早朝、朝靄の立つ中、荷物を背負った僕と環さんは両親に見送られて家を出発した。
平日の朝に学生服ではなく私服に着替え、学習用具の入ったスクールバッグではなく衣服と日用品が詰まったリュックサックを持って堂々と外へ出る非日常には背徳的な興奮を覚えた。
しかし背徳的とは言え、何も人道に反することはしていないと胸を張れる。何故ならこれから僕は環さんと人生を共にするための資格を得に行くからだ。即ち愛の試練である。その尊さと正当性は万人に認められて然るべきものだ。
正直なところ仮病を使ってこそこそと学校を休むことすら歯痒い。受験受験と、それ以外の単語を忘却してしまったのかと思われる先生諸氏に面と向かって堂々と言いたいものだ。俺は愛に生きると。
最寄駅にて環さんの分の切符を買い、改札をくぐる。最初の目的地は僕の学校の近くにある大山さんが住まう神社であり、そこまでは僕が普段から使っている定期券が役に立つ。
改札を無事に通過できたことにいたく感動している環さんを連れて電車に乗り込む。まだ早い時間であるために乗客は少ない。僕と同じ学校に通う学生の姿は見えず、スーツ姿の会社員らしき人々がちらほらいるくらいだ。
「これ、いつも晴人が乗ってる電車?」
「そうですよ。十分ちょっとで僕の学校のそばにある駅に着きます」
「は〜。便利なものじゃなあ。あ、変な輪っかが天井からぶら下がっておるのはなんじゃろう」
「吊り革です。電車は揺れますからね。立って乗る人はあれに掴まるんですよ」
「ふうん」
「環さんの身長じゃ掴まれないから関係ないかもしれませんが」
「なんじゃと!」
ムキになって「見ておれ」と環さん。背伸びをしても届かないのでジャンプして両手で吊り革に掴まり、ぶらぶらと揺れている。まるで吊り革の用を成していないが何故か彼女は得意げである。これが誉れ高き霊狐の姿であっていいのか。玉藻さんが見たら言葉を無くすに違いない。
他の乗客の目もあるので環さんを引き摺り下ろして隣に座らせる。
すると今度は座席の上で膝立ちになって窓の外の景色を見始める。電車が加速するに連れてどんどん流れていく街並みを眺めて「おお」と何やら感嘆した声をあげている。遠足に行く小学生でももう少し落ち着きがあるんじゃないか。
僕は旦那と言うより娘を持つ父親のような気分になりつつ、通学で見慣れた風景を環さんと一緒になって眺めた。
一部が住宅地として開発されたとは言え、地元の近隣はまだまだ田園地帯である。青々としていた田んぼは色づき始めており、稲穂は重たそうに頭を垂れている。
そんな景色を車窓から眺めていると夏もとっくに終わったのだと強く感じるものだ。
同時に秋の訪れを思う。もうすぐ神無月を迎えようとしているのだと。
◯
電車を降りて南口の改札から出て、通学路から逸れた方向へ。遠回りで神社を目指す。
学校の知り合いに見つからないようにするためだ。
始業まではまだ随分と時間がある早朝。帽子にマスクにサングラスと三拍子揃った変装をして、通学路も避けているので大丈夫だとは思うが不安は拭えない。
今の僕はインフルエンザで休んでいることになっている。そんな男子生徒が学校周辺をうろつき、挙げ句の果てにどう見ても血の繋がりが無い小学生くらいの少女を連れているのだから、見つかったら最悪だ。出来るだけ人目につかないよう気配を殺して動かなければならない。
「いいですか環さん、あまり目立たないようにしてくださいね。息を潜めて……あ、人が来た! 建物の影に隠れましょう」
「コソコソしとった方が目立つのではないか?」
「用心するに越したことはありません。もう少しで神社に着きます。このまま裏路地を通って行きましょう」
環さんの手を引いて住宅街の狭路を抜ける。こんな道を通って迷わないのかと環さんに心配がられたが、それは杞憂である。学校周辺で土地勘はあるし、今目指している神社には一度だけ足を運んだことがあった。
大山さんの住む神社。名前もそのまま大山神社というその場所は、縁結びのパワースポットとして巷で有名なのだ。
なんでもそこで御参りすれば不思議と良縁に恵まれたり、今抱いている恋が成就したりといった幸運が降ってくると噂になっている。
高校一年の頃、その真偽を確かめるべく学校帰りに伊藤と行ってみたものの、神社の境内はカップルの溜まり場となっており僕たちは素早く撤退した。人目も憚らずべたべたと馴れ合う恋人たちが跋扈するその光景に目が潰れそうになったものだ。野郎二人で居るにはあまりに耐え難い空間であった。僕と伊藤は話し合い、あそこは既に恋人がいる人間が行く場所だったのだという結論を出したのだ。
それ以来、忌避して訪れることもなかったのだが、実際に神様がいて御利益を授けているというのだから驚きだった。恋愛成就の噂というのもあながち間違いではなかったらしい。
そうして僕は環さんを伴い、再び大山神社の前に立った。
早い時間に来たおかげで他の参拝客の姿は無い。ありがたいことである。恋人たちがイチャつく様を見せつけられなくて済む。
いや今は僕にも環さんがいるのだから気後れする必要などないのだが、やはり長年かけて形成された苦手意識というものは生半に克服できない。学校や街中でカップルを見るたびに末長い爆発を願うこの悪癖はいつになったら治るのだろうか。
鳥居をくぐって境内に入っても大山さんと豊女さんの姿が見えない。
取り敢えずは礼儀として参拝を済ませようと、僕たちが手水舎の方へ向かったところ、そこには先客がいた。言わずもがな若い男女である。
なにくそ、と思ったのも束の間。
彼らは僕のよく知る人物、伊藤と小野町の二人組だった。
僕たちが近寄ると彼らもこっちに気付いて手を振る。
「伊藤、小野町。お前らこんな時間にどうして」
そう聞くと、二人は口を揃えて僕と環さんを見送りに来たのだと言った。確かに前もって二人には今朝出発することと、僕が龍ヶ峰へ行っている間の学校関連のフォローをお願いしていたが、こんなにも早い時間に会いに来てくれるなんて思ってもみなかった。
まだ部活の朝練すら始まらない時間だ。伊藤は眠たそうに目を擦っている。
僕は二人からの友情を嬉しく思い「わざわざありがとう」と礼を述べた。
「うん、それは良いんだけどさ。稲里くんはそのサングラスとかマスクは取った方がいいんじゃないかな」
小野町は何故か引き攣ったような苦笑いを浮かべている。いや、伊藤もだ。
「なんで。必要だろ。今の僕はインフルエンザで休んでることになってるんだからさ、見つからないように変装しなきゃ」
「あーなるほど。稲里くんの気持ちは分かるんだけど、別の問題が発生しているわけで」
「ぶっちゃけ今の晴人、不審者だよ」
伊藤がそう言い、小野町は手鏡を取り出して僕に鏡面を向ける。そこにいるのは完璧な変装をした目立たない男ではなく、全身から変態性が匂い立つ不審者そのものであった。
「しかも環ちゃんを連れてるから、本当にヤバい絵面だよ。通報されなくて良かったね」
僕は心底生きた心地がせず手を繋いだままの環さんの方を見た。「環さんは気付いていたのですか」と聞けば、誘拐ごっこをしているみたいで楽しかった、とのことである。頼むから教えて欲しかった。
悔恨のもと真人間の状態に戻った僕は、環さんらと拝殿へ向かい賽銭箱に小銭を投げ入れた。四人揃ってぱんばんと手を合わせてお辞儀をする。本来は拝礼を受ける側である環さんだが、彼女の所作が一番綺麗だったように思う。そういった丁寧さはやはり玉藻さんに教え込まれたところによるものなのだろうか。
「うむ、感心」
頭上から声がした。
僕たちがお参りを済ませて顔を上げると、そこには大山さんがいた。正しくは大山之国津茂神様が、賽銭箱の上にでんと胡座をかいていた。
ついさっき、お参りする前は居なかった。音も気配も無く唐突に現れたのだ。
「きゃあ!」
悲鳴を上げて尻餅を打ったのは嘆かわしいことに伊藤だった。そんな彼に小野町が「大丈夫?」と慌てて起きるのを手伝っている。
どっちが男か分かったものではないが、そんなことにツッコむ余裕は僕にも無く、声も出せずただ呆然とするばかりだった。環さんだけが何も驚くことなく恭しく礼をしている。
「はははっ、君たちは相変わらず元気だなあ。いやよく来たよく来た。立ち話もなんだ。まずは上がって茶でも飲んでいきなさい」
大山さんはそう言って僕たちに本殿の方へ上がるよう促してくる。
現実的に一般人が立ち入って良い場所ではない、ということは混乱している僕でも分かっていた。しかしここで神様の好意を断るのも如何なものか。
「駄目だってダーリン。勝手に上げて神主くんにバレたら怒られるのはその子らなんだからね?」
戸惑う僕に助け舟を出してくれたのは、大山さんの後ろから姿を現した豊女さんだった。
昨日ぶりに会う彼女は早朝であってもメイクを済ませて粧し込んでいる。それに大きめのショルダーバッグも持っているし、既に準備万端といった様子であった。
しかし何よりも気になるのは豊女さんの表情だ。僕たちを眺め回してニマニマと笑っている。気付けば彼女だけでなく大山さんも同じように何か面白そうに微笑んでいた。
ややあって、先程みんなで揃ってお参りをしたことを僕は思い出した。
神社での参拝は神様に己の心の内を曝け出すことと同義である。霊的な力のほとんどを失っていた環さんですら無意識下の深層心理を読めるのだ。豊女さんと大山さんのご夫妻が僕達の心に何を見たのか、それは僕達本人ですら分からない。
「伊藤某。君は実に面白いな」
大山さんはふわりと賽銭箱から降りて、特に気に入ったらしい伊藤の肩を叩く。
「素晴らしく阿呆な純情っぷりだ。君は見込みがある」
心を読まれたのだと分かっていないようで伊藤と小野町は曖昧な返事をしている。環さんの異能を見せるために一度体験してもらったことがあるけど、まだ神や霊狐といった存在自体に慣れていないのだろう。
「環ちゃんと晴ぽんは覚悟完了って感じね。良いじゃん良いじゃん。その分なら龍ヶ峰にもぼちぼち着けるっしょ」
豊女さんが親指を立てて言う。
僕が先ほど願った内容はもちろん、この試練を無事に乗り越えられますように、というものだ。その根底にある感情は言わずもがな環さんへの思慕である。多少の自覚があるとは言え、そうした心理を覗かれ言及されるのはやはり恥ずかしい。いや、豊女さんの反応を見るに好意的だし胸を張るべきなのかもしれないが。
「ちょっと難儀しそうだけど」
ぼそりと豊女さんが何か言った。あまりに小さな呟きだったので聞こえなかったのだが、環さんの狐耳が反応したのを僕は横目に見ていた。しかも心なしか表情が固くなったような……。
そのことが気になったが、僕の疑問を遮るように豊女さんはショルダーバッグのポケットからある物を取り出してこちらに渡してきた。
「これから頑張る二人にお姉さんからのプレゼントね☆」
手渡されたそれは真っピンクのハート型の物体であった。持ってみた感じ材質は木である。
一瞬何のための物か分からなかったが、少し眺めて思い出した。これは絵馬だ。目に痛いほど明るいピンク色に加えてハート型などあざと過ぎて見るに堪えないが、これは大山神社で購入できるれっきとした絵馬である。
振り返れば社の側には絵馬を奉納するための棚があり、隅から隅までびっしりと吊るされたハート型絵馬のピンクに染まっている。その一つ一つを見てみればカップルの名前のみならず「ずっと一緒!」だの「ぜってー幸せにする」だのと歯の浮くような甘ったるい文章が必ずと言っていいほど書かれている。
これこそ大山神社が縁結びの名所として知られる由縁の最たるものである。
思えば懐かしい。
僕と伊藤が調査と称して訪れた時、今と同じピンク一色の壁を目の当たりにして、その悍ましさに耐えられず僕たちは逃げ出したのだ。こんな物に自分達の名前を書いて、さらには赤裸々な愛の文まで熱く綴り人前に堂々と飾るなど正気の沙汰とは思えなかった。
異国に彷徨い込んでしまったのではないかと錯覚するほどのカルチャーショックを受けた僕と伊藤は近くのレンタルビデオ屋に逃げ込み日本人として本来あるべき古き良き恋愛情緒を探し求め、借りてきたお気に入りの純愛映画を片っ端から視聴したものだ。
そして後日、視界を埋め尽くすほどのハート型の絵馬については僕たちの見間違いだったという結論を出すことにより事なきを得たのである。あんなものが存在して良いはずがない。
しかし今、心の中で存在を否定したはずの呪物が僕の手にある。見れば伊藤も大山さんから同じく絵馬を渡されていた。
書いて良いものか僕は迷った。
確かに僕は今や環さんというお相手を得ているのだから桃色絵馬に慕情を書き殴って衆目の前に晒す権利がある。
だが本当に良いのか。体面上リア充という名の特権階級になったからと言って、俗物的な風潮に身を任せてありきたりな行いをただ焼き増しすることは果たして正しいことなのか。
否、断じて否。
これまで人一倍純愛に焦がれながらも長き冬を耐え忍んだのは何故であるか。世に蔓延る有象無象に迎合するためではなかったはずだ。理想的な出会いを得たのならば理想的な付き合い方をしなければならない。そして僕が抱き続けてきた理想とは昭和や大正の浪漫を彷彿とさせる奥ゆかしい形であって、このようにお膳立てされたあからさまな行為ではないのだ。
ちなみに、まかり間違ってもカップル的な行為に及ぶのが恥ずかしいから否定するわけではない。僕の信念の問題である。そこを間違えてもらっては困る。
なあ、そうだろう伊藤。僕たち硬派だよな。
葛藤の末に己が信念を見つめ直した僕は賛同を求めて伊藤の方を見た。同志たる彼ならば言葉にせずとも必ずや僕の意思を汲み取って頷いてくれるはず。
しかしいつの間にか、僕の隣いたはずの伊藤と小野町が居なくなっていた。
探して辺りを見回せば、既に自分達の名前を書き込んだ絵馬を吊るして奉納している二人がいた。ノリノリな小野町に引っ張られて、伊藤も赤ら顔で満更でもない様子だ。あの裏切り者が。
「晴人、これで良いかの」
気付けば僕の手にあった絵馬を環さんが持っていた。もう名前を書き込んだらしい。達筆な字で稲里晴人と稲里環の名前、そして『一生を共に』という簡素ながら念の篭った一文。
なんか恋仲っぽい!と普段の僕なら気恥ずかしさで一杯になっていただろうが、今そんなものを感じる余裕は無かった。
一生という言葉に僕の心は波打った。
僕と環さん、どちらの一生なのか。そんな考えが瞬時に頭の中を支配する。連想して思い出すのは玉藻さんのお言葉だ。
『百年ですか、二百年ですか。一体、どれほどの時を環と過ごすおつもりで?』
寿命差。
本来、人間同士の付き合いでならほとんど考慮に入れることのない要素である。それが僕と環さんの間には何よりも大きな問題として存在している。
この期に及んでそんなことで悩む自分に腹が立った。
あの日、夕暮れの廃神社で、寿命差など承知の上で環さんに思いの丈を伝えたのではなかったのか。既に固めていた覚悟が揺らぐようなことなどあって良いのか。良いはずがない。純愛主義者として許されざる不義理だ。
しかし僕がどう思うと、この身の寿命は百年にも満たない。どうしたって霊狐の環さんは人間とは違うし、僕たちは同じように歳を取ることすら出来ないのである。時の流れの中で取り残されていく環さんの気持ちは如何ばかりかと考えると胸が締め付けられるような思いだった。
「晴人?」
声がしてハッと気が付けば、環さんが心配そうに僕を見つめていた。急に押し黙ったから不安にさせてしまったのだろう。
何をしているのだ、僕は。将来を憂うよりも先に、今ここにいる環さんをこそ大切にするべきなのに。
「ああ、すみませんボーッとして。やっぱり環さんは字が上手いですね」
「そうじゃろうとも。よし、気に入ったのならこれを奉納してくるぞ」
僕が努めて普段の調子で誉めそやすと、環さんもまたいつも通り気を良くしたようで絵馬を抱えて小走りで伊藤と小野町の側へと駆けて行った。
何故か追いかける気にならず彼女の小さな背中を見つめていると、後ろから豊女さんにポンと肩を叩かれた。
「なーに複雑そうな顔してんの。言っとくけどあの絵馬の効果はけっこう凄いよ。めっちゃ祈祷込めてるかんね」
「込めてるって、豊女さんが?」
「そ、アタシー」
にかっと曇りのない笑顔を向けられる。励まされているのだろうか。
一見奔放そうなギャルに見えて豊女さんは物事を深く考えているのだろう。もともとはそういう霊狐だと環さんが言っていたし、昨日出掛けた時にほんの少し豊女さんが見せた大人びた雰囲気からもそれは察せられる。
「前向きに行こ。ね?」
心が揺らいだのを知られたことがむず痒くて、僕はハッキリとした返事が出来ずまごついた。
そんなことをしている内に環さんたちがこちらへ戻ってくる。
小野町と恋人らしいことが出来てよほど嬉しいのか、伊藤は赤ら顔をでにへらにへらと実に不愉快な笑みを浮かべている。「いやあ春を感じるなあ。暑いなあ」などと意味不明なことを宣う。今は秋の中頃だ。僕にも環さんというお相手がいなければ妬み嫉みの勢いが余って絶交に及んでいたかもしれない。
「じゃあやることやったし、ぼちぼち出発しようか」
荷物を担ぎ直した豊女さんに言われ、僕と環さんが背筋を正す。伊藤と小野町も口々に「頑張って」「気をつけて」と温かい言葉を向けてくれる。
「晴人、何かあったら電話しろよ。よ、妖怪と戦うとかは無理かもだけど、助けに行くから」
「いやお前は勉強頑張れ。小野町に楽をさせんと」
僕の冷徹なツッコミに、伊藤は大変苦い顔をしたがなんとか頷いた。
まあ僕も人のことは言えないが、今は環さんの件が最優先である。旅先でも少しくらいは勉強しろと参考書などを親に持たされているが、断腸の思いで目を瞑ることとする。
互いの健闘を祈る僕たちの傍らで、豊女さんと大山さんも別れの挨拶を交わしている。気付けば豊女さんはまたしても人目も憚らず大山さんに抱きついており、甘えた声で「すぐ帰るからねダーリン」などと言っている。
あまりに犯罪的な光景に思わず目を背けたところ、僕の横では環さんが心ここに在らずといった様子で立ち尽くしていた。
明らかにショックを受けており、目は死んでいる。気持ちは分かる。姉が突然典型的なギャルになっておじさんと結婚しイチャついていたら、僕も環さんと同じように茫然自失となるだろう。先日も目にした光景ではあるが慣れることはなかった。
こうして何とも締まらない雰囲気の中、どこにあるとも知れない神の山を目指す僕たちの旅が始まったのであった。
◯
豊女さんを伴って駅に戻った。これから長い電車の旅になるからと、環さんの分の電子マネーカードを買うことになった。
環さんは改札に切符を通して穴を開ける一連の流れが好きだったらしく乗り気ではなかったが、貴女の専用カードですよと言って渡したら感嘆して喜んでいた。単純である。
そうやってカードを発行してもらっている間に電車が停まったらしく、たくさんの人がぞろぞろと改札を抜けて来た。その中に僕の学校の制服を着た学生たちがけっこうな数いる。時計を見ればもう運動部の朝練が始まる時間になっていた。
慌てて帽子マスクサングラスの三点セットを身に付け、駅構内の隅で小さくなって気配を殺す。そんな僕に豊女さんは「うわテラ不審者」と愉快そうに笑った。
「ほんと晴ぽんって面白いよね。もしかして神社に来る時もその変装してたん?」
「ちょっと、今は話しかけないでください。豊女さん金髪で目立つんだから、一緒にいると僕まで注目されてしまいます」
「アタシ関係なく今の晴ぽん目立ってると思うけど。むしろ一人でいた方がヤバくね」
「友達にも言われたんですけどそんなに怪しいですか、この格好」
「犯罪的だよ」
忌憚のない率直な豊女さんの指摘を受けて消沈した僕は、本当に知り合いに見つかってしまう前にさっさと電車に乗ってしまうことにした。
環さんのカードにお金を入れる。二万円ほどを気軽にぽんと。
そんな大金を僕が持ち合わせているわけがない。豊女さんが出してくれたのだ。ついでと言って僕にも二万円を手渡し、自分のカードにも同額をチャージする。
恐るべき財力に僕は慄いた。ギャル、大金、と続いてあまりよろしくない単語を連想しかけたが、豊女さん曰く「おかんから貰った」とのことだった。確かに思い出してみれば玉藻さんは路銀をくれると言っていた。
まさか昔話よろしく、葉っぱで出来た狐流の偽札ではあるまいかと不安になったが、精緻に印刷された福沢諭吉先生が「本物である」と物語っていた。僕は恭しくそれを電子マネーに変えた。
しかし初っ端から交通費にここまで使っても良いものだろうかと思い豊女さんに聞いたところ、彼女は不敵に笑って懐から絹の包みを取り出した。包みを解くと茶封筒が入っており、厚く膨れたそこには僕が見たことのない札束が入っていた。全て万札である。
「控えめに言っておかんの金銭感覚ぶっ壊れてるからね。まあアタシも昔はあの人のこと言えなかったけど。これでいくらでも豪遊できるねー」
やはり豊女さんは遊ぶ気満々の旅行気分らしい。
まあこれだけの資金を見せられては僕も流石に不安が和らぎ、少しくらいハメを外してしまっても良いかという気になってくる。持っているだけで心に余裕が生まれる。金の力は偉大である。
環さんも大金の魔力に吸い寄せられるように、豊女さんに見せてほしいとせがんで札束をペラペラと捲って数える。
ほとんど触れることこのない万札を手にして興奮気味である。現代でも百円が大金だと勘違いしていたはずの環さんは、一年を経てすっかり価値観が上書きされていた。
「こ、これさえあれば、ガチャを何回引けるか……」
上書きされ過ぎていた。
僕は環さんの手から金を奪って豊女さんに返した。
「本当にゲームに注ぎ込んだりせんわ」と環さんから抗議を受けたが、奪った際に「ああっ」と残念そうな声を上げた彼女への信頼は皆無である。
いや、豪遊すると言って憚らない豊女さんに預けてもあまり変わらない気はするが。
豊女さんの後に続いて改札を通り一番線のホームへ。
やってきた鈍行の電車に乗り込む。向かう先は僕の家から遠ざかる方面となる。
ほとんど利用したことのない路線の電車に乗っている事実に、これから旅に出るのだという実感が高まってくる。
僕は興奮気味に、どこを目指すのかと豊女さんに尋ねた。
すると彼女はまるで行き先が決まっていなかったように考える素振りをしてから実に曖昧な返事をした。
「んー。まあ取り敢えずそれっぽい山かな。富士山とか? その辺」
僕の不安がぶり返したのは言うまでもない。