大晦日。
駅前の商店街が一年の内で一番活気付く日である。三ヶ日はどの店も閉まってしまうので客が怒涛のように押しかけ、緩み切った財布から金をばら撒いていく。往来に出店まで並び、やたらと良い匂いをさせて誘惑してくる。
防寒着を着込んだ僕は行き交う人々の間を縫って歩く。
高校も冬休みに入り飼い猫のごとく家でぬくぬくと過ごしていたのだが「大掃除も手伝わないならお使いくらい行け」と母に蹴り出され、こうして寒空の下へ追放されてしまった。午後からは雨が降るかもしれないと予報も出ていたのになんて仕打ちだろう。
頼まれたおせちの材料を買い込みがてら、僕は松葉屋に寄りこっそりメンチカツを購入した。
我が家に住まう神様はこれを貢げば大抵ご機嫌になる。家内安全、無病息災などなど願うことは豊富にあるのでご機嫌取りをしておくのに越したことはない。
Prrr……。
松葉屋を出たところでポケットに入れている携帯電話が鳴った。盟友である伊藤からの着信だ。
「おう、どうした」
『晴人! 大変なんだあ!』
持てる肺活量を全て使ったのではないかと思うくらいの音量に、僕は携帯から耳を遠ざけた。元から気の弱い男で狼狽えやすいが、ここまで動揺しているのは初めてだった。
「なんだよ。落ち着けよ」
『む、む、無理だよ。やばいんだ本当に』
要領を得ない伊藤を宥めつつどうにか話を聞くに、彼は女子に告白されたという。家のポストに熱烈な思いの綴られた恋文が投函されていたらしく、どうして良いか分からず僕に泣きついたというわけだ。
『こんなの何かの間違いだよ。俺は怖い』
涙ぐむ伊藤のことを情けないと思いつつも、混乱してしまうのも仕方ないと同情する。
なにせ彼に告白してきた物好きな女子というのは、かの小野町だったのだから。
昔の僕であれば奴が告白されたなどと聞けば嫉妬と歓喜の間で悶え苦しんだ挙句、ろくなアドバイスも送れず血涙を流しながら祝福するしかなかったであろう。
しかし今の僕には恋愛経験者として言えることが少なからずあるし、何より彼の恋路を後押しする義務がある。
何故ならラブレターを送ることを小野町に提案し、二人の仲を取り待とうとしたのが他でもない僕なのだから。
○
時は遡り秋の暮れ頃のことである。環さんとの一件が片付いて暫く経ったある日、小野町から呼び出された。
時刻は夕時。場所は校舎裏。奇しくも中学生時代に僕が恋文を読んだ状況がそのままに再現されており、心中穏やかではなかった。
周りに誰もいないのを何度も確認してから小野町は言った。
「恋愛相談に乗ってほしいの」
公園で話し合った日、僕は去り際に「困ったことがあれば相談に乗る」と言い残した。そう、確かに言ったが、まさかよりにもよって恋に関する話を持ち掛けられるとは考えてもみなかった。
いくら気兼ねしない仲になったとはいえ、振った相手にその手の話ができる小野町の胆力たるや尋常ではない。相談された僕は呆れるどころか感心して笑ってしまったほどだ。小恥ずかしそうに顔を赤らめた小野町に「笑わないでよ」と怒られたことは記憶に新しい。
話を聞くに、小野町は高校に入学してからすぐに伊藤のことが気になり始めていたという。
それで僕は小野町としょっちゅう視線が合っていたことに対し合点がいった。どうにも伊藤と一緒にいる時に頻発する気がしていたのだが、小野町は僕とのわだかまりを解消したいのと同時に、伊藤にもアプローチをかけられないかと虎視眈々狙っていたわけだ。
大人しそうな優等生面をして中々に強かである。「かーっ、卑しかばい!」とからかったらまた怒られた。
「ちなみにアイツのどんなところを好きになったんだ」
そう聞くと小野町は顔を真っ赤にしてしばらくモジモジと悶えた後、神父に罪を告解するカトリックのような面持ちで答えた。
「私、筋肉が好きなんです」
なんとも単純かつ強烈な事実に僕は天を仰いだ。明瞭にもほどがある。
僕が間抜けヅラを晒している間にも、スイッチが入ってしまったのか小野町が喋る喋る。
小学校三年生くらいから既に男の人の筋肉に憧れがあっただとか、毎日寝る前にスマホでボディービル大会の動画を見るのが止められないだとか、一番好きな部位がどうたらこうたらとか、聞きもしない性癖がタガの外れた小野町の口から雨霰のように乱射され僕を打ちのめした。
王様の耳がロバの耳であることを知った理髪師のごとく、僕はやたらめったら周りに言いふらしたい衝動に駆られた。クラスのマドンナがまさかの筋肉フェチである。それも重度の。
しかしまあ、色々と腑に落ちたのも確かだ。僕は自分の二の腕を触ってみて思う。なるほど、これでは小野町を振り向かせるに足るはずもないと。やはり恋文の良し悪しなどは関係なかったのである。
延々と伊藤の筋肉がいかに素晴らしいかを語ろうとする小野町を落ち着け、僕は伊藤がいかにロマンチックで純情な演出に弱いかということを教えると共に、彼女へ秘策を与えた。
その名も『押して押して押しまくれ作戦』である。要は一歩も退かぬ構えで勢いのまま相手を丸め込むのだ。気の弱い伊藤にはこれ以上無く効果的な作戦と言える。
そしてついに小野町は秘策を実行に移した。効果のほどはご覧通りてきめんであり、伊藤は訳も分からず僕に泣いて縋り付いてきたというわけだ。
いやあ、めでたしめでたし。
○
「泣くな、みっともない。良かったじゃないか。お前の育て続けてきた筋肉がついに日の目を見たんだぜ」
伊藤の弱腰はさすがに僕の想像の範疇を超えていた。小野町に押されれば誰だろうとコロっと落ちるに違いないと思っていたのだが割と手強い。「怖い怖い」と怯えるばかりの軟弱野郎に対し、最初は面白かったのが段々と面倒になってくる。
『晴人、僕はどうしたらいいんだ』
「男なら抱きしめてやれ。その逞しい腕で。小野町はきっと大喜びするぞ。じゃあな」
これ以上付き合ってられるか。さっさと帰って環さんと炬燵に入りたい僕は言うだけ言って通話を切った。
あとは当人同士だけでイチャイチャするがよろしい。そもそも他人の恋路にやたらと首を突っ込むのは清純を旨とする僕の趣味ではないのである。
さて次は何をするんだっけ、と買い物のメモを取り出して見てみれば、湯葉を買いに一箇所だけ商店街ではない駅向こうの店に行かねばならないらしい。母が重宝している豆腐屋があるのだ。
少々面倒に思ったのも束の間だった。一つ思い付いたことがあり、僕は途端に意欲が湧いてきた。
せっかくだ。少し寄り道でもしよう。
さっさと帰りたいからと伊藤を突っぱねた理由も何処へやら、足取り軽く商店街を通り抜ける。雨予報は外れたらしく空はからりと晴れていた。
駅の構内を抜けて旧来の住宅地に入り、目的地である豆腐屋の前も過ぎ、しばらく歩けば閑散とした土地が目立つようになってくる。
いや、閑散としたという表現は適切ではないかもしれない。田畑が埋め立てられた土地には端から迫るようにいくつもの家の骨組みが建ち始めている。
現代の住宅建築はかなり素早いと聞く。一年もしない内にこの辺り一帯には整然と同じような家々が並び、たくさんの人々が新しい生活を始めるのだろう。
今はまだ発展途上の風景を感慨深く眺めながら歩いていると、すぐに例の場所に着いた。
僕が恋人欲しさに御百度参りをし、霊狐の環さんと出会い、そして何やかんやと楽しい日々を過ごした神社。
その跡地である。
「綺麗さっぱりだ」
久しぶりに訪れた僕は、目の前の荒涼とした光景に思わず呟いた。
砂利が剥き出しのあまりに平らなその土地には、かつて神社が建っていた面影など欠片もない。解体工事は順調に進んだようで、鬱蒼とした木々も、崩れた狐の像も、傾いた社も、何もかも無くなっている。
それは一つの歴史が終わりを迎えたことを如実に示していた。
これから他と同じように骨組みが建てられ、やがて人の住む真新しい家が出来上がる。知らない誰かがここに引っ越してきて、神社があったことやそこに狐の環さんがいたことなどつゆ知らず、各々の生活を営むのだ。
僕はそれを嫌だとも寂しいとも感じなかった。時の流れと共に人や物、土地さえも様々に変わっていく。そして僕たちは変わりゆく中でも自分なりの幸せを探して生きていかねばならない。
願わくば、ここに新しく住む人々もまた、幸せでありますように。
今は無き神社に向かって慣れた動作でお参りを済ませる。柄にもないが、年の瀬だ。たまにはこういうのも悪くない。うちの神様も良い心掛けであると言って笑ってくれるだろう。
寄り道に満足し、踵を返して元来た道を戻ろうと歩き出したところで、顔にポツポツと何かが当たる感触があった。
空を見上げてみれば、僅かながら小雨が降り始めていた。しかし冬の澄んだ青空に雲は少なく、依然として太陽も明るい。
晴れている中で雨が降る。珍しい天気だ。何か洒落た呼び方があった気がするが、それにしても陽光に照らされながら降る小雨という景色は乙なものである。
いちおう鞄に折り畳み傘を入れてきたが使う気にはならなかった。遮ってしまうのはどうにも勿体ない。僕は少し得した気分になり、足早に残りの買い物を済ませて帰路に着く。
来年はどんな年になるだろう。
考えれば考えるほど心が躍り、居ても立ってもいられなくなる。僕はいつの間にか小走りで駆け出していた。
環さんが待つ家に向かって一直線に駆けていた。
○
おしまい
これにて完結です。読んでくださった方々、ありがとうございます。誤字報告などのご協力にも感謝しております。
正直、のじゃロリ狐娘とラストの狐の嫁入りを書きたかっただけのお話でした。でも主人公の晴人や他二人のキャラクターも書いていて楽しかったし、キャラ立ちさせることも出来たかなと。