本編に捩じ込めなかったボツシーンを書き直して短編にしてみました。
時系列は本編四話と五話の間くらい。中間テストに向けて晴人くんが環さんに古文の勉強を手伝ってもらっている時のことです。
霊狐の家庭事情
夏の暑さも和らいできた今日この頃、神社の再興計画を立てた僕と環さんは学問の神格を得るべく地道な勉強に明け暮れていた。
もちろん教科は古文のみである。何故なら環さんが僕に教えられるのはそれ以外に無いからだ。
越えなければいけない壁として小野町の成績のほどを伝えたところ負けず嫌いの環さんがやる気に満ちてしまい、僕もヒイヒイ言いながら彼女の勢いについて行かねばならなかった。
「ちょっと休みしましょうよ。このままでは僕は現代人としての自覚を失いそうです」
あまりに古典文学に触れすぎて頭が痛くなってきたことを訴えると、環さんは「軟弱じゃなあ」と呆れながらも休憩を許可してくれた。
「軟弱って言いますけどね、僕はこれまで勉強なんてしてこなかったんですよ。キツイのは仕方ないじゃないですか」
「その言い訳、情けさに拍車がかかっておるだけだぞ」
強くなれ、お米食べろ、などと環さんは僕を激励しつつ本日の貢物である饅頭を頬張っている。
「儂なんかなあ、神社の奉公に遣わされる前は刻苦勉励の日々じゃったぞ。歌謡に舞踊に琴や笛、算術習字と数え切れん。お主に教えている文学とて一朝一夕で身に付けたものではないのだからな」
「環さんは勉強つらくありませんでした?」
「めっちゃつらかった。母上怖いし」
かつての艱難辛苦を思い出してか環さんは苦い顔をする。思い出すだけで渋柿をそのまま食べたような顔になるとは、どれだけ苦労したのだろうか。
「そういえば環さんのお母さんってどんな人なんですか」
「一言では表せんが、強く聡明で自他共に厳しい、霊狐の象徴とも言うべき狐じゃよ。実際に儂らの始祖みたいなもんじゃし」
「へえ、ちなみに何歳くらいなんですか」
「さてなあ。母上のことは儂も知らないことが多いし。平安の頃はブイブイ言わせとったらしいが」
「平安って、平安時代ですか?」
「うん」
何でもないことのように環さんは頷く。この人と話しているとたまに人間の常識や価値観を揺るがされる。もはや驚くことも疑うこともなくなってしまった。
「あらゆる妖術に精通し教養高く、立場も神と変わらん。年に一度、出雲で八百万の神々の集会が開かれるんじゃが、母上はその出席権も持っておるしな。儂も含めて娘一同、尊敬の念に堪えん」
出雲ってたしか島根県だったか。その程度の知識しかない僕は環さんの言う凄さもよく分からず「へえ」と生返事をする。
しかし由緒正しき神々の集いだ。さぞ荘厳かつ豪華絢爛で、常人の想像などまるで及ばない宴会なのだろう。某宮崎監督作品の女の子が神様たちの風呂屋で働くアニメのイメージが頭に浮かび心が躍る。
「なんだか楽しそうですね」
何となくそんな感想を言うと、環さんに「こら」と叱られる。
「無礼であるぞ。上古の時代より続く由緒正しき催しじゃ。しかと敬うように」
「はあ、でも何のために集まるんですか」
「人間のあれやこれや。まあ主には男女の縁を決めておる」
縁。縁結び。
僕は一瞬思考停止した後、やおら立ち上がった。環さんがびっくりして目を丸く開き、耳と尻尾をピンと立てる。
「な、なんじゃ、なんじゃっ」
「僕の願い事そのものじゃないですか! 何で早く言ってくれなかったんです!?」
お百度参りとは何だったのか。まさか八百万の神々が一同に集まって決めることが男女の縁とは露とも知らなかった。そこで僕の良縁も結ばれれば当初の目的は解決してしまうではないか。
「その集会はいつあるのですか」
「十月じゃけど……ほら、神無月というじゃろう」
もう目と鼻の先だ。こうしてはいられない。
「環さんから僕の縁結びを打診してくださいよ。今、すぐにっ」
「待て待て、落ち着かんか。いち人間の意見など聞き入れられるわけがなかろう」
「僕の願い事叶えてくれるって言ったじゃないですか!」
「ああもう喧しいのう!」
詰め寄ると、環さんはピューと逃げてしまった。出会った日に尻尾か耳を触らせて欲しいと言った時と同様、まさに狐のごとき素早さだった。
「嫌いになるぞ」と脅されれば流石に冷静にならざるを得ない。僕は環さんに平伏して謝罪した。
「全く、そもそもお主の考えているように実際に縁結びが行われているわけではないのだ」
「どういうことですか」
「昔はか弱い人間を導くためのものじゃったが、暫くすればその必要も無くなった。今では昔の名残りで集まって宴を開き、それぞれの近況や前年に占った相縁が結ばれたかどうかなどの話を肴に酒を酌み交わすらしい」
もちろん儂は参加などしたこと無いから又聞きの噂でしか知らぬが、と環さん。
僕は愕然として膝をつく。それではただの飲み会ではないか。しかも他人の恋バナが酒の肴ときたもんだ。有り難みも何もあったものではない。
とことん上手くいかない現実に打ちのめされている僕に、環さんは冷たい視線を送る。そこには呆れと怒りの色があった。ひどく憮然とした表情をしており、僕がどうしたのかと聞くと拗ねたようにそっぽを向いてしまう。
「あーあ。二人で神社の再興を誓い合った矢先に自分の願いだけを叶えて一抜けしようとは。晴人は薄情じゃのう」
顔から血の気が引く。裏切る気など毛頭無いが、しかし先程の僕の発言はそう思われても仕方ない。錯乱していたとは言えあまりに申し訳ない失言だった。
「許してください。どうかこの通りです」
「ふん。もう土下座なんかじゃ誤魔化されんぞ」
「決して悪気があったわけではないんです。これからも環さんと仲良くしたいんです。何でもしますからどうかお許しを」
「ほほう。何でもするのか」
「はいっ、そりゃもう……」
顔を上げた僕の目に、環さんのしたり顔が映る。「今何でもするって言ったよね?」とニヤニヤしていらっしゃる環さんを見て僕は悟った。嵌められたのだ。環さんは最初から僕の考えなどお見通しで、拗ねて見せたのは演技だったらしい。
斯くして、勢いに任せて何でもすると宣言してしまった僕はこれから一週間休まず松葉屋のメンチカツを貢ぐことと、今まで以上に環さんを敬い信仰すること、そしてどんな時でも生返事などせずちゃんと構うことを確約させられた。霊狐恐るべしである。
上記についてはさて置き、迂闊な僕をからかうことが一番の目的だったらしい環さんはしばらく愉快そうに笑っていた。その笑いが収まったところで、僕は不都合な話の流れを変えるべく環さんの家族のことについて尋ねた。
「たまに話に出てきますけど、環さんのご姉妹ってどんな人たちなんですか」
話題を変えたかったのもあるが、単純に興味もあった。環さんのように人懐こく破天荒なのか、或いは先ほど話に聞いたお母さんのように厳格な狐なのか気になるところだ。
「どんなと言われてもなあ。性格など千差万別じゃし、一概にこうとは言えんよ。それに姉妹全員と面識があるわけでもないしな」
「まあ掻い摘んででも良いので……って今なんて?」
環さんがさも当然の如くさらりと言うので、危うく聞き流すところだった。面識が無いとはどういうことだ。生き別れでもしたのか。
理解に苦しむ僕に「そう深刻な話ではない」と環さん。姉妹があまりに多いので一々覚えてもいられないそうだ。環さんが下界の神社へ奉公に来て何百年と経つ。その間に生まれた妹もいるので、会ったことも無い姉妹が多くいるのだと言う。
「ああ、もちろん仲の良い者もたくさんおるぞ。この神社で儂と一緒に神に仕えていた姉とも親しかったものよ」
「お姉さん、ですか」
「うむ。儂より二、三十年ばかし上の姉じゃ」
その年の差は霊狐的に近いのか遠いのか。ばかし、と言うからには近いのだろうと僕は納得した。
環さんの話を聞いて、無意識に参道を挟んで向かい合う狐の像を見る。片方は古びてこそいるがまだ健在で、もう片方は半ばから崩れてしまっている。それが何を意味するのか考えると悲しくなる。
「お姉さんは天界に帰ってしまったんですよね」
「そうじゃ。共に里を守護し、人々を導いたものじゃが……」
ふっと環さんの表情が暗くなる。たまに彼女が見せる、過去をしのぶ時の顔。
「信仰が減るにつれて姉はだんだんと人間を見下すようになってしもうた。昔は仲睦まじかったのじゃが、最後は喧嘩別れのようになってのう」
人との思い出を捨て切れず残った環さんと、人に見切りをつけて帰ったお姉さん。袂を別って百年余り。二人の間にある因縁がどれほど深いのか僕では分からない。無論、環さんの心情に寄り添ってあげることも出来ないのだろう。悔しい話だが。
「今は何をやっているのやら。まあ人間嫌いになった姉がまた下界に降りて何処ぞの神社で奉公しているとは思えんが」
晴人と会わせてみたかったな、と環さんは苦笑する。お姉さんは元々真面目かつ勤勉で、文学の素養は環さんよりもあったという。そんな姉を尊敬していると述べる環さんの顔は寂しげでありながらどこか誇らしそうでもあった。
「あ、でも儂だって姉より優れたところはたくさんあるんじゃぞ」
「例えば?」
「まず変化の術は儂に軍配が上がる。母上からも飲み込みが早いとよく褒められた。姉妹で集まって隠れんぼをしたら、まあ儂が最後まで見つからんかったよ。他にも木登りじゃろ、メンコじゃろ。栗拾いやタケノコ掘りも儂は凄かった」
しんみりとしていたはずが一転して上機嫌だ。環さんは指を折って野遊び武勇伝を数え上げ「あっはっは」と高らかに笑う。聞けば聞くほど子供の所業であった。
微笑ましい事実につい頬が緩みそうになるのを堪えながら僕は環さんを褒めそやす。すごい、えらい、かっこいい。
するとさらに機嫌を良くした環さんが、今から一緒に木登りでもするかと意気込む。どうしても己の勇姿を見せたいらしい。僕では敵いませんからと恭しく断ると、環さんは残念がりながらも満更ではなさそうだった。最近になってこの人の扱い方が分かってきた気がする。
「お姉さんとも、また仲良くなれると良いですね」
神社の復興さえ叶えば、ゆくゆくは名声に釣られて環さんが仕えるべき神が舞い戻り、それに付随して霊狐のご姉妹と再会する機会も訪れるかもしれない。
僕がそう言うと、環さんは少し目をパチクリとさせた後、可笑しそうに笑った。晴れ晴れとした小気味良いその笑い声を聞くとこちらまで嬉しくなってくる。
「さて、そろそろ休憩は終わりじゃ。勉強を再開するぞ」
「ええー。今日はもう疲れましたよ」
「たわけ。そんな調子では道など切り拓けんぞ。母上も姉も生真面目なんじゃ。神社復興の暁にはお主も立役者として目通りが叶うやもしれん。その時になって腑抜けられては儂の立つ瀬が無いわい」
環さんは毅然として厳しい言葉を投げかけるも、その口調には隠し切れない温かみがあった。
勉強は嫌いだが先に繋がるものがあると思えばやる気の一つくらい出る。僕は良縁を結び輝かしい憧れの青春を手にすべく、環さんは神社を立て直しかつての美しい思い出を取り戻すべく。目的こそ別だが同じ方向を目指して彼女と歩む日々は大変充実している。
幸せになりたいものだ、お互いに。
朗々と和歌を読み上げる環さんを眺めながら、僕は強くそう思った。
○
とある街中の大通り。夕時の街は仄かな茜色に染まりつつあった。
スーツケースを持った仕事上がりの会社員、友人と連れ立って歩く放課後の学生、夕飯の食材の詰まった買い物袋を提げている主婦など、様々な人々がひっきりなしに闊歩しすれ違う。
そんな往来にあって、道行く一人の女性が周囲から視線を集めていた。
「え、今? あたしはネイル塗り終わったとこ。片方だけ店員さんおすすめのラメ入れてね。もう激カワ。インスタにも載せたから、とりま『いいね』よろ」
通話しながら歩くその女性は慣れているのか、または気付いていないのか周りの視線など意にも介していない。
最新のトレンドを取り入れた所謂ギャル系の服装に、すらりとした脚美をさらに引き立たせるハイヒール。ネックレスにピアスにブレスレットetc…上から下まで華美なアクセサリーで飾っている。今しがた塗ったばかりのネイルは西日の光を反射し、宝石のように艶やかな光沢を帯びていた。
一見してけばけばしくも見えるその装飾は、しかし彼女の美貌をまるで損なうことなく見事に装飾としての役目を果たしている。歩く度にふわりと揺れる金髪は染めているはずなのに生まれ持ったかのような自然さで、人々の目を引くだけの魅力を伴っている。
言動も含めてどこからどう見ても確かにギャルなのだが、単純にそう評するには常人とあまりにも決定的に何かが違う。あえて言葉にするなら隠しようの無い品格、或いは雅とでも言うべき優美な趣が彼女にはあった。
「タピってカラオケ? うん、全然大丈夫だよ。うち門限とか無いしアリ寄りのアリって感じ。んじゃ秒で行くから」
通話を切り、意気揚々と足取りを早める。その様子は実に楽しげで、今まさに我が世の春を謳歌しているに違いなかった。
「はー、やっぱ下界サイコーだわ……くしゅんっ」
咄嗟に口元を押さえてくしゃみをし、ティッシュで鼻をかむ。別にまだ肌寒い季節ではなく、そこまで薄着をしているわけでもない女性は首を傾げる。
「なんだろ。誰かが儂……あたしの噂でもしてんのかな」
とりま後でお祓いしとくか。などと現代の若者にはおよそ似つかわしく無いことを言いつつ、女性は友人が待っている場所へ急ぐ。
自分で着ておいて短いスカートが気になるのだろうか。後ろへ回した手は何かを隠すように尾骨あたりを押さえていた。
○
おわり
最後に付け加えた部分はかなり蛇足だったか……いやしかし書きたかったし……。
予想外に多くの方々に読んでもらえたのが嬉しくて衝動的に書きました。本編に入れる余地の無かった設定集的な何かですね。まあ蛇足は蛇足だし、もしかしたら突然恥ずかしくなって消すかもしれないのであしからず。