廃れた神社の狐娘   作:ふーてんもどき

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三話・儂に秘策がある

 

 

 

 九月の到来とともに夏休みが明けて、学校生活はつつがなく再開された。何故再開されなければならないのか不満でならない。まだ真夏日は続いているというのに。

 

「休もう。暑いのだから」

 

 教室の隅、僕の隣の席で、机に突っ伏している男が呻いた。

 

 突っ伏しているのにデカい。何がデカいかと言うと全身がデカい。

 丸まった背中の筋肉は盛り上がり、分厚い僧帽筋と見事に一体化している。パッドでも入れているのかと思うほど発達した肩から先も逞しく、半袖のカッターシャツから伸びている腕は樹皮のごとく節くれ立っており、とても同じ人類のものとは思えない。

 そこまで見れば、上着や黒の学生ズボンに隠れている部位の発達具合も推して知るべしである。

 

 高校生という枠組みを遥かに超越した筋肉の塊がそこにはいた。

 

「お前から熱が出てるんじゃないのか。なんだその筋肉。夏休み前よりデカくなってるぞ」

 

 僕がそう言うと、彼は大きなため息を吐いた。

 

「そうだろ、デカくなったろ。でもモテないんだよ。どうして?」

 

 些か逞しすぎる肉体を持つ彼は、しかしその筋肉に見合う威厳を投げ出すかのように腕をだらんと垂らしている。暑さに負け、今にも湯気を立てて蒸発してしまいそうであった。

 

 彼の名前を伊藤という。僕の友人である。伊藤はその身体と強面のせいで勘違いされがちだが、とても繊細な男だ。

 高一の頃、初めて出会った時は僕もいつ殺されるのかと冷や冷やしていたが、ガラス細工のように繊細微妙な心理によって形成された彼の価値観に触れた後、すっかり打ち解けた。

 

 端的に言って、我々は純愛を求める同志であった。何故、伊藤がこのようなマッチョマンに成り果てたかということについては簡単に説明ができる。彼はモテたかったのだ。

 

 詳細は省くが、伊藤は恋とは清らかであるべきという理念に基づいて思考を進め、紆余曲折を経てマッチョ主義に至った。『女は男の筋肉が好き』『男は女を守る筋肉を持つべき』。そんな感じのやや偏見的な信念のもとに、当時中学生だった彼は努力を重ねた。

 重ねた結果、誰もが一目置き距離も置く益荒男となり、晴れて孤高の称号を手にしたのである。なんという悲劇だろう。一年前に彼と青春談義を交わした際にはその境遇に涙を禁じ得なかった。

 

 僕だって、中学の頃に想い人を校舎裏に呼んで恋文を朗読したという恐るべき過去を持つ男だ。僕たちは互いの恋愛事情を心から嘆き、深い理解を示した。

 

 そのあまりに高潔な精神のせいで、僕たちはお互いが学校生活における数少ない友人となっていた。おかげで絆はいっそう強固なものとなったがその反面、色恋沙汰からは遠ざかるばかりの日々である。

 

「晴人はどうなんだ」

 

 伊藤が聞いてきた。僕が「どうって?」と聞き返すと、彼は顔をこちらを向けて言った。

 

「秘策があるとか言ってたじゃないか。夏休み明けには成果が現れるとか。あれどうなった」

「あー、うん。あれか。あれね…………」

 

 僕は思わず言葉を濁した。

 秘策とは言わずもがな、御百度参りのことである。人に願い事を教えてはいけないという鉄則のために、伊藤にも『絶対にモテる秘策』とだけ称して詳しくは伝えていなかった。そしてつい先日、確かにその大業を果たしたところだ。

 

 しかし百日に及んだ戦いの成果は、とても他人に言えるようなものではなかった。頭に過るのは金毛色白の狐娘。神の御使いを名乗るあの少女との出会いをどうやって説明すれば良いのか分からない。

 

「気を落とすなよ。まだ高二の時間は半分も残っているんだから」

 

 環さんのことをなんて伝えようか、そもそも伝えるべきなのかと僕が悩んでいると、伊藤は穏やかな声で慰めてきた。おおかた秘策が失敗したと思われたのだろう。実に心外だが、あながち間違いでもないのが悔しい。

 

 恋愛祈願の御百度参りによって呼び出されたるは、狐娘の環さん。一見してコスプレをした少女にしか見えない彼女の特殊能力は、参拝客の願い事を根掘り葉掘り、その深層心理まで盗み見ること。そしていざ願いを叶えようとすれば、誰にでも思いつくような正攻法を伝授されるばかり。

 

 これを失敗と言わずに何と言おう。神頼みってもっと違う気がする。

 

「そろそろ、俺たちも妥協という言葉を知るべきなのかもしれないね」

「馬鹿な! そんな弱気でどうする」

 

 伊藤の言葉に、僕はやおら立ち上がった。今さら理想を取り下げて何の意義があるというのか。それはこれまでの自分を否定する行いだ。僕は断固として拒否する。

 

「けどこのままじゃ俺たちの青春は真っ青なままだよ」

「そんなことは無い。まずお前はどこか部活に入れ。運動部だ。持て余しているその筋肉を活躍させてやるんだ。金メダルを取りまくれ。そうすれば活躍に惹かれて女子もやってくる」

「む、無理だよ……。俺、体育会系のノリとか苦手だし、もう何度か勧誘も断っちゃってるし」

「大丈夫だ。伊藤が行けば、どこだってエースの座を空けてくれるさ」

「そうかな。でも、やっぱりダメだよ」

 

 伊藤の弱腰は筋金入りであった。彼の無駄に鍛え上げられた筋肉が日の目を見ることはおそらく無いだろう。

 

「晴人こそ部活に入ったら? 俺と違って人見知りでもないし。ほら、茶道部とか」

「なぜ茶道部をピックアップした」

 

 茶道部は当然のことながら女子が圧倒的多数を占める。新入生の体験入部ならともかく高二になった今頃、しかも男一人で異性だらけの空間に突撃していく蛮勇など持ち合わせていない。

 

 しかし伊藤は、拒絶を示す僕に言った。

 

「だって茶道部には小野町さんがいるじゃないか」

 

 小野町とは、僕らと同じクラスにいる女子である。今も教室の真ん中で他の女子たちと集まり、何やら楽しそうに談笑している。

 

 彼女の特徴はなんと言っても美しいという一言に尽きる。ただでさえ目立つ容姿に加えて品行方正、成績優秀とまるで死角がない。他のクラスであっても色恋沙汰に目がない高校生たちの噂に上ることから、その知名度が窺い知れるというものだ。

 

「お前な、彼女を狙うのはあまりに無謀だぞ。僕に死ねと言うのかよ」

「ち、違うって。晴人は、小野町さんと小学校も中学校も一緒だったんだろ。だからちょっとは芽があると思うんだけど……」

「無い。絶無だ」

 

 話しながらなんとなく気になって、小野町の席をちらりと見る。すると偶然にも此方を向いていた小野町と目が合った。僕は思わず視線を逸らす。会話を聞かれていたのだろうか。いや、僕も伊藤も声は抑えていたし、昼休み時の騒々しい教室内で、隅にいる僕らの会話を聞き取るのは難しいはずだ。

 

「小野町さんってちょくちょく晴人の方見てるよね」

 

 伊藤がそんなことを言う。彼も小野町と目が合ったらしい。

 

「気のせいだろ。偶然だ。彼女のように日の当たる場所にいる人種が、僕みたいな日陰者を相手にするわけがないんだ」

「自分で言ってて悲しくない?」

「悲しいさ」

 

 俺が自己否定を持ち出してまでキッパリ拒んでも、伊藤は納得していないようで「でもなあ」と話を続ける。

 

「小野町さんは人当たりが良いよ。うん。一年の時、俺にだってビビらずに挨拶してくれたし」

「バカお前、それは八方美人というんだよ」

 

 僕はため息を吐いた。引っ込み思案のためにまだ一度も挫折したことのない伊藤は、少々甘いところがある。

 

 ただ伊藤の言う通り、僕は確かに小野町とは同じ地元に生まれ、小中学校を共にした。高校生活も合わせたその期間は約十年と、生半な長さではない。

 

 だから何だというのか。

 僕は小野町との接点はほとんどない。いやそれどころか他の女子ともあまり話した記憶がない。子供の社会はなかなかにシビアである。女子と遊ぶのはダサいという暗黙の了解が男子の間には存在しており、それを破ると最悪の場合、村八分のような状況に陥る。謎に満ちたこの規律の拘束力は凄まじく、幼くして男と女の間にはベルリンの壁のごとき隔たりが出来る。

 僕の生来の性格もあって、これまでに女子と話した経験はほんの僅か。つまり小学校や中学校が一緒だったことなど、なんのアドバンテージにもなりはしないのだ。

 

 いや、例えそこに目を瞑ったとしても、小野町だけは無い。何故か。それは僕の過去に起因する。

 

「伊藤、ちょっと耳を貸せ」

 

 僕は伊藤のそばに寄って小声で話した。

 

「この際だから言っておく。お前にも話していなかったがな……」

「うん」

「僕が中学の頃に告白して、フラれた相手っていうのが、小野町なんだよ」

 

 伊藤が驚愕の表情で僕を見た後、深く納得したように頷いた。彼の大きな手が僕の背中をぽんぽんと慰める。同情の視線が痛い。当時嫌というほど味わった羞恥が蘇り、僕は甲高い悲鳴を上げそうになった。

 

 あの時の光景は、今でも昨日のことのように思い出せる。放課後の校舎裏は夕陽で赤く染まっていた。僕が友人連中と作り上げた可愛い子ランキングという卑猥極まる統計において堂々の一位に輝いていた小野町は、僕の呼び出しに素直に応じてくれた。可愛い子ランキングは見た目だけではなく性格の良さも考慮されていた。

 僕が一晩かけて練りに練った恋文を朗々と読み上げる。恋文の内容はもう覚えていない。思い出したくもない。朗読している間、小野町がどんな表情だったかも。

 ただ、読み終えた瞬間に「ごめんなさい」と勢いよく頭を下げ、小走りで立ち去る小野町の背中だけが僕の網膜に焼き付いていた。いや、ひょっとしたら小走りではなく全力疾走に近かったかもしれない。僕は当時、どのようなポエムを書いたのだろう。手紙はシュレッダーにかけた後焼却し、精神保護のため記憶からも抹消しているのでその真相は闇の中である。

 

 我ながら阿呆な中学生だった。あのような手痛い経験をしたにも関わらず能天気に進学し、小野町と同じ学校に通うことになってしまったのだから。しかも二年になった現在では同じクラス。これは何らかの神罰だろうか。

 

 唯一の救いは僕が小野町にフラれたという噂が立たなかったことか。友達にも言いふらさなかった小野町には心から感謝すべきなのだが、今では彼女の視線が怖くて堪らない。

 

 伊藤が先ほど言ったように、たまに小野町と目が合うことがあり、僕はゴルゴーンに睨まれた蛙のごとく内心で硬直する。大抵はこうして伊藤と恋愛論議を熱く交わしている時に起こる。警戒されているのではないかと思うと気が気ではない。ストーカー疑惑をかけられているかもしれないという被害妄想さえ浮かぶ始末だ。

 

 しかし暗い学生生活も気まずい環境も、一つの念願さえ叶えば全てが払拭される。そう、すなわち彼女さえできれば。

 

「決して、決して諦めはしないぞ……! 理想の青春をこの手にするまでは……!」

 

 握り締めた拳が震える。伊藤も、僕の心からの声に深く頷いていた。

 

 

 

 

 

 

 放課後となり生徒たちが集まって駄弁ったり教室を出て行く中、僕も早々に支度を整えて帰ろうとしていた。

 

「今日もまっすぐ帰るの?」

 

 鞄を持って立ち上がった僕に伊藤が言った。

 

「ちょっと用事があるんだ。悪い」

「なんか大変そうだね」

「ああ……じゃ、また明日」

「じゃあね」

 

 簡潔に別れを告げて、僕は足早に教室から出る。下駄箱で靴を履き替えて昇降口の階段を降り、帰宅する生徒たちの群れに混ざる。ガヤガヤと話しながら歩く彼らの間をすり抜けるように学校の敷地から出て駅に向かい、改札に定期券を通して電車に乗った。

 

 伊藤にはまっすぐ帰ると言ってあるが、あれは嘘だ。僕はいつも寄り道をする。目的地はもちろん、あの廃神社である。

 

 ガタゴトと電車に揺られ、外の景色がどんどん流れていく。何駅か跨ぎ、やがて自宅の最寄駅に到着するというアナウンスが聞こえてくる。

 

 車窓から外を眺めていると、遠くの方に開発途中の閑散としたが土地が見えた。その一角に木々が鬱蒼と茂った場所がある。ポツンと目立つそこが、件の稲荷神社だ。

 

 電車のアナウンスを聞きながら、今日は何を差し入れようかと、僕は考えるのだった。

 

 

 

 

 

 

 蝉時雨が鳴り響く。肌にまとわりつく空気は蒸し暑いが、冷えたラムネを飲むとそれが一気に清涼感へと変わり、実に心地良い。

 

「また来いとは言ったが」

 

 僕の隣で縁側に腰掛けている少女、環さんが口を開いた。彼女の手には僕と同じくラムネがある。先ほど僕が駄菓子屋で買ってきたものだ。

 

「なんか毎日来とるのう、お主」

「ご迷惑ですか」

「いや、儂としては退屈しなくて良いんじゃがな」

 

 環さんはそう言いながら学生服姿の僕をちらりと見る。

 

「今日も学校帰りか」

「夏休みも終わりましたからね。来年からは受験戦争だって、先生たちがもう張り切っていまして」

「受験かあ。そんなもん、昔はあったかのう」

 

 徒長した草が生えている以外には何も無い境内を見つめながら、僕たちはラムネを片手にぽつぽつと話す。

 

 御百度参りを終えてからも、僕はこの神社に足を運んでいた。今回のラムネのように土産を、もとい貢ぎ物を持ってくるようになったのは二回目の訪問からだ。

 

 最初コンビニで稲荷寿司を買ってみたところ、環さんは「普通に美味い」と言っただけだった。もっとこう、飛び上がって喜ぶような姿を期待していたのだが、狐だからといって油揚げが好物とは限らないらしい。次に持って行ったメンチカツの方が嬉しがっていた。

 

 以来、学校帰りに何かしら食べ物や飲み物を買って、環さんのいる神社へ寄るようになった。ここしばらく、ずっとそれが続いている。

 

「ラムネは美味いですか」

「うん、美味い。シュワシュワする」

 

 環さんは時に語彙力が貧弱になる。小並感とか付きそうだ。本人曰く何百年と生きているらしいが、とてもそうには見えない。言ったら怒られそうだから口には出さないけど。

 

「しかしなあ。晴人はこれで良いのか」

「何がです?」

「学校にはお主と同じ年代の女子がたくさんいるのだろう。なのに勉学が終わって早々ここに来ては、実る恋も実らんのではないか」

 

 環さんの発言は的を得ていた。僕は返答に困り、ラムネを飲んで間を持たせる。

 

 僕の目的はあくまで、素敵な乙女と理想的な出会い方をして青春を謳歌するというものだ。それを叶えるために環さんの協力を仰ぐのは良いが、毎日入り浸っては本末転倒ではないか、と環さんは心配しているのだろう。確かにその通り。反論の余地はない。

 

 しかし何故か通ってしまう。御百度参りを経て、神社に来るのがもはや習慣になりつつあるし、何よりも環さんのことが気になる。一日のうちの六割くらいは「次はどんな貢物を持って行こうか」と考えている。ちなみに残りの二割は妄想、もう二割は腹が空いただのトイレに行きたいだのといった生理的欲求である。あれ、僕はいつ勉強に思考を割いているのだろう。まあ良い。学生の本分は青春だ。

 

「前にも聞いたが本当に意中の女子はおらんのか」

「うーん。これといって、特には」

 

 そこが目下最大の悩みであった。恋ある青春を欲しているというのに肝心の想い人がいないのである。

 

 頭の中で理想をこねくり回す内にイメージは現実からどんどん乖離していき、僕は恋というものが分からなくなりつつあった。心にあるのは少女漫画すら慄かせるような肥大しすぎた虚妄のみ。これは実に由々しき事態だ。

 

 想像の中で、理想とする女性はワンピースを着て日傘を差し、南アルプスの高原にあるような花畑に立っていたりするのだが、彼女の顔だけがどうも上手く思い描けない。常に神々しい光に遮られていて、微笑んでいるのであろうと辛うじて分かる程度だ。

 

 自分の想像力の至らなさを嘆く反面、そう易々と理想の相手の顔を具体的に設定してしまっては、理想というものの価値を貶めることになるのではないかという思いもある。理想とはある種の神秘性を帯びているべきで、当人にさえ触れ得ない未知の領域があるからこそ、その神秘性は保たれるのだ。これは伊藤とかつて熱く語った議題であり、僕の中でも確固たる価値観として根付いている。

 

 しかし、それはつまり未完成ということである。

 

 想像の中の彼女が纏う光のモヤが晴れなければ、自分の理想の完成形は分からぬまま。いつまでも神秘のベールに包まれているのみで、決して手は届かない。それは僕の理想がいつまで経っても叶わないこと意味する。

 だが先述の通り、具体性と神秘性は相反するもの。このジレンマをどう解消するべきなのか。ニーチェやフロイトといった名だたる哲学者の著書を読んだところで、これを解決してくれる画期的な方法はどこにもなかった。何故研究しないのだろう。人類にとって永遠のテーマのはずなのに。

 

「なんぞ阿呆なことを考えておるな」

 

 環さんが僕の深淵なる悩みをバッサリと切り捨てた。勘も舌鋒も鋭いことこの上ない。

 

「はあ……まあ思い付かんものは仕方が無い。そうさな。ほんの少し気になるとか、何故か視界に入りやすいとか、それくらいなら身近な女子の中で一人はいるのではないか」

「それくらいなら……」

「よしよし。ほれ、思い浮かべてみい」

 

 環さんのアドバイスに従って考えてみる。

 さて、なんとなく視界に捉えてしまうような子か。もっと言うなら、気付けばふと顔を思い浮かべている、そんな相手…………。

 

「うーん」

「どうした。難しい顔して」

 

 我ながら環さんの顔が思い浮かんだのには驚いた。

 横に目を向けると、想像の中の環さんと現実の環さんの顔が重なる。実物と一寸の狂いもなく、僕の頭には環さんがハッキリと完璧な形で浮かんだわけだ。

 

「で、誰じゃ。誰じゃ」

 

 環さんが身を乗り出して聞いてくる。

 言うか。「貴女です」と。

 

 言えるわけがない。それではまるで告白ではないか。だいぶん仲良くなったとは言え、環さんと出会ってからの期間はまだまだ短い。いや、それ以前に見た目は完全に女児である彼女に、僕が告白紛いのセリフを吐くのは犯罪臭が凄まじい。環さんの実際の年齢等はともかくとして、絵面が罪深すぎる。普段は大らかな環さんにドン引かれて天界に逃げられでもしたら、僕の黒歴史ランキングがまた変動してしまう。

 

「……やっぱり思い付きませんでした」

 

 僕は答えに窮した挙句、そう述べた。環さんは呆れたように「はー、やれやれ」と後ろに倒れ、大の字になって寝そべった。

 

「しょうのない奴じゃなあ」

「そうは言う環さんは経験あるんですか」

 

 人の恋路に対してこれだけあけすけに物を言えるのだからさぞ経験豊富なのだろう、という思いを込めて聞いてみる。まあ人間とは違うしそもそも狐だし、無いとは思うが。いや、でも本当に恋愛経験あったらどうしよう

 

「儂? ないない」

 

 僕の思いは他所に、環さんは手を振って即答した。つまり環さんが語る恋愛論は全て彼女の机上の空論であることが明かされたわけだ。それでよくもまあ、ありがたい啓示などと自負できたものである。あまりの豪胆さに、僕は呆れを通り越して感心すら覚えた。

 

「なんじゃ文句あるんかワレ」

「滅相もない」

 

 不遜さが視線に現れていたのか環さんが僕にメンチを切る。口調がどことなく崩壊している気もするが、藪蛇な気がしたのであえて言及することはしなかった。

 

 それから僕たちは暫く無言だった。寝そべったままの環さんを見てみると、目を瞑って身じろぎもしない。まさかこの短時間で眠ってしまったのかと思って僕は彼女の顔を覗き込もうとする。その瞬間、環さんはカッと目を見開いた。

 

「儂に考えがあるんじゃけどもっ」

 

 一転、環さんは叫んで勢いよく跳ね起きた。どうやら寝ていたのではなく何やら考え事をしていたらしい。ビックリした僕に対して彼女は不敵に笑っている。

 

「今の今まで忘れておった。恋といえば、儂には母上から習った秘伝の奥義があるんじゃった。これからはそれをお主に授けて進ぜよう」

 

 我に名案ありといった風情だ。秘伝とか奥義とか、やたらと期待を煽る単語が飛び出てくる。

 しかし僕はどうも嫌な予感がした。これまでの環さんの言動からして、彼女のアドバイスはあまり当てにならない。それどころか僕より初心な面があるように思う。今みたいに調子に乗っている時なら尚更である。下手をしたら某友人のように「モテたいなら筋肉をつけろ」などと言いかねない。

 

「聞きたいか。聞きたいじゃろ」

「はい。教えてください」

 

 機嫌を損ねてもらっては困るのでそう言うと、環さんはさらに気を良くして声高らかに告げた。

 

「恋文じゃ! 古今東西、男女の仲には恋文が欠かせまい。一読すれば虜となる文の書き方を儂が手ずから教えようぞ」

 

 やはり聞くだけ無駄であった。僕は寝転んで欠伸をした。

 無論、環さんは憤慨した。

 

 

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