廃れた神社の狐娘   作:ふーてんもどき

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八話・温泉旅行

 

 

 

 長閑な景色が車窓から見える。

 連なる山々。その間を縫うように走る深い渓谷。谷の底では細やかな川が流れている。空を眺めていると時折り鷹のような大きい鳥が飛んでいるのが見える。

 もはや長閑という表現を通り越して自然そのものと言える景色がここ暫くずっと続いている。

 

 今いる場所は、岐阜は飛騨の山間である。そこを走る鈍行のワンマン電車に揺られて僕たちはゆったりと移動していた。

 

 出発時、豊女さんは富士山へ行くと仰っていた。それが何故か僕たちの地元から一直線で向かうことはなく、中部地方ど真ん中の山間でくねくねと遠回りしているのである。今はもう正午を過ぎたお昼時。とてもではないが今日中に着く算段とは思えない。

 

「豊女さん。僕たち富士山を目指してるんですよね?」

「うん、そうそう。一応ね」

 

 僕の問いかけに豊女さんはこちらを見もせず答えた。

 彼女の視線は手元に落とされている。手には複数枚のトランプ。真剣に悩み吟味して、結局のところパスを宣言した。場が流れる。

 その瞬間、目を光らせた環さんが「儂のターン!」と言って即座に動いた。

 

「革命じゃ! 今度こそ大貧民の座を返上してくれようぞ豊姉様!」

「うわあここで来たかー。マジヤバいんだけどこれ」

「うふふ。なんぞ強い手を秘めていたようじゃが足元を掬われたかの。豊姉様、それこそ俗に言うエリクサー症候群よ」

「エリ……?」

「あー豊姉様は割とサブカル方面には興味が薄いんじゃな」

 

 人の少ない車内で、僕の向かい側に座る環さんと豊女さんの掛け合いが繰り広げられている。二人がけの席を向かい合わせにして座っており、空いている僕の隣の席はトランプの山札などを置くために利用されていた。

 

 和気藹々と遊びに興じる姉妹とは対照的に僕の不安は募るばかりだった。

 出発してからこちら、駄弁ったり持ってきた玩具で遊んだりしてばかりいる。大きなターミナル駅から特急や新幹線に乗って富士山へ向かうのかと思っていたのに、現実は鈍行に継ぐ鈍行。しかもわざわざ迂回するように山間部を通る道程を選んでいるのだからいよいよ何処を目的地として移動しているのか、僕は分からなくなり始めていた。

 

「龍ヶ峰が富士山の近くにあるんじゃないんですか? その、どうしてこんな遠回りを?」

 

 案内役を務めてくれている豊女さんに失礼にならないよう心掛けながらも質問すると、豊女さんはトランプの手札を伏せて僕の方を見た。

 

「安心しなって晴ぽん。君は試練に備えてどっしり構えていればいーの」

「で、でも環さんの外出できるお札には期限があるんでしょう。それなのにこんなにのんびり遠回りして良いのかなって……」

「まだ初日だよ? 心配性さんめ。まあ大船に乗ったつもりでアタシにどーんと任せといてよ。これでもしっかりとナビする気だし」

 

 それに、と豊女さんが言葉を続ける。

 

「全然遠回りしてるわけじゃないから。つーか最短ルート通ってっからさ」

 

 いやでも富士山。

 僕が再三の疑問を口にしようとするも、それより先に豊女さんに謝られた。

 

「あ、そか。アタシが最初に富士山目指すとか言ったから混乱させちゃったんだよね。ごめんごめん。あれは取り敢えずの分かりやすい目標、というか目印みたいな感じで言ったんだ。別に富士山に行けば龍ヶ峰に着けるってわけじゃないの。むしろ晴ぽんの言うこの遠回りが肝心なんだよね」

 

 いまいち理解できず首を傾げる僕に対して豊女さんは本腰を入れて説明してくれる気になったようで、一旦トランプゲームの中止を告げた。勝利間近だったらしい環さんは残念そうにしていたが、仕方無しと静観してくれている。

 

「いい? 龍ヶ峰っていうのはね、現世には存在しないの。もっと言えばこの世の何処にも正式な入口は存在しない。アタシが富士山の名前を出したのは、日本一高い霊峰が龍ヶ峰との位相に合いやすいからってだけ。古い話では比叡山の修行僧が知らない内に入ったり、何の変哲もない田舎道から人間が迷い込んだりしたこともあるんだって。だから厳密には現世の場所なんて関係なくて、入りやすい環境の中で移動し続けることが龍ヶ峰に着く可能性を高めるってわけ」

「可能性って……つまり結局は運次第ってことなんですか?」

 

 また別の不安が鎌首をもたげる。出発前は山を登る心配をしていたが、そもそも目的の山に着けるかどうかがまず怪しい。

 

「そ、運だよ。運がなければ一生かけても辿り着けない。けどその運を手繰り寄せることは出来る」

 

 豊女さんは確固とした口調でそう告げた。

 

「龍ヶ峰に招かれる人間には共通して迷いがあるの。人生の大きな岐路に立たされて行くべき道を見失いかけた魂。それが入山するのにめっちゃ大事な条件なのよ」

「招かれるって、まるで神隠しみたいですね」

「神隠しそのものじゃよ。故に、迷い込んで帰れた人間はごく僅かと聞く」

 

 横合いから環さんが囁くように言った。その発言に僕の背中がぞわりと粟立つ。今更になって未知の場所へと赴く恐怖がぶり返し、試練という言葉の重みを鮮明に感じた。

 僕が緊張に身を縮こまらせると、豊女さんはそれをほぐすように僕の肩をぽんぼんと叩いた。

 

「大丈夫だって晴ぽん。環ちゃんも怖がらせるようなこと言わないの。ね、安心してよ二人とも。アタシが付いてっからさ。案内人としては本来過干渉しちゃいけないんだろうけど、個人的には応援したい派だしね。出来るだけサポートするよ」

 

 頼もしくガッツポーズをして見せてから「話を戻すけど」と豊女さん。

 

「普通電車で山の中を走ってるのは、トンネルを多く潜るためなんだよね。ほら都市伝説で聞いたことない? トンネルを抜けたら変な世界に行っちゃったーみたいなの」

 

 あるある。

 僕と環さんが同時に頷く。夏の間、納涼と称し二人してパソコンに張り付き怪談を漁ったことはまだ記憶に新しい。

 

「あれって結構マジでさ。今回はそれを利用することにしたわけよ。あとはアタシの占術で補助すれば数日以内には入山できるっしょって見立て。場所的にはやっぱり富士山あたりになるかな」

 

 ドヤ顔でピースする豊女さんは格好だけで言えば派手なだけの女子学生にしか見えない。しかしトランプで遊んでいる最中でも時折り懐から木でできた御札や羅針盤のような小道具を取り出して、真剣な顔で見つめていることがあった。彼女は確かに案内人としての勤めを果たしてくれているらしい。

 

 現地へ着けるかどうかの不安は杞憂であったのだと納得できた。その反面で、やはり生きて帰れるのかという、より切実な不安が鎌首をもたげてくる。環さんや豊女さんと一緒に登るのだから何もないと信じたいが。

 

 そうこう話している内に田舎にしてはそこそこ大きめの駅に停まる。ちょうどお昼時なので僕たちは売店で飯を調達することにした。

 

「うわ見てよこれ。和牛幕内弁当3000円だってさ。鬼高くてウケるんだけど。アタシこれにしよっかなー」

「えー儂もそれにしたかったのに」

「別に環ちゃんも同じのにすれば良いじゃん。あ、それか和牛メンチカツ弁当なんてのもあるよ? 環ちゃん好きっしょメンチカツ」

「メンチカツは松葉屋が最強じゃから」

 

 僕の不安を他所に、狐の姉妹は駅弁を巡って楽しそうに話している。完全に電車旅を満喫しているようにしか見えないが、やはりその実は僕などより遥かに長い年月を生きる霊狐なのだ。彼女たちが大丈夫だと言う以上は素直に任せるしかない。

 今は言われた通りどっしり構えるしかないと覚悟を固め直し、僕も駅弁論議の輪の中に加わったのだった。

 

 

 

 

「じゃーん! ここが今日泊まる宿でーす!」

 

 豊女さんの溌剌とした声。夕方になって駅から降りた彼女に導かれるまま着いたのは龍ヶ峰ではなく、いかにも老舗といった門構えの厳かな温泉旅館であった。

 

「ふふん。この前の会談で試練の案内役に抜擢されてから、ソッコーで予約しといたんだよね」

 

 昼時に固め直した覚悟が揺らく。ダメだこのギャル、やっぱり旅行がメインになっている。

 

 しかしそうは思いつつも大きくて美しい旅館を前にしては流石に興奮を抑えることができない。僕のような凡百の人生で一度でも泊まることがあるだろうかと思われる高級感が全体から漂っており、否が応でも贅沢にもてなされる予感をひしひしと感じる。まあまだ旅も初日なわけだし、今日のところはゆっくりして旅の疲れを取ることに専心すべきだろう。

 

 ロビーの受付で豊女さんがチェックインを済ませる。僕たち三人の関係性を測りかねてか仲居さんに一瞬だけ怪訝そうな顔をされたが、特に何か聞かれることはなくて安心した。

 

「ねえ環さん。もし一般の人に僕たちの関係を聞かれたらどういう風に答えるようにしましょうか」

「え? 普通に夫婦で良くない?」

「駄目に決まっているでしょう。死にますよ僕が。社会的に」

 

 部屋に案内されながらコソコソとそんなことを話す。自分の意見を否定された環さんがむくれているので頭を撫でて機嫌を治してもらう。過度なスキンシップは駄目でも頭を撫でるくらいならそう変な目では見られないだろう。

 

「それではごゆっくり」

 

 部屋に着き仲居さんはしずしずと立ち去って行った。豊女さんが取ってくれたのは12畳間の広々とした部屋で、なんと露天風呂付きという豪華な仕様であった。広縁もあり、その窓からは旅館の美しい庭が見える。

 

 しかし僕が何よりも驚いたのはそうした部屋の素晴らしさではなく、この一部屋しか予約をしていない点だった。

 環さんとはいつも一緒に寝ているから問題無いが、豊女さんと同じ部屋というのは些か不味いものがあるのではないか。一応人妻なわけだし。

 その辺りどうなんですかと聞いてみれば、豊女さんに「大丈夫っしょ」と軽く流された。

 

「この旅行……じゃなかった試練自体がダーリン公認だし、晴ぽんが思春期特有の妄想力であれこれ考えたって全部杞憂で終わるんだからノープロノープロ」

「し、思春期って……」

 

 紳士として常識的な発言をしたつもりでいたのに思春期の妄想として処理されてしまった。なんだか手痛いしっぺ返しを喰らった気分である。

 しかもついでとばかりに環さんからも横槍が飛んできた。

 

「豊姉様。こやつの(さが)を一過性と侮ってはならぬぞ。深層心理はかなりのエロで満ちておる」

「はあ!? 満ちてないですけど!? つーかそりゃ一年前の話じゃないですか!」

「ふーん。今日だけで8回も豊姉様の胸に視線を向けておいてよくそんなことが言えるのう」

 

 なんで数えてるんだこの人。トランプやってる時も駅弁食べてる時も頑張って意識の外に置こうとしていたのに。

 

 前にちらっと環さんから聞いた話で、なんでも変化の術にはいくつかの制限があるらしく、己にふさわしい姿以外には軽々に化けることが出来ないという。その時は妖術の理論やらなんやらを聞かされたが、つまり僕なりに要点をまとめると環さんは巨乳になることが難しいという話である。密かな望みが絶たれたあの日は落ち込んだものだ。

 

 豊女さんは妹のそれとは似ても似つかない自分の胸に手を当てて「8回……」と呟く。やめてください違うんですちょっと目の端に映ったかな程度だったはずなんです。

 

「あ、拗ねてるんだ! 環さん拗ねてるからそんなこと言うんだ!」

「はああ!? 全っ然拗ねてないが? 儂が拗ねる理由がこれっぽっちも思いつかないんじゃが?」

「ふ、今の状態でも十分可愛いですよ」

「っ……うううっ、慰めはいらんわい……!」

 

 環さんは唸って早々に白旗を上げ始める。環さんが僕を理解しているように、この一年で僕も彼女について多くを学んだ。

 まず口論になった際は売り言葉に買い言葉で進むべきではない。我が家においてポンコツ狐のイメージが定着しつつある環さんだが、しかし実際のところ彼女は賢くないわけではない。悔しいことに人生経験と学の素養の差によって舌戦では環さんに一日の長があり、基本的にこちらの分が悪い。なので心理戦を仕掛ける必要があった。

 とにかく相手の心理にまっすぐ切り込んで動揺を誘い、その後で悪態ではなくストレートに好意的な言葉を伝える。すると環さんは振りかざした拳の置き場を無くし、なんやかんやで話は有耶無耶になるのである。しばらく前に完成させたこの手法で僕は通算3回ほどの勝利をもぎ取っている。ちなみに環さんが冷静だったら失敗することもある(4敗)。

 

「慰めなんかじゃありませんって。可愛い可愛い」

「ま、まあ儂とて母上の娘なわけだし、見てくれが良いのは至極当然ではあるがの。えへへへ」

 

 勝ったな。

 どうやら今日の環さんは冷静さを欠いているらしい。旅の非日常感のせいかもしれない。何にせよ助かった。さあ後は風呂に入って美味い飯でも食うか。

 

 窮地を乗り切った達成感に浸っていると、豊女さんがこちらに白けた目を向けてくる。なんだか呆れた感じというか、強いて言うなら女たらしのダメ男を見るような。どうして敬虔なる純愛主義者の僕がそんな目で見られなければならないのか。

 不服の申し立てをしようとしたが、それよりも先に豊女さんは環さんに近寄って何かを耳打ちした。

 

「環ちゃん。ちょっとお耳を拝借」

「なんじゃ豊姉様……うん胸を……は? 本当は13回……?」

 

 おい待て。それは何の回数だ。

 可愛いと言われて上機嫌だった環さんが一瞬にして真顔になる。嫌な予感がするも既に状況は一変しており、もはや反抗の余地など残されてはいないようだった。

 

「太ももまで……?」

 

 おかしいな。クーラーの電源なんて入れていないはずだが、少し肌寒い気がする。温泉に入って温まることにしよう。今すぐに。

 

「おい晴人……おい逃げるな! 話はまだ終わっとらんぞこの助兵衛!」

「晴ぽんのえっちー、変態ー、ろりこんー」

 

 背後から集中砲火を受けながら僕はほうほうの体でその場を脱した。三十六計逃げるに如かず。

 

 尚、着替えの浴衣やバスタオルなどを忘れたために結局は部屋に戻らなければならず、誠に不本意ながら狐姉妹からの折檻をきっちり受けることとなった。最後にはもう泣きながら言うしかなかった。「不可抗力なんです」と。

 

 

 

 

 夕食を終えた僕は、出された料理のあまりの多さにノックアウトされて布団の上で身じろぎの一つも出来なくなってしまった。

 僕ごときの文化レベルではよく分からんほど緻密な見た目と味の料理が次々と給仕され「うまいうまい」と食っていくうちに自分でも信じられないくらい腹が一杯になっていた。栗とか松茸はもう一生分を食った気さえする。豊女さんがどれだけ金を使ったのか気にはなったが、怖くて聞けなかった。

 

「いやー食った食ったー。もう動けなーい」

「儂もじゃー」

 

 環さんと豊女さんも僕と同じく寝転がっている。しかも手足を大きく広げた仰向けの大の字である。美しい箸使いで懐石料理を食べている姿からは高い教養が感じられ、まさに誉れ高き霊狐といった様子だったのに、気付けばすぐにこの有り様だ。

 まあ酒を注文するために年齢確認や身分証明などの難関を妖術を駆使して誤魔化し通していた辺りは、化け狐の面目躍如たるところではあったけれども。

 

 そうして三人であれが美味しかったこれが好きだったと料理の感想を言い合ってのんびりしていたところ、豊女さんがぱっと飛び起きた。

 豊女さんは慌てた様子で棚の上に置いてある自分の鞄に手を伸ばし中を漁る。取り出したのは一枚の紙切れで、それはついこの間僕も見たことがある玉藻さんの式神であった。

 

『豊女、定時連絡の時間ですよ』

 

 式神から玉藻さんの声がする。

 なるほど。いくら忙しいとは言え試練に関して豊女さんに完全に任せきりの投げっぱなし、というスタンスではないらしい。流石は霊狐の母。聡明そうな見た目に違わず、やるべき仕事をきちんとこなす御方のようだ。

 まあもっとも、案内役につけた生真面目なはずの娘がギャル化しているので不安に思ったから、という理由もありそうだけれど。

 

『進捗はどうですか?』

「は、はい。飛騨山中を回ってはみたのですが龍ヶ峰には至らず、明日に備えて宿をとったところでございます。明日以降は富士山を目指しつつ他の場所で入山の糸口を探す所存です」

『なるほど。まあ一筋縄では行かぬでしょうが、妥当な道筋ですね。明日からも励むように』

「はい!」

 

 側に居なくとも玉藻さんに頭が上がらないのは相変わらずのようで、畏まるギャルという大変貴重なものを再び見ることが出来た。

 豊女さんの報告に対して玉藻さんは特に不満を持った様子は無く、短いやり取りで連絡は終わりそうな雰囲気だった。

 

『ちなみに、路銀の無駄遣いはしていませんね?』

 

 ピーンッと豊女さんの尻尾が真上に逆立ち、毛がぶわっと開いた。

 

「ッ!……もちろんで、ございます。母上から頂いた貴重な銭であります故、必要なものにのみ大事に使っております」

『よろしい。それでは、おやすみなさい』

 

 玉藻さんがそう言うと同時、真っ直ぐ伸びていた紙切れが力を失い、豊女さんの手の中でヘナりと垂れる。

 その瞬間、豊女さんが滝のような汗をかき、式神と同じようにぐったりと倒れ伏した。

 

「あ、危なかった〜!」

「めっちゃ動揺してましたね」

 

 僕が言うと、豊女さんは「他人事みたいに言わないで!」とでも言いたげにキッと鋭い視線を向けてくる。

 

「いや仕方ないでしょ!? あんなド直球に図星突かれるなんて思わないじゃん! あーでもマジ助かったあ……普段だったら絶対にビビったのバレてたよ。念話も急いで切り上げた感じだったし、やっぱこの時期の母上めちゃんこ忙しいんだなあ」

 

 喚いて満足したのか、すぐに安堵感が優ったようで豊女さんは再びうつ伏せになって倒れた。頭をぐりぐりと畳に擦り付けながら今度は文句を垂れ始める。

 

「まったく、なんで母上も今になってあんなこと聞くかなー? もうとっくに子供じゃないってのに。ダーリンに嫁ぐ時に『豊女なら安心』とか言ってくれたのはなんだったんだよう」

 

 そりゃ『今』の姿見られちゃってるからね。仕方ないね。

 どちらからともなく僕と環さんは顔を見合わせた。環さんは姉の痴態に諦念を帯びた遠い目をしている。恐らく僕も全く同じ目をしているに違いない。暗黙のもと意見の一致を見た僕たちはただ深く頷き合った。

 

「豊女さんって本当に昔は真面目だったんですか?」

 

 興味本位でそう聞くと、豊女さんはのそりと起き上がって不服そうに言った。

 

「ちょいちょい晴ぽん。それじゃあ今がまるで不真面目みたいな言い草じゃん?」

 

 そう言っているんですが。

 とまでは正直に口にはせず適当に誤魔化す。頬を膨らませてむくれる豊女さんの様子は妹の環さんの不機嫌な時とそっくりである。流石は姉妹。口調も趣味も違えど、態度は鏡写のように似るものだ。

 しかしそんな風に僕が思った刹那。ほんの一瞬だけ豊女さんの表情に影が差した。

 

「まあ、つまんない狐ではあったけどね」

「え?」

 

 ポツリと出た独り言のような呟きに、思わず聞き返すような言葉が漏れる。豊女さんはすぐに彼女らしい笑顔を浮かべて「なんでもない」と話を切り捨てた。

 

「そんなことよりさ。二人とも卓球やろうよ」

「え、今からですか?」

「変な汗かいちゃって気持ち悪いからさ。気分転換に体動かして良い汗流してリフレッシュしよってこと!」

 

 いや変な汗をかいたのは玉藻さんと念話した豊女さんだけだし。それにまだお腹が一杯なんですが。

 そんな風に僕が難色を口にするより先に環さんが興味を示した。

 

「たっきゅう? ネットで名前を見かけたことがあるような、無いような。何じゃったかの」

「まあ平たく言って球遊びの一つだね。これをやらなきゃ温泉旅行に来たとは言えないぜ環ちゃん!」

「球遊びか! 球遊びなら儂大好きじゃ!」

 

 そうして二人のテンションがみるみるうちに高まってしまい、多数決の必然によって僕も立ち上がらざるを得なくなった。

 こうなっては仕方がない。元より、お出かけ先では女性の意見に寄り添い従うべきだ。伊藤との恋愛研究の産物である『デート技法』第二条にもそう記されている。決してデートの経験が無くリードの仕方が分からないから相手任せにしようといった魂胆では無い。これは男女の仲をより円滑にするために僕たちが編み出した立派な技法であり、それを否定する意見は断固として認めていない。

 

 まあしかしだ。やるからにはやる。

 いかにレディーファーストが重要と言えど、卓球は曲がりなりにもスポーツなわけだ。ならばスポーツマンシップに則り、全力をもって勝負するべきだろう。

 環さんにも言ってはいなかったが中学の途中まで僕は卓球部に所属していたことがあり、尚且つ同じく卓球部だった姉と何度も遊んだ経験がある。つまりこの中で僕だけが経験者ということだ。

 

 豊女さん、環さん。悪いが本気でいかせてもらう。

 僕のドライブの冴えに黄色い歓声を上げていただこう。あわよくば勝負に際して「言うことを一つ聞かせられる権利」なんかを賭けて実利を得るのも良い。ああもう今から何をお願いしようか楽しみになってきた。

 牙を隠した僕は確定した勝利の悦に浸り、陰でニヤリと笑った。

 

 

 

 なお、蓋を開けてみれば豊女さんの圧倒的な実力が露見し、ぐうの音も出ないほどコテンパンにされた。挙句の果てに肩揉みから足ツボに至るまでの丁寧なマッサージを要求され、労働力として酷使されたことを謹んでご報告申し上げる。

 

 

 

 

 

 

 卓球で汗をかいたので再び風呂に入った僕たちは、それでも冷めやらぬ興奮に任せて遊び倒した。

 電車内で散々やったトランプを持ち出して勝負し飽きもせず白熱した結果、僕たちの戦いはいつの間にかカードゲームではなく枕投げに移行していた。

 何故かは分からない。大方、環さん辺りがちまちまとしたカードのやり取りではなく肉体言語に訴えたくなったのだと思われる。

 

 無駄に張り切った豊女さんが防音の結界を張ってしまい、それを皮切りにふわふわとした只の枕の投げ合いは、修学旅行の男子部屋もかくやと言うほどの狂宴と化した。豊女さんが妖術で幻の枕を作って困惑させてきたり、環さんが変化の術で自らを巨大な枕にして突貫してきたりと、てんでルール無用の支離滅裂な合戦であった。

 

 もちろん一般人である僕は狐に化かされるまま七転八倒した。

 そうして途中で疲れがピークに達したのか、自分でも気付かぬ内に寝落ちていたのだった。

 

 

 

 

 

 もぞり、と隣で何か動く気配があり、僕は目を覚ました。

 

 薄っすら目を開けてみれば部屋の中は暗く静かで、どうやら真夜中になっているらしかった。さっきまで巨大枕の環さんと格闘していたはずなのだが。と、まだ夢と現実の境い目がぼやけている頭で考える。

 

 起きた原因である気配の方に目を向けると、揺れる狐の尾が広縁へと入っていくのが見えた。背丈が高いから豊女さんだ。

 

 障子を開けてその向こうへ足を踏み出した彼女がふと振り返って僕の方を見た。

 上体を僅かに起こした僕と、豊女さんの瞳が交錯する。しかし豊女さんは何も言うことはなく、代わりに人差し指を口に当てるジェスチャーをしてみせた。

 

 静かに? 

 言われずとも夜中に騒いだりはしないが。

 

 僕の反応を待たず、豊女さんはひっそりと広縁に姿を消し、障子戸を閉めた。

 

 まだ頭が覚め切っていない中、環さんがどこで寝ているのか気になって部屋を見回したが、もぬけの殻になっている布団が二つあるだけだった。一つは今しがた起きた豊女さんの物。もうひとつは環さんが寝ていたのだろう。

 環さんはトイレにでも行ったのか。そんな風に思った矢先、広縁の方から豊女さんの声が聞こえてきた。

 

「や、環ちゃん。月見酒?」

 

 今一度、広縁の方に目を向けると月明かりに照らされているためか障子にくっきりとした影法師が写っていることに気付いた。

 椅子に座る二人の人物。否、霊狐の影に。

 

「どうにも眠れなくてな。豊姉様はずっと起きておったのか?」

「うん。アタシは環ちゃんとちょっと話したいなーって思ってたから、良い感じの頃合い見計らってたんだ。こうして自然に二人きりで話せる機会って案外少ないからね」

「確かに……儂も少し、話したいことがあった」

 

 二人はしっとりと静かに言葉を交わしている。環さんの小さな影が酒瓶のようなを持って女さんにお酌をしているのが見える。

 

 話したいこととは何か。

 興味をそそられた僕はすっかり目も覚めて、障子越しの会話に耳を傾けた。

 

 

 




混浴とかね、書こうとは思ったんです。温泉だし。でもこの面子でお色気はちょっと無理がある(泣)

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