一話・お百度参りの果てに
町の外れに寂れた神社がある。
見るからに古く、さぞ由緒ある場所なのだろうと思われるが、今は名前すら定かではない。苔むした石段は所々がひび割れていて、境内は雑草が生茂りどこが参道か判然とせず、向かい合わせに建てられている狐の像の老朽具合からは、長い年月、手入れされていないことが窺える。
社などはさらに酷いものだ。台風で吹き飛んだのか瓦屋根の一部が剥げており、全体もなんだか傾いている気がする。どこからどう見ても廃墟そのものである。中におわすのは御利益のある神様ではなく、魑魅魍魎の類なのではないかと思わせる迫力に溢れている。
草だけではなく木の枝も伸び放題で、日陰が濃く、それがより一層不気味さを際立たせる。幽霊を恐れる繊細な人なんかは外からこの神社の様子を一瞥するだけでも青ざめて、走って逃げ出すのではなかろうか。
どういう経緯で打ち捨てられたのかは分からないが、もはや人々の生活からは完全に切り離されてしまっている。参拝しようとする人は他所の神社へ行ってしまうし、あまりに不気味なので不良達の溜まり場にもなり得ず、もはや誰も訪れる者はいない。
この僕、一人を除いては。
○
労せずして願いを叶えようなどという思考は軟弱と呼ぶ他にない。唾棄すべき精神性だ。何か思いを遂げようというのなら、我々はそれなりの代償を払う必要がある。それが例え、他力本願だとしてもだ。
その点において僕は盤石である。なにせ御百度参りを敢行しているのだから。
御百度参りというのは、その名の通り百回にわたって神社に参拝しに行くことだ。人によってはこれを「百回その場でお祈りを済ませればいい」だとか「神社に通算で百回行けばいい」などといった風に捉えるらしいが、笑止千万である。百日間休まずに参拝するというのが本来のあるべき姿だ。
神が実在するとして、下手に楽をしている者と、一心不乱に百日の修行に身を投じた者と、どちらの願いを聞き届けるだろうか。無論、後者であろう。
すなわち僕である。
三顧の礼もかくやというほどに通い詰め、苦行に等しい真摯な祈祷をし続けて初めて満願成就に至る。それだけの気迫を以ってすれば何か一つくらい為せるものがあるはずだ。神様も「もうええわ」と根負けして願いを叶えてくれるに違いない。
思い立ったのは高校二年の春の終わり頃だった。その日から、僕は欠かさず神社に通っている。雨の日も風の日も、台風が来たって一日たりとも休まなかった。様々な警報や「何考えてんだ」という親の制止も聞かず大雨と暴風が渦巻く外へ飛び出し、命からがら神社へ行って「南無南無」と祈った。南無は仏教だっただろうか。いや、些細なことだ。大事なのは熱意である。
さらに場所選びも完璧である。寂れた神社のただならぬ雰囲気を受けて僕は思った。これほどに妖気を垂れ流す場所に何もいないはずが無いと。
町の中心部の大通りに面するところにも神社があり、そこは大きく立派で遠くから人が来るほどに有名だが、いかんせん人が多すぎる。年がら年中、あんなにたくさんの人間から願い事をされては神もさぞ辟易としていることだろう。必然、一市民である僕の願いも有象無象のなかに埋没する恐れがある。
斯くして、ほぼ廃墟と化している神社への御百度参りを決行した。
僕は祈った。来る日も来る日も祈った。
雨にも負けず、風にも負けず。夏の暑さにも負けなかった。蚊には負けそうになったがスプレーを多用して乗り切った。
全てはそう。理想の女性と巡り合い、交際するために。
笑ってはいけない。呆れもしないでもらいたい。僕は至って真面目である。そうでなくては御百度参りなんてやっていられない。
だからどうか、僕の真摯な思いを聞いていただきたい。
高校二年目というものは、青春時代における一つの節目である。来年からは受験戦争の火蓋が切られ、それが終われば大学生活という名のモラトリアム最終処理場へと搬送される。或いは最悪の場合、そのまま社会の荒波へと放り出される。
だから僕はこの貴重な時期にこそ、青春の象徴である恋愛の味を享受するべきであると論理的に考えた。経験は何事においても必要だ。思春期が始まって以来、周回遅れになりつつある我が青春を今こそ輝かせるのである。
しかし、ここで焦って適当なことをするわけにはいかない。その辺でインスタント的に結びついている学生カップルたちと同じになっては意義もへったくれもない。清純な女性との理想的な出会いこそが僕の望む全てだ。それ以外は尽く却下する。
かつて、中学校の友人には「身の程を知れ」と言われた。辛辣である。だが的を射ている。確かに正攻法で僕がそんな理想を遂げられるはずもない。そのくらいの良識は持ち合わせているつもりだ。
故に、神頼みである。御百度参りの末に呪いじみた運命を授かり、誰もが羨む恋愛を手にするのだ。決して、正攻法で挑むことに臆したわけではないのだ。
「さて」
自室の壁にかけたカレンダーの今日の日付に、油性マジックで丸をつける。同じ丸が過去の日付にも付けられている。その数はざっと九十九。本日をもって百個目だ。
つまり今日こそが、御百度参りの最終日となる。
○
外へ出ると、昼下がりの夏の太陽が僕の肌をじりじりと焼いた。駐車場に停めてある車からは陽炎が揺らめいている。そろそろ夏休みも終わり九月になろうとしているのに、夏は今まさに隆盛を極めんとしているようであった。極めなくていいから。
しかし僕の気力は些かも損なわれることはない。なにせこれから、今までの百日間におよぶ苦行の成果が実るのだから。
本当に叶うかどうかは定かではない。しかし周囲の人々から三日坊主の象徴的存在とされてきた僕が百日もの間、貫き通したのだ。それを思えば、今日という記念すべき日を快晴で迎えられたことだけでも胸がすくような気分になる。
「行くか」
大いになる期待と不安を抱え、僕は神社へ向かって一歩を踏み出した。
出来るだけ日陰になっている部分を選びつつ、熱されたアスファルトの脇道を歩く。歩きながら、己の青春を振り返る。
恋というものを意識し始めた中学二年の秋。友人たちとこそこそ集まって作り上げた、学年・学級別の可愛い子ランキング。そこから選りすぐった女子にメロメロになった僕。徹夜して書いたラブレターを持参して臨んだ告白と、その惨憺たる結末。それから狐の葡萄よろしく「運命の人ではなかったのだ」といじけ倒して奥手の権化となった自分には同情の涙を禁じ得ない。なぜ僕だけがこんな目に。
だが、しかし。そんな暗い過去ともついに離別を果たす時が来た。さらば、悲しき思春期の自分よ。薔薇色の青春を手に入れたあかつきには、二度とお前を思い出すことはあるまい。
炎天下、滝のような汗を流しながら僕はニヤニヤと笑った。ふと、カーブミラーに映った己の顔を見る。あまりの醜態に思わず目を背けた。
○
神社の境内に入ると、明確に気温が下がったように感じる。生い茂った木々によって日陰となっているのが主な理由だろうが、崩れかけの社を見ればそれだけではないように思える。いつ来ても雰囲気のある場所だ。
二礼二拍手一礼というのはあまりに有名であるが、神社の参拝にはもっと多くの細々とした作法がある。僕はそのほとんどを忠実に守る。手水舎は無いのでその辺りは持参したペットボトルの水で済ませている。七面倒くさいことこの上ないが、全ては恋愛成就のためだ。
参道の脇を通り、向かい合う狐の石像の間を抜け、社の前に立つ。他の神社ではよく目にするガラガラと鳴る鈴は無い。「どうぞ好きなだけ盗んでください」と言わんばかりのオンボロ賽銭箱がぽつねんとあるだけだ。
財布から五円玉を取り出して賽銭箱に投げ入れる。カランカランと木にぶつかる音の後に、チャリンと底に落ちた音がする。恐らく賽銭箱の底に溜まっているのは、僕がこの百日間で投げてきた五円玉のみであろう。ここに参拝するためだけに五円玉を貯めた日々も、今となっては良い思い出だ。母からは「どうせ貯金するなら五百円玉貯金にしなさい」と豚の貯金箱を渡されたが。
賽銭を入れた後は二礼二拍手一礼である。満願の思いを込め、一つ一つの動作は丁寧に。御百度参りの最終日ということもあって一層気合が入る。
もはや達人の域に達したその動作を終え、僕は手を合わせたまま目を瞑った。すっと息を吸い、心の中で、願い事を唱える。
(どうか理想の恋人に巡り合わせてください。同じ学校の人でも他校の生徒でも構いません。上級生でも下級生でもどんと来いです。ギャルはちょっと厳しいです。可愛くて優しくて清純な子をお願いします。今すぐにとは言いませんが、高校二年が終わるまでには叶えていただきたい。やっぱり今すぐが良いです。そのためにこれまでずっと通ってきました。どうか超絶可愛くて性格もめちゃくちゃ良くて清廉潔白な彼女を僕にください。お願いします。お願いしますだ。どうか神様。これが僕の一生のお願いなのです。もう童貞仲間とくさくさするのは嫌なのです。どうか僕にウルトラハイパーアルティメット可愛い女の子との出会いを恵んでください。どうか。どうか。どうか彼女を。彼女、彼女、彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼女彼…………)
「うるさあぁぁぁぁぁぁい!!!」
バァンッと、発破でもかけたような音を響かせて社の引き戸が開いた。そして、そんな物音をかき消す程の絶叫を上げながら現れた存在を見て、僕は呆然とした。
「いっつもいっつも何なんじゃ! 彼女が欲しい彼女が欲しいと。お主にはそれしか無いんか!?」
和服を着た女の子だった。背丈は小学校の高学年くらいか。中学生と言うには少し小さい。目鼻立ちはくっきりとして整い、幼さの残る顔立ちをしている。
しかし僕が呆気に取られたのは、その子の外見年齢のためではない。年端もいかない女の子が大声をあげて廃墟同然の社から出てきたためであり、何よりも彼女の妙ちくりんな格好に目を奪われたからだ。
まず目に付くのは腰あたりまで伸びている金髪だ。一瞬、外国人かと思ったが顔立ちは日本人のそれである。しかし染めているにしては実に自然な艶のある髪に見えた。それが和服姿に不思議と似合っている。
そして頭部からは二つ、髪色と同じような金毛にふさふさ包まれている狐の耳が生えていた。
腕を組んで仁王立ちしている彼女の背後にもまた、金色のふさふさが揺れているのが見える。それはいつだったか、ドキュメンタリー番組やアニメの中で見たことのある、狐の尻尾に違いなかった。
「おい、なんとか言わんかい」
狐のコスプレをした少女が僕を叱り付ける。僕は突然のことに声も出ない。
願い事などは思考の地平線の遥か彼方へと吹っ飛んでしまっていた。変テコな少女、変テコな状況。およそ現実離れした現状の諸々に疑問を抱くべきなのだろうが、それさえもこの時の僕の頭からは抜け落ちていた。
思ったことはただ一つ。
正直、むちゃくちゃ可愛かった。