廃れた神社の狐娘   作:ふーてんもどき

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六話・諸行無常の響きあり

 

 

 

 自宅の最寄駅の東口から降りてしばらく真っ直ぐに行くと、住宅街を離れて田畑を埋め立てた開発地が広がっている。

 その真ん中、通い慣れた道を僕は駆け抜ける。運動不足の心臓がけたたましく暴れ、脇腹には鈍い痛みを感じる。しかし僕は足を止めずに走り続けている。走らずにはいられなかった。

 

『あの神社、取り壊されちゃうらしいよ』

 

 小野町の言葉が何度も脳裏に過ぎる。その度に言いようのない焦燥が胸を焦がした。せっかく古文のテストで一位を取ったのに、全てがこれから始まると思っていたのに、環さんが喜んでくれるはずだったのに。

 

 小野町の祖父は市議会議員を務めているらしい。この辺り一帯の住宅地開発を巡る会議において、前々から環さんのいる神社もどうするか意見が交わされてきたという。それで神主も居らず荒れ果てていることだからと、ついこの間取り壊すことが決まったそうだ。

 冗談だと思いたかったが、小野町が僕に対してそんな冗談を言う理由はない。話を聞いた直後、僕は強引に会話を打ち切って教室を飛び出た。廊下ですれ違った伊藤が何か声をかけてきたが、それを気にする余裕などなかった。後で無視したことを謝らねばならない。

 

 僕は少しでも早くこの件を環さんに伝えなければならないという使命に駆られていた。

 遠目に木々の生い茂る廃神社が見える。辺りはどこもかしこも綺麗に均された整地ばかりだ。環さんがずっと住んできた社までもが、こんな何も無い真っ平らになってしまうのかと思うと、胸が絞めつけられるような思いだった。

 感情の急くままに走り抜け、神社の石段を一段飛ばしで駆け上がる。

 

「環さん!」

「な、なんじゃあ!」

 

 僕が叫ぶと、絶賛木登り中だったらしい環さんは慌ただしく木から滑り降りてきてこちらに駆け寄った。

 呼んだはいいが、僕はしばらく何も言えなかった。ぜえぜえと乱れた息を整えるのに手一杯である。環さんはそんな僕を心配しておたおたしている。「大丈夫? 水飲むか?」と古びた柄杓に水を持ってきてくれた。いい子である。その水が雨水を溜めたものだと知っている僕は、環さんの気持ちだけを受け取っておいた。

 

「ははん。そんなに急いで帰ってきたと言うことはあれだな、吉報じゃろう。結果はどうだったんじゃ晴人や」

 

 僕が何か言う前に環さんは納得したようにうんうんと頷いた。テストの点を見せろと言う。

 呼吸が戻ってきた僕は、環さんの肩をガシっと掴んだ。びっくりする環さんに「そんな場合じゃ無いんです」と告げる。

 

「よく聞いてください。今度、この神社が、壊されてしまうらしいんです」

 

 僕は小野町から聞いた話を、環さんも分かりやすいように言葉を選びながら伝えた。最初は目をパチクリとさせるばかりだった環さんだが、僕が説明し終える頃には事態を理解したようで神妙な顔つきになっていた。

 しかし僕の予想とは違い、環さんはその話を聞いても別段驚いたり、悲しんだりしていなさそうだった。僕の話を聞いた後、最初に出た彼女の言葉は「そうか」とただ一言、あまりにも簡素であった。

 

「そうかって……無くなっちゃうんですよ、神社」

「うむ。困った」

 

 狼狽する僕とは対照的に、環さんはどこまでも泰然自若としていた。まるで困っているようには見えない。

 

「晴人には悪いな。せっかく頑張って勉強をしたというのに。無駄骨になってしまった」

 

 僕は環さんの言うことに現実味を感じられず呆けていた。彼女の口調はまるでもう、全てを受け入れているようではないか。僕にとってはそれが俄かには信じられなかった。

 

「まったく、お主の願いもまだ叶えられていないというのに。不甲斐ない限りじゃ」

 

 この人は、既に諦めているのだろうか。

 

「環さんはいいんですか、それで」

 

 僕が聞くと、環さんは「んー」て腕組みをして考え込んだ。僕はその仕草が、答えに迷っているものだと思いたかった。さっきの諦めたような台詞を撤回してほしかった。

 しかし環さんの表情から、単に言葉を選んでいるだけで答えは既に決まっていることを、僕は頭の片隅で分かっていた。

 

「良いわけではないが、どうすることも出来んじゃろう。来るべき時が来たと、ただそれだけのことよ」

 

 環さんはそう言いながら、鳥居の境に手をかざす。見えない結界に触れているのだろう。彼女は百年間、そこから一歩も外へ出たことはないのだ。

 

「まだ、判らないじゃないですか」

 

 僕の口から出た言葉には怒りのようなものが込められていた。自分で言って、自制しきれない不可解な感情に驚く。

 振り向いた環さんは、そんな僕に困ったような微笑みを浮かべた。

 

「お主は本当によく分からん童じゃ。腑抜ける時はとことん腑抜けなのに、意地でも譲らん頑固なところもある」

 

 ほら、こんな風に。

 

 環さんに言われて、僕はいつの間にか拳を固く握りしめていたことに気づいた。環さんは僕の手を取り、その白く細い指でやんわりと開かせる。

 

「少なくとも晴人がリア充になれば、儂も思い残すことは無いんじゃがなあ」

「今は、そんなこと言ってる場合じゃないでしょう」

「大切なことじゃよ。この神社の最期に来てくれた者の願いなのだから」

「最期って…………」

 

 環さんの口にする心残りはあまりにも細やかだった。本当にそれだけなのかと、胸の中でモヤモヤとした気持ちが燻る。

 

「ちなみに、この神社が無くなったら、環さんはどうするんですか」

 

 僕は分かりきっていることを聞いた。

 

「そりゃあ帰るよ。儂はこの神社の狐じゃもの。仕える場所が無くなるならば、儂も共に下界を去るのみじゃ」

 

 即ち、環さんは神様たちの世界である天界とやらに帰ってしまうのだ。そうなれば僕たちが会うことはもう無いのだろう。

 

 冷たい秋風が吹き、神社の傍にある赤い紅葉を散らした。一枚の葉がひらりと舞って、環さんと僕の足元に落ちる。環さんはそれを摘んでじっと見つめた。その瞳は穏やかで、しかし奥底に郷愁を忍ぶ色があるように思われた。

 

「少し夢を見た」

「夢、ですか」

 

 環さんがうむと頷く。

 

「お主と出会ったから、儂にとっては本当に楽しいことばかりじゃった。夏にラムネを飲んだように、秋には芋を焼き、冬には餅をつき、雪が溶けて春になれば桜の花を見る。いつまでもそんな時間が続く気がしていたよ」

 

 しみじみと語る環さんに、僕は不覚にも涙が出そうになった。彼女と全く同じ気持ちだったことを今になって知った。

 僕はどんな表情になっていたのか。環さんはこちらを見て恥ずかし気に苦笑する。

 

「いかんな。感傷が過ぎた。まあ、これも諸行無常の理の内じゃ」

 

 やっぱり寂しいんじゃないか。辛いんじゃないか。

 僕は今度こそ、自分の胸に湧く感情を抑えることは出来なかった。環さんの肩を掴んで、まだ諦めるには早いと言う。

 

「大丈夫です。僕がなんとかします。今思いつきました。たくさん署名を集めて取り壊しの反対をするんです」

 

 深く考えもせず思いつくままを口にしたが、言っている内にこれはいけるのではないかと思えてくる。日本国において多数決の効果は絶大だ。民主主義万歳である。

 どれだけの署名を集めなければならないのかは分からないが、僕の通っている学校だけでも四百人はいる。それだけの数が揃えば発言力もそこそこ大きくなるはずだ。後はどうやって署名を集めるかだ。伊藤に頼む必要がある。少々手荒いが彼の威圧感で有無を言わせず書いてもらうのは一つの手だ。それ以外にもSNSなどを使って出来る限りのことをしなければ。

 

「晴人」

 

 考えを巡らせながらつらつらと饒舌に述べ立てていた僕は、環さんに名前を呼ばれてハッとした。

 

「良いんじゃ。もう」

「でも、でも」

「儂もな、少し疲れた。だからもう大丈夫じゃ」

 

 環さんの短い言葉が、僕を現実に引き戻す。

 一瞬前まで思い描いていたことが信じられなかった。僕は本気で言っていたのか。署名を集めてこの神社の取り壊し撤回を要求するなどと。

 環さんはきっとその無謀を、僕が語り始めてすぐに見抜いていたのだろう。彼女の穏やかな目がそう言っている。

 

「さようならじゃ。ありがとう。お主といた時間は短かったが、楽しかったよ」

 

 僕は結局、それ以上なにも環さんに言うことは出来なかった。

 

 

 

 

 

 

『昔はここに立派な神社が建っていたんだがねえ』

 

 テレビ画面の向こうでお婆さんが喋っている。お婆さんが指をさしている方には大きな商店がある。旅物の企画で街を訪れた芸能人はいかにも感慨深そうな相槌を打つ。

 僕はぬるくなった汁椀を片手に、その映像を見ていた。頭に浮かぶのは環さんと、彼女が住む神社のことばかりだ。

 

 夕食はあまり喉を通らなかった。気もそぞろで、食事中もテレビ番組をボーッと見る僕を母は心配した。

 

「何かあったの?」

「いや、なんでも」

 

 母の問いかけに生返事で答える。少しの間が空いた。ややあって僕は何となく、本当にただ何となく、母に聞いてみた。

 

「こういう神社の取り壊しってさ、署名とか集めたら何とかなったりするかな」

「無理なんじゃないの?」

 

 間を置かず返ってきた答えは実に明瞭だった。

 取り壊すにも様々な人が様々な意見を交わした上で決められている。それを後になって、他所の人間が反対だと言いだしても仕方のないことだ。まったく、考えるまでもない。

 横目で父の方を見ると、黙々と食べていた父は小さく頷いて母に同意した。父は寡黙だが、家族の話はいつもちゃんと聞いている。

 

「そうだよね」

 

 話を終え、僕は食事に向き直った。今更何を言ったところで結論は既に出ているのだ。

 しかしそれでも「さようならじゃ」と言った環さんの顔がチラついた。その日のご飯はやはり、喉を通りにくかった。

 

 

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