騒ぎ立てる人間の中から一人押し出されるような形で、びくびくとしながら中に入って来た。昨日、瀬良が皆を集めるように頼んだ少年だった。トレーナーボックスまで近づいて来て、「で、どうすればいいですか?」と耳打ちする。「この人数、どうやって集めたんですかね」瀬良は質問に質問を返してしまった。どういう手段を使えばこうなるのか、聞かずにはいられなかった。
「家帰って親に話して、学校でも同級生に声を掛けました」
「それだけで、この騒ぎ?」
「駄目ですか?」
駄目な訳がなかった。瀬良が頼んだ事だ。自業自得でしかない。それでも、だとしても、何故こんな事に? と口をついてしまいそうだった。
「……いや、もちろん駄目なんてことはないです。ありがとうございます」
彼はきちんと言った通りやってくれたのみ。
「それで、どうすれば良いですか?」
「ここまでで大丈夫です。せっかくだからバトルします?」
いやあ、そんな無理ですよ、とばかりに首をぶんぶんと横にふる少年だったが、ガヤが騒ぎ出す。彼の友達だろう。バトルしろー! やってもらえー! こんなチャンスないぞー! 周りが更に囃し立てる。
少年の首がだんだんと横振りをやめ、周りをキョロキョロと見渡し、彼には挑戦権があるのだと周りがさらに盛り立てる。レッドが野良バトルに現れた、という情報発信源が彼であることが、彼等の友達から明かされる。たちまち伝播し、声は圧力となり替わる。
「大丈夫。ただの野良バトルだから」
「は、はい!」
少年のあまりの緊張っぷりに、瀬良が逆に落ち着いてしまった。情けない状況だったが、助かったと瀬良は少年に感謝する。
ここまで来れば、もうやるしかない。ヤシロの時と一緒だ。ニビの一般トレーナーに勝てないレッドなんて、そんな訳があるか。やってやる。瀬良の心は決まった。
忘れていた握手を交わし、少年は権力者の従者のようにきびきびと走って反対側のトレーナーボックスについた。レッドが見られればなんでも良い、という観客の盛り上がりは最高潮。四天王とチャンピオンをまとめて撃破したという脅威の天才少年の生バトルが見られる。ミーハー気質と言うには厳しい。その言葉だけ見れば仕方のないことなのかもしれない。
「お願いします!」
少年が頭を下げた。それに習って、瀬良も軽く頭を下げる。
本当の意味で、瀬良初めてのレッドの名を冠したバトルが始まる。
天才レッドが華麗なバトルで相手を倒す。観客が求めているのは圧倒的な強者の、強者たるパフォーマンスだった。それは、ニビの一般トレーナーである少年相手とのバトルならうってつけ。力の差がありすぎるが故に、ハラハラしたりドキドキしたりすることもなく、ただ期待に添うバトルが見られる。
皆がそう思っていた。
確かにバトルは”レッド”が勝利したが、大きな歓声には程遠く。目の前の凄惨な光景に息を飲んで、口を閉じる者ばかり。とてつもなく盛り上がらない雰囲気に、観客側が気を遣って拍手した。それは最大限の気遣いであり、裏返せば拍手で最大限という状況が、今この場を支配している空気の異常性を物語っていた。
少年はただ呆然と目の前の光景を見つめていた。何をするでもない間に、自分のコラッタがボロ雑巾の様に倒れ伏せている。チャンピオンという位置に辿り着く人間というのは、例え少年であっても人格者で、常識があって、分別くらいはつくはずだ。それは少年だけが想定していた前提条件ではなく、周りの観客皆がその前提でバトルを考えていた。
コラッタが筋肉を痙攣させ、ビクりと身体を波打たせた。呆けていた少年は目に映った自分のポケモンの姿にハっとし、すぐに駆け寄って抱き上げる。腕の中でヒクつくコラッタを目の当たりにし、次の瞬間にはキッと刺すような視線で向かいの瀬良を睨みつけ、走ってバトル場を抜け出す。入口にまで群がっていた観客達は波が引くように道を開けた。場に残ったのは、瀬良とピカチュウのみ。
誰もが重たい空気を感じていた。場をまとめる役など誰もいない。大きな大会のように、アナウンサーや実況席のゲストがいるはずもない。収集のつかない状況に、観客は目を泳がせ、お前行けよ、なんとかしろよと、それぞれに役目を押し付け合う。今の状況じゃなければ、すぐに仕切りたがりが出てきてもおかしくはない。しかし状況が違い過ぎた。カントー最強の男が、その力をぶん回して、自分より力の弱い生物を破壊した。そんなものは恐怖の対象でしかなく、仕切りたがって前に出られるような場ではない。
端的に言えば皆引いていた。つまらないものを見たと、ほとんどの者が思っている。それでも皆その場から離れなかったのは、レッドなりの理由があり、次に起こすアクションに期待していたからだった。
息を飲んで皆がその瞬間を待った。風がフェンスを叩く。軋んで音が鳴った。静かだった。あまりにも、静かだった。