廃れた神社の狐娘   作:ふーてんもどき

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四話・神との会談。ギャルを添えて

 

 

 

 環さんのお母上である玉藻さんの来訪から数日が経ち、週末になった。

 まだお達しは来ていない。

 

 玉藻さんからの連絡を待ちつつも、伊藤と小野町を家に呼び、僕たちは恒例となった勉強会を今日も開いていた。

 

 しかし各々の調子は芳しくない。

 伊藤は相変わらずあらゆる教科で四苦八苦しているし、それに付き合う小野町も大変である。

 

 僕も全く進歩していない。玉藻さんが開くという神様との会談が気になりすぎて勉強など手に付かない。

 今だって化学式の問題に取り組んでいたはずなのに、気付けば玉藻さんたちとの話し合いに向けて、面接対策じみた草案を書き始めている。

 どうすれば相手方を説得できるのか。

 そればかりが四六時中頭の中を駆け巡り、心休まる暇がない。

 

 そうした精神的な不安定さは勉強だけでなく生活面にも支障をきたすものである。

 

 僕や小野町は寝不足気味といったところだが、伊藤に関してはその見た目からしても変化が顕著だった。

 

「のう、伊藤や。前々から思っておったのだが、お主肥えてきてはおらぬか」

 

 小休憩の折、僕が聞きたくても中々聞き出せなかったことを、環さんはあっさりと質問してくれた。

 

 環さんの言う通り、伊藤は日に日にふくよかになっているように見える。

 一本一本の筋繊維すら皮膚に浮いて見えゴツゴツと樹木のように節くれ立った肉体は、今や豊かな丸みを持ち始めている。

 ストレス故に暴食でもしているのか。

 或いは時間が取れず筋トレを疎かにしてしまっているのか。

 

 そんな僕らの疑問に答えたのは伊藤ではなく、彼の隣にいる小野町だった。

 

「大丈夫だよ!」

 

 彼女は突然身を乗り出して言った。

 

「これは増量期といってね、バルクアップに必要なものなの。脂肪もつくけどそれ以上に筋肉を大きくして、減量期でカットを作って磨きをかけちゃうんだから!」

「もういい。分かった。落ち着け」

 

 藪蛇だったらしいと猛省しつつ、早口で捲し立てる小野町をどうどうと宥める。

 しかし僕程度では暴れ馬を止められないようで、小野町は尚も興奮気味に筋肉の増量と食事の関係性、脂肪燃焼と無酸素運動のあれやこれやと意味の分からない話をし続けた。

 

「つまり、いっくんは更なる筋肉の高みに行こうとしているんだよ。ね、そうだよね、いっくん!」

「えっ、ああ、そうかな。うん、そうだね」

 

 拳をぎゅっと握りしめて彼氏に同意を求める小野町。

 問いかけられた伊藤は面喰らいながら曖昧に返事をした。困ったように僕に目配せを送ってくる。どうやら彼としては特に高い志があるわけではなく、気付いたら太っていたらしい。

 伊藤のことだから筋トレは欠かしていないのだろうが、不意に擁護をぶつけられて複雑な心境だろう。なまじ彼女からの期待が厚い分、下手に否定も出来ないでいるところが伊藤らしい。

 

 そんなくだらない話をしている時だった。

 部屋の片隅から声が聞こえてきた。

 

『もし、もし』

 

 耳の良い環さんがそれにいち早く気付いて僕の袖を引っ張った。あまねく霊狐のお母上、玉藻さんのお声だった。

 書類棚の上にある、玉藻さんから式神だと言って渡されたお札。万が一にも紛失することがないよう丁重にファイルで挟んでいたその紙切れから声が聞こえる。

 

 電話のように応答すればいいのだろうか。

 そう思って僕が動こうとすると、お札は一人でにするりとファイルから抜け出て、宙を漂い僕の目の前にやって来た。環さんで何かと慣れている僕はともかく、伊藤と小野町はこの世ならざる怪奇現象を目の当たりにして唖然としている。

 

『晴人殿、環。お待たせしました。先方の都合がつきましたので、正式な会談の場を設けようと思います。出来れば本日これからお会いしたいのですが、いかかですか』

「今日、ですか」

 

 勉強会の途中だが、良いのだろうか。そう思って伊藤と小野町の方を見ると、二人とも了解の意を込めて頷いてくれた。ついでに環さんの様子も確認してみるが、やはり緊張でガチガチに固まっているだけだ。まあ彼女はどのみち強制参加だから意思など関係無い。

 

 僕が「分かりました」と答えると、玉藻さんは話を先に進めた。

 

『場所なのですが、私が今泊まっている宿で丁度良い席を用意しています。是非そこへお越しください』

「えっ、でも、環さんは外に出られませんが」

『問題ありません。直接来られずとも、私の力で転移させることが可能です。この式神には転移術の陣式を書き込んでありますので、容易に渡ることが出来ます』

「転移……」

『また、宿一帯には結界を張っております。一時的に現世との位相をずらし、土地の制約を外すものです。さすれば環も問題なくこちらへ来られましょう』

「はあ、結界……」

 

 宙空でふよふよと浮いているお札を見る。転移や結界などという言葉を現実の世界で真面目に聞くことになるとは思いもしなかったが、相手は紛れもなく千年以上を生きる霊的存在。そういうこともあるだろうと納得する他ない。

 

「あの、私たちも行って良いでしょうか!」

 

 横からそう言ったのは小野町だった。たち、と言うのは伊藤も含めてのことだろう。伊藤は驚愕して小野町を見つめている。

 攻めの姿勢で伊藤を堕としてからというもの、彼女の積極性は天井知らずである。興味本位でここまで行動できるのだから図々しいを通り越して豪気と評するに値する。

 

 そんな小野町に対して『構いませんよ』と玉藻さん。込み入った話に第三者を入れるのは大丈夫なのだろうかと僕は思うものの、やはりその辺りの価値観なども神と人とでは違うものなのかもしれない。

 こういう時、僕は邪推をしてしまいがちで、人間などものの数には入らない木っ端の存在だと思われているのではないかとも考えてしまう。どれだけ重大な秘密を話すときでも、虫や動物に聞かれることを煩う人はいないだろう。

 そうなると同じ人間である僕の意見も、相手方の神様には軽んじられるのではないかという不安も頭をもたげてくる。

 

「大丈夫だよ稲里くん。私たちがついて行くから」

「そうさ。何ができるか分からないけど……」

 

 環さんと同様にいつの間にか緊張で全身が強張っていた僕に、伊藤と小野町は小声でそう励ましてくれた。

 そうか。興味本位だけではなくてそういう理由でついて行くと申し出たのか。

 

 僕が友人たちの厚意に胸を打たれていると、玉藻さんは一つ咳払いをして言った。

 

『ただ一つ、申し訳ないのですが』

 

 思わぬ前置きに僕は姿勢を正す。

 

『少々、天界の方で急用ができてしまいまして、私は参加できません。つきましては、代理の者に進行役を任せますので、ご承知の程を』

 

 代理の者。他の神様だろうか。

 僕が心の中で抱いた疑問に答えるように、玉藻さんは淀みなく話を続けた。

 

『私の娘の一人に、豊女という狐がいます。彼女に私の代わりを任せました。今回の話し合いにも関わりの深い者故、適任でしょう』

 

「豊、姉様……?」

 

 環さんがポツリと呟いた。どうやらその豊女さんという方は環さんの姉であるらしい。

 

 環さんのお姉さんに会える!

 玉藻さんの系譜である以上、絶世の美人であることは自明の理。興奮せざるを得ない。

 

 しかし内心で色めき立つ僕とは対照的に、環さんは緊張しているにしても不自然なほど表情が強張っていた。

 お姉さんと顔を合わせるのが嫌なのだろうか。仲違いでもしているとか。

 

 そこまで考えて、一つ思い当たることがあった。

 神社で逢瀬を重ねていた頃、環さんが話してくれたことだ。昔は姉の霊狐と一緒に稲荷大明神に仕えていたと。

 仲が良かったが、信仰が薄れ始めてから姉は段々と人間を嫌うようになり、最後は環さんと意見が食い違い喧嘩別れしてしまったらしい。

 

 環さんが一人ぼっちになっておよそ百年。年数で見ればもう随分と昔のことと言える。

 しかしそんな昔のことを話す時、確かに環さんは寂しげな表情をしていた。余程の鈍感でもない限り、姉と袂を分かった件が、未だに彼女の中で尾を引いていることが察せられるというものだ。

 

 ああ、もしかして、豊女さんというのは……。

 

『それでは今から転移門を開きますが、宜しいですね?』

 

 玉藻さんの言葉で、思考に埋没しかけた意識が戻る。僕は慌てて待ったをかけた。

 

「ちょっと時間をもらえますか。ほら、環さんも立って」

「え、なんじゃなんじゃ」

「着替えなきゃいかんでしょ」

 

 僕と環さんは揃ってだらしない部屋着を着ていた。

 

 

 

 

 

 

 伊藤と小野町に一旦部屋から出て行ってもらった後で、僕は学生服に着替え、環さんは晴れ着にも似た立派な着物に薄紅と白粉で化粧をして準備をした。

 玉藻さんの式神であるお札は待機状態にあるのか、今は稼働していないようでぺたりと机の上に落ちている。

 

 普段はしないようなきちんとした支度を整えている環さん。僕はその傍らに座り、辛抱堪らずお姉さんのことについて尋ねた。

 

「豊女さんって環さんのお姉さん、なんですよね」

「……うん、そうじゃ」

「ひょっとして、前に神社で一緒に暮らしていたっていうのは」

「察しが良いな。その通りじゃ。豊姉様と儂は同じ神に仕えておった。今は懐かしき、誉れ高き時代のことよ」

 

 噛みしめるように言う環さんの顔には、やはり憂いの色がある。

 

「難儀なものじゃ。豊姉様は根っからの生真面目でな。そこに人間嫌いときたものだから、儂らのことを認めてもらうには、ちと骨が折れそうじゃの」

 

 突然の母親の来訪。自分が預かり知らぬところで進んでいた婚約の話。そして仲違いしたままの姉との意図せぬ再会。

 

 色々なことが重なった環さんの心労はいかばかりであろうか。

 

 

 そう慮りつつも、今ならば自然と環さんの頭を撫でたりして甘酸っぱい雰囲気を作れるのではないかという思惑が、突如として僕の右脳から迸った。

 

 いや、撫でるだけに留まらず、あすなろ抱きなる夢にまで見た伝説の秘技すら使えるかもしれない。

 今までそうした如何にも睦じい行為はお互いに恥じらってしてこなかったが、困難が降りかかっている今こそ絆を強化なものとすべく、イチャラブちゅっちゅするべきではなかろうか。

 それでこそ、縁結びの神様とやらとの舌戦に臨む事が出来るというものだ。

 そうだ何もやましい事など無い、大義名分我に有り。

 

 意を決して「いざ」と環さんを後ろから抱きしめようとしたものの、絶妙なタイミングで化粧を終えた環さんが立ち上がり、僕は出鼻を挫かれてしまった。

 

 振り向いた環さんが、腕を広げた変な体勢で固まっている僕を見つめる。不思議そうに小首を傾げた後、したり顔で「ははん」と言った。

 

「えっち」

 

 僕の抗議が虚しく部屋に響いた。

 

 

 

 

 

 

 それから玄関などの戸締りを確認して、居間で待ってもらっていた伊藤と小野町を呼び戻し、四人でまた僕の自室に集った。

 

 環さんのめかし込んだ姿を見て、伊藤と小野町は「可愛い!」「綺麗!」とはしゃいでいた。

 褒め言葉にめっぽう弱い環さんは、こんな状況下でもちゃっかり機嫌を良くして「良きにはからえ」などとおっしゃる。

 

「ふふ、ついさっき晴人にも襲われかけたわ。のう晴人や」

 

 調子に乗ってそんなことを得意げに言うものだから、友人二人の僕を見る視線が大変に冷たくなった。「違う、僕は紳士だ」といった僕の正当な弁解に彼らはまるで耳を貸さない。

 騒ぎ立てる僕を尻目に環さんは式神のお札に指を添えて「もし」と呼びかける。

 

 環さんが話しかけてもなかなか繋がらない。

 こちらの準備を待ってくれていたのだから直ぐにでも返事があると思っていたのだが。天界でも何か色々といざこざがあるのか、どうやら玉藻さんは本当に忙しいらしかった。

 

 暫くしても音沙汰が無く、間を置きながら何回か呼びかけて、ようやく応答してくれた。「失礼しました」と玉藻さん。

 僕たちは準備が出来たことをお札に告げる。

 

『では、いらっしゃいまし』

 

 玉藻さんが言うと同時、お札が青い炎を上げて燃え出した。側にいても全く熱さを感じない不思議な瑠璃色の焔。

 音もなく燃えるその炎は、四角い枠を形作って段々と空間に広がって行く。真ん中に覗くのは僕の部屋ではなく、暗闇ばかりの虚空がある。

 終いには人がすんなり通れそうな大きさまで広がり、そして暗黒だった枠の中に何か形のあるものが見え始めた。

 

 青い炎を隔てた先。朧げに霞むそこには、何やら人影のようなものが立っているのがうっすら見て取れる。

 ピントがずれたようにぼんやりとした輪郭しか分からないが、特徴的な耳と尻尾の形を見るに、きっとあの人が豊女さんなのだろう。

 

『どうぞお通りください』

 

 固まっている僕たちの横を通って、環さんが先に立つ。

 

「大丈夫。ど○でもドアみたいなもんじゃ」

 

 環さんは大変分かりやすい例えで雰囲気を台無しにしながら、僕たちに手本を見せるように炎の向こう側へ歩いて行った。僕、伊藤、小野町も一列になって後に続く。

 

 

 青い炎の先は立派な応接間になっていた。

 中央に備えられた楕円型の円卓と、僕のような無頼漢にも一目で高級と分かる造りの椅子が並べられている。絨毯は厚手で今までの半生で味わったことのない踏み心地。壁に伝う花と蔦の絵も、柱に彫られた彫刻も実に美しく繊細である。

 

 驚くべき非日常。しかし豪華絢爛な部屋も霞んでしまうほどの存在感を放つ人物が、僕たちの前にいた。

 

「おっすー☆ 待ってたよ〜。もう聞いてるかもだけど、環ちゃんの姉の豊女で〜す。気軽に豊ちーって呼んでね♡」

 

 ギャルだ。ギャルがいる。

 

 短く切った金髪は緩くウェーブが掛かっている。大胆に肩を出す形の上着と極端に短いデニムのパンツを着ているため、肌の露出割合が危険水準に達している。

 つまり僕と伊藤には刺激が強すぎる。

 元々の美貌を引き立てているであろう化粧、アクセサリや色とりどりのマニキュアなども当然のようにバッチリとキメて、もう僕の感性ではよく分からない毒々しいほどの華やかさで満ち溢れていた。

 

 思考停止した僕は、目の前の現実にただただ圧倒されていた。

 

 真面目で厳格だと聞いていたから、てっきり玉藻さんの生き写しのような人を想像していたのに、これは完全に予想外だった。他の三人も僕と同じく呆けており誰も言葉を発せないでいる。

 いや、僕たちの中でも環さんがいっとう困惑していた。彼女は口をあんぐりと開けたまま茫然自失としている。無理もない。どうして予想など出来ようか。久しぶりに再会した生真面目なはずの姉が、まさかギャルに変貌しているなどと。

 

「ちょ、無視すんなしw つか皆揃って同じ顔してんの超ウケるんですけど」

 

 清楚どこ……? ここ……?

 

 ポカンと間抜け面をしている僕たちを見て豊女さんは一人でウケている。よしんば豊女という名前が同じなだけの別人かもしれぬと現実から目を逸らしかけたが、彼女には環さんらと同じ霊狐の象徴と言える耳と尻尾が確かに生えていた。

 

「あ、あの、私たちは……」

 

 いち早く硬直の解けた小野町が、豊女さんにおずおずと話しかけた。本来であれば小野町と伊藤は招かれざる客である。そんな立場でも自分から話そうとする小野町の気丈さには感動するものがある。

 ふと見れば伊藤も僕と同じく感嘆たる面持ちで小野町に尊敬の眼差しを送っていた。おい彼氏、それでいいのか。

 

「ん? ああ、君らが晴人くんのお友達ね。一応話には聞いてるから、同席オッケーだよ。アレっしょ、友達のために来た感じなんでしょ? やー泣けるわー」

 

 小野町が顔を赤らめる。

 豊女さんにからかわれているのかと思ったが、彼女の口調は明るく嫌味が無い。流石に泣いてはいないが、割と本当に感心しているのだろうということが伺えた。人間嫌いの設定は何処へ行ったというのか。

 

「本当に……豊姉様、ですよね……?」

 

 次に環さんがやっとこさ口を開いた。

 

「うん。久しぶりだね、本当に」

 

 環さんに向けて笑う豊女さんの顔はとても優しげで、少なくとも僕は、そこに姉妹としての純粋な愛情があるように見えた。

 しかし感慨に浸りかけたのも束の間で、豊女さんはギャルとしての顔に戻ってペラペラと喋りまくる。

 

「驚いたっしょ? アタシ今、下界で暮らしててさー。もち神社住まいね。んでまあ見ての通り色んなことにどハマりした感じ。あ、このマニキュアとか自分で塗ったんだよ。マジ可愛くない?」

 

 自分の身の回りのことを楽しそうに話す豊女さんは全く止まる気配がない。マシンガントークという言葉が存在するが、なるほど機関銃の掃射を受けているが如きどうしようもなさである。

 環さんもネットの匿名掲示板などで、ギャルという存在や現代のファッションなどについて知り得ているはずだが、豊女さんから語られるあまりの情報量の多さに目を回してばかりいる。

 

 僕もどう対応したら良いか分からず呆けていると、小野町がこっそりと僕の腕をつついて「頑張って」と言うような目配せを送ってきた。

 僕は短い逡巡の後に奮い立った。

 そうだ、今はどんな事態が起きようと男を見せねばならない。そう気を取り直して、些か機会を逸しすぎた自己紹介を試みる。

 

「えっと、はじめまして。稲里晴人といいます。環さんとその、お付き合いをさせていただいて……」

 

 最初は良かった。

 豊女さんのマシンガントークを寸断する形で、こちらの流れを作れそうだった。

 

 しかし僕の話の続きは、目をキラキラさせた豊女さんに再び遮られた。

 

「知ってる知ってる! うちのおかんに噛みついたんでしょ!?」

「お、おかん……」

「それ聞いた時からアタシ、君のファンになっちゃってね? いや〜マジか〜やるじゃんよ〜って!」

「はあ、どうも」

「アタシら霊狐があの人に逆らうとか絶対ムリだから、マジ尊敬しかないわけ。口ごたえなんて生まれてこの方したこともないし。あっそうだ、記念に握手してもらってもいい?」

「えっ、あ、はい」

「わあ感激〜!」

 

 きちんとした挨拶で仕切り直しをしようとしたのに、いつの間にか豊女さんの怒涛のペースに飲み込まれて、僕はワケも分からぬまま握手を交わしていた。恐ろしいことである。

 

 握手が長い。差し出したこちらの右手を、向こうは両手で包んでニギニギとしてくる。あざとい、あざと過ぎる。

 

 柔らかく滑らかな豊女さんの掌の感触。

 香水でもつけているのか、女性特有の甘くて良い匂いがふわりと香ってくる。

 

 そうか。楽園はここにあったか。

 

 今までに関わったことのないタイプの女性からのスキンシップに理性が溶けかけて恍惚としていたところ、環さんから肘鉄をもらって我に帰った。

 

 デレデレしている場合ではなかった。この場における豊女さんはあくまでも仲人の代理人。彼女に気を取られて肝心の話し合いで躓いては元も子もない。

 

 ただ、その話し合いの相手である神様の姿がまだ見えないわけだが。

 

 いつ来るのだろうと、豊女さんにそう聞いたところ「ごめんねー、もうちょっとのはずだから」と言われる。

 

「最近うちの神社忙しくてさー。ダーリンも中々手が空かなくてね。だから都合がつきそうな時にってことで、今日こうやって晴人君たちをいきなり呼び出しちゃったりしたわけ」

 

 待て。僕は今、聞き捨てならない単語を聞いた。

 

「「ダーリン?」」

 

 僕と環さんが揃って疑問を口にすると、豊女さんは「あれ?」と不思議そうな顔をした。

 

「聞いてないの? 環ちゃんの婚約者になってる神様は、アタシの旦那でもあるんだけど」

 

 絶句する僕たちに「ほら見れ」と左手を掲げて見せる豊女さん。

 その薬指にはめられている指輪が、照明の光を受けてキラリと光った。

 

  へえ、日本の神様たちの間でも結婚指輪をつける文化があるのか。下界の店で買ったのかな。

 

 いやそんなことは今は関係ない。

 関係ないが、少しくらい目の前の現実から思考を逸らさないとやっていられない。

 ショックの許容限界を迎えた脳味噌から湯気が出る思いだった。重婚、ハーレム、両手に花、けしからん、羨ましい。僕の脳裏に様々な言葉が浮かんでは消え、意見としてまとまった形になるものは一つとしてない。

 

「あ、来た来た」

 

 豊女さんがそう言って振り返る。

 彼女が視線を向けた先には、ついさっき僕たちが通ってきたのと同じ青い炎が現れた。

 広がって枠になった炎の向こう側から、揺らめく人影がこちらへ歩いてくる。おそらくは件の神様の御来場。どんな甘い面をした優男が出てくるのかと、僕は身構える。

 

 しかし目に写るのは、霞んでいてもよく分かる、ふくよかな体の輪郭。

 その足取りは悠々としており、踏みしめる度に部屋を揺らしても不思議ではない貫禄に満ちている。

 

「やあ、お待たせした」

 

 現れたのは豊かな髭を蓄えた、実に大柄な男性だった。

 いや、大柄と言っても身長はそれほど高くない。僕と同じかそれ以下だ。しかし何と言っても胴回りの幅が尋常ではなかった。見るからに上等そうな朱色の召し物がパツパツに張っている。

 

 その見た目から「彼が食を司る神か」と慄きかけたが、よくよく思い返してみれば玉藻さんは縁結びの神だと言っていた。どんな美男子が来るかと身構えていたものだから、僕の父親とほとんど同い年くらいに見える神様の登場に面食らってしまった。

 

 太った神様はその丸顔に大変穏やかな微笑みを浮かべ、右手を軽く挙げて僕たちに挨拶をした。

 もう片方の手、つまり左手の薬指には光る輪っかがある。

 ポークソーセージのように丸々とした指に慎ましくはめられているそれは、紛れもなく豊女さんとお揃いの結婚指輪であった。

 

「やっほー☆ ダーリン、お疲れ様!」 

「なんの。縁結びの願い事はどれだけ聞いても面白いものだよ」

 

 豊女さんは旦那であり仕えている主でもある神様に向かって、極めて軽い口調で話す。いやそればかりか、神様の豊満に肥えた身体に抱きついて、やたらとイチャイチャし始めている。終いには、此方を置き去りにして「ダーリン」「豊ちー」と互いを呼び合う始末。

 

 僕たちは一体何を見せられているのだろうか。何故か無性に腹立たしくて仕方がない。

 

 傍から見た図としては、年若いギャルがメタボリックなおじさんにぎゅっと抱きついているわけで、援助交際と後ろ指をさされても言い逃れのしようもない絵面となっている。

 

 とても夫婦には見えない外見年齢差。事情を知らぬ人が見れば十中八九、非難するであろう犯罪集が漂っている。

 

 しかし、緊張のためかこれまで固く口を閉ざしていた伊藤が、その凄まじい光景を前にしてボソリと一言呟いた。

 

「うわっ、羨ましい」

 

 

 

 

 

 

 多少の落ち着きを取り戻したところで、僕たちは机を囲んで席に着いた。

 

 改めて自己紹介を交わし、相手の神様が大山之国津茂神というお名前であることを知った。

 語感だけ聞いても大層立派な名前に思われ、決して言い間違えたりすまいと気を引き締めたのだが、本人から「大山さんとでも呼んでくれたまえ」と言われた。

 

「長くて呼びにくいだろう。私も名乗る時、たまに噛むんだ」

 

 ワハハ、と笑う大山之国津茂神様……もとい大山さん。

 あまりに親しみやすい。その朗らかさは親戚のおじさんといった表現がぴったりな具合で、神と聞いて思い浮かぶ超常的な威厳や風格などは些かも見られない。

 恋敵と見定めて相対する覚悟を固めていた僕は、すっかり毒気を抜かれてしまった。

 

「晴人氏といったな。私も豊ちーも、君のことは大いに気に入っている」

「はあ、ありがとうございます」

 

 神様から気に入られる名誉よりも、当たり前のように豊女さんを『豊ちー』と呼ぶことに衝撃を受けてつい生返事をしてしまう。彼らは本当に神霊の類いなのだろうかという疑問が拭いきれない。

 

 玉藻さんから聞いたのだろう、大山さんは面白がって先日の些細について尋ねてくる。伴侶だなんだと言ったヤケクソ啖呵を再現させられ、顔から火が出る思いである。

 そもそも白面金毛九尾の狐というのがどう云ったものかをてんで知らなかったからこそ、あれだけ大胆なことを言ってのけられたのだが、今更弁明しても仕方がないので僕は甘んじて褒めちぎられることにした。

 大事にされているんだなあ、と言われて環さんも頰を染めている。

 

「で、そこの二人は晴人氏の友人かね」

「はい。小野町といいます」

「い、伊藤です」

 

 話を振られた伊藤と小野町が揃って頭を下げると、大山さんは柔和な笑顔をさらにニコニコと深めて「良いなあ。愛だなあ」と嬉しそうにしている。

 彼らが恋仲であることはまだ言っていないのだが、縁結びの神である大山さんには僕たち人間には分からない何かを感じ取れたりするのだろうか。

 

 大山さんは曲がりなりにも環さんの婚約者のはずである。

 それなのに腰を落ち着けてから話すのは、僕たちの近況についてばかり。環さんに対してがつがつした様子は微塵も無いどころか、僕と環さんの仲良しエピソードを興味津々といった風に聞いてくる。

 今のところ、若者の恋バナを肴に酒を飲むおじさんのような印象しかない。本当に環さんと結婚する気があるのか定かではなく、一体どうなっているんだろう、と僕たちは困惑するばかりだ。

 

 そうして会談ならぬ雑談をしていると、部屋の隅でお茶を淹れていた豊女さんがお盆を手に戻ってきた。金髪のギャルが急須と湯呑みをお盆に乗せて持って来る光景はなんとも凄まじいギャップがある。

 

 豊女さんは僕たちそれぞれにお茶を配りながら、今しがた使った給湯器を指さして言った。

 

「アレさ、おかんが何かゴリ押しで勧めてきたんだよね。『私が直々にこの絡繰の使い方を教えましょう』なんて真顔で言ってきてさ。いや知ってるってw つか見たら分かるってw」

 

 玉藻さんのモノマネをする豊女さん。元々顔の作りがそっくりなので生写しのごとく似ている。

 

 しかしまあこの人たちは、談笑しに来たのかと思うくらいよく話す。会談の進行において中立であるはずの仲人が率先して雑談し始めるとは思ってもみなかった。

 婚約者の話を聞いてから数日間、どう受け答えようか悶々と考え続けてきたのだが、この展開はさすがに欠片も考慮していなかった。なんかもう「環さんと一緒にいたいです」と主張すれば「はいどうぞ」と言われかねない雰囲気である。

 

「まあでもそんなこと言えんし、黙って従うしかないじゃん? 元からおかんに対してはイエスマンなわけだし」

「豊女さんは……玉藻さんの前だと今みたいな喋り方しないんですか?」

「するわけないじゃんww 本人の前ではバリバリ貞淑にしてるって。格好もこういうのは駄目。少しでもナメた態度してたらぶっ飛ばされるだろうし『おかん』なんて呼んだ日にはどんな目に遭うか……」

 

 玉藻さんのお叱りを想像したのか、豊女さんがブルリと震える。ついでに僕の隣で環さんも震えている。

 なるほど、母は強し。絶対王権もかくやと言うべき君臨っぷりである。

 もしかしたら僕は思ったより恐ろしい人に啖呵を切ってしまったのだろうか、と今更になって戦々恐々とする。

 

 

 

 まさか、僕の些細な畏怖に呼応でもしたのか。

 そう思うほどのタイミングであった。

 

 

 

 僕たちの真向かい、つまり豊女さんと大山さんの背後に、青い炎の枠が出現した。

 

 

 

 環さんと僕、婚約者側の大山さんこと大山之国津茂神様、そして仲人の代理である豊女さん。すでに役者は揃っているはずのこの場に、一体誰が来るというのか。

 

 妖しげに揺らめく炎の先に、僕は九本の尻尾を見た気がした。

 

「そもそもおかんはアタシらに厳し過ぎるんだって。自分だって昔は上皇サマに首っ丈だったらしいくせにさー」

 

 背後の気配には気付いていないようで、豊女さんは尚も玉藻さんの話をし続ける。奇しくも彼女の語り口調には熱が入り、話の内容も愚痴っぽくなり始めている。

 

 不味い。この状況はとにかく不味い。

 

 僕がそう思い豊女さんに声をかけようとした時には、既に玉藻さんが炎をくぐってこの部屋に登場していた。

 

「すみません。用事が早く済みましたので遅ればせながら参上しまし———」

 

「環ちゃん知らないでしょ? おかんさ、酔わせると結構凄いんよ」

 

「…………」

 

「誰と懇ろになっただとか、仲を引き裂いた陰陽師憎しとか、大昔の惚れた腫れたばーっかり。自分がそんなんなのに環ちゃんと晴人君のこと言えなくね?ってアタシは思うんだけどねえ」

「と、豊姉様……」

「いやマジで酒癖ヤバいんだよ玉藻ちゃん。今度の神無月もアタシはダーリンの付き添いで行くんだけどさ、おかんと顔合わせんの面倒くさいんだよね。酔った後で記憶無くなるのもタチ悪いしー」

「あの、後ろ……」

「あん? 後ろ?」

 

 環さんに言われて、ようやく振り向いた豊女さんはピシリと硬直した。

 

「豊女……あなたは……」

 

 南極のブリザードの如く凍てついた玉藻さんの声。空間が歪んで見えるのは気のせいであろうか。声音はどこまでも冷え込んでいるのに、お顔が真っ赤なのが何ともちぐはぐである。

 

 豊女さんは先程の比ではなくガタガタと震えている。振動がこっちにまで伝わってきそうなほどだ。

 道路工事なんかで使われている地ならし用の機械みたいだなあ、と僕はほんわか思いつつ、豊女さんに向けて心の中で「南無南無」と合掌した。

 

「豊女、お話があります」

 

 玉藻さんの鶴の一声によって、僕と大山さんとの会談の場は、瞬く間に家族会議の舞台となった。

 さっきまでの会話の勢いはすっかり消え失せて怯え続ける豊女さんを、玉藻さんがこんこんとお叱りになる。

 

 蚊帳の外へ放り出されてしまった僕は、伊藤、小野町と目配せを送り合う。

 

 正直、もう帰りたかった。

 

 

 

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