礼を言うために研究所へ戻った瀬良が助手の男から告げられたのは、よく考えれば当たり前の話だった。
「さっき言い忘れてたんだけど、レッド君にやたらと仕事の依頼が入ってるよ。どうする?」
先程と同じ席に座らされ、正面に座った助手は箇条書きされた仕事リストをレッドの前に並べる。会話を重ねる機会があるのは良いのだが、仕事、と言われても反応に困るとセ瀬良は思った。
「え、仕事? どこかの大会へのゲスト参加とか、そういうのですか?」
「もちろんそれもあるけど、雑誌のインタビューとか、対談以来とか、テレビやラジオの出演、旅に出る前の子ども達への指導とか、もう、たくさん」
「は、はあ。どうしてそんなものがこの研究所に?」
「ひどいなレッド君。ここんとこずっとそうじゃないか。せっかくポケギアを持っているっていうのに、君、連絡先をあまり人に教えないし、選んで電話に出てるから」
瀬良は、レッドの気持ちも分かる気がした。チャンピオンになって大騒ぎのところでその称号を捨てたものだから、更にそこへ火に油を注いでしまって余計にひっぱりだこなのだろう。
チャンピオンならともかく、一般人なら恐らく協会や公的機関からのブロックもない。
「そうですよね、すみません。えっと、今までってどんな仕事を受けてましたっけ」
「たしか、昔っからあるバトル雑誌の取材だけかな。後は全部断っていたと思うけど」
「そっか、そうでしたね。すいません、手を煩わせてしまって」
「いいよ別に、どうしたの今更。調整役をやってやれって博士からの命令だし、気にしないで。どうせすぐに落ち着くって」
どうやら助手は、マネージャー業をやらされているらしい。オーキド博士の助手としてここにいるのに、トレーナーのマネージャーなんて本当はやりたくないはずだ。
どうにも身動きがとれなくなったレッドを見かねて、オーキド博士が気を回してくれたのだろう。それくらいレッドが参っていたとも考えられる。
「分かりました。俺も大分落ち着いて来たんで、詳細を教えて下さい。それと、これからはこっちで判断します。いつまでも頼っていちゃ、申し訳ないですから。仕事の依頼も、今度から全部こっちに連絡するように回してもらって構いません」
「そう? レッド君、なんだか随分大人になったんじゃない? 色々乗り越えると、やっぱり成長するもんだね」
「ありがとうございます」
ゲームをしているだけでは、仕事、というものを想像出来なかったが、よく考えれば当たり前の話だ。
メディアがこんなに人を集められる人材を放っておく訳がない。レッドが喋る言葉なんて、一言一句が今後記録され、アーカイブ化されるのは間違いない。歴史に残る偉人であるのは間違いないのだ。バトルというものを文化として捉えるならば、レッドの話は隅々まで記録に残したいと思う人間はごまんといる。
そういう責任もあるのだと思うと大変だ。
しかし、レッドはまだローティーンの子どもであるというのも忘れてはいけない。もっと歳を取って落ち着いてからでもいくらだって語れるんだから、今は放って置いてやって欲しいと瀬良は思う。
「きついかなあ……」
代わりにこなしてやろうとしても、助手がまとめていた依頼内容はそもそも今の瀬良では受けられない仕事ばかりだった。出るのは苦笑いだけ。
レッドよりは歳を重ねている自分に出来る仕事はないものか、と思っていたが、想像以上に何も出来ない。
バトル指導はありえない。カリスマバトル講師との対談。グリーンと合わせて、カントー地方の旅を振り返る企画。新型モンスターボールのCM。オーキド博士のポケモン講座への出演。ポケモントレーナー地獄の勝ち抜きバトル、という雑なテレビ企画。
どれも無理だ。オーキド博士のラジオなんかは一瞬出ても良いのでは? と考えたが、ボロが出たら終わりである。
頭の中でリストの上から順に罰を付けていく中で、瀬良の目に止まる企画が一つ。
カントー中へネットワークを張り巡らし、ポケモンをデータ化して保管出来るシステムを作った男、マサキとの対談である。
「データ化、転送……」
頭の中でひっかかる言葉が、自然と口をついた。
ここへ飛ばされる前、あの怪しい研究所で見た円柱型の機械はマサキのところにあったものではないか。ゲームでの状況を、瀬良は思い返す。
ハナダの岬に住むマサキの元を訪れたレッドは、転送ミスか、なんらかのエラーによって、ポケモンと合体した状態のマサキと遭遇する。ポケモンの姿で言葉を喋るという奇怪な状況に驚きつつも、転送システムを操作して、レッドがマサキとポケモンの分離を行った。
レッドになってしまった自分の状況は、あのマサキの転送システムが関係しているのではないか。犯人がマサキかどうかは分からないが、転送やデータ化の仕組みに加えて、もしかしたら元に戻れる方法を知っているかもしれない。今一番会わなければならない人物だ。
「どうしたんだい? レッド君」
「いや、なんでもありません。それより、このリストをいただいても構いませんか?」
「もちろん。君に来ている仕事だからね、管理してくれるなら持っていた方が良い」
「ありがとうございます。それと、あの、どうして調整役を引き受けていただけたんですか?」
うーん、と唸りつつ、助手の男はまだ湯気の立つコーヒーカップを手に取り、ゆっくりとその黒い液体を啜った。
ことりとカップを置いて、「あのね」と話し始めた。
「僕は博士の挑戦的なやり方と、しぶとく何にでも挑む姿勢が好きでね。それだけなら他にもいるんだが、オーキド博士はちょっと違う」
「どう違うんです?」
突然語り始めた男に面食らったものの、瀬良は大人しく聞く事にした。
「ポケモントレーナーとしてほぼ頂点を極めたのに、それをかなぐり捨てて研究の道へのめり込んで行ったんだ。分かるかい? バトルでもう安泰なんだよ。ご飯は食えるんだ。それなのに、その立場を捨ててやりたい研究があるからと飛び込んで行くその胆力、そのやる気、その無鉄砲ぶりは素晴らしい! 惹かれてしまったんだよ僕は!」
あまりの熱さに若干引いていた瀬良だったが、それだけのカリスマ性がオーキド博士にはあるのだと分かった。
「それと、俺の調整役を引き付けていただけたことと、関係あるんですか?」
「おおありさ! その博士の命令を賜れる立場に僕がいる! バトルにも精通している博士が汲み取った君への慈悲深い配慮を、僕は素晴らしいと思う! それに、オーキド博士から図鑑を賜った君やグリーンが、旅の果てに成し遂げた偉業! その結果生じた齟齬を僕が調整出来る! こんな素晴らしく光栄なことはない!」
随分と大きな声を上げてオーキド博士に対する熱烈な愛を語る助手の男は、そこまで叫んでから、はあはあと肩で息をしつつテーブルに両手をついた。
いつの間にか、立ち上がっている。
「だから、君の調整役を受けたのさ」
「わ、分かりました。よく分かりました」
肩で息をしつつ再び座った助手は、だけれども、とまだ続ける。
「君が一人で調整出来るというのであれば、僕の出る幕ではない。頼りたいことがあれば、いつでも言ってくれ」
「助かります」
他人に認められたい。大きな仕事を任されたい。その欲求は瀬良にも理解出来た。ちょっと異常なくらいだが、オーキド博士という偉大な研究者の助手になるというのは、生半可なことではないはずだ。こうして近くに置いてもらえているというだけで、きっとこの助手の男も素晴らしい能力を持った人間なのだと分かる。頼れる人間がいるのは、瀬良にとってはありがたい話だった。
「僕は小さい人間なのさ。笑わないでくれ」
「笑いませんよ」
それはレッドではない、瀬良本心の言葉だった。