銀杏の葉も落ち始めた秋の暮れのことである。
学校から帰ってくると、玄関先で母とばったり出会した。今から買い物に行くらしい。冷え性な母は真冬のような防寒装備でもこもこに膨れている。
「今ね、環ちゃんが庭の掃除をしてくれているんだよ。あんたもゲームばかりせず手伝ってきなさい」
母はそう言い残し、闘志を沸き立たせながらタイムセールに向かって行った。まさしく怠けようとしていた僕は荷物を部屋に置き、のそのそと重い足取りで庭に向かう。
我が家に環さんが越してきてから早一ヶ月弱、彼女はすっかり家族の一員として迎え入れられていた。
当初、突如として神棚を買い込み自室に設置した僕に「頭でも打ったのか」と心配してきた両親は、その直後にやって来た環さんに唖然としていた。高校生の息子が狐のコスプレをした少女を連れ込み、しかも家に住まわせると宣うのだ。両親の驚愕は察するに余りある。
言うに及ばず、その晩に緊急の家族会議が開かれた。真っ先に槍玉に挙げれたのは僕に対する犯罪疑惑である。誘拐はダメよ、と母が言う。この正当でありながらも甚だ無礼千万な尋問に僕は猛烈に抗議し、何度も同じ質疑応答を繰り返した後ようやく最低限の信用を得た。
その時の些細を語り尽くそうとすればキリがなく、閑話の閑話を作らなければならぬ事態になるので割愛させていただく。
僕が他所のお子さんを誘拐して来たのではないと分かれば、環さんが霊狐であることから始まり、神社が無くなったので我が家に引っ越したいという旨を伝えるに至るまでの説明は大変スムーズに進んだ。両親共々、環さんが変化の術を見せれば「なるほど狐だ」と簡単に納得してしまった。その順応力の高さをどうして最初の段階で発揮し得なかったのか、僕は息子として大いに不服である。
ともあれ「学費もかからないなら」と現実的な決め手もあり、環さんを家族として迎え入れることが決まった。
母はその晩に赤飯を山盛り炊き、環さんが山盛り食べ、父から振る舞われる酒もしこたま飲んだ。見てくれは完全に少女である環さんが飲兵衛の父と意気投合するほどに酒を鯨飲する様は圧巻ですらあったが、見事に泥酔して前後不覚となった彼女を僕が介抱せねばならなかった。健やかに眠る環さんは実に酒臭かった。
そうして苦もなく我々の生活に溶け込んだ環さんだが、庭掃除をしているとは妙な話である。
なにせ環さんは家事手伝いなど滅多にしない。やるにしても気が向いた時、暇潰しがてら台所にいる母を訪ねるくらいのものだ。それだって夕飯のおかずをつまみ食いしてやろうという腹である。霊狐の誇りとは何処へ行ってしまわれたのか。
「自分は神様であるからして、そこに居るだけで偉いのだ」と環さんは宣う。ただの居候なら追い出されても文句を言えない威張りようだが、彼女の場合これが真実であるため如何ともし難い。父も母も「そういうものなら仕方ない」と納得してしまっている。
事あるごとに掃除だの洗濯だのおつかいだのと駆り出される僕とはえらい違いだ。僕もどうにかして神様ポジションを得て威張れないものだろうかと、そんなことを考える今日この頃である。
本当に掃除などしているのか。訝しみながらも居間や僕の自室に環さんがいないことを確認しつつ庭に出る。
家庭菜園も出来るくらいの広さがある我が家の庭の隅、柿の木が生えているそこで、せっせと箒を掃いている環さんがいた。顔を出した僕に気付いて手を振ってくる。
「おう晴人。おかえり」
「ただいまです。庭で何してるんですか、環さん」
「見て分からんか。掃除じゃ掃除。この季節は落ち葉がよく積もるからのう」
嬉々としてそう言う環さんの足元にはこんもりと落ち葉の山が出来ている。どうやら本当に庭掃除をしていたらしい。最近は「寒い寒い」と言って炬燵に入ってばかりいたのに、一体どういう風の吹き回しだろう。
「見るがいい、この大量の落ち葉を。良く焼けると思わんか」
「はあ……焼く?」
「芋じゃよ芋、焼き芋! 焚き火でさつま芋を焼くんじゃ」
なるほど、平常運転だった。焼き芋をやりたいがために落ち葉の掃除をしていたらしい。見れば軒下の縁側にはさつま芋の入った籠がある。我が家には台所の勝手口から出たすぐ側に保存のきく野菜などを入れておくための食糧庫があり、そこから幾つか持ってきたようだ。
「儂としたことが秋の風物詩をすっかり忘れておった。芋は良いよなあ。儂はこう見えてさつま芋が大の好物での」
こう見えても何も、どこからどう見ても焼き芋が好きなことは十二分に伝わってくる。彼女の恍惚とした顔は、黄金色に輝く焼き芋を熱く所望していた。
しかし、母はこの事を知っているのだろうか。いや知らぬだろう。芋を少し持ち出す程度ならまだしも勝手に焚き火などしたら大目玉である。昔、姉と二人で同じような事をしようとして散々怒られた記憶がにわかに蘇った。
見過ごしたとあっては僕まで雷を落とされかねないので、やめるよう環さんを説得する。
「こんな所で火なんか焚いたら通報されますよ」
「通報って、どこに」
「消防署に決まってるじゃないですか。あ、警察も来るのかな。なんにせよ煙が上がれば火事と間違われて焼き芋どころじゃなくなりますよ」
「なんでそんな大事になるんじゃ! 芋くらいどこでも焼くじゃろうが」
環さんは納得できないと駄々をこねる。神に仕えていた割に彼女はなかなかに頑固で、己の欲望に忠実である。
「今はそういう時代なんですよ。堪忍してください」
「世知辛いのう……」
食い気に目を輝かせていた環さんは一転して、しおしおと落ち込んだ。首を垂れ、ついでに狐耳も垂れてしょぼくれている。どんだけ芋焼きたかったんだこの人は。つまらなそうにその辺の草をむしりながら「昔は良かった。今はダメじゃ」などと懐古厨のようなことを言う。引越し当初、洋式トイレやテレビに対して「文明の利器!」とはしゃいでいたことなど忘れてしまったようだ。
「ほら寒いですし、もう中に入りましょう」
促しても集めた落ち葉を見つめたまましょぼくれている環さんをよいしょと担ぎ上げて家に戻る。普段、担がれたら「ちゃんと敬え」と言って怒るものだが何の反応もない。
どうやら本気で落ち込んだらしい。まあ、それも大した事ではない。代わりの好物を与えればたちまち元気になるだろうから。
○
楽観的だったと言わざるをえない。僕は先刻までの自分の考えを恥じた。食べ物を与えておけば環さんのご機嫌を取れると思っていた。往々にしてそれは正しいのだが、今回に限って言えばそうは問屋が卸さないようだ。
環さんを僕の自室に連れ帰って布団の上に放ると、彼女は頭まですっぽりと布団を被って出てこなくなってしまった。こんもりと小山のように盛り上がっているのは環さんが丸まっているからか。まるで子供の拗ね方だ。
「環さん、出てきてくださいよ」
呼びかけるも応答はない。拗ねた者など捨て置くに限るのだが、環さんの場合はそうすると更に不機嫌になることがあるので難儀である。
「ずっとそこにいても息苦しいでしょ。居間で炬燵に入って蜜柑でも食べませんか」
「嫌じゃ、焼き芋がいいっ」
環さんの意思は固い。冬が近づいてからこちら、指先を真っ黄色にするほど毎日飽きずに蜜柑を食べているとは思えない頑固さだ。
「じゃあ松葉屋のメンチカツは」
「…………焼き芋!」
ずいぶん迷ったようだが、やはり今は焼き芋が食いたいらしい。彼女の大好物でも駄目となると僕はもうお手上げである。こうなれば万事休す、あとは呼びかけながら時間が解決してくれるのを待つより他にない。
いや、しかしこのままで良いのか。僕の脳裏に天啓が響く。
いつまでも環さんに平伏してばかりで良いのだろうか。彼女は確かに崇め敬う対象だが、同時に僕の人生のパートナーでもあるわけだ。今こそ僕は大和男子として奮い立ち、古式ゆかしい亭主関白を発揮すべきではないかと思い至った。すなわち、ちゃぶ台返しならぬ布団引っぺがしである。
オラ出てこいコラ、とぐいぐい布団を引っ張れば、環さんは「ぬわあああ」と悲鳴を上げて抵抗する。「敬え、敬え」と訴える声はどこか楽し気である。どたばたと暴れるうちに僕も楽しくなってきて餅をこねるように揉みくちゃにしたり、環さんを布団ごと一抱えにして持ち上げたりした。すると布団の膨らみが不意に無くなり、同時に一匹の狐が僕の腕からするりと抜け出て体当たりをかましてきた。環さんの見事な変化術。いや変化というよりは元の姿に戻ったと言うべきか。
びっくりして仰向けに倒れた僕の上を、狐の姿になった環さんがトランポリンで遊ぶ子供のように飛んだり跳ねたりする。そうして勝ち誇ったように胸に乗っかり顔を覗き込んで来るので、僕が負けじと脇腹をくすぐってやると「キャインキャイン」と犬のような鳴き声を上げて悶える。しかし瞬きの内に普段の姿に戻った環さんはクッションを振り上げポフポフと殴りかかってきた。
そうやって不毛な攻防を繰り広げていた時、不意に環さんが手を止めた。
「待て晴人。なにか聞こえる」
待てと言いながら今しがた攻めていたのはクッションを武器にした環さんだったのだが、僕は大人しく従った。
環さんの耳はネコ目犬科に属する狐のそれであり、ただの人間である僕なんかよりずっと優れている。彼女の素晴らしい聴覚が何を捉えたのか。
「聞こえる……焼き芋って聞こえる!」
環さんが叫んだ。僕は残念に思った。どうやら焼き芋食いたさにとうとう幻聴が聞こえたらしい。こんなところで争っている場合ではない。早々に焼き芋を食べさせてあげなければ手遅れになるやもしれぬ。
「ほら、晴人もちゃんと耳を傾けてみい」
環さんがあまりに真剣に言うので僕もしぶしぶ耳を澄ませてみる。無論なにも聞こえはしない。と思っていたら、外から何かスピーカー音声のようなものが微かに響いてくる。音源は移動しているのか我が家に近付いて来ており、段々と僕の耳にもハッキリと聞こえ始める。
その特徴的なメロディーは聴き馴染んだものであった。世代を超えて僕たちをセンチメンタルな気分にさせる屋台の音。
"石焼き芋〜、お芋だよ〜、ほっかほか〜……"
「や、焼き芋ですね!」
僕が言うと、環さんは満面の笑顔で「そうじゃろじゃろ!?」と食い気味に詰め寄ってくる。
「しかし石焼とはどういうことじゃ。焼き芋は普通、落ち葉で焼くものだが」
「いや、たぶん何処にでもありますよ。環さんは石焼き芋食べたことないんですか」
「無い!……うまい?」
「そりゃあもう」
外から音が聞こえるのは石焼き芋の販売車がすぐ側に来ているからだと説明すると、環さんは目をギラリと光らせ立ち上がった。僕は鞄から財布を取り出す。僕と環さんは互いの顔を見つめ頷き合った。
「晴人、買いに行くぞ!」
「合点!」
音からして、焼き芋販売のトラックはすでに家の前を通過している。僕たちは勇んで駆け出し、玄関扉を蹴破らん勢いで外へ飛び出る。
しかしそこで問題が発生した。環さんが我が家から出られないのだ。
霊狐の環さんは仕える土地から離れることが出来ないという制約を課されている。無理に出ようとしても見えざる結界に弾かれてしまい土地の外へは行けないのである。信仰を集めて力を増し、神格を得ればその限りではないらしいが、今はまだ条件を満たしていないようで環さんの行動範囲は稲里家の敷地内に限られている。
狼狽した環さんは決して越えられない壁に顔面を押し当てて何とか通ろうと四苦八苦している。神社にいる時、本当に結界なんてあるのかと試そうとした僕に「やるだけ無駄じゃ」と言った彼女はどこへ行ってしまったのだろうか。
僕も必死になって彼女を引っ張り出そうとしてみるが当然どうにもならない。厚さ0ミリの壁に阻まれた僕たちは悲劇の演目のごとく互いの名を呼び合った。
「ああ晴人、儂はどうしたら」
「こうなっては仕方ありません。僕だけで買いに行ってきます」
「嫌じゃあ! 儂も石で芋を焼いてるところが見たい!」
そうこうしている内にも焼き芋の販売トラックは呑気なメロディーを流しながら遠ざかってしまう。移動がなぜか異様に早い。本当に売る気があるのか。
もはや自転車に乗って全力で追っても追い付けなさそうなほど離されてしまった。結局、環さんは家の敷地から一歩も外には出られなかった。
「あ、あああ…………」
ショックのあまり環さんがその場でへたり込んでしまう。神社の取り壊しが決まった時より落ち込んでないか、この人。
環さんは呆然としたまま動かなくなってしまった。僕が声をかけても悔し気に呻くばかりだ。
困ったことになった。今いる場所は玄関から出た先、道路に面する駐車場。つまり往来の目があるのだ。そこで蹲っていじける環さんと、彼女に構う僕の姿をご近所さんにでも見られた場合、どんな誤解を受けるのか考えて背筋が凍る。火急的速やかにこの状況を打開しなければ。
「今からスーパーに買いに行きますよ。だからほら、環さんは家の中に戻ってゆっくりしていてください」
「わ、儂は……屋台売りの石焼き芋が、食べたかったの……っ」
環さんが嗚咽混じりに言う。あるいは落ち葉の焚き火で芋を焼きたかったのだと主張する。この愛おしき我儘ポンコツ狐め。
「ちょっと」
不意に、後ろから声をかけられて僕は飛び跳ねた。
見られたか。女児誘拐未遂で手錠をかけられ警察に連行される未来が一瞬で脳裏を駆け巡り、僕を戦慄させた。
しかし恐る恐る振り向くと、そこには買い物袋を引っ提げた母が立っていた。挙動不審な僕を訝しげに見ている。
どうやら九死に一生を得たらしいと安堵したのも束の間、僕は母が買い物袋とは別に持っている茶色の紙袋の存在に気付いた。
「母さん、それは……」
指をさして尋ねると、母は「ああこれ、焼き芋」と答えた。瞬間、僕の視界の隅で萎れていた環さんの狐耳が勢いよくピンと立った。
「帰りがけにちょうど石焼き芋屋が通りかかったから、つい買っちゃった」
「ご、御母堂……それ、石焼き芋?」
「そうよ環ちゃん。石焼き芋。一人一個ずつね」
感激に打ち震える環さんに母が焼き芋の入った紙袋を手渡す。環さんは紙袋の口を広げて中を確認し、えも言われぬ恍惚とした表情を浮かべた。横にいる僕の方にもその香ばしい匂いが漂ってきて食欲をかき立てられる。
「ありがたや」
環さんは半ば無意識に母に対して畏敬の念を示した。「あらあら」と母。
なるほど、これが信仰を獲得するということか。僕は納得した。片や家の守り神として鎮座する霊狐で、片や一介の専業主婦。信仰を受けるべき立場が逆なのが如何ともし難いところである。
ああ、この調子では環さんが自由に外出できるようになるのは何時になるのやら。と言うか、我が家に越してきてから環さんの子供っぽさに更に磨きがかかってしまったように思われる。甘やかしすぎたのだろうか。父や母からはただの食いしん坊の童女と思われているに違いなく、信仰など望むべくもない。
「少しは厳しく接するべきか」と先行きを憂いながらも、本当に幸せそうに焼き芋を食べる環さんを眺めていると心穏やかになるのだから、全くままならないものだ。
いつか環さんと一緒に石焼き芋を買いに行ったり、集めた落ち葉で火を焚いて芋を焼けたらなあと、僕は切に思うのだった。
○
翌日、放ったらかしにしていた落ち葉が風で飛ばされて散り散りとなり、僕と環さんが初冬の寒さに凍えながら庭掃除をしたことを記し、本項の結びとする。
○
おしまい