ここ以上に安心出来る場所は他にない。
助手の男に案内された先で、広々とした場所を借りた瀬良は、研究所敷地内に広がる光景に感動していた。驚く段階はもう過ぎ去り、ポケモンがいるというこの世界を素直に感じ入っている。
オーキド博士が放しているケンタロスが、群れを成して走っている。フシギダネやフシギソウが、親なのだろうか、フシギバナに寄り添って眠っている。その他様々なポケモン達が、瀬良の視界の先にいた。
「本当に来ちゃったんだなあ」
実際にポケモン達が動く姿をこれだけ見てしまえば、無理矢理にでも実感させられる。この世界でレッドとして生きていかなければならない、という現実も、合わせて瀬良にのしかかった。
「始めるか」
じっとしていても何も変わらないので、動くしかない。この広場を借りたのは、ポケモン達を眺めるためではなかった。
ジュラルミンケースに入っていた、レッドのポケモン達であろう六体を確認するためだ。レッドという名前が目立ちすぎて、その辺でポケモンをほいほい出していてはまずい。
人に囲まれてしまっては、どう対応して良いかわからない。
そこで、この研究所の敷地を借りることを考えていた。さっきまでは研究所がこんなにも広い敷地だとは思わなかったので、もしかしたら室内でのポケモンの確認をお願いしなければいけないと考えていたが、杞憂だった。
これだけ広い敷地であれば、少しの間違いはどうにかなるだろう。後は、ポケモン達が瀬良をレッドと認識してくれるかどうか。
リュックを降ろして、中のジュラルミンケースを取り出す。ポケットに入っている鍵で錠を開け、ケースのロックを外す。開くとそこには、一番道路で見たままの状態でモンスターボールが鎮座していた。
ゆっくりとケースを地面に置いて、瀬良はその中の一つを手に取る。モンスターボールは、思っていたよりもずっと小さかった。
どうすればポケモンを外に出せるのか。その丸いボールを回して探れば、一つのボタンにたどり着く。押してみると、手のひら大にボールは大きくなった。
レッドがモンスターボールの操作すら知らないなんてありえない。最低限のことを知らなければ、と思っていたが、考えるよりもそれは多いのではないか。
不安になりながらも、瀬良は記憶を頼りに手のひら大になったボールを空へ放り投げる。パカりと空いたボールから光が飛び出し、地面に落ちた。
光はぐにょぐにょと形を変えていき、やがて定まっていく。
「おお、知ってる。知ってるぞ」
現れたのは、ピカチュウだった。頬の赤い頬袋。先端の黒い長耳。稲妻型の尻尾。想像しているよりはふっくらしているか。
辺りを見回し、やっと外に出られたとばかりに身体を震わせ、伸びをしている。
突っ立ったままその様子を眺めていた瀬良と、身体を動かし終えたピカチュウの目が合った。
ポケモンという生き物はきっと勘が鋭い。話し合いでなんとかなる相手ではきっとない。愛らしいその身体と顔以上に、恐ろしい力を持っている。瀬良など、一瞬であの世行きだろう。
パチクリ、と目を丸くしていたピカチュウに、瀬良は身を固くする。バレたか……! と後ずされば、正面の不思議生物はそのまま前に出てくる。
逃げるが吉か、なんとかボールに戻そうと試みるのが吉か。どっちも望み薄な行動に思えて、とっさに動けない。
その間にも、目を丸くしたピカチュウが一歩一歩前へ進んでくる。
「ピ、ピカチュウ。調子はどうだ? ここなら思う存分遊んでいいぞ」
逃げもせず、ボールに戻そうともせず、危険を伴った場合は一番ないと思っていた手段、話すという行為を瀬良は取った。
我ながら同僚や同級生に話すような口ぶりに違和感を感じつつも、瀬良の言葉でピカチュウは足を止める。「ピ?」と首を傾げた次の瞬間、そのまま瀬良に飛び込んで来た。「わあ!」と声を上げたいのは山々だったが、瀬良は必死に堪えて、飛び込んでくるピカチュウの表情が笑顔であるのを信じた。
その小さな身体を抱きとめて、そのまま尻餅。
ピカチュウは瀬良に頬ずりして、スキンシップを取っていた。
「よ、よかった」
中身は瀬良でも見た目もにおいも本人のもの。レッドのポケモンにバレないのならば、一先ずは安心だ。
ピカチュウを撫でれば、その毛並みの滑らかさと身体の柔らかさに瀬良は驚いた。ハムスター、とまではいかなくてとも、随分と柔らかな身体をしている。これで屈強で巨大なポケモン達と渡り合っているのだとしたら、ポケモンというのはなんと不思議な生物か。
撫で回せば気持ちよさそうにするピカチュウは可愛い。人気のあるポケモンであるのは間違いない。
その可愛く人気なピカチュウも、レッドにかかればチャンピオンも打ち倒すポケモンとなりうる。この小さな身体に圧倒的な力が秘められている。接し方を誤れば、間違いなく誰かを傷つけてしまう。
このピカチュウにそこまで力を持つよう鍛えてしまったレッドには、それ相応の責任が発生する。そういう意味では、ポケモントレーナーというのは共に生きるポケモンに対する責任だけを果たして行けば良いのだろう。
このポケモン達がバトルという一つの形に特化した育て方をされていて、彼等彼女等がそれを望むというなら、瀬良はそれを引き継がなくてはならないと考えた。もし元に戻れた時に、レッドとそのポケモン達の名前に傷がつき、弱いとかまぐれなどと言われるようなことがあってはならない。
そうならないためにも、瀬良は色々なことを早く知らなければならない。
ピカチュウを後ろから抱き上げ、瀬良は自分の前に立たせる。「ピカ?」と振り返りつつ疑問の鳴き声を上げるピカチュウは、瀬良が前方を向いているからか、戦闘態勢とばかりに四つん這いになり、頬から目で見える程の電気を走らせた。
「れ、練習だぞ! 軽くだ! そっとで良い! ……よし、十万ボルト!」