苦手な方はご注意を。
身に覚えのない真っ暗な場所で気がついた。 何も見えないし、感じない。 身体があるという実感すらない。
───何も見えない……何も感じない……ただ微かに声が聞こえる……。 俺は吸血鬼二人を……。
「……ぅか、なれば戻るがよい。 はようせねば、身体に戻れんようになってしまうぞ?」
───お前は……誰だ?
声は少しずつ鮮明になってくるが、それは女性の声であり、その声の主は何処にも見当たらない。 というより、ここが暗いのか明るいのかすら分からない。 まるで電気の消えた部屋で眼を閉じたままのような感覚だ。
「お? なんじゃ、ようやっと聞こえたか! ……その反応ならわしが初めてのようじゃな。 しかし、まだ見えぬ……か。 ならばこれは偶然であり、まだ助けられるものも助けられんし、名乗る必要も無いか」
───どういうことだ? 見えれば何か変わるのか?
「変わるとも。 この場所で見えるということは名を知っているということじゃ、見られたところで囲炉裏の火のような見た目じゃが……。 少なくともあの小娘二人を相手に時間稼ぎ程度なら無傷で成せるさ、時間稼ぎならな。 まあ、助けて欲しければ自力でわしの名を思い出すか、さらに修羅場を潜り抜けることじゃな」
───思い出す……?
名前を思い出す……声はそう告げるが、その声に聞き覚えはなく、姿も見えないのでは分かるはずもない。
「ちなみに実際に会ったことも喋ったことも無いぞ? お主の母と共におったお主はまだ童だった故、名を忘れても仕方ないがの」
───母……? 俺の母さんを知ってるのか!?
母のことを知っている。 その時点で幽閉されるよりも昔の話であり、手を汚すよりも前の話だ。 それほど昔にいた人のことなど誰も覚えているはずがない。
「……いかんな、喋り過ぎたわ。 このままでは本当に戻れんようになってしまう。 今回はわしが手伝ってやろう」
───待て、まだ話は……!
「初めは身体に振り回されるであろうが、なぁに心配するな。 大きな衝撃でも食らえば元通り動けるようになる。 まあ、駄目元で名を言ってみるか。 わしは
───待……て……。
まだ聞きたいことが山ほどあるのに、麻酔をされたように激しい眠気が襲ってくる。 まだ眠らないように抵抗をするが、最後には電池の切れた玩具のように意識は再びプツリと途切れた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「うぅ……傷は治ったのにまともに立てない……。 血を流し過ぎたみたいね……」
足元が覚束ない様子でふらふらと立ち上がるレミリア。
背中の傷は再生しているようだが、羽は所々破けており、衣服の背面は損傷が激しく、破けてない部分は血を吸って赤く染まっている。 そして、彼女の倒れていたクレーターには大きな血の水溜まりができている。
いくら吸血鬼に再生能力があるとしても、それは傷に限った話であり、失った血液を補給できるようなものではない。 そのため、大量に血を流せば死なぬとしても、身体は思い通りに動いてはくれないのだ。
そんな中、レミリアが少し目線をあげると今にも泣きそうな顔のフランドールが赤い月明かりを背に近付いてきているのが眼に入った。
「お姉様ッ! ごめんなさい、私……!」
「いいのよ、私でも身体が動けなくなるほどの相手だもの、仕方ないわ。 それに今のアレを見る限り、勝機もまだあるみたいよ?」
笑みを浮かべ、そう言うレミリアの眼は、フランドールから別のものへ移る。 フランドールもその目線を追うように振り向くと、その目線の先には背中を向けて歩いていく柊の姿があった。
フランドールから見ても、今の柊はレミリアへの一撃が原因なの魔力が大幅に落ちており、レミリアの言う通り、今なら勝機があると思った。
「さて、私はこの通りフラフラだから、三十秒くらいは隙だらけになってしまうけれど、次の一撃で決めるしか無いわね……」
「お姉様、私がお姉様を守るわ! さっきは動けなかったけど、今はもう恐くないもの!」
浮かべていた涙を腕で拭うフランドール。 レミリアが視線をフランドールの手元に落とすと、その手は力一杯拳を握っており、今度は守るという強い意志さえ感じられた。
「そう……ね、それじゃあ頼んだわ」
「ぅぅぅ……あああああァァァァァッ!」
突然、一帯に響き渡る断末魔のような声に驚き、二人はその声が聞こえた方向を見る。
その声の主は柊であり、柊はいつの間にか歩みを止めており、その場で膝をつき、頭を抱えて、踠き苦しんでいる。 そして、その身体からは白い煙のようなものがのぼっていた。
その煙は何なのか、何が原因で苦しんでいるのか全く検討はつかない二人だったが、これを好機と見たレミリアはボロボロになった羽を広げ、天高く飛び上がると魔槍を作り出して、それに魔力を込め始める。
フランドールもレミリアを守るために、羽を広げて飛び上がった。
「今しかない! もう後先なんて気にしていられない、能力も行使してあげるわ!」
「があァァァァアアアッ!」
レミリアの敵意に気付いたのか、苦しみながらも柊は立ち上がると、片方の刀を鎖鎌のように振り回し、レミリアに向けて投擲する。
「スペルカード! 禁忌『レーヴァテイン』ッ!」
しかし、その直線上にフランドールが立ち塞がり、フランドールの作り出した本気の魔剣はそれを容易く弾き飛ばすと、お返しとばかりにありったけの弾幕と炎を柊へと放つ。
しかし、柊は手元にあるもう片方の刀を目の前で振り回して、炎と弾幕を弾く盾としてそれらを防ぐ。 しかし、刀や鎖がその熱で融解しなかったが、超高温の炎の熱は刀や鎖を伝い、鎖を掴んでいる右手の皮膚は焼き爛れていく。 そして、視界は炎と弾幕によって埋め尽くされており、次の攻撃には気付けなかった。
「これが私たちの全力よッ!! スペルカード! 神槍『スピア・ザ・グングニル』ッ!」
炎と弾幕の間を縫うように突然現れたレミリアの右手には今までとは段違いの大きさと威力を持つグングニルが握られており、柊の至近距離まで近付くと大きく振りかぶってそれを投擲する。
「ぬぅぅ……があッ!!」
柊はそれに気付くと、すぐに振り回していた刀を右手に握り締めて、七メートル程後ろへ押されながらも弾き飛ばしてしまい、神槍は軌道を逸れて、真上へと飛んでいく。
「あれを弾くのッ!? でもすぐにその運命、変えてあげるわッ!!」
レミリアがそう言うと、真上へ弾き飛ばされたはずの神槍は消失し、数秒後、突然現れた神槍は柊の腹部に直撃した。
「今までに無いくらい運命を操ったわッ!! 因果を歪めるくらいにはね!」
そして、柊はそのまま神槍に貫かれることはないものの、数十キロ離れた位置まで飛ばされると、大地が揺らぐほどの大きな爆発が起こり、その爆発には紅魔館の七割近くも巻き込まれていた。 そして、文字通り全力を出し切ったレミリアは、その爆風によって飛ばされてしまう。
「もう……この風に耐える余力も残ってないわ……」
「大丈夫よ、お姉様! 私がいるもの!」
しかし、フランドールはまだ余力があったのか、飛ばされているレミリアの背後に移動すると、右手を肩に回し、支えるような形で、近くの木の下へと降り立つ。 その時、ふとレミリアは理由なんてなかったが、なんとなく空を見上げた。 そこには空を覆う大きな雨雲と、右腕には美鈴や昨夜を抱え、左腕にはパチュリーと小悪魔を抱え、自分達を見下ろす竜胆の姿があった。
「雨雲よ、大地に降り注げ」
「フラン……!」
気付いた時には既に対処することも叶わず、突然降り始めた視界を奪うほどの激しい横殴りの雨が二人の吸血鬼を襲う。 それは吸血鬼にとって弱点の一つでもある流水であり、雨が一滴、肌に触れるだけで、肌が焼けるような痛みを感じるものである。 そして、木の下にいると言っても横殴りの雨となれば多少、軽減されようとも防ぐことは出来ないため、レミリアたちは声にならない苦痛の中でただ力強く目を閉じて、雨が上がるのを待ち続けている。
「効くか分からなかったけど、あなたにも効いてるようで良かったです。 疑似スペルカード 雨符『雨水の獄』」
そう竜胆が言うと、突然、雨は二人に当たらなくなり、雨音もピタリと止まった。 雨が急に止んだのかと思った二人はゆっくりと閉じていた瞼を開ける。 その目に映ったのは激しく流れ続ける水の壁であり、それはレミリアたちを囲むように生成されている。
その正体は竜胆の降らせた雨であり、雨は地に落ちることなく、二人が逃げ出せないように包囲する大きな流水の牢獄と化していた。
それはパチュリーとの戦いで彼女の見せた魔法に近いものであるものの竜胆が使った魔法は初歩的な水を操るというものであり、妖怪の山の河童、河城にとりが過去に教えた魔法を行使しているだけ。 その水を操る姿と髪の色などが由来で水狼天狗とも呼ばれているが、雨雲を生成し、雨を降らせているのは魔法ではなく、彼女自身の能力が可能としたものである。
「敵であろうと姉さんなら、このまま館にこの方々を置いてけぼりにはしないと思って行動して良かったです。 お陰で被害は姉さんと館だけで済みました」
淡々とした様子でそう告げると竜胆はゆっくりと降下し、地面に足を着けると両手に抱えていた四人を出来る限り衝撃を与えないようその場に降ろす。 皆、意識は無く、怪我をしている者もいるものの、包帯や植物のツタなどを用いて応急措置されており、命に関わるような怪我はない。
「そこまで消耗していればもう戦うことは出来ないはずです。 大人しく、幻想郷に溢れている赤い霧を止めてください」
「……分かったわ、降参よ。 悔しいけれど……私も引き際くらい見極められるわ……それに私もフランも何も得られなかった訳じゃないわ」
「そうですか……それでは後の事は、いつ訪れるかは知りませんが、博麗の巫女にお任せします」
「待ちなさい……貴女は何処へ行くのかしら?」
戦いの名残か空気は微かに焦げ臭く、雨に濡れた土の匂いが漂う中で竜胆は歩を進める。 その足取りは確かなものだが、力強さは感じられず、まるで薄暗い空へと消えゆく光を追うように進んでいる。
「姉の遺体の確認と回収ですよ、弔ってあげたいですから……」
「……勝手に自分の姉を死んだことにするのは感心しないわね? 禍々しさや魔力は完全に消えても、あの爆発の中心地からは絶え間なく白い霧みたいなのも発生しているもの」
空を覆っていた雨雲と赤い霧が少しずつ晴れていき、雲の合間からは木漏れ日のように太陽の光が差し込み、まだ希望はあると言わんばかりに地上を照らしている。 そして、レミリアの一言は竜胆を少しの間ではあるが、立ち止まらせる。 しかし、竜胆はその晴れゆく空を見上げると、何を言うまでもなく、地を蹴り、柊の元へ飛び立つ。
「……お姉様……私たち負けたのに、何を得られたの?」
「簡単なことよ、私たち二人で壊せないどころか壊されそうになる存在があったということ。
私たちの力が幻想郷に知れたこと。 そして、私たちがやっと姉妹らしくなれたこと。 まあ、挙げればキリがないし……結果や過程はどうあれ双林 柊には感謝してるわ。 だから二人揃って命があって館の半分くらいで済むなら安いものよ……それにしても久しぶりに身体を動かすのは疲れるわね……」
「うん、私も少し疲れちゃったみたい……。 あんなにいろんなものを見て、使って、感じて遊んだからかな……?」
幸い身動きの取れないレミリアたちは木陰となる場所にいたことと、竜胆の生成した流れる水の檻により、日光によって傷を負うことも痛みを感じることもない。 そして、静寂が辺りを包み込む中、激しい戦闘に疲れ果てたのか、気が付くと二人は夢の中。 その表情はどこか満ち足りており、互いに身を寄せている姿は、後々目を覚ました美鈴たちには穏やかであり、すれ違っていた二人の家族としての想いが重なっているように見えた。