廃れた神社の狐娘   作:ふーてんもどき

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二話・誤解と勉強会と和服美女

 

 

 

 翌日、僕は環さんとの約束通り信者候補を二人連れて帰宅した。

 

 

 一人は同級生の伊藤。僕の親友だ。

 

 同じ人類だとは思えない鋼の肉体と、不良が裸足で逃げ出す強面が特徴的な男である。

 しかしその見た目に反して心は純粋で、ガラス細工のような繊細さで出来ている。

 なにせ女子と付き合うに足る男らしさを手に入れるという理由で、尋常ではない筋トレに励んできた筋金入りの阿呆だ。

 手にした圧倒的な腕力はケンカに用いられることもなければ、部活動などで活躍することもない。それはひたぶるに純愛を求める伊藤の魂の結晶と呼ぶべきものである。僕は純愛主義論者として彼に敬意を表している。

 

 妄想力豊かで愚直な伊藤ならば、環さんの存在もあるがままの事実として受け入れてくれるに違いない。

 

 

 もう一人も僕と同じクラスに通う小野町という女子だ。

 そして彼女は、前述した伊藤と恋仲でもある。

 

 優しく清楚で品行方正。そして黒髪で肌白い。

 そんな小野町は、僕と同じ小中学校の出身である。

 まだ中坊だった僕は可愛い子ランキングで最上位に輝いていた小野町に告白をして玉砕した過去を持つ。脳みそに砂糖でも詰まっているのかと疑いたくなるような恋文を、小野町の目の前で読み上げるという暴挙を犯した。

 それから同じ高校に上がってからもお互いに何かと気まずい思いをして過ごしていたが、環さんがいた廃神社を取り壊す一件がきっかけで小野町と色々と話し合い、僕たちの間にわだかまっていた靄は綺麗さっばり無くなった。

 告白事件に対する僕の羞恥心が消えたわけではないが、今は良い友人関係を築けていると思う。

 

 仲良くなってから知ったことだが、小野町は筋肉フェチであり、そのため筋肉の化身である伊藤へ密かな恋心を抱いていた。小野町から相談をされた僕は、伊藤と彼女をくっつけるためにひと肌脱ぎ、アドバイスを送った。

 結果は前述の通り、気の弱い伊藤は小野町の押しにいとも簡単に負けて、何かとイチャイチャしやがっている。

 

 まあ、小野町は僕が腹を割って本音で会話したことのある貴重な友人の一人であり、彼女もまた信頼が置ける人間だ。

 

 

「晴人の家に遊びに行くの久々だなあ。前に遊んだのっていつだったっけ」

「もう一年以上前になるな。僕が環さんと出会う前だから、去年の夏休みが最後だったか」

 

 歩きながら話す伊藤に僕が答える。

 すると伊藤の隣にいる小野町も会話に入ってきた。

 

「私は稲里くんの家に行くの初めて。楽しみだなあ。ついに『環さん』に会えるんだねえ、私達」

 

 僕は気恥ずかしくなって、ニコニコと笑いかけてくる小野町から顔をそらした。

 

 環さんのことは伊藤と小野町にも掻い摘んで話をしていた。もちろん霊狐という正体までは説明していないが、紆余曲折あって今は僕の家で一緒に暮らしている女性であると、そういう認識になっている。

 

 今までは極力、環さんの話題に触れることは避けてきたのだ。僕がけっこうな大恋愛をしたことだけを知っている二人は「ぜひ会ってみたい」と常々言っていたが、それを突っぱねてきた。

 

 学校で噂が立ったら困るとか、単に環さん関連の説明が面倒だとか、そういう理由もある。

 しかしやはり何と言っても気恥ずかしさが拭えなかった。

 僕の理想とする純愛には朴訥の要素が含まれる。つまり他人に対してのべつまくなし自分達のことを話すのは風紀上よろしくないという、我ながら至極真っ当な倫理観に基づく信念がある。恋とは誰かに見せるステータスではないのだ。

 

 だが、最早そうも言っていられなくなった。

 このままでは環さんの外出がいつまで経っても叶わない。

 

 僕の高校生活も残り僅かだ。卒業して進学してしまうまでに、何としても環さんの現状を打開したい。そうでなければ僕の当初の目的である、高校生のうちに理想的な青春を送るという願いが達成されない。

 映画館やアミューズメント施設の高校生割引が使えなくなっては困るのである。出来れば今、環さんの外出を可能にしたかった。

 

 しばらくして自宅の前に着き、僕は深呼吸して心持ちを整えた。

 

「いいか二人とも。見たらびっくりするとは思うが、冷静でいるように。近所迷惑になるほど騒いだりするんじゃないぞ」

 

 僕が念を押してそう言うと、伊藤と小野町はにわかに緊張して身構え、ごくりと固唾を飲んだ。

 環さんの外見についてはあえて説明してこなかった。実際に会ってもらわなければ、狐の耳や尻尾が生えていることについていくら口で言っても、信じてもらいようがないからだ。

 

 ただいまと言って僕が家に入り、二人もその後に続く。

 階段を上がって僕の部屋の前に立ち、恭しくドアをノックした。

 

「環さん、ただいま帰りました。信者候補の二人も一緒です。入ってよろしいでしょうか」

 

 すると部屋の中からドタバタと何やら慌ただしい物音が聞こえ、僕は思わず頭を抱えそうになった。

 一方、背後では伊藤と小野町がヒソヒソと話している。

 

「け、敬語なんだね稲里くん。それに自分の部屋に入るのにノックするって……」

「うん。あれは相当尻に敷かれているぞ」

 

 なにやら不当な勘違いをされているようだが、僕は目の前の大事に集中すべく喉まで出かかった抗議をぐっと我慢した。

 

「苦しゅうない。入るがいい」

 

 ややあって環さんからGOサインが出る。

 あんたはどこの殿様だ、とツッコみたくなるのを堪えつつ、後ろの二人を伴って部屋に入った。

 

 六畳間の自室。その真ん中で、環さんが並々ならぬ存在感を放って立っていた。

 

「よく来たな、晴人の友人とやら。我が名は環。この稲里家に祀られている守り神である」

 

 立派な着物に身を包んだ環さんは仁王立ちで腕を組み、仰々しくそう言った。

 

 身長140cm余り。

 幼さの残る可愛らしい顔立ち。

 しかして狐の耳と尻尾を生やした御身はありがたい霊狐の姿そのものである。

 

「あとは、その……晴人と夫婦の契りを結んでもいる。故に晴人の友人である汝らには『環』と気軽に呼ぶことを許そう」

 

 途中で恥じらい、つっかえかけたものの、環さんは昨晩から練習していたセリフを言いきった。

 不遜な態度はまさしく神霊と呼ぶに相応しく、見目麗しい環さんの姿もより一層神々しく輝いて見える。僕は久しぶりに霊狐としての威厳を見せようと背筋を伸ばしている環さんに感極まり、思わず拍手を送った。

 さあ、どうだ。この堂々たる神威を見よ。

 

 振り向けば、伊藤と小野町はあんぐりと口を開けて呆然としている。

 その様は一年前に初めて環さんと出会った時の僕自身を彷彿とさせるものだ。突然の登場に驚いたこともあるが、あの時の僕は確かに環さんに見惚れていた。

 その神秘的なカリスマこそ、環さんが霊狐たる所以なのだろう。現に、伊藤と小野町も固まって言葉を忘れている。

 

 しばらくして硬直から抜け出た彼らは、僕と環さんを何度も交互に見比べる。その仕草だけでも、環さんを前にして緊張している様子が伺えるというものだ。

 

「晴人」

「稲里くん」

 

 伊藤と小野町はお互いに顔を見合わせ、そして頷き合い、僕に向けて決意を込めた口調で言った。

 

「「自首しよう」」

 

 お前らふざけんな。

 

 

 

 

 

 

 女児誘拐疑惑という恐るべき冤罪をかけられそうになったものの、僕と環さんの必死の説得により、伊藤と小野町はなんとか話を聞く姿勢になってくれた。

 しかし未だに僕を見る二人の視線が生温かいというか、手の施しようがない憐れな人間に向けるような妙に優しい目をしている。やめろ。僕はロリコンじゃない。好きになった人が偶然そういう見た目だっただけだ。

 

 などと多少のいざこざがあったものの、僕の見立て通り伊藤と小野町は環さんの存在をあっさりと信じてくれた。目の前で変化の術や読心術を行ったのが大きかった。

 

 特に読心術は盛況だった。

 環さんは元々、神社の参拝にやって来た人間の願い事を、その深層心理まで見通す能力を持つ。それは今も健在であり、僕と両親も夕食毎に祈る時、ちゃっかり心の中を見られているらしい。まあその上で問題なく良好な関係を続けられているので、何も気にすることはないが。

 

 伊藤、小野町の両名ともに、誰にも漏らしていない心理を言い当てられてびっくり仰天していた。

 プライバシー保護のためにそれぞれ環さんが耳元でコソコソと話したので、どんな願い事をしたのか、そしてどんな心理を探り当てられたのかは分からないが、二人の反応は側から見ていて面白いものであった。

 

 斯くして、伊藤と小野町も環さんが霊狐であること理解し、信者増員の第一関門は無事にくぐり抜けた。

 

 あとはきちんと環さんを崇拝してもらうだけだが、それは一朝一夕では難しいようだった。環さん曰く、二人ともすぐに叶えられるような願いを抱いていないため、今この場でありがたがれと言うのは無理があるということだ。

 しばらくは人と人とが信頼関係を築くように、様子を見ながら少しずつ二人の仲に信心が育まれていくのを待つしかない。

 

 環さんが外に出られない事情を説明し、どうにか協力してくれないかという僕の嘆願を、伊藤と小野町は二つ返事で快諾してくれた。持つべきものはやはり友である。

 

 そうして、これからは勉強会をするついでに僕の家に集まろうという話になり、その日は解散となったのだった。

 

 

 

 

 

 一足飛びに時は経ち、夏休みが開けてから一ヶ月弱が過ぎた。

 

 九月も終わりに近付いてきた今日この頃、僕はふと思う。

 ほぼ毎日僕の家で開かれている勉強会だが、これは勉強会ではなく塾なのではないかと。

 

 何が言いたいかというと、小野町と比べて僕と伊藤の男二人の偏差値があまりに低いのである。そのせいで面倒見のいい小野町は自分の勉強そっちのけで、僕たちにセンター試験の対策を施すことに躍起になっている。

 これではまるで小野町を講師役とした出張塾。彼女にかけている負担があまりに大きすぎる。

 

 おそらく僕たちは、今まで純愛理論という名の屁理屈をこねることに人生の大半を注ぎ込んできたせいで、勉強に必要な論理的思考が困難となってしまっている。

 数学の問題を解いていても、しばらく考える内に頭の中がぐつぐつに煮詰まり「因数分解で恋と愛は切り離せるものなのか」とか「分布? そこに愛はあるのか?」などと簡単に迷走し始める。

 その手綱を引くのはいつだって小野町だ。

 

「俺はもうダメだ。筋トレのメニューばかりが頭に浮かぶ!」

 

 今日も今日とて小野町に教えてもらいながらの勉強中、伊藤が参考書に突っ伏して呻いた。自然と筋トレのメニューが思い浮かぶとか、それもう病気だろ。

 

「頑張って、いっくん*1。筋トレはとっても大事だけど、今は英語の勉強に集中しよ」

「ううう、proteinとmuscleならこの前覚えたよ……」

「その英単語はたぶん試験の範囲外だよ、いっくん」

 

 情けない彼氏の肩を叩いて小野町が励ます。

 叩くと言うか、さすっている感じだ。あいつこっそり筋肉の感触を楽しんでやがる。なんなんだこの灰汁の強い連中は。僕は見てはいけないモノを目撃した気がして、独自の空間を作り始めている二人から目を逸らした。

 

「晴人は大丈夫か。なんぞ先ほどから煮詰まっておるようだが、儂が教えちゃろうか?」

 

 手が止まっていた僕に、先ほどまで漫画を読んでいた環さんが話しかけきた。

 

「いや、今やってるの古文じゃないですから」

「任せろ。インターネットで現代知識を詰め込みまくった今なら、晴人の勉強を見るくらい赤子の手を捻るようなものじゃろうて」

 

 これまで僕の勉強に関しては全く触れてこなかった環さんが、藪から棒にそんなことを言う。何故か僕と遊ぶ時のように張り切っている。

 大方、小野町が僕らに勉強を教えていることに触発されて、自分もやってみたくなったのだろう。

 

 じゃあこれを、と今しがた解いていた数学の問題を見せる。

 環さんは意気揚々と取り掛かったのも束の間、数学記号の羅列に目を回し、頭をぐわんぐわんと揺らし始めた。解答ページを見ながら理解しようにも「何が何やら」といった様子で頭を傾げてばかり。

 終いには伊藤と同じように音を立てて机に突っ伏した。

 

 脳がオーバーヒートして倒れた者が二名。

 取りまとめ役の小野町もストレスが溜まっていたのか、半ば無意識に伊藤の背筋を触ってばかりいる。

 そんな中にあって僕の集中力も底をついた。

 もはや継続不可能。本日の勉強会は完全に崩壊した。

 

「環さんのお力で何とかならないんですか」

「んあ?」と環さん。

「学問のご利益とか、そういうのを授かるわけにはいきませんか」

 

 僕の問いかけに、高校数学に打ちのめされて沈黙していた環さんはのそりと顔を上げた。

 伊藤と小野町も僕の言葉につられるように環さんの方を見る。小野町はともかく、伊藤の目には明らかに神に縋りたくて堪らないといった期待の色があった。

 

「ここにいる二人を環さんに紹介してからもう一ヶ月近く経ちます。そろそろ何か変化と言うか、進展のようなものはないんですか」

 

 現状は煮詰まっている。ここは一つ神の威光にあやかりたい。

 僕がそう言うと、環さんは腕を組んでひどく悩ましげに「うむむ」と呻いた。

 

「その、まだちょっと、難しいかなって……。ほら儂、まだ外にも出られんし。学問のご利益を授けるのはちと厳しいと言うか……ぶっちゃけ不可能」

 

 しどろもどろな環さんの話を聞いて僕は落胆した。

 信者を二人増やせば良いのだと思い実行したにも関わらず、結局はこれまでと何も状況が変わっていない。

 環さんはありがたい御利益を僕たちに振りまくどころか、未だに自分の外出もままならない有り様。この進展の無さにはさすがに落ち込むものがある。

 

「元気出して環ちゃん。絶対に環ちゃんのせいなんかじゃないから、気にすることないよ」

「俺も、神様に頼らなくたって成績上げられるように頑張るよ」

 

 伊藤と小野町が二人して、俯いた環さんに励ましの言葉をかける。まるで敬語を使わない上に小野町に至っては「ちゃん」付けで呼んでいるが、まあ環さんの容姿と普段の言動を鑑みれば致し方ないことと言える。

 そうした接し方を見ていると、まだ彼らが信心を抱いていないのではないかということも考えられたが、二人はちゃんと環さんを神様として認識しているし年長者として敬意も払っていると言う。

 

 なんにせよ、現状で信仰の有無についてとやかく言ってもどうしようもない。結果として外に出られない以上、環さんがきちんとした神格を得られていないという事実が厳然としてそこにあるのだから。

 

 僕は一息入れようと思い、座椅子から立ち上がった。

 

「休憩しよう。すぐそこのスーパーにでも行ってジュース買ってくるよ」

 

 伊藤と小野町も付いて行くと言ったが、あくまで客人である彼らの手を煩わせるわけにはいかないからと、エアコンの効いた部屋で待っていてもらうことにした。

 

 

 

 

 

 

 外に出ると残暑の季節らしく、まだ生温かい風が吹いていた。駅前のショッピングモール内にあるスーパーに向けて歩く。

 

 最近の環さんは信仰やら外出やらの話をされると歯切れが悪くなるというか、すぐに落ち込みやすい。ネットゲームにハマったりして能天気に暮らしているだけに見えるが、なんやかんやで彼女が一番堪えているのかもしれない。

 そのことを踏まえると、僕のさっきの発言は少し無遠慮に過ぎただろうか。冗談半分で「御利益をくれ」などと言ってみたが、環さんを苦しめたのではと思うと途端に罪悪感が芽生え始める。

 

 兎にも角にも、まずは元気でいてもらわなくてはいけない。

 

「久々に奮発でもするか」

 

 僕は環さんの好物であるメンチカツを買うべく商店街に寄り道することにした。

 ついでに伊藤と小野町にも松葉屋の極上メンチカツを差し入れてやるかと考えながら商店街の大通りに入る。

 

 すると向かい側、僕の正面から一人の女性が歩いてくるのが目に入った。

 下町然とした商店街には似つかわしくない立派な着物姿の女性。

 

 一瞬、時が止まった気がした。

 僕は思わず女性に釘付けになり、その場で固まってしまった。

 

 いや、僕だけではない。道行く人々のほとんどが、その女性を見つめている。中には僕と同じように足を止めている人さえいる。

 仕方のないことだ。それほどまでに目の前の人の美貌は常軌を逸していた。

 

 しっかりと和服を着付け、長い金髪を流した妙齢の麗人。

 ぱっと見で外国の人が着物のコスプレでもして観光にやって来ているのかと思ったが、その顔立ちはどう見ても日本人のそれである。

 裾から覗く白足袋と下駄は、それらが纏まって一つの芸術品のようですらあり、小さな歩幅でしずしずと歩く様はまさに浮世離れした美しさを醸していた。

 

 ハッとして我に帰るも、やはりその女性が気になって仕方ない。

 絶世の美女であることもそうだが、どことなく覚えがあるというか、環さんを彷彿とさせるその雰囲気が僕の心を惹きつけて止まなかった。

 

 慣れているのか、周りの視線など気にも止めず歩く女性は、しかし何かを探しているようでしきりに辺りをきょろきょろと見回している。

 どうも道に迷っているようだ。やはりこの街に住んでいる人ではないらしい。

 

 声をかけようか、かけまいか。

 僕が悩んでいる内に、彼我の距離は着々と近付いている。

 

 どうしよう。どうしよう。

 ここは物怖じせず紳士らしく助けになるべきだろうか。いやしかし下心を見透かされて軽蔑されたら死ねる。と言うか今こうして悶々としていること自体が環さんへの裏切りではないか。

 そうとも、僕は環さん一筋。他の女性になど決して靡かぬ。ならばやはり「どうしましたか」と話しかけることには何の問題も無いのではないか。

 

 自分でも何を考えているのか分からなくなり、思考の泥沼に埋没しかけていると、和装の女性はすでに僕の横を通り過ぎるところだった。

 

 声をかける機会を逸した。僕はそう思い、落胆すると同時に、緊張から解放されたことによって安堵した。

 

「もし」

 

 背後から淑やかな声。絶対に今すれ違った女性の声だった。

 

 いや、僕じゃない、僕じゃない。

 心の中で自分に言い聞かせながら立ち去ろうとしたが、女性は明らかに僕に向かって声をかけてきていた。

 

「もし、そこの方」

 

 不思議と強制力のあるその声に誘われて振り向くと、女性がすぐ側で僕を見つめていた。

 近くで見ると尚更もの凄い美人であると分かる。しかも並んでみればこちらより幾分か背が高い。

 僕の心臓は否応なしに高速で脈打った。

 

 緊張でろくに返事もできない僕に、女性は困り顔で言った。

 

「道をお尋ねしたいのですが、よろしいでしょうか」

「へ、へえ。いや、はい。なんなりと」

 

 半ば錯乱しているせいか、或いは女性の古風な話し方のせいか、僕も妙ちくりんな口調になってしまう。自覚はあるがどうにもならない。

 

「この辺りに神社があるはずなのですが、迷ってしまいまして。どちらにあるのか教えていただけますか?」

 

 神社。

 その単語を聞いた瞬間、環さんのいた廃神社が脳裏を過ぎり、僕の心臓は一際大きく跳ねた。

 

 いや、あそこのはずがない。女性の姿をチラチラと盗み見ながらも僕は早る心を落ち着ける。

 

 既に取り壊されて久しい上に、もともと人気が皆無の神社だった。今さらそんな所に用がある人間などいるわけがない。

 

 この町にはもう一つ大きな神社があって、そちらは有名で参拝客も多い。たまに海外の観光客を見ることもある。

 

 女性が探しているのは明らかにその立派な神社の方だろう。僕はすぐにそう当たりを付けて、しどろもどろになりながらも道を教えた。

 

「ご親切にありがとうございます。この恩はいつか必ず」

 

 女性は恭しく頭を下げて立ち去って行った。一挙手一投足が絵になり、遠くなっていく背中すら美しい。

 

 いつか必ず、とあの人は言っていたが、僕たちは当然のことながら連絡先も交換しなかった。

 口を突いて出た台詞だったのだろうけど、また次があるのかと意識せざるを得ず、何だかむず痒い気持ちになる。

 

 目的の買い物をするために歩きつつ、心頭滅却と唱える。

 

 僕には環さんがいる。僕には環さんがいる。

 

 だから、いくら美人であろうと、他の女性と懇ろになりたいなどとは思わないのである。

 絶対に、決して思わないのである。

 

 

 

 

 

 

 家に戻った僕は、商店街で出会った女性のことを三人に話して聞かせた。

 

「いやもう、とんでもない美女だったぞ。芸能人にもあんなのはいない」

 

 僕の興奮気味の大演説に、皆は三者三様の反応を見せる。

 

 伊藤は血が滲みそうなほど唇を噛んで羨ましがり、小野町は苦笑しながらも彼氏である伊藤に「私がいるじゃない」と己の存在をアピールしている。

 

 そして環さんは雄叫びを上げて僕に掴みかかってきた。凄まじい勢いの彼女を受け止めきれず、後ろにあったベッドに押し倒される。

 

「浮気か! 浮気なのか晴人!」

 

 肩を掴まれてぶんぶんと揺さぶられる。

 尋問の激しさとは裏腹に、環さんはどこか面白がっているようだ。この状況を喜んでいる節がある。

 彼女はいつも浮気不倫のオンパレードである昼ドラを楽しんで視聴している。純愛主義の僕は全く良さを理解できないが、環さんと僕の母は昼になれば婦人会と称して茶の間に集い、ドロドロした昼ドラを和気藹々と仲良く観ているのだ。

 

「儂というものがありながら!」

 

 言いたくて仕方なかったのだろう、定番の台詞を嬉々として叫ぶ環さん。

 

「やかましい! 僕は一途だ!」

 

 こちらも黙ってやられているわけにはいかないので脇腹をくすぐって抵抗すると、環さんは「きゃいんっ」と狐のように嘶いて飛び跳ねた。

 そして土産物のメンチカツを差し出せばさらに上機嫌になって「美味い美味い」と食べ始める。結局は僕と環さんのいつも通りのやりとりが行われただけであった。

 

「しかしその女の人、見た目も雰囲気も環さんに似てたんですよね。和服で金髪だったし、どことなく雅と言うか」

 

 環さんはもはやメンチカツを味わうのに夢中で何も聞いちゃいない。

 その反対に伊藤は身を乗り出して僕の話に耳を傾けている。

 「私も茶道部で和服着てたんだけどな」と小野町がボソリと言う。

 

 

 

 そんな風に四人でまったりと休憩時間を過ごしていた時だった。

 

 家の呼び鈴の音が聞こえてきた。

 

 完全に気を抜いていて驚いたのか、環さんは尻尾の毛をぶわっと逆立てて目を見開く。

 ただの呼び鈴の一体何が恐ろしかったのか、身を固くして汗を滲ませ、小刻みに震えている。

 

 何もそんなにビックリしなくても、と僕は苦笑しつつ立ち上がった。

 

「は、晴人。居留守を使おう。出てはならん」

「何言ってんですか。またドラマかアニメの台詞ですか」

 

 今は両親共に働きに出ているので僕が対応しなければならない。縋り付く環さんの手をやんわりと解き、再び席を外して玄関まで降りて行く。

 

 サンダルを履いて、玄関扉を開けて。

 

 

 その来客を見て、僕は硬直した。

 

 

「こんにちは。先刻はどうも」

 

 我が家の軒先ではんなりと佇んでそう言うのは、つい今さっき話題にしていた和服の金髪美女だった。

 

 何故。神社へ行ったのではないか。もしかしてストーカー。

 

 僕は驚愕のあまり挨拶を返すことすら出来ない。

 

「貴方に教えていただいた神社ですが、私の探していた場所とは違ったようです。それで気配を辿ってもう一度聞きに参ったのですが……」

 

 渋滞した思考に割り込むように、鈴の鳴る様な女性の声は頭にすっと響いてくる。響いても尚、僕は上手く状況を理解できない。

 

 もう一度聞きに来た?気配を辿って?

 意味がわからない。

 

 しかし女性は混乱の渦中にいる僕の疑問をすっ飛ばして話を続けた。

 

「どうやら手間が省けたようです」

 

 そう言う女性の視線はこちらに向いていない。僕の背後にある、二階へと続く階段の先を睨みつけていた。

 

「私が来たことにはとっくに気付いているのでしょう。隠れていないで出てきなさい」

 

 一体全体なんの話だ。

 さらに困惑した僕が疑問を差し挟む暇もなく、女性はその見目麗しいたおやかな姿からは想像もできない迫力で声を張り上げた。

 

「環! 姿を見せなさい!」

 

 途端に二階からドタバタと物音がした。と思ったら、環さんが大慌てで階段を駆け降りてきた。

 あまりに慌てていたので最後の二段を踏み外してすてんと転び、もんどり打って廊下に倒れ伏す。

 

 環さんは呻きながら顔を上げ、そして女性の方を見て、呆然とした表情で呟いた。

 

「は、母上……」

 

 思いもかけない単語を聞き、僕も反射的に玄関の方を振り向くと、そこにはやはり和服を身に纏った絶世の美女が立っている。

 

 ついさっきまでは無かった狐の耳と、環さんよりも立派な金毛の尻尾を、九本も生やして。

 

 和服の女性、もとい環さんのお母上は毅然として言った。

 

「なんですか、そのだらしない格好は」

 

 本日の環さんはよりにもよって『肉食』と書かれた例のダサTを着ていた。

 

 

 

*1
伊藤の愛称。伊藤の下の名前も『い』で始まるので小野町はそう呼んでいる

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