トキワジムから出ると、チクサが待っていた。今改装中で閉鎖しているジムの中に”レッド”が入って行くなど、何かやらかすに決まっている。たまたまジムに入るのを目撃してしまい、一体何事かと心配したらしい。
「今度は何を始める気だい?」
「何もしやしませんよ。もう一度、カントーを旅してみようというだけです。その始めとして、トキワジムに寄ってみたんですよ。グリーンがいるかと思ってたんですけど、会えませんでした」
「そりゃそうだよ。彼はジムリーダー試験中だもの」
やはりよく知られた話の様だ。ニュースや時事にも気を配らないといけない。
「はは。ニュース見てないんで知りませんでした」
「本当、バトル以外興味ないんだね君は。まあでも、チャンピオンを降りるっていうのはそういうことだもんね」
「と、言いますと?」
なんで僕が君について君の前で喋らなきゃいけないんだよ、と言い不思議そうな顔をしつつも、チクサは続けた。
「素人考えだけどさ、チャンピオンなんてきっと不自由なもんさ。振る舞いも求められるし、制約も多い。自由にバトルをするなんて、多分一番難しいからね」
「なるほど」
「その点、チャンピオン経験者として一般トレーナーになれば自由さ。好きなように、いつでもどこでもバトルが出来る」
チクサの話は納得感があった。レッドが本当にバトル狂いでとにかくバトルをしたいのだったら、それで良い。
「けどさ」
「そうですよね」
瀬良はチクサの言わんとしていることが分かった。
「チャンピオンがどれだけ重いか、そこまでは君、考えてなかったでしょ」
瀬良も、それが真実だと思った。
あいつは強い、と噂されるのとは訳が違う。公式の場で、十年以上無敗を誇る絶対チャンピオンが作りあげていた聖域を壊すというのがどれほどのことか、レッドは考えていなかったのだ。皆がどれだけそれを依り代にしていて、日常化していて、信仰の対象にすらなっていたか。レッドは分かっていなかった。その点については、甘いと言わざるを得ない。
年端も行かない少年達にそこまで求めるのは流石に酷というものだが、チャンピオン、という立場についてしまえばそれは通用しなかった。
「ぐうの音も出ませんね」
「だからといって、君を批判するつもりもない。それが君の選択なら、僕は支持するさ」
ありがたい話だった。
チャンピオンになった時、レッドが見た景色はきっと靄がかかったように視界不良だったに違いない。頂に立てば、好きな様にもっともっと色々な奴と戦えると思ったら、周りに人間が集まり、どうにも身動きなど取れなかったのだ。
「チャンピオンのままでいたらいたで、それがパスポートにもなったかもしれないけどね」
「そうですよね。チャンピオンという通行手形があれば、他の地方の強い奴等とも戦えるチャンスが増える」
「でも、君がしたいバトルは、そういうもんじゃない。最も古典的で、野蛮と言っても良いのかもしれない、目が合ったらバトルをするとか、そういうのがしたいんだろう? 厳しい環境の中で過ごす方が、まだまだ若い君には刺激になって楽しいんだろうね。まあでも、歳を取ればそれも変わっていくよ。今は今やりたいことを、楽しみな」
「ありがとうございます」
旅をしていく中で、ヤシロの様な人間と出会うこともあれば、チクサの様な人間と出会うこともあるだろう。レッドとして色々な人間と付き合えるようにしていくには、様々な話を吸収し、受け止めていくしかない。
加えて、元に戻る方法を探るためにも、レッドとしての体面を守っていかなければならない。バトルで負けないというのも、一つ重要な要素だろう。瀬良が初心者だからって負け通しでは、そのうちレッドの功績はただのまぐれだったのだと、何かの間違いだったんだと、それこそマスコミや雑誌の言う通り、協会の陰謀だったなんて話になりかねない。そうなったら元に戻れる方法を探るどころではない。人と円滑に繋がっていくには、やはりレッドを保つしかないのだ。
取り急ぎマサキと会うのが一番可能性があるのだが、もし駄目だった場合は他を頼らないといけない。元チャンピオンの肩書を使ってこそ会える人間がいるならば、どんどん使うべきだと瀬良は思う。
「それじゃあ僕は行くよ」
「あ、チクサさん。電話番号、良いですか?」
「光栄だね。元チャンピオンの連絡先なんて、自慢出来るよ」
なんてね、と付け加えたチクサと番号を交換した瀬良は、この世界に来て初めて連絡先を登録した。最初の一歩だった。
「またどこかでね。あんまり無理しちゃだめだよ」
最後まで世話好きな様子を見せたチクサは、言うだけ言って去って行く。
マサラから一歩外に出ただけでこれだ。もっともっと大きな町に出たら、何が起こるか分からない。ポケモントレーナーという人間達が幅を利かせるこの町ではあまりいないが、柄の悪い連中にだって絡まれることがあるかもしれない。
力を付ける必要がある。というよりも、うまくコントロールする必要がある。”レッド”のポケモン達の力をそのまま使うのは、きっとまずい。
「さ、俺も行くかな」
次の目的地は決まっていた。現在地から北へ進んで行き、トキワの森を抜けた先にあるニビシティだ。トキワでは出会えなかった存在に、会えるといいなと瀬良は思う。
頭に相手を思い浮かべ、トキワに一旦の別れを告げる。瀬良はまた一歩、足を踏み出した。