廃れた神社の狐娘   作:ふーてんもどき

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幕間・母狐、はじめてのホテル泊

 

 

 

 片田舎とは言え一応観光地としての顔を持つこの町には、かの帝国ホテルを模した老舗の宿が建っている。

 偉人をもてなし、政財界の大人物や著名な芸能人も訪れたことのあるそこには今、尋常ならざる来客があった。

 

「宿を貸していただきたいのですが」

 

 鈴の鳴るような声。

 制服を着こなした熟達の係員が、客人である女性を前にして僅かに身を固くし、緊張の色さえ見せている。それは女性の美貌のためか。はたまた神威とすら言える浮世離れした雰囲気のせいか。

 

 一つ一つ必要なことを話していく。

 予約はしていない一人客。何泊するかは未定とのこと。幸にして部屋は空いており、最上のスイートルームへ案内することも出来るが……。

 

 そうして係員が部屋の希望を聞こうとしたところ、女性はこう言った。

 

「いえ、宿を、貸していただきたいのです」

 

 その意味を図りかねていた係員だったが、しばらくして女性の言わんとしていることに思い至り唖然とした。

 

「貸し切り……でございますか」

「そうです。勘定は如何程でも」

「その、誠に申し訳ありませんが、ご予約のお客様もいらっしゃいますので、当ホテル全体の貸し切りというのは承れません」

 

 係員に頭を下げられた女性は残念そうに眉を顰めたが、無理に押し通そうとすることはなく「それでは一番良い部屋を」と言った。

 

「ああ、それと応接間はありますか。客人が訪ねて来た時、話をするために利用したいのですが」

 

 なんとも贅沢な願いに、係員が「あちらのロビーでしたら」と答える。立派なホテルとは言え、客室とは別に応接用の個室などは設けられていない。恭しく指し示されたロビーの方を眺めて、しばらくの間があった後「承知しました」と女性。

 バーカウンターを備えたロビーラウンジ。置かれている椅子や机は上質で、配置にも細やかな気配りが見られるが、恐らく女性はそこを使いはしないだろう。ロビーラウンジを眺める興味の無さそうな彼女の目がそう物語っている。

 

「よろしければお荷物を部屋まで運ばせていただきますが……お荷物はまだお車の中で?」

 

 女性が小さな手提げ鞄以外持っていないのを確認しながら係員が尋ねる。「はて、車?」と女性は不思議そうに首を傾げた。

 

「御厚意だけいただきましょう。部屋へ案内してくださいますか」

「は、はい……どうぞ此方へ」

 

 係員は妙だと言いたげだったが表面上はなんとか平静を保ち、フロントから鍵をとって女性を部屋まで案内する。

 

 廊下で通りすがる他の客たちが女性の方をまじまじと見つめる。

 絹糸のように美しく長い金髪。現代では滅多に見ることのない雅な着物。まさしく彼女だけが一人、別世界に生きているような非日常的外観に、誰しもが振り向かざるを得ない。

 

 そうして注目を浴びながらも全く動じることなく厳かに歩く女性が、その実、内心では浮かれていることなど誰が察せられようか。

 

 久々に下界に舞い降りた白面金毛九尾の狐。

 またの名を玉藻。

 

 生まれて初めてのホテル泊であった。

 

 

 

 

 畳ではない。

 

 係員に案内されて部屋に入った玉藻が初めに抱いた感想がそれだった。

 

(土足のまま……大丈夫かしら)

 

 慣れない文化にやや戸惑いながら、歩き疲れた足を休めようと椅子に腰掛ける。霊狐の祖と言っても、足は足。折角だからと使い魔の人力車を断って一人歩いてみたわけだが、神社を探し回ったのもあって玉藻はくたびれていた。

 

(座布団は厚手で触り心地がよろしいこと)

 

 兎にも角にも無事に宿をとり、羽根を休めることができる。椅子に備え付けの座布団、もといクッションの良さを噛み締める。

 案内係の態度も良かった。道行く人に訪ねて、この町で一番上等な宿を教えてもらった甲斐があったというものだ。

 ただ、だからこそ不可思議なことが一つ。

 

(お茶が、来ないわね)

 

 普通、安宿でも客が来れば茶の一杯くらい出すものだが。値段もそれなりで品格のある宿で何も無しというのはどうなっているのだろう。玉藻は不満だった。

 

 不満だったが、すぐにあることに気が付いた。

 机の上に急須や菓子などが載せられた盆が置いてあるのだ。その側には茶缶のような筒もある。現代のルームサービスにおいては当たり前となっているアメニティ。

 玉藻、齢千歳超。青天の霹靂であった。

 

(自分で淹れろと?)

 

 席を立って筒の蓋を開けてみると、そこには絹のような物で茶葉を包んだ小袋がたくさん入っている。匂いからして緑茶である。一般ではティーバッグと呼ばれるそれを、玉藻は『茶袋』と呼称することにした。

 

(他にも変わったものがいくつか……)

 

 紅茶、ジャスミン茶、烏龍茶など、様々な茶の用意がある。それらは緑茶と違って個別で紙袋に入れられており、おいそれと破いて確認するわけにもいかない。更にはcoffeeと書かれた包みもあり、これはもうどう手を付けたらいいのか皆目見当もつかない。

 

(とりあえず緑茶を)

 

 どれを飲んだらいいのか暫く悩んだ玉藻は、結局一番親しみのある物で一息つこうと考えた。

 

 考え、急須に茶袋を一つ入れたところで、はたと手を止めた。

 

 一体どこにお湯があるというのか。

 

 困ったことに土瓶も鉄瓶も無い。それどころか火を起こせる場所が無い。客室なのでそれは当然だろうと思う反面、これだけの用意をしておきながら肝心の湯は無いのかと困惑する。

 

(火鉢。火鉢は)

 

 見回してもそれらしき物は無く、玉藻は仕方なしに自分の能力を使うことにした。みだりに下界で使っては人との間に無用な軋轢を生みかねないため自重しているのだが、今は使うべきだと判断した。

 

 まずは結界による音と気配の断絶。これにより誰もこの部屋には寄り付かない。

 次に懐から印籠ような立派な刺繍をあしらった小袋を取り出し、その中身を手のひらに移す。細切れになった白い和紙。

 

「式よ。我が命に従い、火鉢を探すのです」

 

 霊力を込めて玉藻がふうと吹けば、それらは紙吹雪となって舞い散る。空中でふわふわと浮き、すると途端に自我を持ったように飛び回って、部屋の隅から隅まで調べ始めた。埃一つとして見逃さぬ徹底ぶり。一つ一つの式神が小さいとは言え、無数のそれらを操る玉藻の技量は凄まじいものである。

 

 そうして些か仰々しい捜索は三十秒とかからず完了した。成果は無し。ホテル内をいくら探しても火鉢などあるはずもない。

 徒労に終わった紙吹雪の式神を袋に戻し、玉藻は嘆息した。茶が飲みたい。

 

 と、そこへ戻し忘れた一つの式神が目の前にふよふよとやって来て、玉藻にあることを伝えた。

 曰く、あの白い筒型のものに『給湯』の文字を見たと。

 

 棚の上にある見慣れない道具。どう使うのか分からなかったが、近寄ってよく見れば確かに『給湯』やら『保温』やらと書かれている。なんと下には注ぎ口のような穴まで空いているではないか。

 言わずもがな只の電気ポットである。

 

「珍妙な」

 

 なんとなく、ここに湯が入っていることは分かった。

 して、どうすれば湯が出るのか。

 玉藻は新たな問題にぶつかった。

 

 給湯器なるものの存在を聞いたことがある。おそらくはこれがそう。なるほど、絡繰り仕掛けというわけかと納得する。

 

 給湯と書かれている部分が僅かに膨らんでおり、どうにも押してみたい作りになっている。突然湯が溢れては困るので注ぎ口の下に急須を持ってきて「いざ」と押してみる。

 しかし湯は一滴も出ず。膨らみ(ボタン)の部分に小さな明かりが灯るのみ。長押しをしてみてもやはり出ない。給湯ロックが外れただけで、そこを押したところで湯が出ないことを玉藻が知る由もなかった。

 

 揺すり、弄り、様々な膨らみを押しまくり。

 ようやく玉藻は急須に湯を注ぐことに成功した。

 

「おお……」

 

 湯気を立てて注がれていく熱々の湯を感嘆たる面持ちで見つめる。火にかけてもいないのに、どうやってか熱を保っているらしい。まこと妙なり、湯汲み絡繰。

 

 ようやく茶にありつけた玉藻は、ティーバッグで淹れたその味に「可もなく不可もなし」と評価を下しつつ、今日の出来事について考える。

 娘の環と、彼女が見そめた晴人少年に思いを馳せる。

 

 娘には実に久しぶりに会ったが、あまり変わりはないようでホッとしたのが正直なところであった。

 やんちゃで頑固なわがまま子狐。あの子に芸事などを学ばせるのはいっとう苦労したものだ、と玉藻は昔のことをほんのりと懐かしむ。

 

(しかし、よもや人間の男と睦まじい仲になっていようとは……)

 

 悪くない。

 

 それがあの稲里晴人という少年に抱いた感想だった。

 年齢相応に青々しいし、阿呆そうなところがあったが、一本真っ直ぐな芯が通っているように思われた。

 

『ビャクメンキンモ―?知ったことか!環さんの伴侶はこの僕だ!』

 

 この玉藻に凄まれて尚、ああも堂々と啖呵を切れる者などそうはいない。環を想う彼の気持ちは本物なのだろうと、認めざるを得ない。

 

 しかし、それを踏まえてもやはり、二人の仲は認め難かった。

 

 玉藻は憂う。

 彼らは本当に分かっているのだろうか。人と霊狐ではどうしても住む世界が根本から違うことを。

 

 親元での修業を終えて姉と共に稲荷大明神の神社に仕えてからというもの、環が水を得た魚のように生き生きとして幸せに暮らしていたことを、母である玉藻は知っている。

 神社が廃れてからも百年近く意地を張って下界に残り続けたのは、環がそれだけ人の世の営みを愛しているからだと知っている。

 

 出来れば、今回の神との縁談が無事にまとまって欲しいと玉藻は思う。

 

 現代でもきちんと信仰が集まっている神社は多く存在する。そういったところの神に嫁げば、環が好きな下界に留まり続けることができる。もう寂しい思いをしなくても済むのだ。娘の末永い幸せを願うのならば間違いのない選択であると玉藻は考える。

 

 ただ、気にかかるのはやはり晴人少年の存在。

 さっき稲里宅で行った話し合いは終始緊張感が場を支配していたが、それでも彼の側にいる環はどこか幸福そうに見えた。そのことがずっと玉藻の胸の内に引っ掛かっている。

 

(環の心は……しかし一時の感情程度では……やはり神との婚姻を……いやしかし…………)

 

 考える内に、うつらうつらと船をこぎ始める玉藻。

 座り心地の良い椅子に背もたれて、彼女はいつしか眠りに就いていた。

 

 

 

 

 

 

 玉藻が起きてみれば既に窓の外は薄暗くなっていた。

 

 目元を擦ってみて、自分の手が金色の毛に覆われていることに気が付く。五本の指はなく、掌には柔らかい肉球がついている。

 どうやら寝ている内に狐の姿になってしまっていたらしい。

 

(私としたことが)

 

 居眠りをしたというだけでも恥ずかしいのに、天下に名を轟かせた九尾の狐がこのような愚を犯すとは。結界を張っていて本当に良かったと内心で胸をなで下ろす。

 娘らには死んでも見せられぬ、と思いながら玉藻はまた人の姿となった。

 

 茶を淹れて飲む。一度覚えれば、電気ポットの扱いも慣れたもの。

 

(自分で淹れるというのも、悪くないかもしれないわね。人をわざわざ部屋に呼びつけなくて良いし、こうして自分の好きな時に気兼ねなく飲める)

 

 最初は不満に思った人間の文化にも光るところはあるものだ。

 そうして熱い茶を飲むと眠気も霧散していき、頭がすっきりとしてくる。一つ連絡を入れなければいけなかったと思い出し、玉藻は式神の御札を取り出して念話を繋げる。

 

「もし、もし」

 

 暫くして念話を送った相手の声が聞こえてきた。「お久しゅうございます、母上」と。

 

 今日の出来事を簡潔に話していく。環との再会と、彼女が人間の家に転がり込んでいることを。

 

「後日、話し合いの場を設ける約束をしました。そちらの都合も聞きつつ準備を進めますから、またこの札に連絡なさい」

 

 そういって短い念話を終えた玉藻は小さく息をついた。問題はまだまだ山積みである。さしあたって環の件が重要ではあるが、もう一つ天界でも解決しなければいけないことがあった。あまり下界でうかうかしてもいられない。

 

(いや、この下界で解決の糸口を見つけられれば良いのだが……)

 

 まあしかし、今日やるべきことは果たした。あとは夕餉をいただき、風呂に入って寝るだけだ。そう思うと途端に腹が空いてきた気がして、玉藻は立ち上がった。

 

 部屋に案内される際に渡された食事券なるものを懐に入れる。食堂へ行って係りの者にこれを見せれば食事にありつけるとのことだった。

 部屋へ運ばせようかとも考えた玉藻だったが、折角だからここは郷に従うこととしよう、と人間文化を堪能する方針に定めた。

 

 部屋を出て鍵を閉め、少し胸を高鳴らせながら食堂へ向かう。

 

(口に合うと良いのだけれど)

 

 味の心配をする玉藻は、まだ知らない。

 

 この後、バイキング形式という名の新たな試練が待ち受けていることを。

 

 

 

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