三冠特集だ。
それはミスターシービーさんとシンボリルドルフさんらが2年連続で三冠ウマ娘になったときから、三冠は現実で起こりうることだと理解し、今年も三冠ウマ娘が出てこないか? と期待を寄せる番組であった。
「無敗のクラシック三冠という偉業は今後出てくることはあるのでしょうか」
そんな疑問に答えは返ってこなかった。
決して私がそれになろうという考えはなかった。
ですが、その偉業を達成できるかもしれないという存在に出会う。
「僕はウマ娘の頂点になりたいんだ」
トレセン学園に入学して出会った
人間関係など気にせずに、ただただ上を目指しトレーニングだけをする姿が気になって出会った人。
──こういう方が三冠ウマ娘になるのでしょうか。
こういったような何かに狂える方がどんどん上にいくのだろうと感じた。
「マックイーンさんは夢とかあるんですか?」
練習の合間の休憩での会話。
専属トレーナーはおらず、チームにも所属しないはぐれウマ娘たち同士の何気ない会話。
「夢……ですか? 天皇賞制覇ですわね。まぁ、これは目標……いえ、使命といった方が正しいですわね」
考えてみれば夢というものを抱いたことが無かったのかもしれない。
全て家のため、周りのため、趣味などは私自身のために色々なことをしていましたが、レースという場面で自分の意思を出したことが無かった。
「テイオーの夢はウマ娘の頂点になることでしたか?」
「うん。まぁこれもマックイーンさんと同じように目標みたいなものだけどね。
その世界にいるならばどんなことでも頂点を目指したくなるんだ。
でも僕みたいに最強になりたいとかそういうことをいう人ってどうして少ないんでしょうか」
「みんな思っていたとしても言えないのでしょう。
成長して自分の力を知っていくと高い目標を掲げるのは難しくなっていくのです」
「そんな感じなんですね」
生きにくそうですねと言外に語るテイオー。
出る杭は打たれるような社会だということを学び、そういうことは言えなくなるようになっていく。だが他人を気にしない彼女ならそんな障害など障害とも思わずやっていけるのだろう。
彼女の強さの一端はこういった自分を中心に考えられるところにもあるのかもしれない。
「テイオーの考える一番素晴らしい称号ってなんですの?」
「うーん、やっぱりクラシック三冠かな」
「それはどうしてですか?」
「どうしてって言われてもね……。
うーん、そう言われるとはっきりとした理由はない気が。
でも、挑戦できるチャンスは一度きりで、皆そこに目がけて頑張っているからじゃないかな」
ボクはカイチョーに憧れているからもあるけどねとテイオーは付け足す。
一度きり。
それが大きく関係しているのだろうとテイオーはいう。
そしてこうとも言った。
「三冠ウマ娘の次ならばダービーウマ娘だね」
ダービー。
憧れなかったことがないわけではない。ウマ娘になったからには一度は憧れる日本ダービー。
ですが、それだけではテイオーの目指しているところを理解することはできない。
それならば────────
「じいや」
「はい、何でしょうかお嬢さま」
「家の方針としては天皇賞の盾を取ることができれば、何をしても構わないという話でしたわよね」
「私はそう伺っております」
「ならばそれまでの天皇賞までに出るレースも天皇賞に向けていれば良いですわよね」
「はい、お嬢さまの裁量に任せると命令させております」
「たとえそれがクラシック路線だとしても良いでしょうか?」
「……もちろんでございます」
「それは良かったですわ」
「ではダービーを?」
「いえ────スタートは皐月賞からですわ」
私も目指してみようではありませんか。
一度きりのチャンス。やらなくて後悔したくはありませんもの。
「マックイーンはどうして三冠ウマ娘を目指したくなったの?」
「純粋な興味ですわ。
私が、私としてレースに挑めるのかどうか。
メジロマックイーンがどこまで通用していくのか、それを見に行くのですわ」
――――――――――――
――――――――
――――
「『メジロマックイーン、二冠なるか!?』だってさ。注目されてるね、マックイーン」
どこかで買ってきたのか貰ってきたのであろう新聞を広げながら、記事を読んでいる。
「おうとも。何しろ我らがマックちゃんは距離が伸びれば伸びるほど有利と言われているからな!
期待されんのは当然だぜ」
「『メジロマックイーン、あと2回』……強気だねぇ」
相づちを打ちながらテイオーに反応するゴールドシップさんと、どこからともなく2冊目を取り出しまた見出しに感想を付けて行くテイオー。
「……ふたりとも私は今レース前ですのよ?」
そう、ふたりがいるのは私の控え室。そして今日は日本ダービー当日です。
「なんだよマックイーン。お前はいつも通りの力を存分に発揮すればいいからこうやって日常を提供してやってるんだぞ?」
「マックイーン緊張してる?」
「えぇ、してますわよしてますわ」
「結局いつも通り頑張れってことになったんだから、そんなに焦んなって」
マイラーのような練習をしても特に何かを手にすることができたわけではなかった。ですが意味が無かったわけでも無かった。
少しだけスパートが早くなったような、なってないような……気持ち程度は成長した。
そんな騒がしくしていた部屋にノック音が鳴り響く。ゴールドシップさんがどうぞ~と言った後に入ってきたのはトレーナーさんだった。
「よお、マックイーン。そろそろパドックに入場の時間だが、調子はどうだ」
「それがよトレーナー、マックちゃんめちゃくちゃ緊張してるっぽいぜ」
「緊張していて結構!
緊張してるってことはそれだけ本気になれてるってことだ。
一度きりのこの舞台。頑張ってこい、マックイーン」
「言われなくてもそのつもりですわ」
サムズアップしているトレーナーさんの目を見つめ覚悟を伝える。
頑張れと言われてから頑張るような気持ちでここには来ていない。
出せる全力――気力、体力、全身の細胞ひとつひとつすべてを使うつもりで臨む。
「マックイーン、楽しんでこいよ」
「見てるからね」
ふたりの言葉に「えぇ」とだけ返して部屋を出る。
「ふふっ、最後までふたりらしい」
ふたりの期待に応えるためにも、胸を張ってパドックに向かった。
□ □ □ □
「マックイーンちゃん!」
パドックに入って一番最初に声をかけてきたのはアイネスさんだった。
「アイネスさん、調子はどうですか?」
「絶好調なの! マックイーンちゃんは?」
「それは言うまでもありませんわ。是非レースで確かめてください」
「! お互いに準備万端だね。今から走るのが楽しみなの!」
じゃあレースで! と手を振りその場を立ち去り
「ライアン」
「っ! ……マックイーン」
「この前私が言ったこと、覚えていますか?」
「もちろん! あたしだってメジロ家のウマ娘だってところ、見せてやるんだから」
メジロ家であることを背負う私とライアン。似たようで違う私たちの勝負も今から始まろうとしていた。
□ □ □ □
私の日本ダービーは至って普通に始まった。
アイネスさんが逃げ、私がそれに付けていく形で。
これは誰もが想像していた展開だ。そしてアイネスさんをマークする私をマークするように私の後ろで集団が形成されている。
集団の中にはライアンもいるのだろう。
特に特筆するような争いもないまま向こう正面をすぎ、コーナーへ入っていく。
アイネスさんは射程圏内、レースは残り800m弱。最高速は確実に向こうが上、そして私が勝てるのは持続力のみ。
だから私はここを仕掛け時だと判断した。ちょうど最終コーナーにかかり始めたところで一気にスパートをかけてアイネスさんを交わし、前に出る。それに続いてアイネスさんも追ってくる。
後ろからの圧は強いが、
東京レース場特有の長い直線に入り、坂を駆け上る。
じりじりと坂で後ろ――アイネスさんとの距離が開いていくのを感じる。
私の仕掛けるタイミングが早かったため、アイネスさんは自分本来のペースを崩されたからだろう。
これであとは全力でゴールするのみ。
これまでのレースで荒れに荒れたターフを踏みしめ、坂を駆け上る。
私の勝利が坂を登るほどどんどんと近づいていった。
そうして登り終えたとき、後ろからの────アイネスさんの放つ空気が変わった。
(何が起きていますの……!?)
私の知らないことが起きているに違いなかった。
どんどん足音が近づいてくる。
視線を後ろに向けて確認する余裕はない。
負けられない。
その一心で前へと体を進ませる。
足を、腕を、肺を、心臓を。
頭以外のすべてを使って、ただ前へと進むことだけに力をかけた。
重い。
体力の限界ではない。ですが、時間の流れに置いていかれるように感じた。
極限状態の集中力でスローモーションになった世界で、私は遅かった。
必死に前へともがくが距離は確実に詰まっていった。
最高速は出していた。
もしかしたら逃げ切れるかもしれないとも、ほんの少しだけ思った。
だがゴール板の前を先に通ったのは半身分、アイネスさんだった。
勝ったときは実感がわかなかったが、負けたときはすっと負けたという実感が胸にしみわたっていった。
肩で息をしながら、掲示板を見上げる。
「あぁ……負けたんですね」
掲示板に着差はまだ出ないが順位が表示されている。
一着がアイネスさん、二着が私。そして三着がライアン。
そしてレースを振り返るが、思い返されるのは先ほどのアイネスさんの走り。
「あれが……
存在自体は聞いていたがどんなものか全く知らなかった。だが、今肌で感じて
ゲームがよくわからないので聞き流していた、テイオーの言っていたレベル上限というものはこういうことだったのでしょう。
そうして掲示板から視線をその勝者に移したときが、今で良かった。
その勝者は────今、目の前で倒れようとしていたのだから。
「アイネスさん!?」
全力疾走で悲鳴をあげている足に無理を言わせてアイネスさんの体を支えに入る。
アイネスさんの体を見ると左足が痙攣していた。
「あはは、ちょっと疲れちゃったの」
顔を歪ませながら言うアイネスさんの言葉に、私にはそのようには全く見えなかった。
顔も疲れただけの表情ではなく、そんな痛そうな顔をしていたら説得力はない。
「担架を早く呼んでください!」
その呼びかけに周りのウマ娘たちは反応できない。
それもそうだ。まだ走り終えたばかり、誰しもが全力を出し切って体力などほとんど残っていない。
ですが、異常に気が付いた係の人がいたため、すぐに呼びますと言って無線で連絡してくれた。
「マックイーンちゃんいくらなんでも大げさだよ。ちょっと
「でも万が一がありますので……」
挫いただけだとしても、あんな速度を出しているときに挫いたらただでは済まないだろう。
だから今は左足にかける体重を私にかけてもらい、救護の人に来てもらうまで大人しくしてもらうことにした。
そんな中、観客席からはアイネスコールが巻き起こっていた。
「そっか……あたし、ダービーで勝ったんだね」
「えぇ、そうですわ。しかもレコードで……」
掲示板のタイムの前に大きく表示されている
『ア・イ・ネス! ア・イ・ネス! ア・イ・ネス!』
「皆~~~!!! 応援ありがとう~~!!!!!」
アイネスさんは肩に手をまわしていない右手を大きく上に突き上げ、観客たちのコールに答えた。
『マックイーンも良かったぞ~~!!』『アイネスおめでとう!』『熱い戦いをありがとうな~~!!』
観客席の近くのウィナーズサークルまで出てくると観客の声がより聞こえてくる。ほとんどがアイネスさんに向けたものだったが、たまに聞こえてくる私への声で応援されていたことを実感した。
19万人もの観客たちがアイネスさんの勝利を、私たちの戦いに大量の声援を送っていた。
□ □ □ □
「アイネスさん、入りますわよ」
ダービーが終わった翌日。私はアイネスさんが入院しているという病院まで面会に来ていた。
「いいよ~、マックイーンちゃん」
「起き上がらなくてもいいんですよ」
「ううん、やっぱ面と面で話したいから。
ほら、マックイーンちゃんもそこに座って欲しいの」
アイネスさんに指さされた椅子に座る。
そうしてアイネスさんの方を向くころにはアイネスさんもベッドに腰掛けて座っている姿勢になり、向き合った。
「その足……」
彼女の姿を正面から見て最初に気になるのは左足。直接聞くのが怖く、足としか言えなかった。
「しばらくは走れないっぽい」
「……っ!」
その一言は分かっていたはずなのに直接言われると来るものがあった。
昨日痙攣していた左足を指差して続ける。その足は包帯で覆われており非常に痛々しいものだった。
「ちょっと炎症が酷いみたいで、それが引くまでは走れないっぽいの」
だからしばらくって言ってもどれくらいになるかは分かんないや、と言う。
「マックイーンちゃんが悲しい顔しなくていいの。
あたしが全力を出しすぎちゃったから駄目だったの」
「マックイーンちゃん、次の菊花賞も頑張ってね」
「えぇ、言われなくともそのつもりですわ……!」
「あんまり気にしちゃダメだからね。これはマックイーンちゃんのせいでもあたしのせいでもないの。
ただダービーで勝つために運を全部使っちゃっただけ。だからあたしの分までとか考えなくて良いの」
気にしないことなんてできなかった。
私に勝つために領域に到達して、足に炎症を起こした。
意識しないようにするにはしばらくかかりそう──恐らくアイネスさんがターフに戻ってくるまでは。
「そんな顔しちゃダメだよマックイーンちゃん。
あたしは今年のレースは走れないけど、治って……うーん、たぶん来年ぐらいからはまた戻ってくるつもりなの」
「次また勝負したいな。これは約束なの」
私はその手を掴んだ。
「えぇ、ですがそのころには私はもうあなたの届かないようなところまで羽ばたいている予定ですが」
「あはは……手厳しいね。でも大丈夫! あたしは逃げられても差し返すよ。
……ダービーみたいにね」
にやりと笑うアイネスさんの目に闘志はまだ宿っていた。
「えぇ、復帰するためならできる限り協力いたしますわ」
「協力してくれるの? ライバルが一人増えるかもしれないのに」
「何を言っているのですか? ライバルが一人減るのを防ぎたいのですわ。
私にダービーで勝ったということをお忘れなく。
その時点であなたは今後私がレースに出続ける限りライバルであり続けますわ」
「……あたしったらダメダメだなぁ。こんなにいいライバルたちと戦える機会を1回失っちゃうなんて」
「そう思ってくれるなら私としても嬉しいですわ。
菊花賞、私とライアンの戦いをしっかりと見ていてください」
「もっちろん! 足も歩けるようになっていたら現地まで見に行くから」
「ありがとうございますわ。
では、また次はレースで会いましょうと言いたいところですが、定期的に会いに行きますわ。お大事になさってくださいね」
「うん、今日はありがとうなの。マックイーンちゃん」
そう締めくくると私は立ち上がり、部屋から出ようとする。
「あっ、ごめん。最後に1つだけ伝え忘れてたことがあるの」
だが、アイネスさんからの待ったが入る。
「なんですの。1つと言わず何個でも大丈夫ですわ」
「あはは……流石に1つだけでいいかも」
────誰かと本気でぶつかり合うって、こんなに楽しかったんだね。
その言葉はウマ娘にとっての本質を捉えているような気がした。
私も応えなくては。その熱量に。
進まなくては。新たなるステップへ。
「……テイオー。領域について教えてください」
だから、私は次の
次こそは──勝つために。
負けることは、ときに人をさらに成長させる。