バトルに勝った。それは良い。無事に勝利出来てレッドの体面を保てたことは素晴らしい。
だが、こんなはずではなかった。やってしまった、という顔をする訳にもいかず、瀬良は必死に無表情に努める。指示された技を実行したピカチュウは、無事勝利を収めて瀬良の足元で寛いでいる。何もおかしなことはしていないはずだった。
それなのに、これは一体どういうことか。
少年とのバトルが始まってすぐ、ピカチュウに向かって十万ボルトの指示を出した。電気ショックで十分だったかと瀬良はすぐ後悔したものの、言葉は取り戻せない。ピカチュウは出て来たコラッタに一足飛びに迫ったかと思えば、尻尾で叩きのめした後に空中に跳ね上げた。その後は、オーキド研究所で見たあの光景。うねり、絡みつくように伸びる電撃がコラッタを襲う。瀬良ならまだしも、トキワの森近郊に住むニビの住人達がピカチュウの電撃で驚くとは考えにくい、それなのに、皆が「うわあ!」と驚愕の声を上げた。それだけ明らかに異常な威力の電撃がコラッタを捉え、バトルは終了した。
ひどいバトルだったと言えばそれまで。だが、”レッド”という話題の天才少年が行うバトルという意味では、観客を不快にさせ、レッドに悪い印象を抱かせるには十分過ぎた。
この状況をどうにかしなければならない。”レッド”の行いとして間違っている。
そんなことは瀬良にも分かった。やってしまった、とも思っている。しかしそれ以上に瀬良の中を支配したのは、周りを黙らせる圧倒的な力への恍惚感だった。ピカチュウというほんの小さな生き物が放つ電撃は、自分の喉から発せられる声が引き金だ。今、一言口にすれば、周りで言葉を失っている観客に向かって電撃を放つことも出来る。
ピカチュウだけではない。腰についた他五つのボールから全員を出し暴れさせればニビなどあっという間に壊滅に追い込める。
今集めている”レッドを見つめる視線”に、瀬良は半ば興奮した。緊張や不安がほとんど吹っ飛んでいた。力を持ち、登り詰めるというのがこれほどのものか。レッドとポケモン達が協力して磨き上げた力の魔力に、瀬良は完全に囚われていた。
「次、誰か来ませんか?」
周りを見つつ言った。次のバトルがしたくてしたくてたまらなかった。
”チャンピオンレッド”というトレーナーの行いに嫌悪感を抱いている観客達は、同時にレッドの強さに畏怖を抱いている。そう考えたら気持ちよくなってしまった。もう止められない。次が欲しい。
次の生贄はまだか。
瀬良の声には誰も反応しない。皆が顔を見合わせ、どうするか決めかねていた。今のバトルを見て挑もうという人間など中々いないだろう。
それでも、レッドとバトルが出来る機会なんてそうそうない。さっきのバトルも、あまりのレベル差にやり過ぎてしまっただけ。少しずつ力の差を把握して力をセーブしてくるはず。
そんな盲目的な淡い期待を観客へ抱かせるのにも、レッドの名前の大きさは十分過ぎた。しばらくガヤガヤと騒ぎ、お前行けお前行けと押し合っているところへ、次の人間がバトル場へ入って来る。
それだけでバトル場は盛り上がり、先程の惨いバトルなどどこへやら。再び大きな盛り上がりを見せる。
「よろしくお願いします」
先程の少年より年上だろう。ある程度バトル経験を積んでいそうな男性だった。装いは旅の者。ニビにいたらレッドがバトルをやっていると聞いて、いてもたってもいられなくなって飛び込んで来たという様子だった。おどおどしたり、緊張したりする様子を見せない。素人考えながら、出来る奴なんだと判断する。
軽く会釈して、次の獲物に向かって瀬良は技を叫んだ。
レッドが一般のトレーナーに勝つ。あまりに当たり前の状況を瀬良は楽しんでいた。二人目の旅のトレーナーを倒して以降、どんどん中に入ってくるトレーナーを連続で倒し続けている。最初の惨いバトルを見ていたにも関わらず、観客が求めたのは有名トレーナーとの対戦経験だった。
普通、どれくらいの連続バトルが許されるのだろうか。
周りを取り囲む観客達の半分くらいとはもうバトルをしたんじゃないかと思える程、バトルを重ねていた。バットをぶんぶん振り回せば全部ホームラン。全てのバトルにスカっとするような勝ち方が出来た。
力を雑に振るっているのは間違いない。それでも観客達が離れないのは、最初の狂気に迫る勢いの瀬良のバトルが、目に焼き付いていたからだった。何かまずい事が起きるのかもしれない。驚く事が起きるのかもしれない。そんな期待が観客達を引き留める。噂を聞きつけて人もどんどん増えて行く。瀬良は止まれなかった。
「次!」
大きな声を張り上げる。もう何試合目か分からない。
それでも目に見える疲れを見せないピカチュウのタフさに身を預け、瀬良はまた次のバトルを行おうとしていたが、平然とバトルを続けるピカチュウは瀬良のいきり立つ様子とは裏腹に、飽きたとばかりに瀬良の足元まで戻って伏せた。
「ピカチュウ?」
勢いに任せて力の魔力に取りつかれた瀬良が唯一止まれるのは、その力を振るえなくなる時のみ。その力の源が、バトルを拒否して休んでいた。見た目よりも蓄積した疲労があるのかもしれない。欠伸を一つして、ピカチュウは眠り込む。
それでも、この観客の盛り上がりの中突然バトルをやめる訳にはいかない。やめるのは今ではないのは瀬良にもよく分かった。
戦ってくれないのであれば仕方がない。瀬良は残る力の源である五つの内の一つに手をかけ、それを放る。ピカチュウというレッドを象徴するポケモンも観客達を喜ばせたが、こちらもそれに負けず劣らず。その威厳ある風貌は、人々に人気のあるポケモンだった。
「リザードンだ!」
観客達が再び盛り上がる。
大歓声の中、キイ、とバトル場の扉が開いた。
斜めに大き目のカバンを下げた大人の女性だった。元の世界の瀬良の年齢とそう大差ない。
「お願い出来ますか?」
「はい、よろしくお願い致します」
髪を後ろで束ねた長髪の女性は、腰のホルダーからボールを一つ取って、控え目にそれを投げた。中からは、二足歩行で尻尾の長い、頭に傘を被った様な姿。
「キノガッサ、だったよな」
その知識はあった。ついて行ける範囲。キノガッサというポケモンはカントーにはおらず、ホウエンというまた別の地方に生息するポケモンであることを瀬良は思い出した。
「よろしくお願い致します」
目の前の物静かな女性に対し、どこか不思議な様子を感じる余裕などない。今はもう、バトルをしたくてしたくたまらない。リザードンが猛り、バトルを行う意思を明確に見せると、ポニーテールの女性は薄く笑った。その笑みに、瀬良は気付かない。
バトルは瀬良が勝利した。ポニーテールの女性は今までのトレーナーよりも力のあるトレーナーだったことは間違いない。瀬良は何が今までのトレーナーと違うのか細かいところまでは理解出来なかったが、それでも相対してバトルをすれば差があることは理解出来た。
ポニーテールの女性はリザードンの火炎放射で倒れたキノガッサへ近寄り、膝を折ってその労を労った。よくやった、と言いたげにキノガッサを撫でてからボールへ戻す。勝ったのは瀬良なのに、余裕の表情を浮かべた女性は、ニヤりと笑った。先程とは違う濃い笑いに、瀬良はやっと気付く。
今までと比較すれば”レッド”へくらいつくバトルが行われたことに、観客は盛り上がっていた。
それに反して、多くのバトルを重ね、ピカチュウが一度バトルから離れたことで瀬良の頭も少しずつ冷え始めている。
一体この女性は何なんか。
カシャリ。不審なポニーテールの女性を見つめていると、瀬良の耳に聞いた事のある音が響く。歓声に紛れ込んでいた確かなその音の方向を確認すれば、一人の青年がカメラを向けている。まずい状況であるのを瀬良は理解した。視線を戻せば、午前中誰もいないバトル場でレッドを撮っていたあの女性だと瀬良は思い出した。
ポニーテールの女性がキノガッサをモンスターボールに入れ、それを腰のホルダーに収め、おもむろに立ち上がった。結んだ髪を解いて、長い髪を靡かせれば一目瞭然だった。
「一体、何がしたいんですか?」
雑誌記者か何かだろう。ニビでレッドが自分の名前の大きさを餌に、一般トレーナー相手に惨いバトルをやっている。チャンピオン経験者でありながら、なんという不道徳な行為か、とさんざん書かれるに違いない。
「何が、とは?」
「そのままの意味ですよ。このバトルに、一体何の意味があるんですか?」
それを言っても、理解は得られない。
瀬良は今もう、自分自身をレッドより前に押し出そうとしている。まずいという気持ちよりも、別の感情が上回る。レッドとして何をするべきかなんて関係ない。どうしてレッドとして今いる自分が自由に振舞ってはいけないのか。そう言いたい気持ちでいっぱいだった。こんなところまで飛ばされて、こっちは被害者なんだ、と。
「さあ。どうしたいんでしょうね」
瀬良の回答に、女性は初めて不快そうな顔を浮かべた。不可解であるというのを隠さない。
「言うつもりはないのですね」
彼女の方が、色々言いたげだ。おそらくレッドに対する彼女なりの考えを持っているのだろう。きつい目でレッドを見たかと思えば、そのままバトル場を後にした。外にいるカメラを持った青年が慌てて女性を迎えに行く。カメラを受け取った女性が、斜めに下げた大きなバッグにそれをしまった。
用は済ませたとすぐに去って行く二人に、瀬良はもう興味がなかった。
今瀬良は力に溺れている。今更雑誌に悪く書かれたところで、色々ある中の一つでしかない。気にする必要はない。やりたいようにバトルをしていて、何が悪い。
瀬良はまだバトルを続けられそうなリザードンに目をやり確認する。まだ出来る。観客を見渡し、瀬良は「次!」ともう一度叫んだ。力に溺れている自分を理解しつつも、この快感から逃れる方法は、分からなった。